むくむくにっき記事抜粋-2004.7-
2004.7.1~2004.7.15
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花宇宙-のこぎりそう- 2004.7.1
雑草って呼ばれている草たちも花を咲かせる権利を持っています。
これは-鋸草-葉っぱがのこぎりみたいにギザギザなんです。

草が雑草であるかないかの判断って誰がするんでしょうね?
みんな一応はお名前をつけてもらっているのに
緑の草色だけのときには無視されてしまう草ですが
そんなのをまとめて雑草と言ってるんですかね
のこぎりそうは雑草ではありませんよね
「このぎりそう」という名前がちゃんとあります
わたしきれいでしょ!って虫たちにアピールしてます
わたしも虫だからちゃんと見てあげてます^o^
みずから白い光を放っているように見えるでしょ
この白く光るのがお花のエネルギーなんです
お星様がいっぱい集まって星雲になるように
のこぎりそうの花雲なんです
キラ星のような花を介しての鋸草と虫が感じあうんです
きっとこころとこころが通い合ってるんですね
上にしか伸びられない植物と自在に飛べる動物が
でも人間のように自己認識の回路は持ってないですね
自然の回廊は共存の回路
インターフェースとデバイス
蜜と触覚
その谷間に新しいアートが産まれてくるのではないですか?
ね、ね、ねっ。。^o^:
ブルーベリーの実 2004.7.2
夏まえのブルーベリーの実ってまだ緑です
わたしの庭には枝垂桜の木のしたにブルーベリーがおります

食することができる果実をいっぱい集めていこうって思って
庭のあちこちに梅や李や柿や栗などの木を植えて
それぞれに少しずつ収穫できるようになってきました
ブルーベリーやラズベリーなんかも育っています
この写真に撮ったブルーベリーはそのひとつです
熟したむらさきの実を生のまま食べるのは秋
実は熟すまでは葉といっしょの色です
ブルーベリーに限ったことではないんです
梅も李も柿も栗も緑から紅や茶色に変化していくんです
この時々の実の色が記憶の淵で食べごろを想わせます
ひとの一生の若いころを「青い春」なんていうのは
この木の実たちの成熟を擬しているのでしょうね
言葉も写真も音楽もひとえに移りゆく時間のなかに漂い
目の前に在るものの第二の意味をつむぎ出しています
見えないものを見ようとする人間の習性ですね
哲学とか文学とか音楽とか・・・・
これまで見えないものを見ようとしてきたんですね
でもまだ見えないものがいっぱいあるようです
見えないものは無とか混沌とかの領域にありますね
見えるものと見えないもの・・・のお話でした。。^o^:
炎は熱情 2004.7.3
炎を見ているとめらめらめらとこころが燃えだします
なにかかき立てられ騒ぐ気持が起こってきます

淡い緑や濃い緑からはおだやかな情を感じ
紅い花の色艶からは情欲を感じるんですけれど
揺れ動く炎からは畏怖と恐怖を感じます
お花や木の実のある風景がこころの楽園だとすれば
炎は大地の熱情いやいやこころの情念でしょうかね
あるいは激しい恋の苦悩といったほうがわかりやすいかな
ベートーベンのソナタに熱情・アパショナータがあります
はげしいこころのゆらめきのようです
燃えさかる炎をみているとこの音の連なりを感じるんです
そういえば炎や灼熱は地獄の沙汰ですね
炎が昇華して天空にきえていく悪の華ですね
清い恋心というのもいいけれど灼熱の恋っていうのも
ピアノを弾くのも写真を撮るのもパンを作るのも
自分が自分のこころをとらえる鏡の役割ですね
昔も今もそうだけどこれが芸術の源泉であるように思ふ
暑い日ですね~ 2004.7.6
今日は朝から快晴でもう汗ばんできますね
7月6日、いよいよ夏本番というところですね
みなさんお元気ですか?
一昨日、昨日とむくむくにっきお休みしました
金沢の方へいっていたんです

日常は京都に住んでいてフリーで仕事?をしています
この10年ほど俗にいう造形芸術系の仕事に携わってきたのですが
いまある芸術と人間の関係についていろいろ考えることがあって
あたらしい学校をつくろうと思っています
おもにカメラを使った写真を中心に始めていきますが
ここでは食べることと芸術することが同じ位置にある
このことの確認からはじめていきたいと思っています
写真って様々な要素をもっているメディアだと思います
過去には絵画から発生してきているし
未来には映像やCGそれに
メディアアートといわれてる領域につながっているんですね
写真って様々なアートの形の原点的位置にあるんですね
別の系列に音と文字の世界があるんですけれど
これらとも密接に関連していて社会的存在なんです
このような写真を中心とした学校
学校といっても塾みたいなもんですが
この学校企画を立てている最中なんです
この「むくむくにっき」でも新しい学校について
お話していきたいな~と思っています
よろしくです
掲載写真はハーブ園にある鉢植えの「レモンタイム」でした
夏の朝 2004.7.7
さくらの木のしたに朝のテーブルをしつらえて
夏の暑さにはテーブルのうえも水気が多くなりますね
珈琲に野菜ジュースにヨーグルトとトマト
胡桃に銀杏にムカゴとはたけの野菜・・・・

田舎の朝は野外で食事っていうのがいいですね
朝目覚めて一番の仕事は山へ水を汲みにいきます
天女さまがおいでます山すその湧き水です
そのお水で珈琲をいっぱい入れてあげます
夏の朝ってすがすがしいです
小鳥がぴいぴい鳴いていますし
草のにおいむんむんがいいんですね
でもここで自然ばっかりだと思ったら
わたしはカメラをとりだして写真に撮る
記憶にいっぱい残しても見せられないから
写真に撮って記憶を記録しておくんです
自然のままと精密器械とが入り乱れての
生活時間なんですね
花宇宙-ききょう- 2004.7.8
庭に光がいっぱい溢れだしたころ桔梗-ききょう-の花が満開します
もう花弁が光に透けてみえます

こう暑さが続くと身体への負荷が大きくなりますね
なるべくクーラーを入れないでおこうと思う気持と裏腹に
部屋の温度計は32度今朝はもうクーラーを入れだしました
まだ梅雨も明けていないというのになんと暑いんでしょうね
今日のお花の写真は桔梗-ききょう-です
むかしから愛でられてきた青い紫の花です
ここでお花の写真を宇宙になぞらえて掲載していますが
お花なら何でもいいというわけではないんですね
わたしの気持は古典です(笑)
田舎の自然の風景に身体を委ねていくと気持が古典になる?
自然の風土のなかに自分がいることを自覚するんです
そこに居るとうっとりしっとり落ちつくんですね
とっぴなはなしですが
48枚の花札ってありますよね
四季の花鳥風月12×4=48です
行き着いてきたところってこの宇宙なんですね
わたしの生活の大部分は西欧文化のなれの果てにいます
でも落ち着いてようくこころを観察してあげるとね
わたしのこころの底の方にいるんですよね
この風土を愛でてきた光と花草木を感じる感覚がいるんです
これまで3回の四季を写真に収めてきて昨年秋
デジタルカメラに切り替えて写真を撮りだしました
この日記にはその生活を封じ込んでいこうと思っているんです
そうゆう意図があって写真と文をつくっているんです^o^:
のうぜんかづらの花 2004.7.8
いまの季節は梅雨の終わり夏の始まり
微妙な季節ですがまだ梅雨なんですね

この花は-のうぜんかずら-です
垂れ下がった房にオレンジの花が咲きます
京都では6月の中旬から咲き始めますが
この-のうぜんかずらの-撮影地は金沢です
7月5日に最初の花が開きました
場所によって開花の時期が違うというのは
この花に限ったことではないですね
太陽からの距離に左右されているんでしょうか
京都から金沢は北東約230キロくらいですかね
-のうぜんかずら-って大陸のイメージがします
と思って調べてみたら中国原産です
大きな文化圏としてみると
この花も和風の部類ですかね
梅雨と夏のあいだに咲く花に
思い出がいっぱい詰まっています
田んぼの草取り 2004.7.10
今日は朝から雨が降っていました。
京都農塾では田んぼの草取りをやっていました。

ここでは有機無農薬栽培でお米をつくっています。
除草剤を入れていないのでいらない草がいっぱいです。
それらの草を取り除かなければいけないんです。
雨の中の田んぼで手をかきいれて草をとるんです。
食べることって生きていくのに根本的なことです。
その食べ物についての安全・安心が関心ごとですよね。
化学肥料や農薬は原則として使いたくないです。
食料品についての大きな関心ごとですね。
わたしも田んぼに入って草取りをしたんです。
田んぼにはオタマジャクシやカエルがいっぱいいました。
こどもが大喜びでカエルに話しかけていましたね。
京都農塾での体験話でした。
写真は草取りをしているところをパチリと写したものです。
ハーブの香り 2004.7.11
いまは朝、窓からみると明るい青空が広がっていますね。
昨日、田んぼに入って作業して疲れたのかな~からだだるいです。

こう暑くてからだがなまっているときって
ハーブ水が気持いいいんですね
コップにお水と氷をいれてハーブをのせる
こんな単純なことなんですがこれで気持すっきり
単純に感じ方と気分のもんだいですね
今日はあさから少し気分がへこんでるから
山の朝のすがすがしさを思い起こすのに
ハーブを入れたお水の写真をながめています
じぶんの撮った写真を見て自浄作用させてるんですね
文章もそうですが写真って見ていて
そこからいろいろと想像しちゃうんですね
ハーブのお水を想うことで気分さわやかになろうとして
今日は午後から夜までのライブなんです
写真学校でゼミをやるんです
写真史と人間研究というのと作品添削です
あらかじめの筋書きのとおりにはいかないから
朝からこころのトレーニングをしています
今日も一日よろしくお願いしますね!
はな物語-まゆみ- 2004.7.12
ねえねえ、まゆみ-真弓-って知ってますか?
春先に小さな白い花をつけた実がいまできはじめたんですよ!

まゆみ-真弓-の木ってすごくしなやかで柔らかいんです
わたし
これから季節を追ってまゆみ-真弓-の変化を見ていきたいと思っています
いま緑色しているでしょ!
秋のころになると真っ赤になって
そのうちパチンと割れてくるんです
そう随筆や小説にもよく登場してくるんです
関東のある県の県花にもなっていますね
真弓は古くから弓の材料として使われている木です
わたし
1年を通じてこの花の移ろいを見ていると
その時々に何かしら心がゆらいでくるんです
これは実生(種から生えてきた)の木です
京都の庭にある真弓のこどもなんです
金沢へ移植してもう10年になります
ある文学者の随筆で
実生の真弓が赤い実をつけるまで生きていられるかな~
というような表現があったのを覚えているんですが、
種から芽が出て4~5年で実がなりはじめたように思います
その年月にはわたしにも大きな変化がありまして
赤い実を見る度にその年月のことを思い出すんですね
その年によっておこってくる感情の質が違うんです
この感情の移り変わりを確認しながら・・・
折にふれわたしの物語をつくっていこうと思います
はな物語-あじさい- 2004.7.13
紫陽花と書いて-あじさい-と読む
どうして紫の陽の花が「あ、じ、さ、い」なのかよくわからないです

でも紫陽花は紫(むらさき)が原種の色なんでしょうかね
わたしの住まっているのが紫野-むらさきの-という地名です
紫って高貴な色としてイメージされているんですね
紫式部っていう人は源氏物語の作者さんです
ここに紫さんっていう名前があるんです

紫陽花をみているとあるある紫がその中にあります
色によって受ける印象が気持をつくってきますね
色彩感覚って快・不快をつくりだしますね
感覚ってよくよく見てあげると感情と同居してます
感じることって理屈やないですね
見て感じていくことの繰り返しなんですね
からだとこころが同一化するときって
このようなときなんですよね
からだの内部がぐさぐさと揺すられる
これ恍惚の状態
現実に形象としての花を見ているのに
その奥はおぼろげでぼんやりしていてつかみどころがない
もうもう朦朧です
写真は写実です
ピント合ってることが基本です
そのこころは「こころのピントがあわないから」・・・
紫陽花2題を併置してのイメージ作業でした^o^
雨に濡れる紫陽花です

すもも 2004.7.14
こころの奥にあるものってナンなんでしょうね
ちょっと赤く色づいた-すもも-の果実をみながら

春に白い花をいっぱい咲かせたすものの木です
昨年は赤くなって熟し始めた頃から
山の鳥がつまみだして全部たべてしまいました
今年はどうなるのかな鳥たち楽しみにしてるのかな?
こころとこころが通いあうこと
あなたとわたしのこころが通いあう
山の鳥とわたしのこころが通いあう
花の精とわたしのこころが通いあう
こころの正体ってナンなんでしょうね
すももの実が赤く熟していくのをこころが待っています
きっと山の鳥たちのこころも待っているんでしょうね
わたしと鳥はすももを通じてこころを共有している
そう思うのはわたしの一方通行ですね
鳥には人間語わからないし人間には鳥語わからないしね
でもこころが通いあうのに言葉はいりませんよね
薔薇が咲いた 2004.7.15
地に足が着いているということは太母の慈悲
花は風に揺すられてふわりふわりと漂います

庭の隅にピンクの薔薇が咲き始めました
花はおめかし綺麗になろうといっぱい努力しています
あまり背伸びすると風にさらわれてしまいますよ
ふっとエクザイルエクザエル、エトランジェえとらんじぇ~
こんな言葉が立ちのぼっては風に吹かれて消えていきます
あぁっ いけませんね いけません!
お花をみてあげるこころというのは
わたしの故郷をさがし求めるために見てあげるんでしたね
お花を愛してあげるこころというのは
いつのまにか喪失してしまった故郷をとりもどすためでしたね
旅人が露地に見つけた花をみて
遠きふるさとを想うように・・・・
はな物語-ぎぼし- 2004.7.16
いい天気の日ってやっぱり気持いいですね
お腹のなかからすっきりしていく感じがしますからね

その日の気象によって気分が爽快になったり憂鬱になったり
同じ汗が出てきても快感の汗と不快感の汗がありますね
ヒトのからだは自然の気象とともにあることを実感します
情がうごく情にながされる情におぼれる
情というのはからだのなかにある感覚なんですかね?
心臓が勝手に動いていてコントロールできないように
情もコントロールできないいいですかね?
今日の写真は早咲きの-ぎぼし-
光に背向けて下向いて花を開かせるからバックは空
こんなときわたしの情は困惑してしまいます
つまり前向いてないということに・・・
数年前まで月見草がいっぱいあったのに
最近は土壌が肥えてきたんでしょうか見かけませんね
富士には月見草がよく似合うをもじって
光にはぎぼしがよく似合うとでも言っておきましょう!
ぎぼしのお花に情を感じます
撫子-なでしこ-一輪 2004.7.17
いつもの処にいつもの様にいつもの花が咲きます
この花は撫子-なでしこ-よく聞くお名前でしょ?

忘れてしまって意識の中に残っていないのに
お花が咲きはじめると嗚呼ここに居たんや~って
思い出しては記憶の淵へ降りていきます
今朝はパン生地をつくっておりました
午後3時から1時間ほど予定が入ってしまったから
パン焼きがその時間に重ならないように調整して
PM1:00第一次発酵を終えPM2:00から焼きはじめたら
ちょうどPM2:30ごろには終えられるな~~
人間って時間に拘束されているんですね
さき先に起こるべく予定を組み込んでいって
いつも目的をもっていないとダメなんですね
明日、来月、来年、5年先にはこの子が学校へ・・・
そうそう今日は撫子のお話でしたね
大和撫子-やまとなでしこ-って云ってましたね、女の子。
このお花は女の子の象徴シンボルだったんですね
お花の色はもっとピンク系が多いように思います
わたしがここで紹介するお花ってある系に属しています
何かってゆうとこの風土の記憶に織り込まれてきたお花です
自己と他者っていう関係のインタフェースがテーマですが
自己の内側を見つめていく道すがらのお花なんです
最近ちょっと理屈っぽくなってきたな~
自分でそう自覚しはじめています
ダメダメ理屈じゃなくてもっともっとからだが感じる
皮膚感覚で感じるだけのものでいいんですよね~
もっともっととりとめなくとりとめなくです
日曜日はお祭りだ! 2004.7.18
今日の日曜日は夏祭りにでかけます。
伝統のお祭りではなくてフリーマーケットです。
京都自給ネットワークというNPOが主催する夏祭りです。
産直野菜の販売や、焼きそばの屋台が出ていたり
新しいお祭りのかたちですね。

自給自足ということがテーマですね。
自給自足といっても一人ではできないです。
でもグループならできるかも知れないですね。
産直野菜販売は生産者と消費者が、
一体となってつくる流通の方法ですね。
京都農塾でお米や野菜を作っているんですが、
主宰の京都ナチュラル・ファームでは、
ヤギを飼っているんです。
ヤギから牛乳でなく山羊乳をいただいたり、
ヤギの糞をはたけに入れたりしています。
循環型の農業をめざしていますが
大手のアグリビジネスに慣らされてしまっっているので
なかなか経営がきびしいですね。
夏祭りのお話から飛躍してしまいましたけれど、
こんな背景を含みながらの夏祭りですね。
そうそう今日の写真はプラムの実?ですかね。
もう少し熟してくるともぎ取って食べるのもいいし、
ホワイトリカーに漬けておいて果樹酒にしてもいいしね。
さあ、午前10時を過ぎたので、これから自転車で4キロ、
えんやこ~ら、って行ってきます。
場所は、四条春日通りの春日神社の境内です。では^o^:
野菜はたけで探しもの 2004.7.19
この写真はプチトマトです。
もぎ取ってお口に入れる前の記念撮影です。
野菜や果物はその場で採って食べるのが最高!ですね。

さて、昨日は産直野菜のお店でお買い物をしたんです。
そのお店は京都ナチュラル・ファームの産直野菜の販売ブース。
その場で、ヤギさんのお乳をコップ1杯、
ヤギさんのお乳ヨーグルトをコップ1杯、
ヤギさんのお乳チーズを一片、飲んで食べました。
全部で¥200でした。
野菜は加茂茄子を2個(1個¥100)と
全粒粉は「あまびき農園」産500g(¥200)を買いました。
小麦粉は中力粉でしたから買いませんでした。
ここ数年、自分の気持が自然の方へと傾斜してきています。
数年前まで居た場所が余りにも人工的すぎたんですね。
それの反動ってことがあるのかも知れませんですね。
生き方の全てのあり方をいま見直し中で、
少しずつ農的生活の方に向かっています。
ヤギさんのお乳をいただいたんですが、
このヤギさん小屋から出る糞を有機肥料に循環させます。
ヤギさんミルクはまだ商品化(お金に換える)していません。
わたしここでお金のことや商品化という言葉をだしていますが、
本当はね、自給自足をめざしているから、
お金は介在しないのが理想なんですね。
でも今の社会っていうのは全てお金に換算して価値化します。
お金を介在させない近未来への課題がここにあるんですね。
経済学では贈与経済学の分野ですね~~
ちょっと理屈ぽくなりそうなのでこのへんにします。
地産地消、スローフード、循環型農業・・・
最近はこんな言葉をよく聞いたり見たりしますでしょ!
その背後ではおおきな探しものをしているんです。
それは、自分自身とはなにかを探していく領域なんですね。
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