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最新更新日 2016.2.19
現代写真の視座2014
中川繁夫:著


 現代写真の視座2014

 1~11 2014.5.4~2014.9.4

    
         photo by shigeo nakagawa 2015.12.22

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あたらしくブログを立ち上げた理由は、写真論を構成していきたいと思うからです。かってなら原稿用紙にペン書きで、タイプライターで打って活字にし、紙に刷っていたものです。1980年頃からはワープロが出始め、パソコンが使われるようになり、キーボードで打ちだしてきたところです。1990年代の半ばごろから、インターネットが普及しだして、いまや、ここに立ち上げたブログのように、書き上げて即、公開するというシステムになっています。

いまや話題のソーシャルネットワークサービス、SNSですが、ツイッターやフェースブックが主流になっている現在、ここで作成したブログ記事をインフォメーションできるから、これも連動させています。ぼくはモバイル版を使っていなくてパソコンですから、最新の最前線ではないけれど、おおむね最前線に位置していると思っています。

というのも、写真論を構成するにあたって、写真の歴史に思いを巡らせてみると、その時々のハード環境としてのメディア(出版社・新聞社・通信社など)と深い関わりがあって、ハード環境としての現在をというのなら、タイムラグなしにネット上に配信していくのが筋合いだろうと思います。

記事のタイトルを「現代写真の視座」としたのは、かって1984年に同名の写真評論を試みたからであって、それから30年後になるいま、2014年にふたたび、あるいは続編としたいところです。副題として「ドキュメンタリー写真のゆくえ」と題されていたのですが、今回、ここで試行していくのも、ドキュメンタリーフォトの概要を明らかにしていきたいとの思いがあるからです。

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<ドキュメンタリー・フォト>1

写真は、最近の言葉でいえば静止画。これは、カメラ装置によって、ある瞬間のカメラの前にあったモノが定着されたモノです。ある瞬間という時間は、たとえば500分の1秒とかのレベルで、切りとられた現実の断片であるわけです。カメラは、現実に目に見えるモノが、かってならフィルムに、現在ならデジタル信号にして、定着させる道具です。この定着されたモノが、写真です。

写真の発明は1839年、フランスにおいて、ダゲールが考案した定着の方法、ダゲレオタイプにおいて、特許権が与えられ、これをもって写真の発明としています。このダゲレオタイプは一枚の銅板に、画像を定着させるモノで、複製がききません。これに対して、イギリスのタルボットが考案するカロタイプ、これは紙ネガをつくって、ポジにする方法で、フィルムに引き継がれる手法、陰画と陽画の方法です。

さて、ドキュメンタリーとは、ドキュメントすること。ドキュメントとは、記録のこと。つまりドキュメンタリーとは、直訳で<記録すること>ということになります。単純に、カメラ装置は、カメラの外にある現実の光景が定着されるものだから、これは「記録」です。ドキュメンタリーとは、記録すること、だから、そこには人為(人の行為)が入りこむことになります。

カメラがあって、記録媒体があって、この記録媒体(フィルムとかSDカードとか)に、厳密にはカメラにつけられたレンズ、ピンホールカメラにおいては針穴、の置かれた前の光景が写し込まれます。カメラとカメラレンズの、基本作業はこのようもので、現実にあったモノが記録媒体平面に転写されるのです。

カメラとレンズなどを組み合わせて、写真という静止画を得る道具一式のことを、カメラ装置と言っていいかと思います。カメラ装置は、その装置によって、写り具合が違いますが、現実の光景がそこには写っている、ということが写真が写真であることの条件です。

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<ドキュメンタリー・フォト>2

ドキュメンタリーとは記録することであると定義しましたが、この記録とは何かということを、考えておかなければいけないと思います。記録とは、歴史を形成する資料です。歴史は、資料の集積です。資料の羅列です。この素材としての記録を、組み合わせて、ストーリーをつくり、歴史として定着されるのです。このことが、ドキュメンタリー・フォトの素材としての存在価値であると考えています。

この歴史という範囲は、世界の政治史の領域から、文化の領域まで、記録された、この場合だと写真が使われて、組み上げられて、それだけではなくて、言葉の介助が必要で、記録された写真には、時と場所が言葉(文字)によって並列されると考えています。歴史そのものは、言葉が先にありきで、その素材として、ここでは写真を使うわけです。そこに呈示される写真の第一義は、そこに写された物や事が、言葉や文字によって意味づけられるといえます。

ドキュメンタリー・フォトを制作する人は、上記のことを基本的に理解して、写真の意味を考える必要があろうかと思います。写真を撮る現場。この現場が持つ歴史的な意味。先験的にそのことを考えたうえで、現場に立つことが必要なわけです。現場に立つということは、ドキュメンタリー・フォトの写真は、この現場がないと記録できないという宿命を負っているからです。とはいえ、現場に立つ人は、その時空を組み立て、ドキュメンタリー・フォトとします。

具体的な例をあげるとすれば、たとえばロバート・キャパの「ノルマンデー上陸作戦のとき」の現場写真がありますが、これは現場そのものが写真に撮られ、歴史を形成する資料となった例です。一方、たとえば東松照明は「11時02分NAGASAKI」という作品において、背後に被爆した長崎という歴史があり、それから十数年を経て、「被爆地」という場所で、歴史を振り返る作業をおこなった行為です。

このように写真が撮られた時の記録が、直接的な関係と、間接的な関係とが、あります。ドキュメンタリー・フォトが持つ基本的な性格は、記録ですが、直接的な記録と間接的な記録がある、といえます。

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<ドキュメンタリー・フォト>3

写真で記録される現場が、ある特異な意味をもっているとき、ドキュメンタリー・フォトという手法が精彩を放つ。現場が持つ特異な意味とは、たとえば2014年の今なら、原発事故から三年が過ぎた福島、毎週金曜日に行われている抗議行動、などが思い浮かびます。特異な意味とは、原子力発電所が事故を起こしたというそのことです。おおむね、写真の撮られる現場が、特異な意味を込めてしまわれた現場ということなのです。特異な意味を持った事柄とか場所が、写真が撮られる現場ですが、その事柄とか場所は、一様ではありません。

たとえば原子爆弾が日本の広島と長崎に投下された。1945年8月6日が広島で、8月9日が長崎で、それぞれに投下されたという事実があります。炸裂した時の記録、その時の地上の光景、そのとき撮られた写真が残されています。これぞまさに記録写真そのものです。この原爆が投下された日から、日を過ぎるごとにその事実は過去の時間となっていきます。一年経てば、一年前、三年経てば、三年前、というような時が刻まれていきます。投下され、炸裂する瞬間は、瞬間であるから、その後に撮られる写真は、過去に起こった事柄をベースとして、撮るときの今を組み立てていきます。

特異な事柄は、人々の間に共有されるシンボルとして意識の底辺に記憶されているものです。写真が呈示されることによって、このことがよみがえり起立してきて、意識の表層に出てきます。前例の原爆の投下された事実とその後の記録によって、そのことが風化するのではなくて、意識の表層に出てきます。記録が単に記録として残ると同時に、意識の底辺に沈められた記録が、その後には記憶となって人の意識の中にしまい込まれるです。ドキュメンタリー・フォトの構造は、特異な事柄が起こったその時、それからの時間、それを経て、記憶のなかにしまい込まれ、あるきっかけで呼び覚まされる、ということにしておこうと思います。

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<ドキュメンタリー・フォト>4

たとえば1961年に「Hiroshima-Nagasaki: document 1961」が、原水爆禁止日本協議会により刊行されますが、被爆後十数年を経た広島の光景を土門拳が、長崎の光景を東松照明が、撮影してできあがります。原爆投下された年月日と場所、1945年8月6日広島、同年8月9日長崎、そのときから十数年が経って取材されたことです。ここでは、それから十数年が経った痕跡を、写真として残されていきます。東松照明は、その後に継続して長崎を取材していきます。

原爆が投下されたという特異な出来事、悲劇としてとらえるべき事象に対して、写真は特別の意味を付加されます。特別の意味は言葉によって付加され、写真イメージや動画イメージと言語によって、相乗効果をうみながら、人々の胸の内に深く刻まれていくのです。かってあった特異な出来事を扱うドキュメンタリー・フォトの典型は、戦争の現場を扱った写真であると思っています。第二次世界大戦におけるロバート・キャパやユージン・スミス、べベトナム戦争における日本人写真家たち。

一方で、ドキュメントされる現場が、社会的な現場から、私的な現場が撮られるというほうに移行してきます。ドキュメンタリー・フォトの、特異な現場が、日常の風景、家族がいる現場へと向けられてきたように思います。特異な現場を撮るドキュメンタリー・フォトはいまもって有効ですが、その枠が拡がり深まり、個人という立場が浮上してくる方法も、主要な位置を占めるようになってきた、と思います。社会的な立場から、個人的な立場へ、社会的な現場から、個人的な現場へ、カメラが介在する位置が、変化してきたのです。

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<ドキュメンタリー・フォト>5

ドキュメンタリー・フォトが作られるときの、カメラマンとしての撮影者と被写体との距離において、区分するとどうなるか。撮影者と被写体との関係性とでもいえばいいのかも知れません。この位置関係を写真の歴史では三つに区分しています。それぞれに、ソーシャルドキュメント、、パーソナルドキュメント、プライベートドキュメントとぼくは呼んでいます。ソーシャルドキュメントは、撮影者と被写体との関係は、個別人間的なつながりはありません、とします。パーソナルドキュメントは、撮影者と被写体との関係は、撮影者の思いのなかに込められ、撮影される場が共有される、とします。プライベートドキュメントは、家族とか愛人とか友人とか、親密な関係者のなかで撮られ作られる記録の方法、といえます。

たとえば戦争に密着して写真を撮った、ロバート・キャパやユージン・スミスなどは、ソーシャルドキュメントを創りあげてきた写真家だと言えます。その後1950年代以降になって、ウイリアム・クラインとか、ロバート・フランクの手法に影響される写真家たち、リー・フリードランダーやゲリー・ウイノグランドなどの手法をもって、パーソナルドキュメントとの写真家と言っています。写真家が世界を解釈する、その仕方、見方が写真の構成要件となってきます。つまり、世界を遠くに見て、解釈して、中立的な立場を保ちながら写真を作るというようなソーシャルドキュメンタリストとはちがう、世界を自分の近くに引き寄せて、解釈し、自分の立場を写真の中に込めていくというような手法です。

プライベートドキュメントは、たとえばナン・ゴールデンがあらわす、私的な友人関係、恋人との関係など、社会的センセーショナルな場面においてカメラが持ち込まれた写真群。撮影者みずからが、その場を構成する人である、そういう水平関係のなかで写真が撮られる。つまり、プライベートな関係のなかで、写真が撮られて発表される。言ってみれば、より自分という立場が、身近な位置を占めるようになってくると、言えるかと思います。このことは、個人の尊重とか、自己に目覚めるとか、社会の風潮に合わせるかのように、展開されてきたと思われます。現在においては、分類すれば三つのパターンに分けられる手法が、存在しているというように言えます。撮影する立場と目的によって、その手法が選ばれるわけで、ソーシャルドキュメントが否定されるべきではなく、プライベートドキュメントが優位にあるというのでもありません。写真家の選択によって、その方法が選ばれる、その時代が今だと思えます。

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<ドキュメンタリー・フォト>6

写真によるドキュメント、記録。呼び方として、ドキュメンタリーフォトと言ったり、フォトドキュメンタリーと言ったり、いずれにしても、写真による社会記録のことだと解釈すればいいかと思います。ここまでで、カメラの視点が、ソーシャルな立場から、パーソナルな立場をふまえて、プライベートな立場まで、時代とともに進化、あるいは深化してきたと捉えているわけですが、ここではその背後にある概念にまで踏み込んで、触れておかなければいけないように思います。

そのひとつは、政治や経済によって構成されている世界の枠組みのなかにおいて、その問題を正面から解釈し、写真作品に反映させていくということ。理論的な政治や経済の枠組みから離れてはならない、ということ。この条件を仮説としてここにあげておきます。東松照明氏の一連の写真作品の中に、日本国内にある米軍基地の問題を背景にして、写真イメージが構成されていきますが、ここには、明らかに言語による歴史認識があり、それをベースに被写体が選ばれ、撮られているということがいえます。

もうひとつは、言語との関係、論説や言い伝え、言葉の世界とイメージ(写真)の世界との相関関係です。記録という概念は、<何年何月何日に何処で>といった<日付と場所>が底辺にあります。具体的な日時のときもあれば、ある一定の時間枠がとらえられるときもあります。つまり、ドキュメンタリーフォトという概念は、言語と共にある写真、といえるかと思います。もちろん、だから、言語を切り離せば、どういうことになるか、というのは次の問題です。

前段で、ドキュメンタリーフォトを構成する、写真家と外界との距離関係に、三つのレベルを確認しましたが、それは時間経過による遠くから近くの時間へという流れの中で、現われてきた手法でありました。現在の位置は、この三つのレベルが、並列に、等しい価値に並んでいるときだと思っています。モダニズムが終わって、ポストモダンが終わって、いまやセカンドモダニズムの時代だと言われていますが、これは個人が手法として選ぶ写真の方法、あくまでドキュメンタリーという手法のなかでの、選ぶ価値軸が等しい、等価値で選ばれる位置だと思うのです。

ドキュメンタリーフォトの基本条件は、政治や経済の世界と向きあっていることと、言語との共存という、この二点だと思っています。ドキュメンタリーフォトであるか、そうではないのかという区分として、判断基準として、提起してるわけです。というところで、この基準にあてはまらない写真群が、たぶんに見受けられると思います。とすれば、それらの写真群は、ドキュメンタリーフォトではない、別の括りが必要であろうと思います。それは、たとえば。アートフォト、たとえばプライベートフォト。いまぼくたちの前に現れている様々な写真の群を、価値の優劣ではなくて、区分してみる必要があると思っています。

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<フィクション・フォト>

ドキュメンタリー・フォトが、世の中の出来事を、嘘偽りのない事実としてとらえる写真だ、ということにすると、そうではない写真があることに気づきます。作り物、創作、つまりフィクション、虚構の領域の写真のことです。たとえば三島由紀夫を被写体とした細江英公の「薔薇刑」(1962年)は、虚構の世界のイメージ化、とでもいえばよいか、作り物です。そのイメージの原点は、被写体となった三島の文学センスであるように思います。

ドキュメンタリー・フォトと並走する言語。ドキュメンタリー・フォトは、言語によって支えられる写真イメージの特定、といったことがあって成立する写真です。その対極にあるのが、ここに提起するフィクション・フォト、だと言っておこうと思います。フィクション・フォトは、多々あると思います。物語を素材としてイメージ連鎖させていく写真群。たとえば高梨豊の「初國」(1993年)という写真種、なんとなく神話イメージをベースに、写真を撮り下ろしていくというイメージです。

言語とだけいえば文字列ですが、文学言語といえば俳句や短歌から物語や小説などを意味させたいと思っていますが、この文学言語を背景として写真を連ねて物語にする。フィクション・フォトとは、言語の領域と並列関係、もしくは底辺に言語領域が横たわる。このような関係。写真ではないけれど、絵物語。源氏物語絵巻は、最初に言葉があって、物語があって、それに絵が作られてきて、いまや源氏物語絵巻として存在します。

ここでは、写真と言語の関係を見ていて、写真イメージは、イメージ化される言語から、離れられないのではないかと思うのです。でも、言語とは関係しない写真、写真つまり静止画それ自体でインパクトを与えられ、それに終始し、インパクトに帰る。言葉は、感嘆詞でしか発せられなくて、こころ動かされる、情が動かされるイメージ。第三の写真、そのような領域が、あるような気がしてならないのです。

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<情動・フォト>

生命活動のうち、言語に対抗して提示できる領域といえば、情、情動。感情とか、欲情とか、そういうレベルの領域です。イメージによって感覚が刺激され感じるというもの。そういう写真があってもいいのではないか、と思うわけです。言葉を介さないで感情が動くといえば、それは本能が刺激されるということでしょうか。

男が感じる女への感情、その逆。恋愛とかいう感情そのもの、理屈ではない。このようなことが与えられる静止画としての写真。いま求められる一極は、こういった言語を介さなくても感動が得られる写真のことでしょう。

たとえば、ハンス・ベルメールの人形の写真、HIROMIXや長島有里枝といった女性たちが撮った写真をみて、これは理屈ではなくて、感情で見る写真だと思ったわけです。言語活動は、あとからつけられるとしても、写真と並列、もしくは写真の基底にあるものではないと認知するのです。このように考えると、ここにおおきな潮流としての二極が見えてきます。言語によって意味をもつ写真と、情動を動かされることによる写真、です。この時代、どちらが正しくてどちらが間違っているとは言えないところです。

いきおい、この文章は、言葉に拠っている訳です。だからここで論じる写真というもの、言語によって拘束されるではないか、と考えてしまいます。でも、そうではなくて、写真に表されるイメージからのインパクトによって、感情が動かされるという意味では、その基底に言語を有しない、といえるのではないか。

このことは、現代美術の方法にも通じるように思えます。写真もそういうことでいえば現代美術の一角を占めているわけで、情的な、情動される、むしろそういう領域は、セクシュアルなイメージであるのが大半です。人間が言語を介さなくて感情が湧きあがるのは、本能として、子孫を残す行為に直結するイメージなのかも知れません。

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<情動・フォト>2

写真制作の方法で、ドキュメンタリーという制作の方法をメインに据えて、その周辺に派生する写真群として<フィクション・フォト>やここでいう<情動・フォト>という内容の写真群があると思っています。ということで、時代の流れのなかで、写真の社会的役割が、すこしずつ変化してきたと思えます。かって、世の中の記録をする手段として、文字が使われ、絵画が使われていましたが、写真術が発明されることによって、記録の中心的存在になってきたのが写真イメージです。映写機を使って記録するフィルム、つまり映画が担うというより静止画の写真。これは紙媒体、新聞とか雑誌に掲載するのは静止画、写真でしたから。ところが、テレビの発展、ビデオの発展、いまやインターネット通信の時代になっていて、写真が持っていた記録性を使用する媒体、新聞や雑誌から、動画でもって記録するビデオが主流になってきたのです。

写真にとって、記録することが第一義だった役割から、写真で記録しなくても動画で記録されることのほうが、主流になってきました。動画では、現場が動くと同時に音声も記録されるから、記録性としては優れていると思います。またメディアとしても現在では、テレビが主体で情報が流されていくわけですから、写真より映像が重宝されることになります。こうして写真が記録の主体から遠ざかるということは、写真それ自体が、別の方法や目的で使・われだす、ということになります。ぼくが思うには、記録から離れた創作・フィクションすることが、必然的に写真の主たる目的となります。ここでいうフィクション・フォトです。このフィクション・フォトで、なにを導き出そうとするのか、これがこの節のテーマです。ぼくは時代の流れのなかで、今からのちには、個人、内面、情、これらがテーマとして注目されてくるのではないか、と感じています。

個人の人間としての存在。肉体を保持するためには食料が必要であり、情を持ち、情をふくらませる極みにセクシュアルなことがあり、この二大必要が、扱うべきテーマのベースになってくるように思われます。人間とはなにか、男と女、生殖とはなにか。本能としての食欲と性欲。この二つの欲を満たすための方向へ、制作の方法がフィクションされていくのではないかと思えるんです。食べることをテーマとすることは、全く自由で、いまや写真だけではなく、映像においてもテレビ番組として、食べることが表にあらわれてきています。それと同時に表われてくるのが、性欲、肉体、その場面、ということでしょう、けれども、これはまだ未開です。タブー領域でもあります。このタブー領域をどのように表へ現わしていくのか、ひとつのテーマの方向であると思われるのです。

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<情動・フォト>3

写真に撮られるテーマと内容は、その時の社会がもつテーマを、具体的なイメージとして見せることだと思っています。そのことでいうと、現代社会の問題は、個人の内面の問題になってきていると思っています。もちろん、これまで表面的に現れていた問題が無効になるかといえば、まったくそうではなくて、新たな問題として現われてきている問題です。写真に撮られるときには、その問題は潜在的なものであって、写真が撮られてのち、数年またはそれ以上の後になって顕在化してくる問題です。現代社会の個人の内面の問題をとらえてみると、その中身は非常にセクシュアルなものであろうと推測できます。

最近では、痴漢行為や盗撮行為が、社会問題、犯罪として、ニュースで個別に取り上げられます。昨日、NHKでJKビジネスが売春にまで至っているというレポートをしています。JKとは女子高校生のこと。つまりNHKではJKというあやしげなる略語が、社会に認知されているという前提で、使っているものと思われますが、その実態は需給と供給の関係にまで至れると思います。社会の表面から隠された、しかし公然の秘密めいたことがら、セックスなことなのです。社会の爛熟といういい方はどうかと思うが、ある意味、世が乱れているわけで、人心が本能に基づいて行動してしまう、ということに外ならないのでしょう。

写真や映像は、疑似体験できる装置として存在するわけですから、時代の鏡としてあります。最近、あるブログが忠告を受け、あるいは閉鎖されてしまった理由のひとつに、無修正サイトへの誘導、という項目があったといいます。日本国内では、いけなくて、外国では、いける、というある特定のからだの部位が修正されていないところへの誘導のおそれがある、ということでしょうか。こういう事態が起こっているというのは、つまり、関心ごとの中身が、内面のセクシュアルをどう解消するか、という逆要請ととらえてみて、ネットの時代、個人が個人として自立し始めた時代、この時代の闇をあぶりだす装置としての写真・映像が、大きな需要として存在しているように思われます。