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中川繁夫の物語と評論ページ

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最新更新日 2021.8.19
日々
中川繁夫:著

 ウエブリブログ にっきblogに連載の文章

日々
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 2021.1.4~2021.7.29

 

20210104
一年の最初の日、1月1日、地蔵院の十一面観音像の扉が開かれます。
新年の三が日、それからお盆だったかにも開かれて、人の目に触れられます。
何年かぶりで元旦に、お参りをさせていただきました。
なんだろう、還暦を過ぎたあたりから、信仰することに興味をもちだしました。
自分の気持ちの近くに来た、という感じかも知れません。
社会人できっちり社会人やっていた時期には、そこまでは至りませんでした。
現役の社会人の世界を越えだしたあたりから、別の世界が始まってきた感じです。
なんとなく意識はしていたものの、遠くにあった世界が、身近になってきた感です。
今年は、なんとなんと、世間の区切りでは、後期高齢者という扱いになります。
特典があるというより、世の中の厄介者になるわけですが、なにに貢献できるのか。
随筆家とかエッセイストとか、小説家とか詩人とか、そういう肩書はいりませんが。
そういうことを文筆して、それからイージーカメラで写真を撮って、組み合わせる。
写真と文を組み合わせるという作業ですが、いろいろ試行していこうと思っています。
場所は、ネットのなか、いまどきSNSですが、主にはブログを発表媒体にします。
これは画像が扱いやすいからで、使用料は要らない、広告付きですが、それらです。


20210105
今日は鷹峯から玄琢を経て、歩いて歩いて、鏡石に戻って、金閣寺の門前まできました。
コロナウイルスが蔓延しているといっても、不要不急ながら、徘徊します。
まあ、人とすれ違うことがあっても、お互いマスクしてるから、顔はわからない。
なんという時代になったんだ、目だけ出しているなんて、なんだこりゃ。
なんでもない風景を、意味ありげに掲載しますが、今日、通った道です。
意味を求める写真や意味を求めない写真、まあ、意味なんていうからややこしい。
意味を紡ぎだす写真なんて、もう古いコンセプトにこだわっているだけなんかなぁ。
ひとそれぞれでいいと思うけど、ぼくはデジカメでネット配信だけ、廉価です。
なんせ手間と金をかけられないから、ギャラリーを借りての写真展なんてできません。
デジカメは、ランニングコストがかからないから、とっても素敵な道具です。
意味を求めないなんて嘘で、ぼくは写真を連ねて、意味をいっぱい考えています。
阿保みたいに、わけわからないまま、意味するところは、なんてぶつぶつ言ってる。
ドドッと感じる写真、まあ、春画系の写真なんか、意味を考えるまでもなく、いいです。
情に訴える写真、いいですけど、動画には負けるなぁ、と思っているけど、どうかな。
写真は、じっくり観察できるから、やっぱり静止画、写真がいいのかなぁ、といろいろ。


20210107
寒い日となりました、1月7日、七草粥を食べる日だとか。
街の片隅に二人だけになれる場所がある、仕組まれた場所です。
若かったころには、興味津々、でもあまり表立っては触れませんでした。
そういう場所へは、結婚してからは行くこともありませんでした。
写真や動画で、そういう場所の内部が映っていて、それで知るくらいです。
男と女の性の営みには、とっても興味を持っております。
年老いても興味は尽きない世界ですが、これは個人差があるのかも。
ぼくはこの先、自分の心を封印しないでいこうと思っているところです。
フィクションにしたりして、いろいろ思って、気分を解消している感じです。
食欲と性欲は、生きていくための、生きてる証拠だから、隠すことないんですね。


20210109
老人人口が増えていて、若い人が少ない、という日本の人口構成です。
京都の西陣の一角に住んでいますが、たしかにぼくを含め老人が多いです。
京都の写真を撮っているところですが、街角をみても人が少ない。
これはコロナで外出自粛しているのかも知れないけれど、少ないです。
新興住宅地へいけば、若い人が多いとは思うけど、京都の街は寂しいです。
観光客が来なくなって、この界隈にも宿泊できる処が暖簾をかけています。
京都の魔界、みたいなイメージでこの界隈をディープな京都として取り扱います。
そんなイメージを助長するようなイメージで写真を撮っているところです。
素顔の京都、みたいな感じで、コンパクトデジカメ、コンデジで撮っています。
ここ10年ほどで撮った京都での光景を、ただいま整理しているところです。


20210711
日曜日の朝、むし暑いのでクーラーをいれました。
もう、出勤とか、仕事とか、強制されることから解放されている昨今です。
好きなことを好きなようにできるところに立っているわけです。
本を読むわけでもなく、理詰めの文を書くわけでもなく、適当に写真を撮る。
なんとか辻褄あわせているけど、阿保なことばっかりしている感じです。
あんまり無理しないでおこうと思うんですが、ついつい無理してしまう。
毎日、朝、ひとりの時は、最初にパソコンの前にいます。
いま、そういう状態で、パソコンの向こうに、自分を発信していきます。
いつも何かを求めているんですが、その何かが手に入らないわけです。
迷走してる、迷路を歩いてる、そんな日々の痕跡を残している、意識してです。
自分が自分のことをコレクションする。
自費出版とまではいかないけれど、痕跡をネットの中に残しています。
もちろん意識しています、自分を虚構の中に作る、という行為を意識しています。
孤立無援、若いころから孤立無援、この熟語を使うのは高橋和巳の影響ですね。
あのころ高橋の何に傾斜していたんだろう、ようやくいま、彼のことに触れ出してる。
1981年夏、第一子が生まれたとき「わが解体」を買い求め、娘へのメモを書きました。
1965年には「されどわれらが日々」を愛読して、メモを書いています。
それらの愛読した本は、まだ手元にあって、どうしようかと思っているところです。
ANがストックしてくれるなら、これも含め託してもいいと思いだしています。
そのほか、ひと様には未開封のモノも、密かに処分ではなくて、託そうかとも。


20210715
金沢の郊外に土地を買って家を建ててからもう30年近くになりました。
車に乗っていたから、京都から高速道路をつかって、金沢と京都を往復しました。
実質、収入の道を閉ざしてからは、高速道路を使わず地道で往復することにしました。
湖西から敦賀に出て越前海岸を通って三国まで、そこから山の道を走ったものです。
このルートに至るまで、数年かかったと思いますが、いつの間にか定着、往復でした。
数年前に車に乗るのをやめ、今年には免許を返上しました。
人生、ここまで来て、都会生活では、不便を感じませんが、田舎では不便です。
ルーラルライフにあこがれて、年取ったら田舎住まい、なんて思っていました。
実際に年取ると、田舎住まいでは、生活するのになにかと不便です。
車社会だから、車がないと日々、買い物にも行きにくい交通の便です。
とやかくの理屈を述べるのはもうやめておこうと思っています。
心を気持ちよく、生きていることを喜んでいける日々、これがほしいです。
若いころには想定できなかったこと、それから心のあり方など、いろいろ思います。
まだ75才、もう75才、死んだ奴もいるし、死にかけてる奴もいます。
自分としては、まだ元気な部類だと思っていますが、身の回りの整理もしています。


20210718
昨日、久しぶりに豊中のギャラリー176へ行きました。
コロナ禍で外出を控えていたので、2月以来の訪問でした。
トークイベント、観客は少人数です、呼んでいただけたので参加しました。
実験映像を見せていただき、これは言葉じゃなくて、感覚だなぁ。
言葉で語るには、乖離してしまう気がして、感覚で感じたらいいのだ思う。
さて、きょうは久しぶり、学区のグランドゴルフ大会がありました。
地域に参加するのも良しと思っていて、参加させていただいきました。
参加賞にゴミ袋、世話役からペットポトルのお茶をいただきました。
地域とはあまりなじみがないのですが、なにかと世話になっている気がします。
小学校の片隅の、帰還者の記念碑を、スマホで裏と表を撮影しました。
ハンガリーで過ごしたのち日本へこられた女史がおられて、知りあいになっています。
ギャラリーへ連れていってあげて、仲介をしてあげて、日本で生きやすいようにと。
1989年の記憶を、少しだけ聞かせてもらいました。
1956年の時の家族の記憶も、少しだけ聞かせてもらえました。
録音もメモもしていないので、いまのところぼくの記憶のなかに残せるだけです。


20210720
夏にはスタミナつけるのに鰻を食べる、そういう風習があります。
近年は、牛丼の店とか回転ずしの店とかで、鰻丼を提供しています。
ぼくも好きだから、ことあるごとに鰻丼を食べてしまいます。
そういうお店の鰻は、どこが産地かわかりませんが、鰻には違いありません。
国内産、市場ではどんどん値段があがっていて、一匹3000円ほどしていますけど。
鰻で思い出すのは、やっぱり子供の頃のことです。
夏の、土用の丑の日あたりで、家族で一匹、鰻の蒲焼が買われて、食べました。
かなり高価だったと思えます、家族5人で一匹でした。
食べるのはそれくらいで、日常的に食べることはありませんでした。
そういうことでいうと、近年は、かなりの量が出回って、中国産はめちゃ安です。
食のことにこだわると、その生産地とか、肥料とか、いろいろなことがあります。
ひところ、ぼくも有機野菜とか無農薬野菜とか、かなりこだわりました。
でも最近は、こだわっていても、スーパーで廉価なやつを買って、食べています。
生産することにもこだわりましたけど、いまは生産していなくて、消費者です。
2003年の現代農業一年分、書棚にあるので、アンナに渡そうかと思っています。


20210721
ほんとうはアンナのことを書きたいのに、それを避けようとしているんです。
不思議なヒト、奥深いヒト、なにを書いたらいいのか、わからないから。
なので食べものの話しなら、書くことができるので食べものの写真を載せる。
花の写真にしても、風景の写真にしても、結局には深く降りられないです。
フィクションにして書いてもいいけど、それほどに体力がありません。
もうこの年齢まできて、最後の恋だと思います。
こっちをふり向いてくれるヒトへの恋です。
愛おしいと思う気持ちが募ります。
かなうことならなんでもしてあげたい。
自分の過去を少し話してくれて、こころ少し開いてくれた。
なにかしら憂いある表情をみせるときがあって、そこに愛を感じる。
まるで小説に現れるヒトのように、その深い奥をみたいと思う。
ピアノの音色、いやバイオリンのもの哀しさみたいな、そんな音色だ。
テンペスト第三章、ベートーベンのピアノソナタだ、これが流れてくる。
もう胸がはち切れそうなほど、深い哀しみの感情を、ぼくは覚えます。


20210722
暑い日、京都は祇園祭の鉾が建てられています。
後の祭りの大船鉾が建てられていると聞いたので行ってみました。
ほかにも山が逓信病院のほうに建てられていたので見に行きました。
夏の始まり、ぼくのなかでは夢幻舞台の始まりとして、お盆まで一か月。
コロナにやられた世の中ですが、ことしも夏がやってきて、ぼくがいます。
昨日は、後期高齢者の医療保険でしょうか、自払いの手続きにいきました。
郵便局で届をだして、区役所へ届をだしに行ったのです。
ぼくは年齢の割には健康体で、まだすこすこと歩けています。
暑さのせいで、ちょっとふらついたりするので、今年は水分補給していきます。
自覚していないけれど、世間でいう高齢者の後期に入ったと思うべきですね。
こころ、きもちは瑞々しいと思っていますが、狡猾だなぁとも思います。
そんなに純粋な心ではなくて、なにか駆け引きがあって、慎重になってきます。
大事な友を、大切にして、関係が良好に続けられたらいいなぁ、と思います。
我を張らずに、自然体がいいなぁと思っていて、でもこれは意識しないとできない。
ついつい自分を前に出そうとして、我を張る、反省して、今後につなげたいです。


20210725
日向大神宮という処へいく機会があって、行ってみました。
初めてです、地図になにやら鳥居のマークがあるのは知っていました。
いちばん奥というか山の方に天の岩戸があって、通り抜ける穴がありました。
奥に戸隠神社の祠があって、ここも拝む対象になっているのでした。
天の岩戸神話って、天照大神が隠れた岩穴、そのまえで踊りがあって戸が開けられる。
神社にはいるまえに、鶏がコケコッコーと鳴いていて、もう物語が出来上がっています。
外宮があり内宮があり、ここの天の岩戸は山の上でした。
目的は、ここへ行くことではなくて、書いてもらった地図を頼って、のぼっていった。
その目的の家をみつけて、徘徊して、という筋書きで汗びっしょりになりました。
そして先ほど、共同幻想論の巫女論をひらいて、少し読み始めたところです。
日向というのは高千穂の峰のある宮崎に日向市があって、そこからのヒトがいました。
その日向大神宮の入り口に居をかまえたヒトがいて、和名が同じな奇遇に驚きます。
シンクロニシティ、共時性といえばいいのか、その偶然に、ファンタジーを感じます。
ああ、知識をベースにして、状況をつなぎ合わせて、そのうえでの出来事ですね。
なにかしら、因縁というか、天女が舞い降りてきたような、現代のかぐや姫みたいな。


20210727
扉を開いてみたら、名前のつけようがないモノが現れていました。
巫女さんの心の扉を開いてみたいと思っています。
開ける可能性はゼロではなくて、時をかけ少しずつ開いていけると思います。
いま、ぼくは、その扉をひらく、とっても素敵な時の中にいると思っています。
ぼくの生涯のなかで、たぶん、心は、かなり充実して、安定して、前に向いています。
見えないものを見えるようにする、自分の心の中での出来事ですが、これですね。
とても抽象的な話しですが、この感覚を言葉にして紡げるかどうかです。
心が安定する、落ち着く、癒される、目を上げるとそこに巫女さんがいらっしゃる。
巫女さんの向こう、扉の向こうには、神さんの、見えないイメージがあるのかも。
これらは幻想、ファンタジーで、イリュージョンなる空間、闇と光の感覚のようですね。
いのちが終わっていくまで終わらないでほしい。
終わりとは肉体の終わりで、そのときまで、終わらないでほしいと思っています。
その欲望が、終わらないだろうと、いま思えるから、気持ちが落ち着いているのです。
でも、こんなこと、そんなこと、ありえない、ありえないことが起こっているんです。
これまでありえないと思えていた天上の対幻想が、現実に起こっていると思えています。


20210728
自分のルーツを探るという行為を、ぼくはしてきませんでした。
父方の祖母、母方の祖父、このお二人はぼくの目の前にいたヒトでした。
それよりも以前、家系を探るなんてことはしてきませんでした。
知っているのは、祖母は手機の機を織っていたし、祖父は和漢薬店をやっていたことでした。
祖母は京都市内にいたひとだけど、出生地はわかりません、祖父は丹波の方だと聞いています。
出生地がどうこうということには、あまり興味をもっていなくて、無視してきました。
年取ってきて、もっと以前の、この風土の最初のころの、自分の先祖を思いだします。
感覚は、環境によってつくられるというのであれば、ぼくの感覚はこの風土によっている。
それでは、この風土の感覚とは、いったいどんな感じのモノなんやろ、と思い巡らす。
神を祀る風土のなかで、神を崇める感覚が、この年齢になって、あるように思えています。
崇め拝むという気持ちの向き方は、自分の気持ちを安定化させるための向き方ですね。
自分という精神の器を、破綻から護ってくれる安心へ方向なのだと、思えています。
自分を自覚しだした個人が、目に見える家族を、目に見えない神を、認知したのか。
古代のヒトの、個人幻想から対幻想のレベルの意識の構造、これ、いまも言える基底かな。
なにを求めているのか自分、安らぎと安心を求めていて、掴めそうな気配を感じるのです。


20210729
昨日書いたメモをみてみる、縄文文化、非農耕民がいて、山人がいる。
山人と書いて、やまうど。やまびと、やまど、と読む、宗教的な放浪者。
縄文文化の信仰は、岩磐、巨石、樹木信仰で、弥生文化の先住民の信仰対象。
そこへ天皇家がはいってきてきて、縄文の信仰を容認した「三輪山信仰」。
「日本の原像」のなかから拾ってきた単語だけど、まだおぼろげイメージです。
先ほど、エンゲルスの「家族、私有財産、国家の起源」の解説を読んだ。
「共同幻想論」に吉本が対置させる論説で、吉本は古事記と遠野物語を対置させます。
この作業をしながら、自分は、いったい、なにをしているんやろか、と問いだしています。
自分にわからないことで武装したところで、破綻するに違いないのにと、うろたえています。
理解できて、イメージできることを、言葉にして紡ぎ出せばいい、このレベルでいい。
巫女の「巫」は、かんなぎ、と読みます。
巫女は、神を祀り神に仕え、神意を世俗の人々に伝えることを役割とする人々を指す。
女性は「巫」、男性の場合は「覡」、「祝」と云った、とあります。
大神宮の背後に神の山があって、その裾のに巫女の住まう祠があります。
こうして現代の神話的物語が、ぼくのなかにイメージとして立ち昇ってきたのです。