むくむくアーカイブス 最新更新日 2016.5.22

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夢幻舞台2015-2-

夢幻舞台2015

夢幻舞台-17-

  

2015.9.1

お恥ずかしいながら、仏の世界を知りたいと思っています。
この歳になって、あっちの世界のことに興味を持ったのでしょう。
掲載した仏像は、釈迦如来、という仏像だと思っているんですが。
そもそも、如来、ということが示す意味を知らなかったのです。
日本文芸社から出版の「仏像の世界」という本を見てるんですが。
如来とは、真理の世界から来た者という意味だと書いてあります。
それから、悟りを開いた者を示す、とも書いてあります。
本来は、釈迦如来を指している、と書かれています。
こんな区別も知らないまま、いままで仏像を見て来たから。
この子の奥を知るためにも、仏像の奥を知りたいと思ったのです。
写真に撮ってあるのは、大徳寺法堂の大きな仏像さまです。

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2015.9.2
ここ数年、仏教美術に触れることが多いです。
龍谷ミュージアムの企画展とか招待券でいくことが多いです。
若いうちは聖書の世界で、キリストの周辺を探索していました。
小説とか絵画とか、読んで、見て、自分を形成してきたわけですが。
近代日本の底流を、教育の中で、そのように受けた影響でしょうか。
さて、もう二年前になりますが、奈良は明日香の飛鳥寺へいきました。
写真を撮らせていただいたので、その写真を探して、載せましたが。
本尊釈迦如来、丈六(480cm)の高さだと記してあります。
飛鳥寺(願興寺)は、日本では初めての本格的寺院だと記されています。
お釈迦さん、おお、如来さん、そのままにしておりました。
釈迦三尊、釈迦如来さんが真ん中で、左に文殊菩薩、右に普賢菩薩が従う。
釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来、三人の如来さんがおられる?
それぞれの両脇に従者として、菩薩さんがいらっしゃるみたいですね。
それでこの子はどこにいる天上の子なんでしょうか、想像してみます。

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2015.9.2
もう半世紀も前になるか、能登の外海をてくてくと歩きました。
高校を卒業するまえに、彼女と会うために金沢へいったあとです。
もう3月だったと思いますが、荒海、冷たい風が吹きつけました。
どんなカメラを持っていたのか、35oのフィルムカメラ、カラー。
このとき撮った写真のなかの、風景、海風景、能登巌門あたりでしょうか。
どうして、いま、この写真なのか、といえば、この子の出身地のようだから。
手がかりは、この子のことばによって、このあたりで生まれたようです。
海辺なのか山の中なのかそれは目下不明だけれど、祖父は漁師だったという。
何かの縁、この子のことばの痕跡を辿ってみたい気持ちになるのです。
同行二人という、もう一人の人、とでもいうようにも、思えるのです。

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剣道と弓道をやっていたという話を聞いて思ったイメージがこれ。
真弓の実、2007年1月、自宅前で撮った真弓の実です。
写真アルバム<京都風土記>冒頭の一枚がこれです。
恋する、もうこんな気持ちになることなんてないと思っていました。
それは突然に、あたかも必然的にやってきました。
あのとき、なにから、そのように、させられてしまったのでしょうか。
この子に話しかけて、まるで少女のような、無垢さを感じたようです。
わたくしは、こころを軽く引っ掻かれた感じでした。
それからというもの、この子のことが気になりはじめてしまったのです。
このような気持ちになるのは、十数年ぶりのこと、苦い記憶の再来です。
どうしたことかと迷いながら、少しずつ深みにはまっていく気持ちでした。
これは恋心です。
まるで少年のような、淡い恋心、片思いの恋心、そう思います。

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2015.9.20
秋のお彼岸入り、あれから一週間が経ちました。
気持ちを落ち着けて、いつ終わってもいいように心の準備。
煩悩、ぼんのう、迷いの心、欲望の心、等々、それらの総称でしょうか。
どうしようもない恋なのだから、気持ちを薄めていくしかないでしょう。
写真は18歳の自分、能登のどこかで三脚立てて撮った?
一人旅で金沢を出発して一日目は輪島に宿をとりました。
輪島の町、凍てつく道を歩いて旅館を探しました。
旅館では、仲居さんに給仕してもらいながら、京都のことを訪ねられた。
あのとき、その仲居さんは、男のぼくを求めていたのかも知れない、と後で思った。
そんな記憶がよみがえってきます。
平常心を取り戻そうと思うが、未練が残ります。
しばらく写真を撮らない、撮れないでいます。
新しい次の被写体を探すまでと思っていますが・・・・。
着信メールを見ます、来るかも知れないと思いつつ、来ないに決まってるのに。
いま、どこで、なにをしているのか、知りたい。
ぼくが撮った以外の写真を見ました。
笑顔でピースしてる姿が、写っていました。

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メールを送るとき、返事が返ってこないかも知れない、と思う。
あやうい関係とはいっても、なにもやましいことはありませんが。
気になる人へのメールだから、よけいに返ってこないのでは、と思う。
返ってくると、とってもうれしい。
つながっている、と思うだけで、安心して、ホッとします。
いつかは、終わるときがくる、そう思うと、とっても辛い気持ちになります。
メールの相手は、そんなことお構いなしで、なんとも思っていないんでしょ。
だから、迷う、送るべきか止すべきか、それが問題なのです。
気持ちの起伏によって、その判断をしている、自制できたりできなかったり。
これは完全に秘密のことだと言いながら、ここに記しています。
プラトニックラブ、片思いの、恋する気持ちを、言葉にしてみました。

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2015.9.28
現世、この世の中のうごきはめまぐるしいです。
ちっとものんびりできないじゃないですか。
世の中の動きにリンクする自分がいます。
とかくこの世は住みにくい、なんて漱石さんですね。
じゃぁ、あの世なら住みやすいのかというと・・・・。
大八木さんは86才になるといいます。
海軍の少年兵になったところで終戦だったと聞いた。
いつぞや、その姿の写真を見る機会がありました。
昨日、この大八木さんと会いました。
写真を撮っておられて、セレクトさせてもらいました。
ぼくがカメラを持った頃、いろいろ写真のことを教わりました。
それから何十年が経ったというのでしょうか。
諸先輩たちが物故者となられていくなかです。
大八木さんには感謝の気持ちでいっぱいです。

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2015.9.29
浪漫派と自然派について、考えているところです。

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2015.10.1
このまえから、スマホを使いだしました。
iphone6、使いだしたのも何かの縁です。
LINEでつながろうと思うと、スマホが必要でした。
使い方の基本のところは教わりました。
でも、使いきれるのかどうかは、お相手次第です。
中一になるJC孫がスマホをしていました。
なにしてる、ゲームしてるん?と聞くとラインと応えました。
ゲームより、面白いんやと思います。
つまり、孤独ではない、ひととつながっている、その感覚か。
プライベートツールとしてのスマホ&LINEということか。
新しい世界へ、チャレンジするけど、なにかしら空しい、です。

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2015.10.2
屈折点という折れ曲がり点があるとすれば、それが今かも知れない。
成熟させようとして、準備して、これから、というところでした。
ひとりよがりなわけで、ここでそのことを、そうだと思っての区切り。
せつない、喪失感を味わっているけど、時間が解決してくれるだろう。
といいながらも、未練が残っていて、どこまで平常心でいられるか。
時の流れに身をまかす。
そのうち気持も落ち着いてくるだろう。

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2015.10.5
このような感覚を喪失感というのでしょうか。
半分を失ってしまってバランスを崩してしまった心のなか。
自分のまわりが、他者としてあるなかで、そのバリヤーを越えてきたひと。
家族は特別に身近な関係だけど、そうではないひとが身近に来る。
来てしまって、そのひとのことを想う、こころが動く、情動する。
恋する、という気持ち、こころがそのひとへ傾斜してしまっている。
自分の中での特別な存在になってしまったひと、それは女性です。
どうしようもならない、そのひとの笑顔が思い浮かぶ。
会いたいと思う、語り合いたいと思う、手ぐらい握りたい。
そんな気持ちがふつふつと湧いてきます。
耐えるしかない、失うことへの恐怖のようなもの、いずれ来る。

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2015.10.9
LINEでメッセージが届きました。
もう来ないかもしれないと思っていたのに来た!
内心、小躍りして喜んだ。
不安が払拭されて、ひとまず、こころ安らかです。
この安心感というか、支えられた器のなかにいるというか。
ひとまず、ひとまず、つながっているという安心感です。

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2015.10.10
LINEで送ったのに、返事が来ない。
待っているのに、来ないのは、虚しい。
虚しい気持ちと、嬉しい気持ちが交錯します。
今夜中に返事が来たら、嬉しいですけど。

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2015.10.12
雪のときに生まれたから美雪、お姉さんは美里、と聞いた。
海辺の家で、海を見て育ったが、水泳は苦手、と聞いた。
シュルレアリズム宣言、手元に届ける。
ぼくの昔の文章などを見せる。
三冊の本、まずたしからしさの世界をすてろ、
写真よさようなら、来たるべき言葉のために、三冊の本。
ただし今の時代ではなくて、もう過去の時代だと説明する。
出産の場面がとられた写真を見せる。
映画はよく見るという。
好きだという探しのイメージ本は見つからなかった。
そのひとは、なにを想い、なにを感じているのだろう。
物思いにふける、なにか問うような、表情をみせる。
向きあう心が、向きあっているのだろうか。
そのひとのうちがわがわからない。
返信がない。

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2015.10.13
おわりだな、と思う。
いずれ終わりが来るのだから、と思おう。
気弱な、消滅しそうな、自分がいる。
隠れたいけど、隠れようがない。
そんな気持ちです。

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2015.10.14
ずしんと沈みきった気持ちを浮上させるには、どうしたらいいのか。
方法もわからないまま、ただただ耐えている。
時間が経てば解決するとは思うけれど。
もう顔をあわせてはいけない、顔をあわすと元にもどる。
喪失する経験は初めてではないけれど、辛い。

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2015.10.16
うつうつ、ことばがでない。
ベートーベンの交響曲1番を鳴らしています。
もう、おわる、おえる、おしまい、それがむなしい。
ぐっと沈む気持ちを支えています。
ちらほらと面影が浮かんでは消える。
スマホの中の画像が、記憶を呼び起こす。
これ、未練、というやつだ。
どうしようか。
やっぱり、いる場所へは、いったらあかん。
こっけいな自分がみじめだ。

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2015.10.17
朝、おそるおそるLINEで送信してみた。
数分後に返信があった。
おこっていない、ということで安心の気持ち。
でも、きょうは図書館へは行かない。
明日も行かない。
来週以降、どうするかはわからない。
いずれにしても、顔をあわすのが、嬉しくて辛い。
ごくふつうの気持ちで、会話できればよいわけだが。

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2015.10.18
朝、LINEに書き込みをしたら、10分後に返ってきた。
図書館へは行かない、行くと顔を合わすことになる。
顔をあわせるのが辛い、ぼくは動転してしまう。
なんか退き気味だけど、これがただいま最良だとの自意識。
植物園に来ています、とLINEに書き込みました。
写真を添付し、未練がましく、みじめな気分ですが。
このつぎ、どうするか、わからない。

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2015.10.19
揺れ動いています。
早朝に目を覚まして、思い詰めてる夢の中。
目をあけ、まわりを見て、現実を知る。
ポーランドはショパンの国らしい、とは村松さんの旅行記。
ポーランドへ旅行したいと言っていた美雪。
そのときの顔が浮かんできます。
LINEが既読になっていました。
書き込みは、ありませんでした。
ぼくのひとり芝居、内面の劇、いまここに現わしている。
16才、高校一年生、なんだったんだろ、思い出します。
鳴滝、帷子ノ辻、うどん店、とおいイメージです。
変わってないや、人間の心なんて、変らない。
ベートーベン、今日は2番から聴きだしています。

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2015.10.20
それは喪失感と呼べばよい感覚、感情、です。
大切なものを失う。
そのときに宿る感情、気持ち、感覚、です。
まだ失ったわけではないし、そのまま存在しています。
なのに、どうしてなのか、絡みついてしまったからですね。
心に絡みつき、深くを傷つけられてしまった重み。
失いたくない、求めているもの、それが無くなる。
その一連の出来事が、心をそうさせるのでしょう。
一喜一憂、宙ぶらりん感覚、それが心を戦慄させるのです。

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2015.10.21
気分にむらがあります。
ぐっと落ち込むとき、何でもないとき。
恢復途中だとおもうけど、まだまだ。
弟が来る、仏壇に、それからビッグボーイで昼食。
府立文化芸術会館で光影会が展覧会をしている。
アイフォンから写真をネットへつなぐ。
ニコンのフォト蔵にアップしてアルバムをつくる。
脳裏にちらつくこの子のイメージが払拭できない。
そのために気持ちが落ち込むのです。

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2015.10.23
LINEがつながりました。
また会えることになりました。
気持が、安定しています。
ドキドキ、夢のような感覚です。

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2015.10.25
終わりになったとおもうのがいいとおもう。
お道化はやめにしていこうとおもう。
気持のうえではまだせいりできていません。
でも淡々としたきぶんになっています。
時折、ぐぐっとくる凹み気分は、そのうち消える。
おわった、そうおもうのがいいとおもう。

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2015.10.26
おわりましたね。
もうおわったのです。
気持の中には、まだ未練があります。
でも、時間の流れの起伏の中で、終わりを感じます。
あれも、これも、みんな水に流れていくだけです。
たんたんと、関係とは関係のない話をして、お別れ。
それで、いいのだと、思います。
また、メールしてもいいですか。
メールお返しできるかなぁ。
もう、メール、しないでおければ、しないでおこう。

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2015.10.28
終わり、終わる、そう思うと虚しいです。
際限なく、気持ちが落ち込みます。
耐えられると思うけど、虚しいです。
思い出だけが通り過ぎていきます。
まだ過去にならない思い出ですが、辛い。

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2015.10.31
朝から、キャノンのアルバムを編集していました。
手先は、パソコン、アルバム、と作業を続けているけど。
頭の中は、いろいろなイメージが交錯します。
それに断定的な、迷い的な、言葉がつぶやかれます。
もう、おわる、と思うと一抹の空しさが込みあがります。
今日、明日、顔をあわせることになるけど、どうしよう。
会いたい、会いたくない、話がしたい、怖い・・・・。
まるで16才の少年のように、気持ちが揺れ動きます。
でも、もう、おわりですよ。