ご案内です
HOME
むくむくアーカイブス

中川繁夫の物語と評論ページ

物語&評論ページ









むくむくアーカイブス

最新更新日 2021.8.27
日々
中川繁夫:著

 seesaa きままにっきblogに連載の文章

気儘に雑記
-3-

 2020.6.22~2020.6.21

 

20200703
飛鳥寺へ行ったのは二回目、今回はMONJIさんと一緒に飛鳥寺を中心に散策しました。
飛鳥寺には飛鳥大仏がおられて、静かにぼくのこころを開いてくれたような気持ちです。
もう一度会いたいと思っていた仏像だったから、感激です。

歴史ではこの界隈は、曽我入鹿が暗殺され大化の改新がおこなわれた現場らしい。
なんか権力争いがあって、入鹿が悪もんで、中大兄皇子らが良いがた、イメージですが。
大化の改新につながり、中大兄皇子は天智天皇になり、正統性が確保されるんですね。

権力闘争なんて、勝ったもんが表に出て負けたもんが消される、そういうこと。
負けるが勝ちなんて戯言があるけれど、これは負けた奴の自己満足でしかないです。
でも、いやですね、勝った、負けた、この世界、もっと平和に暮らせないのかねぇ。

20200624
植物園へはあまり行きたくなくて、気持ちはもっと自然のままの処へ行きたいと思うのです。
でも、原生林とか原野なんて行けるわけでもなく、自然のままなんてありません。
そこで植物園へ行ったら、被写体があって、撮って、保存しとけば使える。
とまあ、イージーな発想で、あたかも立派な作品を作り出すようなことを言っている。
でも、光の入れ方微妙でしょ、光と影、ディテール出すのが難しいんだよなぁ、なんていう。
いまどき、カメラが、だれでも、きれいに撮れるように作ってあるから、自慢にはならない。

きょうは暑かった、午後から嵯峨のほうへと赴きました。
嵯峨小学校前で降りて、そのまま山に向かっていくと落柿舎の前あたりに出ます。
お定まりのコースで、去来の墓所、拝観料払わないから素どうりですけど、祇王寺とか。
廃墟みたいになっている中沢家、その前の後亀山天皇陵を撮影して、大覚寺へ向かう。
まっすぐ、道なりに、大覚寺まで、日陰のない道路で、てくてく歩くのみでした。
苦にはしていません、歩こうと思って歩いているから、気分、楽ちんです。

当面の、気を病むことが解消して、気分爽快、それよりも念願のお友だち了解いただいた。
るんるん、フェースブックの友だちですが、現在114人になりました。
文章も、自分史と紫陽花の頃、二つのフィクションを書きだしています。
写真は、インスタグラムで表現論、シリーズで72まで来ています。
次のシリーズを考えていますけど、全くの未定です。
流れからすると植物シリーズになるかと思っているけど、どうするかです。

20200626
昨日、天神さんへ行こうと思っていたのに行けなかった。
午前には二か月に一回の診察を受け、午後はコナミへ運動しに行ったからです。
家庭医というところで高血圧の薬をもらっているのですが、頻尿の薬を追加してもらった。
なにかしら、焦ってしまいます、もっと、落ち着けと言い聞かすのだけど、焦るんですね。
こんなに、この先を考えるのは、もう短いのかもしれない、長いといっても10年ほど。
身の回りを整理していこうと思って、本をほぼ処分した、けど、まだ残っています。
アンナさんが引き受けてくれそう、少しずつ手渡ししようかと、思っているところです。

現代表現研究所、実体のないバーチャルな代物だけど、ぼくはそこの代表だ。
ひとは振り向きもしないけれど、理にかなった提案をしていると思っています。
明日、写真と映像の研究会の第一回目を開催します。
井上さんのスタジオで、始まっていく研究会ですが、発起人三人です。
エイジさんから出席連絡あり、アンナさんは来月から合流、それで五人です。
来る人は来る、来ない人は来ない、そう割り切って、来る人は着てください。
既存の枠しか信じられない人には無用の器、新しい何かを生み出そうと思う人求む。

でも、もう、ここまで来てしまったわ、なにも持たないままに、フリーな身があります。
アサヒカメラが廃刊になる、時代の流れですから、新しい時代を迎えての邪魔です。
カメラ毎日のときもそうでしたが、そこから新しい価値軸が組まれていくわけです。
新しい価値軸を組み立てるためにも、頭を柔軟にして、イメージを言葉にしよう、です。
東松さんが、そんなこと言ってたのを思い出します、ふわふわ、させておくんだよ。
さてさて、新しいギャラリーができるそうで、新しい価値を生み出す拠点になるかも。
今現在、なにかと、楽しみにしているところです。

 
20200628
茅の輪くぐり、写真には撮るけれど、自分でくぐってみたことはありません。
各神社が6月末、夏越の祓いという神事を行うのですね、6月は水無月です。
一年のちょうど真ん中で、前半無事過ごしてきて、後半も無病息災で行こうと祈る。

そういうことだと思うのですが、いわゆる神頼み、というやつですね。
歳とともに、この迷信だと思っていた祈りが、人間らしいと思うようになってきました。
いっぱいこんな神事や祈願で、人間、自然から支えられてきた、支えてきた。

今年は新型コロナウイルスの流行で、世界中が右往左往しています。
昔もそういうことがあったので、お祓いをして祈願して、身を守ったんでしょうね。
守れたかどうかはわかりませんが、気合みたいな、精神で乗り切れたのかも。

20200707
凄いご馳走、エビフライにハンバーグの定食、橿原神宮駅前ホテルでの昼食でした。
飛鳥寺へ行って、そこから石舞台のところまで、歩いて散策したのです。
6世紀のころで、大化の改新とか、そういう時代の遺跡巡りをしました。
これまでの知識と、現地の説明とかで、想像力を働かせて、イメージします。
すでにイメージされた図版なんかが出回っているから、それに合わせてのイメージです。
食べ物のことでいえば、現代の食事が写真のモノですが、その当時はどんなのを食べてたのか。
古代食とか言って、復元された食事を、奈良のどこかのホテルでいただいたことがあります。

食べ物は、人間、生きていくのに必須なことだから、関心の中心のひとつです。
食べることは、関心事のなかで、こういうブログでも話題として取り上げられます。
でも、なかなか話題として取り上げるには、難しい話題もあると思っています。
そういう話題には、ぼくは触れなくて、無難に過ごそうと思っているのです。
政治のことやセックスのことなど、表立って触れられないことを認識しています。
別の枠で、そういうことを論じたり、欲望を満たしたり、するわけです。
ネットで世界を駆け巡る時代だけに、言論には気を使っています。

それにしてもネットの世界はわかりにくいです。
内容もさることながら、操作のところで、わからないことが多々あります。
インターネットエクスプローラーでは、ぼくの現在バージョンでは、ツイッターができない。
インスタグラムもできない、フェースブックはできます。
最近はGoogleChromeという枠を使って、三つのSNSを使っています。
どんどん進化して、ZOOMで、LINEで、動画会議ができるようになっています。
YouTubeも、動画配信できるし、インスタグラムにも動画枠があるんですね、使いだしました。

20200710
時代はどんどん変化して、これまでの形式が新しい形式に取って代わられる。
ハード環境の変化が、形式の変化を促すのですが、テレワークが急に浮上しています。
テレビ会議、テレビ電話、通信回線を使って、会話する、会議する、仕事をする。
コロナ対策で浮上した感ですが、これは通信回線の向上、5Gの時代になった現在です。
文字情報だけ、静止画情報だけ、それの組み合わせであったのが、テレビモニターになる。

一気に環境が変わってきて、静止画から動画に拡大してきて、YouTubeの時代です。
簡便な遊び道具としてはインスタグラム→フェースブックが使われる時代です。
もうひとつ、ツイッターのつぶやき機能が、物語の世界をつくる時代でもあります。
芸術の方向も変わってきて、扱われる内容は一層プライベートになる時代です。
新しい時代の新しい表現方法を模索していきませんか、提案です。

そんなこんなで「写真と映像の研究会」を立ち上げたところです。
新しい時代を創っていくための器です。
参加してきませんか、写真と映像の研究会、京都のド真ん中で、月一回開催です。
と呼びかけても、旧態依然とした枠組みが、いつの時代にも立ちはだかっています。
このことがわかる人が、新しい時代へ導く人となるのですよ、来たれ!!。

 
20200713
聖徳太子の像だと表札があったので、この像が聖徳太子の像なのだとわかりました。
飛鳥寺の本堂の大仏さんの、向かって左側におられた像です。
最近はこの人のことを聖徳太子とは言わないみたいですね。
聖徳太子といえばお金、お札に描かれていた人、一万円札だったか千円札だったか。
歴史のうえで超有名人なのに、呼び名が変わる、厩戸皇子というのだそうです。

聖徳太子に興味があって、いま、墓所の所在地を調べたら、大阪府南河内郡太子町とある。
文字さんに連れられて、最初に行ったのが太子の墓所で、磯長という処でした。
先日は、この聖徳太子が生まれた処という明日香にある橘寺へいきました。
そういえば京都太秦の広隆寺には聖徳太子像があって、33歳像だといいます。
天皇が即位の時に着た衣装が、ここの聖徳太子が着るしきたりがあると言います。

聖徳太子さん、どんな人物だったのか、いろいろ研究がなされているところです。
ここでは取り上げませんが、飛鳥時代の人物で、偉業をなされたえらいお方のようです。
といっても、血みどろの戦いみたいなこともあったのではないか、その勝者ですね。
そういう裏側からみると、人間はいつも権力を手に入れようとして、勝つ者が勝ち。
この価値観を見直すのが21世紀の現代だと思ったりしているところですが。

20200715
自分のことですが、歳取ってきて信仰心が篤くなってきたような気がします。
心情の世界というか、情感、情動、情という文字に現わされる気持ちのことです。
信仰といっても、あの世があると信じていませんが、生の側からのあの世イメージ。
死への怖さみたいな感覚を、支えてもらえる感じがするのです。
人に支えてもらえることで平安な気持ちになれる、本来的な男女の関係でしょうか。

でも人間同士って、それほど強い絆で結ばれているわけではないから、人以外で求む。
そうすると、それが仏教のばあい、阿弥陀如来、その像、という絶対信頼できる仏さま。
としても虚しい気持ちは、少しは解消してもらえるけれど、完全ではありません。
やっぱり恋焦がれて、恋焦がれてくれる関係になる人がいることでしょうか。
ぼくのばあいは、神聖なる存在としての恋人、いや愛人ですね、愛を交わせる異性。

いや、ね、最近、直近、小説を書こうと思っていて、恋愛小説っていうか性愛小説。
性交する描写を、ことばを使って、川端康成さんよりハードに、描いていきたい。
性表現の<限界>という言い方はなくて、性表現の可能性として、チャレンジしたい。
すでにしているところだけれど、もう少しナイーブに描写できないだろうか、と。
いろいろ思いながら、公然と公開できないから、ストレスが溜まる感じばかりです。

20200720
NHKのEテレで、吉本隆明さんの共同幻想論を読むという放送があって、あらためて共同幻想とはなにか、ということが話題になっている。そういうことで旧知の長澤さんと議論まがいの話し合いをしておりました。ぼくなんかは、共同幻想論の中身、もちろん興味の対象ですが、むしろ、なぜ、いま、NHKが取り上げたのかということ。放送番組のなかのひとつとなるためには、企画書があり、細部を言えばこの本を取り上げる理由が、付されていると思うのですが、担当するディレクターさんは、なぜ取り上げたのか、ということに興味があるわけです。

単なる教養としての読書紹介ではないと思うんです。知られざる名著というより、団塊世代なら大いに感化を受けた思想体系ではなかったかと思うんです。共同幻想、個人幻想、その中間に対幻想、共同と個人の関係とか、吉本さんの言い方では、逆立の関係だというのです。個と全体、個人と国家、個人と組織、その関係を解き明かしていく。倉橋由美子さんの「パルタイ」という題名の小説を思い出すんですが、その当時個と組織を、個の内面を語る口調で小説が書かれていたと記憶がよみがえります。現在、この共同幻想論を読むテキストが売れているといいます。その理由を尋ねられて、自分の居場所を探しているんじゃないか、と答えました。会社、家族、他人、その関係が意識のなかで崩壊するとき、どうする、これがいま我らが置かれた意識の立場では、ないかと思うのです。

ぼくの興味でいえば、国家の起源をイメージのなかで、静止画としての写真に収められないかと思っているところです。いつのころに日本という土地で、国家としての制度ができてくるのか、大王が天皇という名称をもつようになるころの、われらのイメージを、表出できないかなぁ、と思うのです。それに、もともと言葉はあったけれど、文字を持たなかったから、漢字を言葉にあてて表記して、文にされ、文章にされ、交流のベースとなる歴史が、あると思うのですが、その生成の頃、目の前に幻想としてイメージが認知され、言葉にしてきて、文字に仕立てていく、この歴史があって、文学の起源を探ろうとして、写真に反射させる、そういう作業を、いま必要なのではないか、と思うのです。

20200725
コロナ禍のなかGoToキャンペーンで旅行することを勧めています。
理屈をつけてそのことを正当化しようとしている感じで見苦しいです。
といってコロナ禍でどうしたらいいのか、ぼくにはわからないから、静観しています。
世界経済、日本経済の雲行きが怪しいとイメージしても、いまや他人事ですね。
もっと小さなところで、いろいろ心配することがあるから、そこに心を注ぎます。

あんまり難しく考えると良くなくて、案外イージーに考えるのが今流なのかも。
写真を学ぶコースのプログラムを考えています。
なにも設備を持たなくて、実質、実行していくときに使う道具が、手元にあまりない。
前にまとめたデーターを、パソコンのアルバムにアップして、公開、見えるようにしています。
まだこれから始まるところですが、高度なことをわかりやすくして、学んでもらう。

いまある、いまみえる、いまされている、それらをどう捉えたらいいのか、思考錯誤です。
わかっている技術の解説だけではなくて、新しいイメージが生まれる土壌をつくりたい。
価値観でいうと、既存の価値から離れるかもしれないが、気持ちよく生きられること。
競争をするのではなくて、自分好みを発見していくこと、これが必要ですね。
このあと、具体的なプログラムを、作ってみようと思っています。

20200729
今年は、コロナ禍、長い梅雨、物騒な日々が続いています。
7月29日、本来なら真夏、青い空、海水浴、そんな日々なのにね。
この前から、市中へ撮影に出かけております。
北野天満宮を起点に、今日は、上七軒から千本釈迦堂、釘抜地蔵尊、雨宝院。

行きなれた場所なので、躊躇することもありませんが、見慣れてしまった感です。
表面を撫ぜているだけの感じで、もう一歩奥へというのが、できない。
アポなし、お散歩写真は、これで限界、そう思っていて、市中へは行かなかった。
表現学校で写真ゼミを開講することとなったので、あわただしい気持ちです。
そういうなかで、市中のスナップに入って、感試し、しているところです。

20200731
世の中、コロナの影響で、大変ですね。
世界のレベルで、体制が崩壊しそうな気配ですね。
日本のレベルでも、経済体制が崩壊しそうな気配も見え隠れです。
旧体制を新体制に移行していくのに、弱者が虐げられないように。
新しい体制は、これまでの弱者が、歓びに満ちた日々を感じる体制。
漠然とですが、理想を語っていかないと、いけませんよね。

ここはseesaaブログ、使い勝手の良いブログです。
ここから記事アップして、ツイッターへ、フェースブックへ、転送できます。
ぼくの場合、ブログで記事を書いて、SNSへ転送する手法を使っています。
表現すること、これ自体を問うこともままありますが。
そういう本質の話は、おいといて、自分をツールの中で表現する、その方法です。
SNS、インスタグラムが最近人気あるみたいですが、ぼくも使っています。

SNSは、ツイッター、フェースブック、それにインスタグラムです。
新しいコミュニケーションツールとして世界中の人々が使っています。
運営者のところに富が集中している、という許しがたいことも起こっています。
富も権力も一極集中していく世界です。
こういう時代だからこそ、個人の気持ちの豊かさを、どうして得るか、です。
新しいツールを使いこなしながら、ハッピーな日々を得たいところです。