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最新更新日 2021.8.25
日々
中川繁夫:著

 seesaa きままにっきblogに連載の文章

気儘に雑記
-2-

 2020.5.23~2020.6.21

 

20200523
もう半世紀も前に読んでいた本を、捨てずに置いていたのを出してみています。
本の著者、左から、ドストエフスキーさん、柴田翔さん、高橋和巳さん、森田草平さん。
三浦つとむさん、太宰治さん、ボードレールさん、江藤淳さん、堀辰雄さん。
隠れているけど、伊藤新吉さん、カールマルクスさん、写真にない人の本も手元にあります。

読んだけど、人を蹴落として出世するのとは、別のことです。
文学部いっても何の役にもたたんよ、なんて言われていた時代に、文学部しかなかった。
そのころ文学部なんて、女子の教養つける学部みたいなイメージでしたけど。
でも小説書いたりするのに勉強するところといえば、そこしかないと思っていました。

いま、命をつないできて、生きているということに感謝して、昔を懐かしんでいます。
音楽は、クラシックで毎日聴いていますし、本は背表紙を眺めて、昔を愛しむ、です。
いいじゃないですか、そういう過去があるということ、悪いことじゃないと思う。
これから、まだ何年生きるかわからないけど、現役でいきたいなぁ、と思うところです。

20200525
本棚見てたらカメラ毎日の最終号があるので、出してきて見てみました。
1985年4月号で、今から35年前ということになります。
3月末に段ボールに詰めて雑誌類もほぼ処分けど、まだ残っているなかの一冊。
ぼく自身には、いろいろな思い込みもあって、ぱらぱらと30分ほど見ていました。

自分史のなかでまだ1985年の、この当時のところまで書き進んでいません。
まあ、生々しい記憶がいっぱいだから、相手さんのこと思って、書けないのです。
でも、自分に即して、いずれ記録として、残しておかなといけないかとも思います。
でもでも、もう当時の資料などは三月末の処分で、ほぼ手元に残っていないなぁ。

この前年の秋、1984年の秋、フォトハウスの構想を発表しています。
カメラ毎日の功罪が写真界ではいろいろ話題になっていました。
ここになびいていた写真家たち、なびいていなかった写真家たち、二分されていた。
そういう最中での、フォトハウス構想でしたから、賛否両論ありましたよ。

20200527
カメラを持って、植物を撮っていて、花の写真を撮っていて、アルバムにしています。
なにより身近にある、無難な被写体、遠慮要らない、楽ちん、そんな感じです。
写真を始めた昔の頃は、誰も撮れないような写真を撮れ、なんて言い聞かせていました。
でも、日常の光景を撮っていく、そういう時代になって、でも家族を写真にできないなぁ。
記念写真は撮るけど、人様に見せる写真になってできない、という思いが濃厚です。

その後、写真論を組み立てていく中で、写真の被写体との関係性に注視するようになりました。
そういうことでいうと、ぼくの肖像写真アルバムは、一人称二人称の関係で、撮れています。
フィルムの頃にやっていた無名碑シリーズでしたが、デジタルになって肖像写真です。
花の写真は、人の欲望を花に託して、その内面を表出できないか、と理屈として思います。
でも、作品とするには、なかなか理屈建が難しいなぁ、と思うところです。

スマホは、最初iPhoneを使いましたが、三年目からはGoogleのほうに切り替えました。
ぼくとしてはどちらでもいいのですが、スマートフォンで写真を撮って発表する、このことです。
最新の道具を使ってお遊びをする、写真を撮ってコミュニメーションを図る、この手段です。
直近には、SNSで交流を図る、年代差、性差をこえて、コミュニケートすることに興味です。
新しい時代を創っていくツールとしてのスマホ、このデバイスに興味を持っています。

20200529
バッハのマタイ受難曲を聴いていたら、もう6時になっている、日が長くなったね。
焦ってる、鰤の甘炊きをするんですけど、水分、煮込むのに30分ぐらいかかる。
まあ、7時に仕上がればいいか、あと20分これを書いてから、夜の準備します。
今頃の時間になると元気が出てくるんですけど、3時ころからは、ぼんやりでした。
嵯峨野の方へ行って、少し地面の花の写真を撮って、セレクトしました。
ピントが合いません、ほとんど、思うところに合ってないなぁ、うんざりです。

昔、フィルムのときは、ニコンで、レンズは16ミリから300ミリまで揃えてました。
でも、いま、デジタルでやってるけど、パワーショットでズームです。
四台あるけど、つぎつぎ壊れてきて、5年ほど前の機種を使っています。
京都を撮っていたり、最近は、天皇陵とか、歴史の昔を辿っているところです。
でもスマホでいろいろおもしろいことやっていて、意味わからない(笑)
意味わからないところで写真は撮れてしまうから、でも、これ、本質かも知れない。

ツイッターでフォローしている三人が、それぞれに表現活動をしておられます。
フォローしてもらって、ハートマークをいただいて、嬉しいです。
いまどきの写真の在り方って、曖昧でイイネしてもらって、嬉しい、これですね。
かってあった立派な作品を創ろうとか、もう、そういう時代じゃない、そう思います。
コロナで状況が変わるわけだし、これまでの発表方法を捨てなくちゃ、いけませんね。
ということで、写真と映像の研究会、ぜひご参加ください!!

20200604
金沢に家があって、月に一回程度、二泊三日の日程で訪問しています。
かれこれ家をつくって25年になるけれど、買い物には近江町市場へ行っています。
写真が一昨日の市場のド真ん中、買い物客が少ない、閑散としておりました。
新型コロナウイルスの自粛で、観光客が途絶えて、客が少ないのですね。

北陸新幹線開通して5年が過ぎたと報じていますが、観光客相手になってしまった。
京都の錦市場、大阪の黒門市場、それに金沢の近江町市場、いずれも観光客相手です。
東京にはいくつかの大きな市場がありますが、やっぱりどうなんでしょうね。
コロナ以降があるとすれば、今一度、地場に即した、地元の人が買う市場になってほしい。

市場だけではなくて、生産も供給も、かってあった良質の食品を生産し販売してほしい。
良質なもの、手づくり、昔ながらのもの、高いですね、庶民には手に負えない値段ですね。
日本、どうなってしまったんでしょうね、これからどうするんでしょうね。
こんなこと案じていても仕方ないけれど、でも、やっぱり案じますよ、これからの人のために。

20200607
豊中にあるギャラリー176で、写真展が始まった。
松原豊さんの個展「知立」で、昨日、見に行きました。
カラーのハイクオリティーのプリント作品です。
縁ある場所で撮られた町のスナップ、リアルな写真です。
コロナ禍の都会の一角で、開催されている写真展です。

表現された作品が展示される場が、いまの時代にどれだけ有効か。
ぼくは否定的には見ていなくて、人が集まるサロンとしての機能が有効だと考えます。
ただ、デジタルで撮った静止画を、紙に定着させることの良否は、自問しています。
一方では、フィルムで撮った写真を、ハイクオリティーで印画紙に定着させる。
外皮の問題だから、根底的な問題ではないけれど、ぼくは気にしているところです。

ギャラリーが、サロンの場というか、人と人が対面で交流する場としては、有効です。
一方で、ネットのなかでの交流が、特にコロナ禍の最中、クローズアップしています。
時代は、ネット環境、通信環境、その他もろもろ、バーチャルなデジタルに移行しています。
リアルとバーチャルの世界が交流し交差し、ますます共存していく時代です。
だからこそ、サロンとしての場、ここではフォトギャラリーが必要だと、思えるのです。
それと写真という、デジタルで制作する平面作品の在り方の問題です。

20200610
暦では今日6月10日は入梅、梅雨入りですね。
朝から、なんだか梅雨空のようです、曇りです。
明るく撮った窓辺の光景、朝の光がはいるお気に入りの時です。
ちまちま、好きなことができるようになって、日々気儘に過ごしています。

でも心のうちは、穏やかではなくて、微妙に感情をコントロールしてる感じです。
もう活字を読む体力がないから、もっぱら画像と映像、それに短文を読む程度です。
SNSで友だちになった方とイイネのやりとりで、心が癒されます。
もう大きなことはどうでもよくて、小さなことに心を傾けようと思います。

パソコンに向きあっている時間がとっても長い。
ネットにつなげて、自分発信、恥も外聞も馬耳東風、好きなことやっています。
肉体が衰えてきて、コナミスポーツで少しトレーニング、体力維持のため。
残りの時間を気にしながら、今日も危なっかしいバランスで、歩いているなぁ。

20200611
京都は昨日に梅雨入りで、今日は本格的な雨が降っています。
花は紫陽花の季節、やっぱり雨に濡れる紫陽花は、情緒があるなぁ。
なんとなくうっとりとする、実物よりも写真を見てウルルンするんです。
誰にも邪魔されないで、丹念に細部を観察できるからかも知れません。

花は女子の象徴だとイメージするんです。
植物にとっても生殖のために花を咲かせるのだから、美しい姿で魅せるのです。
興味を持ってもらわないと役割を果たさないわけだから、可憐であり妖艶でもあります。
ところが風媒花になると、相手が自然の風だから、美しく装わなくてもいいわけです。

紫陽花の頃というタイトルで小説を書きだしたところで、ストップのままです。
いま、イメージをつくっているところですが、なるべくノーマルに書こうと思います。
美しく、恋物語、どんな内容になるか、まだストーリーもできていないところです。
若い男と女の恋物語、心と体をどう組み合わせるか、等々、これからです。

20200615
まずは食い気からですが、とんかつ定食800円、はやしという食堂の看板メニューのようです。
ボリュームあって、京都の深い味がするんです。
音楽家の文字さんと、京都東山界隈でお昼を食べるときはここで食べること多し。
京都の食堂、大阪とかと比べて値段が高い割りに量が少ない、これが特徴かと思います。
そのことでいえば、美味しくて量がある、とんかつ二枚盛りです。
でも、最近、あまり食べられなくなった、というのは年齢のせいでしょうかね。

パソコンでネットにつなぐプラットホームを、八割がたGoogleクロームにしています。
いまこの記事もGoogleクロームの枠で書いています。
いったんやめようと思っていたツイッターへ、ここではアクセスできるんです。
そうこう思っているとMicrosoftエッジがバージョンアップしたんですかね。
いちおういつでも立ち上げられるように準備しているところです。
ネット環境が変わってきてますね、顔つきチャット、テレワークになっていますね。

写真と映像の研究会を立ち上げます。
この研究会は対面でおこなうことにして、これからの環境を考えて議論します。
変化していく現在進行形の、表現をめぐる諸問題を、テーマにしたいと思います。
2020年6月27日(土)午後2時~5時<写真と映像の研究会>を開催します。
場所は、MOSS・GREEN(井上成哉氏のスタジオです)
〒604-8205京都市中京区新町通三条下ル三条町338
研究会への参加者、ただいま募集中です。

20200617
長年続けているブログが三つあり、それぞれに思い出が詰まっているので残しています。
ここはseesaaという名のブログで、必要により作ったり消滅させたりしています。
プロジェクトに合わせた広報の役割を考えていて、いまなら表現研究の枠組みです。
記事をアップすると40から50ほどのアクセスがあるけれど、誰だかわかりません。
ライブドアのブログは、写真ストックの媒体として使わせてもらっていて、感謝です。
アダルトのところは先ほど二つ潰して、三つ残して、フィクションしていくつもりです。

なにをしているのか、ひとりよがりだから、自分が迷宮入りしてる感じです。
書きたい欲求と、それにまかせて発信しているけど、切ない気持ちです。
なにもかも、深く研究したり勉強したりしていないから、何事も表面だけ撫ぜてる感です。
今更どうしようもないから、このまま適当に思うところの欲求を満たすだけです。
穴があったら隠れたい、そんな気持ちがいっぱいあって、でも、懲りずにやってる。
いつまでこんなことできるのか、それがわからないから、焦ります。

20200618
トマトサラダ、レタスとキャベツとキュウリのサラダに旬の完熟トマト。
夏の食べ物として、すがすがしい気分にしてくれる一品です。
どうしても野菜不足になるので、野菜ジュースを飲んだりしますが、ナマがいい。
ひところ農塾に通っていて、共同で野菜栽培をしていましたが、その時は有機農法。
無農薬で栽培していましたけれど、市販の野菜は、減農薬、化成肥料ってところです。
それにしても野菜の値段が高いです。

京都アグリネットを主宰していますが、最近、さぼっています。
生産と消費とこれをつなぐ流通のことを、良心的に創ろうとの発想でした。
最近には、マルシエがあちこちで開催されて、食料を良心的に流通させています。
コロナ後をいうなら、このネットワーク、ここでは「カフェ&プレス」です。
地産地消、有機無農薬栽培、生産と消費のローカルネットワークを創りましょう。
消費者から生産者へ、いいでしょ、生産者になること、推奨しています。

20200620
シュナーベルというピアニストがベートーベンのソナタを弾いているんです。
いま、パソコンに取り込んだ音で、聴いています。
いま、15番を演奏している、これをうっとりとして聴いています。
先ほど、フェクション紫陽花の頃の3をアップしたところです。
写真を載せるのに、王将の餃子かハーバーカフェのモーニングか迷いました。
別のブログで使った写真ですが、清楚なイメージの写真を使うことにしました。

アバウトながらイメージを気にするわけです。
餃子のイメージより洋風のイメージを、それに清々しさのイメージも、です。
フェクションの背景をどないしょ、どんなイメージにしようか、と想うのです。
若い男女の物語、とはいってもそんなに斬新なイメージは紡げないから、清楚な描写。
ツイッターとフェースブックに連動させるから、アダルトにできないしなぁ、と模索です。
二年ぶりくらいか、最近はフィクションといっても18禁ばかりでしたから。

20200621
玄関横に置いているサボテンに三つも紅い花が咲きました。
今日は夏至、一年で昼の時間が一番長い日です。
この日に合わせたかのように、咲いた、咲いた、咲いた、まだ蕾があります。
ぼく自身は、サボテンに興味はあまり持っていないのですが、花が咲くとうれしい。
父が保有していたサボテンが数個あり、そのまま我が家にあるというモノです。

現在地に生まれてこのかた、同じところに居住しています。
父母は戦争終結のときに結婚したのだろうか、ぼくは1946年、昭和21年4月生まれです。
当時は壬生に住んでいて、小学生になるとき、父の実家、現在地に移り住みました。
昭和28年、1954年ということでしょうか、うっすらと当時の記憶がよみがえってきます。
表向き、京都の外観は、すっかり変わったようですが、はたして心はどうか、です。

外観変わっても、内面そんなに変わってないんじゃないか、とも思っています。
まだテレビもなくネットなんて当然無くて、ラジオ、真空管ラジオの時代ですね。
お父さんはお人好し、アチャコさん浪花千恵子さんのラジオ番組、覚えています。
映画館には人がいっぱい、東映の映画館、人いっぱいでした。
スター食堂のBランチ、映画のあとに、よく食べさせてもらったね。