むくむくアーカイブス 最新更新日 2012.3.10

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むくむくにっき記事抜粋-2004.7-
2004.7.1〜2004.7.15
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花宇宙-のこぎりそう- 2004.7.1
 
雑草って呼ばれている草たちも花を咲かせる権利を持っています。
これは-鋸草-葉っぱがのこぎりみたいにギザギザなんです。

    

草が雑草であるかないかの判断って誰がするんでしょうね?
みんな一応はお名前をつけてもらっているのに
緑の草色だけのときには無視されてしまう草ですが
そんなのをまとめて雑草と言ってるんですかね

のこぎりそうは雑草ではありませんよね
「このぎりそう」という名前がちゃんとあります
わたしきれいでしょ!って虫たちにアピールしてます
わたしも虫だからちゃんと見てあげてます^o^

みずから白い光を放っているように見えるでしょ
この白く光るのがお花のエネルギーなんです
お星様がいっぱい集まって星雲になるように
のこぎりそうの花雲なんです

キラ星のような花を介しての鋸草と虫が感じあうんです
きっとこころとこころが通い合ってるんですね
上にしか伸びられない植物と自在に飛べる動物が
でも人間のように自己認識の回路は持ってないですね

自然の回廊は共存の回路
インターフェースとデバイス
蜜と触覚
その谷間に新しいアートが産まれてくるのではないですか?
ね、ね、ねっ。。^o^:


ブルーベリーの実 2004.7.2  

夏まえのブルーベリーの実ってまだ緑です
わたしの庭には枝垂桜の木のしたにブルーベリーがおります

   

食することができる果実をいっぱい集めていこうって思って
庭のあちこちに梅や李や柿や栗などの木を植えて
それぞれに少しずつ収穫できるようになってきました

ブルーベリーやラズベリーなんかも育っています
この写真に撮ったブルーベリーはそのひとつです
熟したむらさきの実を生のまま食べるのは秋

実は熟すまでは葉といっしょの色です
ブルーベリーに限ったことではないんです
梅も李も柿も栗も緑から紅や茶色に変化していくんです

この時々の実の色が記憶の淵で食べごろを想わせます
ひとの一生の若いころを「青い春」なんていうのは
この木の実たちの成熟を擬しているのでしょうね

言葉も写真も音楽もひとえに移りゆく時間のなかに漂い
目の前に在るものの第二の意味をつむぎ出しています
見えないものを見ようとする人間の習性ですね

哲学とか文学とか音楽とか・・・・
これまで見えないものを見ようとしてきたんですね
でもまだ見えないものがいっぱいあるようです

見えないものは無とか混沌とかの領域にありますね
見えるものと見えないもの・・・のお話でした。。^o^:


炎は熱情  2004.7.3
 
炎を見ているとめらめらめらとこころが燃えだします
なにかかき立てられ騒ぐ気持が起こってきます

   

淡い緑や濃い緑からはおだやかな情を感じ
紅い花の色艶からは情欲を感じるんですけれど
揺れ動く炎からは畏怖と恐怖を感じます

お花や木の実のある風景がこころの楽園だとすれば
炎は大地の熱情いやいやこころの情念でしょうかね
あるいは激しい恋の苦悩といったほうがわかりやすいかな

ベートーベンのソナタに熱情・アパショナータがあります
はげしいこころのゆらめきのようです
燃えさかる炎をみているとこの音の連なりを感じるんです

そういえば炎や灼熱は地獄の沙汰ですね
炎が昇華して天空にきえていく悪の華ですね
清い恋心というのもいいけれど灼熱の恋っていうのも

ピアノを弾くのも写真を撮るのもパンを作るのも
自分が自分のこころをとらえる鏡の役割ですね
昔も今もそうだけどこれが芸術の源泉であるように思ふ


暑い日ですね〜 2004.7.6
 
今日は朝から快晴でもう汗ばんできますね
7月6日、いよいよ夏本番というところですね
みなさんお元気ですか?
一昨日、昨日とむくむくにっきお休みしました
金沢の方へいっていたんです

   

日常は京都に住んでいてフリーで仕事?をしています
この10年ほど俗にいう造形芸術系の仕事に携わってきたのですが
いまある芸術と人間の関係についていろいろ考えることがあって
あたらしい学校をつくろうと思っています

おもにカメラを使った写真を中心に始めていきますが
ここでは食べることと芸術することが同じ位置にある
このことの確認からはじめていきたいと思っています

写真って様々な要素をもっているメディアだと思います
過去には絵画から発生してきているし
未来には映像やCGそれに
メディアアートといわれてる領域につながっているんですね

写真って様々なアートの形の原点的位置にあるんですね
別の系列に音と文字の世界があるんですけれど
これらとも密接に関連していて社会的存在なんです

このような写真を中心とした学校
学校といっても塾みたいなもんですが
この学校企画を立てている最中なんです

この「むくむくにっき」でも新しい学校について
お話していきたいな〜と思っています
よろしくです

掲載写真はハーブ園にある鉢植えの「レモンタイム」でした


夏の朝 2004.7.7  
 
さくらの木のしたに朝のテーブルをしつらえて
夏の暑さにはテーブルのうえも水気が多くなりますね
珈琲に野菜ジュースにヨーグルトとトマト
胡桃に銀杏にムカゴとはたけの野菜・・・・

    

田舎の朝は野外で食事っていうのがいいですね
朝目覚めて一番の仕事は山へ水を汲みにいきます
天女さまがおいでます山すその湧き水です
そのお水で珈琲をいっぱい入れてあげます

夏の朝ってすがすがしいです
小鳥がぴいぴい鳴いていますし
草のにおいむんむんがいいんですね

でもここで自然ばっかりだと思ったら
わたしはカメラをとりだして写真に撮る
記憶にいっぱい残しても見せられないから
写真に撮って記憶を記録しておくんです

自然のままと精密器械とが入り乱れての
生活時間なんですね


花宇宙-ききょう- 2004.7.8

庭に光がいっぱい溢れだしたころ桔梗-ききょう-の花が満開します
もう花弁が光に透けてみえます

   

こう暑さが続くと身体への負荷が大きくなりますね
なるべくクーラーを入れないでおこうと思う気持と裏腹に
部屋の温度計は32度今朝はもうクーラーを入れだしました
まだ梅雨も明けていないというのになんと暑いんでしょうね

今日のお花の写真は桔梗-ききょう-です
むかしから愛でられてきた青い紫の花です
ここでお花の写真を宇宙になぞらえて掲載していますが
お花なら何でもいいというわけではないんですね

わたしの気持は古典です(笑)
田舎の自然の風景に身体を委ねていくと気持が古典になる?
自然の風土のなかに自分がいることを自覚するんです
そこに居るとうっとりしっとり落ちつくんですね

とっぴなはなしですが
48枚の花札ってありますよね
四季の花鳥風月12×4=48です
行き着いてきたところってこの宇宙なんですね

わたしの生活の大部分は西欧文化のなれの果てにいます
でも落ち着いてようくこころを観察してあげるとね
わたしのこころの底の方にいるんですよね
この風土を愛でてきた光と花草木を感じる感覚がいるんです

これまで3回の四季を写真に収めてきて昨年秋
デジタルカメラに切り替えて写真を撮りだしました
この日記にはその生活を封じ込んでいこうと思っているんです
そうゆう意図があって写真と文をつくっているんです^o^:


のうぜんかづらの花 2004.7.8
 
いまの季節は梅雨の終わり夏の始まり
微妙な季節ですがまだ梅雨なんですね

  

この花は-のうぜんかずら-です
垂れ下がった房にオレンジの花が咲きます
京都では6月の中旬から咲き始めますが
この-のうぜんかずらの-撮影地は金沢です
7月5日に最初の花が開きました

場所によって開花の時期が違うというのは
この花に限ったことではないですね
太陽からの距離に左右されているんでしょうか
京都から金沢は北東約230キロくらいですかね

-のうぜんかずら-って大陸のイメージがします
と思って調べてみたら中国原産です
大きな文化圏としてみると
この花も和風の部類ですかね

梅雨と夏のあいだに咲く花に
思い出がいっぱい詰まっています


田んぼの草取り 2004.7.10
    
今日は朝から雨が降っていました。
京都農塾では田んぼの草取りをやっていました。

   

ここでは有機無農薬栽培でお米をつくっています。
除草剤を入れていないのでいらない草がいっぱいです。
それらの草を取り除かなければいけないんです。
雨の中の田んぼで手をかきいれて草をとるんです。

食べることって生きていくのに根本的なことです。
その食べ物についての安全・安心が関心ごとですよね。
化学肥料や農薬は原則として使いたくないです。
食料品についての大きな関心ごとですね。

わたしも田んぼに入って草取りをしたんです。
田んぼにはオタマジャクシやカエルがいっぱいいました。
こどもが大喜びでカエルに話しかけていましたね。

京都農塾での体験話でした。
写真は草取りをしているところをパチリと写したものです。


ハーブの香り 2004.7.11
 
いまは朝、窓からみると明るい青空が広がっていますね。
昨日、田んぼに入って作業して疲れたのかな〜からだだるいです。

   

こう暑くてからだがなまっているときって
ハーブ水が気持いいいんですね
コップにお水と氷をいれてハーブをのせる
こんな単純なことなんですがこれで気持すっきり

単純に感じ方と気分のもんだいですね
今日はあさから少し気分がへこんでるから
山の朝のすがすがしさを思い起こすのに
ハーブを入れたお水の写真をながめています

じぶんの撮った写真を見て自浄作用させてるんですね
文章もそうですが写真って見ていて
そこからいろいろと想像しちゃうんですね
ハーブのお水を想うことで気分さわやかになろうとして

今日は午後から夜までのライブなんです
写真学校でゼミをやるんです
写真史と人間研究というのと作品添削です
あらかじめの筋書きのとおりにはいかないから

朝からこころのトレーニングをしています
今日も一日よろしくお願いしますね!


はな物語-まゆみ- 2004.7.12
 
ねえねえ、まゆみ-真弓-って知ってますか?
春先に小さな白い花をつけた実がいまできはじめたんですよ!

   

まゆみ-真弓-の木ってすごくしなやかで柔らかいんです
わたし 
これから季節を追ってまゆみ-真弓-の変化を見ていきたいと思っています

いま緑色しているでしょ!
秋のころになると真っ赤になって
そのうちパチンと割れてくるんです

そう随筆や小説にもよく登場してくるんです
関東のある県の県花にもなっていますね
真弓は古くから弓の材料として使われている木です

わたし
1年を通じてこの花の移ろいを見ていると
その時々に何かしら心がゆらいでくるんです

これは実生(種から生えてきた)の木です
京都の庭にある真弓のこどもなんです
金沢へ移植してもう10年になります

ある文学者の随筆で
実生の真弓が赤い実をつけるまで生きていられるかな〜
というような表現があったのを覚えているんですが、
種から芽が出て4〜5年で実がなりはじめたように思います

その年月にはわたしにも大きな変化がありまして
赤い実を見る度にその年月のことを思い出すんですね
その年によっておこってくる感情の質が違うんです
この感情の移り変わりを確認しながら・・・

折にふれわたしの物語をつくっていこうと思います


はな物語-あじさい- 2004.7.13
 
紫陽花と書いて-あじさい-と読む
どうして紫の陽の花が「あ、じ、さ、い」なのかよくわからないです

   

でも紫陽花は紫(むらさき)が原種の色なんでしょうかね
わたしの住まっているのが紫野-むらさきの-という地名です
紫って高貴な色としてイメージされているんですね
紫式部っていう人は源氏物語の作者さんです
ここに紫さんっていう名前があるんです

   

紫陽花をみているとあるある紫がその中にあります
色によって受ける印象が気持をつくってきますね
色彩感覚って快・不快をつくりだしますね

感覚ってよくよく見てあげると感情と同居してます
感じることって理屈やないですね
見て感じていくことの繰り返しなんですね

からだとこころが同一化するときって
このようなときなんですよね
からだの内部がぐさぐさと揺すられる

これ恍惚の状態
現実に形象としての花を見ているのに
その奥はおぼろげでぼんやりしていてつかみどころがない
もうもう朦朧です

写真は写実です
ピント合ってることが基本です
そのこころは「こころのピントがあわないから」・・・

紫陽花2題を併置してのイメージ作業でした^o^

雨に濡れる紫陽花です
    


すもも 2004.7.14  

こころの奥にあるものってナンなんでしょうね
ちょっと赤く色づいた-すもも-の果実をみながら

   

春に白い花をいっぱい咲かせたすものの木です
昨年は赤くなって熟し始めた頃から
山の鳥がつまみだして全部たべてしまいました
今年はどうなるのかな鳥たち楽しみにしてるのかな?

こころとこころが通いあうこと
あなたとわたしのこころが通いあう
山の鳥とわたしのこころが通いあう
花の精とわたしのこころが通いあう

こころの正体ってナンなんでしょうね
すももの実が赤く熟していくのをこころが待っています
きっと山の鳥たちのこころも待っているんでしょうね

わたしと鳥はすももを通じてこころを共有している
そう思うのはわたしの一方通行ですね
鳥には人間語わからないし人間には鳥語わからないしね

でもこころが通いあうのに言葉はいりませんよね


薔薇が咲いた 2004.7.15
 
地に足が着いているということは太母の慈悲
花は風に揺すられてふわりふわりと漂います

   

庭の隅にピンクの薔薇が咲き始めました
花はおめかし綺麗になろうといっぱい努力しています
あまり背伸びすると風にさらわれてしまいますよ

ふっとエクザイルエクザエル、エトランジェえとらんじぇ〜
こんな言葉が立ちのぼっては風に吹かれて消えていきます
あぁっ いけませんね いけません!

お花をみてあげるこころというのは
わたしの故郷をさがし求めるために見てあげるんでしたね
お花を愛してあげるこころというのは
いつのまにか喪失してしまった故郷をとりもどすためでしたね

旅人が露地に見つけた花をみて
遠きふるさとを想うように・・・・


はな物語-ぎぼし- 2004.7.16

いい天気の日ってやっぱり気持いいですね
お腹のなかからすっきりしていく感じがしますからね 



その日の気象によって気分が爽快になったり憂鬱になったり
同じ汗が出てきても快感の汗と不快感の汗がありますね
ヒトのからだは自然の気象とともにあることを実感します

情がうごく情にながされる情におぼれる
情というのはからだのなかにある感覚なんですかね?
心臓が勝手に動いていてコントロールできないように
情もコントロールできないいいですかね?

今日の写真は早咲きの-ぎぼし-
光に背向けて下向いて花を開かせるからバックは空
こんなときわたしの情は困惑してしまいます
つまり前向いてないということに・・・

数年前まで月見草がいっぱいあったのに
最近は土壌が肥えてきたんでしょうか見かけませんね
富士には月見草がよく似合うをもじって
光にはぎぼしがよく似合うとでも言っておきましょう!

ぎぼしのお花に情を感じます


撫子-なでしこ-一輪 2004.7.17
 
いつもの処にいつもの様にいつもの花が咲きます
この花は撫子-なでしこ-よく聞くお名前でしょ?



忘れてしまって意識の中に残っていないのに
お花が咲きはじめると嗚呼ここに居たんや〜って
思い出しては記憶の淵へ降りていきます

今朝はパン生地をつくっておりました
午後3時から1時間ほど予定が入ってしまったから
パン焼きがその時間に重ならないように調整して
PM1:00第一次発酵を終えPM2:00から焼きはじめたら
ちょうどPM2:30ごろには終えられるな〜〜

人間って時間に拘束されているんですね
さき先に起こるべく予定を組み込んでいって
いつも目的をもっていないとダメなんですね
明日、来月、来年、5年先にはこの子が学校へ・・・

そうそう今日は撫子のお話でしたね
大和撫子-やまとなでしこ-って云ってましたね、女の子。
このお花は女の子の象徴シンボルだったんですね
お花の色はもっとピンク系が多いように思います

わたしがここで紹介するお花ってある系に属しています
何かってゆうとこの風土の記憶に織り込まれてきたお花です
自己と他者っていう関係のインタフェースがテーマですが
自己の内側を見つめていく道すがらのお花なんです

最近ちょっと理屈っぽくなってきたな〜
自分でそう自覚しはじめています
ダメダメ理屈じゃなくてもっともっとからだが感じる
皮膚感覚で感じるだけのものでいいんですよね〜

もっともっととりとめなくとりとめなくです


日曜日はお祭りだ! 2004.7.18  
 

今日の日曜日は夏祭りにでかけます。
伝統のお祭りではなくてフリーマーケットです。
京都自給ネットワークというNPOが主催する夏祭りです。

産直野菜の販売や、焼きそばの屋台が出ていたり
新しいお祭りのかたちですね。



自給自足ということがテーマですね。
自給自足といっても一人ではできないです。
でもグループならできるかも知れないですね。

産直野菜販売は生産者と消費者が、
一体となってつくる流通の方法ですね。

京都農塾でお米や野菜を作っているんですが、
主宰の京都ナチュラル・ファームでは、
ヤギを飼っているんです。

ヤギから牛乳でなく山羊乳をいただいたり、
ヤギの糞をはたけに入れたりしています。

循環型の農業をめざしていますが
大手のアグリビジネスに慣らされてしまっっているので
なかなか経営がきびしいですね。

夏祭りのお話から飛躍してしまいましたけれど、
こんな背景を含みながらの夏祭りですね。

そうそう今日の写真はプラムの実?ですかね。
もう少し熟してくるともぎ取って食べるのもいいし、
ホワイトリカーに漬けておいて果樹酒にしてもいいしね。

さあ、午前10時を過ぎたので、これから自転車で4キロ、
えんやこ〜ら、って行ってきます。
場所は、四条春日通りの春日神社の境内です。では^o^:


野菜はたけで探しもの 2004.7.19
    
この写真はプチトマトです。
もぎ取ってお口に入れる前の記念撮影です。
野菜や果物はその場で採って食べるのが最高!ですね。



さて、昨日は産直野菜のお店でお買い物をしたんです。
そのお店は京都ナチュラル・ファームの産直野菜の販売ブース。
その場で、ヤギさんのお乳をコップ1杯、
ヤギさんのお乳ヨーグルトをコップ1杯、
ヤギさんのお乳チーズを一片、飲んで食べました。
全部で¥200でした。

野菜は加茂茄子を2個(1個¥100)と
全粒粉は「あまびき農園」産500g(¥200)を買いました。
小麦粉は中力粉でしたから買いませんでした。

ここ数年、自分の気持が自然の方へと傾斜してきています。
数年前まで居た場所が余りにも人工的すぎたんですね。
それの反動ってことがあるのかも知れませんですね。
生き方の全てのあり方をいま見直し中で、
少しずつ農的生活の方に向かっています。

ヤギさんのお乳をいただいたんですが、
このヤギさん小屋から出る糞を有機肥料に循環させます。
ヤギさんミルクはまだ商品化(お金に換える)していません。

わたしここでお金のことや商品化という言葉をだしていますが、
本当はね、自給自足をめざしているから、
お金は介在しないのが理想なんですね。
でも今の社会っていうのは全てお金に換算して価値化します。
お金を介在させない近未来への課題がここにあるんですね。
経済学では贈与経済学の分野ですね〜〜
ちょっと理屈ぽくなりそうなのでこのへんにします。

地産地消、スローフード、循環型農業・・・
最近はこんな言葉をよく聞いたり見たりしますでしょ!
その背後ではおおきな探しものをしているんです。
それは、自分自身とはなにかを探していく領域なんですね。