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最新更新日 2021.9.4
日記&雑記
中川繁夫:著

 seesaa きままにっきblogに連載の文章

日記&雑記


 2019.10.1~2020.3.28

 
20191001
今日から消費税が10%になるというので、テレビはその話ばかりです。
軽減税率8%とか、カード決済だと5%還元だとか、ややこしいですね。
なにをもくろんで混乱させているのだろうかと、勘ぐってしまいます。
成り行き任せで買い物するだけで、混乱しないように心がけます。
もっと大きな問題があるだろうに、憲法改正とかに触れさせないようにとか。
庶民をほんろうさせるにもほどがあるってゆうもんだ、と思っています。

日本写真芸術学会の入会が承認されたとの連絡を、封書でいただきました。
先月に関西支部の研究会に登壇させていただいたのがきっかけです。
会長に高橋則英氏、というのも入会にいたる大きな理由です。
現在はいずれの会にも所属していなくて、フリーでしたが、所属しました。
あとはフォトクラブ京都、あとまだ名前が残っているかもしれないのもある。
自分の居場所を作って、安心できる、仲間意識みたいなのが、ありますね。

フリー宣言から丸三年がすぎたので、振り返っていきます。
大阪国際メディア図書館から離れて、新たな学びの場をつくろうと思った。
神戸で学校が作れないかと模索しながら、翌年4月に箕面で集まれる場ができた。
それは数か月で解消し、10月から尼崎で写真WSを企画開催したけれど、不成功。
翌年2018年4月から京都でカフェ&プレスを開催、9月からフォトクラブ京都。
現在フォトクラブ京都の月例会を開催していて、次につなげていこうと思う。

※掲載写真は、最近の鞍馬口地蔵尊、一枚ぽっきり撮影しました。

20191002
招待券が一枚手元にあったので、京都駅、伊勢丹の美術館「えき」へ行ってみました。
ショーン・タンの世界展、どこにもないどこか、不思議な世界が表出されていました。
あっ、と驚く感じではなかったのに、見ていくうちに、奇妙な感覚になっておりました。
秋、展覧会を巡るのも、いいなぁ、と発見することばかりです。

北野天満宮の瑞饋祭が昨日には行列の巡幸があったのを、すっかり忘れていました。
今日、御旅所へ行って、ずいき御輿を見て、スマホで写真に撮って、インスタしました。
雨が降りそうなのと、気分が乗らないので、撮影は残念して、エディオンへ行ってみました。
カメラのコーナーをみて、パソコンのコーナーからハードデスクの棚へと移動しました。

パソコンはこの前に買ったけど、やっぱり気になるのが記憶媒体、ハードデスク。
4テラバイトってのが出ていて18000円くらい、でも、もう今やSSDとかゆうやつですね。
先月480ギガバイトのを買って、パソコンに常設しております。
どんどんと内容が進んでいて、写真編集はできるようになったけど、映像編集ができません。

学校をつくるプロジェクト、呼びかけようと思っています。
現代表現研究所のページにイイネをいただいた方、名前は伏せますが、感謝の至りです。
すでに学校の概念は提起済みですが、今の時代のコンセプトにあわさないといけません。
1980年代以降に生まれた人たちといえば40歳前後以降の若い方のコンセプト優先です。

 
20191003
掲載写真は北野天神さんのずいき祭りのずいき御輿が飾られているところです。
神様への貢ぎ物、秋の収穫野菜を使って、献上の御輿がつくられているんですね。
ぼくは氏子でないから、直接には関係ないけれど、自分に近い祭りですね。
子供の時から、何かと、見て聞いて感じたお祭りでしたから。

朝から、マタイ受難曲をかけて、聴くともなく聴いています。
バッハの曲で、聖書から、キリストが十字架にかけられる場面の楽曲なのですね。
キリストが十字架にかけられる、遠藤周作の小説で、読みました。
いつだったか映画で見ました、キリストが十字架担いで石段を上がる光景を思い出します。

なにかしら気分が滅入っている朝には、こういう音楽を聴きたくなって、聴きます。
今朝の最初は、ラジオをかけたけれど、雑音に思えて、音楽、マタイ受難曲をかけた。
合唱の響きが胸に、心に、沁みてきます。
ベートーベンの荘厳ミサ曲、いくつかの作者のレクイエム、よく聴きます、救済を求めています。

20191004
昨夜は雷が鳴って雨音が激しかったけれど、いまは晴れ、風があります。
モーツアルトのカルテット、流しています、お昼前の時間です。
写真は、庭に咲いている秋海棠、今年は、天候の加減か、葉が小ぶりです。
のどかな日、のどかな時間、まるで静止した時間、気分良好、ですね。
現代表現研究所のページを統合しました、14日のちに消えるそうです。

先日、フェースブックのグループに、知り合っている人を誘いました。
現代表現研究所、フォトハウス表現塾、フォトハウス京都、いくつか。
誘いに応じていただけた方には、正直、感謝の気持ちでいっぱいです。
ひとがつながるって、生きていく糧になるじゃないですか、この気持ちです。
学校、生産、発信、交流、この四つのサイクルを自分のものにしようよ。

学校をつくるプロジェクト、新しい学校、安心して生きていく術を学ぶ学校。
彷徨する心、落ち着き場所がない心、精神とか魂とかいいます、心です。
体験的に、そういう場所を探していて、学校つくりプロジェクトを構想しています。
妄想力といった人がいらしたけれど、そのことが生きる力になる学びの学校です。
ぼくなら想像力、生産に参加、そういうことを発信する手段を、求めています。

 
20191005
こちらは京都、涼しくて、青空の天気で、過ごしやすい日となりました。
秋の風、なんとなく心に沁みる花の色、吾亦紅、漢字が出てきた、これです。
われもこう、という名前の、これは花なんでしょうか、詳細わかりません。
毎年、この時期に植物園の池のほとりに咲くんです、今年もまた、咲いていました。
たかだか花のことで、そんなに思い入れることもなかろうに、というもののお気に入り。
ピントが甘いのにアップして拡大してみて、わかりました、スマホカメラで撮ったやつ。

今日の昼は、熱いインスタントラーメン、ラ王の醤油味ってのを食べた、初めてです。
以前の中華そばを思い出すような風味がして、年寄むきじゃないかと思う。
昔懐かしい味、ということでいえば、チキンラーメン、丼にいれてお湯を注いで三分。
花の話や、食べ物の話をしている限り、無難ですね。
自分研究は、ちょっとヤバイなぁ、本心を露呈させないと話にならないですから。
テーマは、エロスですが、花や食品と同じか、それ以上の重さなのに、触れられない。

香港のデモ、覆面をしてデモに参加したら、一年以下の禁固刑だなんて、無茶苦茶です。
日本では、いまや香港デモのような抗議デモは、管理されていて、おこなわれないね。
半世紀前を思い出します、セクトの連中は手拭で覆面して、ヘルメットかぶってた。
火炎瓶、催涙ガス弾、水平撃ち、先日にはピストルが発射された、といニュースです。
日本で2008年だったか釜ヶ崎で抗議行動、暴動があったけど、報道規制しましたね。
セックス産業が、タレント産業が、スポーツ産業が、大盛況の日本国です。

20191007
今日は、先ほどから、映画音楽のCDをパソコンで聴いています。
いま、愛情物語をやっています。
サウンドトラック盤じゃないから、ジャズオーケストラの演奏です。
エデンの東、禁じられた遊び、太陽がいっぱい、これに続いて愛情物語です。
ジャズピアノ、そう、演奏することにあこがれたことがあった。
高校卒業して、ピアノを習いに行って、ゆくゆくはジャズをやりたいとも。

別のところで自分史ってのを書こうとしていて、昨日、1960年ごろ、を書いた。
中学生になるころから、高校生になるころ、60年安保からオリンピックまで。
ここでは詳しくは書きませんが、青春期で、人格形成するときで、未熟な頃です。
14歳から18歳まで、青春の真っただ中、思春期の頃を思い出します。
どこまで記憶を記録できるか、内面から、性行動から、こんなの書けるかなぁ。
いけるいところまで、いこうと思いますが、最後のチャンスですから。

不惑って40歳をいうんだと思うけど、その倍近く生きてきて、まだ迷っている。
むかしの一生の年月が50歳で、今は男80歳を越える、平均年齢です、もう10年だ。
40歳になるころのこと思い出します、でも、めっきり年寄じみたと思える昨今です。
70にして不惑じゃなくて、迷いです、人生まだ現役だと思うところにあるのかも。
戦いを挑む、今更ですが、まだまだやり終えた感覚なんてなくて、これから。
でも、終活を考えないといけない年代でもあるから、我迷う、ですね。

 
20191009
一昨年あたりから奈良の山の辺の道界隈を取材していて、ファイルを開けました。
音楽家の文字さんに連れてもらって、天理から桜井あたり、巻向から三輪神社へ。
載せた写真はその道筋で、2018年3月の撮影、自然歩道のような、道ですね。
日本の原像を求めている感じで、連れて行ってもらっています。
古代史といえばいいのか、自分のなかでイメージを作っている最中です。

自分が今いる場所、住まいの住所地ではなくて、心のある場所です。
これまでやってきた迷いもするけど安定している場所で、落ち着こうかな。
夏前から、新しい場所へ、それも含めひろげようか、と思ってきたところです。
でも、もう拡大していく年代じゃなくて、最後の詰めをしていく年代だと悟る。
孤立無援なんていっているけど、仲間気持ちでいられる場所で、いいと思う。

いったい何をしてるんやろ、とけこう真剣に思っていて、これが迷う原因かも。
今更ではなくて、かなり少年のころから、自分の居場所のことを意識していた。
なんか、宙に浮いたような感覚で、地に足が着かない、自分がわからない感覚です。
表現の対象となる現場で、自分の居場所が分からなくなる、哲学的ですかね。
今日もまた一日がはじまったところですが、迷いは迷いを生じさせますね。

20191012
台風が来ている、大きくて強い台風とか、甚大な被害を起こしそうな台風だといいます。
JRは新幹線がストップ、特急が、電車が、関西でもストップする予定です。
京都市内にいますが、市バス、地下鉄は動いていて、私鉄も動いているとの情報です。
昨日から金沢の家へいく予定だったのを、急遽延期して、明日からにしました。

日本の神々というタイトルの岩波新書を手元において、少しだけ読みました。
日本人としての精神、いや自分のツールとして、神イメージをどうとらえたらいいのか。
畏怖する、目に見えない、感覚的なものですが、かなり以前から、興味を持っています。
唯物論的思考から、唯心論的思考になってきているのか、と思うところです。

歳をとるということは、心的なところが拡大してきて、感覚と想像力が交じり合う。
肉体が衰えてきて、そのうち死滅してしまうことことへの、動物的な反応なのか。
まだ言葉を持たなかった我らの先祖が、それらに対処し、その後、神とか神社にする。
その根源のところを、探ってみたい、想像してみたい、そう思って今を撮る、ですね。

写真は、昨日、近所の天皇陵を撮ってみました、二条天皇陵と表記がありました。
平野八丁柳町、だれやか賢い人が住んでいる場所で、この人も天皇陵の傍です。
日本浪漫派の保田与重郎の住まいが鳴滝は音戸山、天皇陵の傍ですね。
そういえば亀井勝一郎なんて、転向して、日本浪漫派に参加するんですね。

 
20191014
先日、旧友と二か月に一回、朝ミーティングの場を設けていて、そこで朝食をしました。
朝ミーティングの目的の一つは、朝の食事をすることでもあります。
自分では、贅沢、たまにはいいだろうと思っていて、食べる記念に、写真に撮る。
すでに年金生活者で、日々の暮らしにそれほど余裕はありません。
だから、たまには、と思って、贅沢を、これで920円でした。
消費税があがって、20円値上がりしておりました。
今日はここまで、ありがとうございました。

20191017
昨日は姫路まで連れていってもらって、お城の天守閣へ登ってみました。
退職者連合の近畿地区のハイキングで、今年は兵庫県で、会場は姫路城前の公園。
労働組合の連合の配下にある組織で、ぼくは末端のところの会員、組織された人です。
経団連とか支配者の集団があり、連合とか労働者の集団があるのが、現状ですね。
労働者の側は、組織された人が、労働者の全体の何割くらいかなぁ、組織労働者。

組織された労働者は、いろいろと恵まれていると思えます。
未組織の労働者は、低賃金とか、保証がないとか、いろいろ不利なことがあります。
ぼくは、かって公務員をやっていたから、恵まれて組織労働者、退職後も組織されてる。
あまり、労働にまつわる話はしませんが、もっと底辺といわれるところからの保証が必要。
日本、ただいま不公平な世の中だと思っていて、もっと経済的にも平等にしないといけません。

今日は、とっても虚しい気持ちに見舞われています。
子供の頃、小学生低学年、淋しい気持ちに襲われていた記憶がよみがえります。
母は働いていたし、父も働いていたし、祖母がいて、よく一緒にいました。
母の愛情みたいなものに飢えていたんだと思いますが、愛をもらえなかったわけではない。
愛の飢えを感じる人間なのかもしれません、記憶をたどっていくと、そういう人なのです。

パソコンをハッキング(?)されていて、迷惑メールにですが、脅しのメールが届きます。
メールアドレスをかえたいけれど、長年使ってきているし、今更、変えられないなぁ。
どこから送ってくるのか、要約すると、お金を振り込め、ということだと思います。
無視しているから、数日おきぐらいにあの手この手でメールを送ってきます。
気持ち悪いですね、乗っ取られる気配がないでもないから、いやですね、気持ちが落ち込む。

20200303
コロナウイルスの蔓延で、パニック状態となっている感の現状、日本です。
ドラッグストアの棚からトイレットペーパーがなくなっている、売り切れです。
あの1973年だったか、石油ショックでトイレットペーパー騒ぎの再来ですね。
デマ、デマ、嘘、嘘、と報道しても、群集心理は、なにかに駆り立てられています。
こんなこと言ってたって、始まらないけど、なにかしら虚しくて、滑稽です。

テレビ、ネット、新聞雑誌、各メディアが情報を大量に放出しすぎの感です。
小さなことも、大きなことも、同じレベルでニュースとして巷に流れだします。
ピンからキリまで、なんて言い方しますが、世の中ぜんぶ丸ごと、ですね。
高尚な話から、下種な話まで、メディアのなか、混乱、錯乱状態だと思います。
批評しようものなら、異端者扱いされてしまいそうな気配です。

今週、奈良明日香のほうへ小旅行する予定でしたが、延期しました。
ミーティングも延期になったし、大から小まで、人が集まるところが封鎖です。
なんとゆうことか、そこまでやらないと、政権が維持できないのか、と思います。
べたなところで、食べるものさへ、平常に確保できれば、いいのだけれど。
ぼちぼち家庭で買い占めが始まっているようにも、感じてしまいます。

20200304
コロナウイルスの影響で、あっちもこっちも、日常とはちがう対応ですね。
世界がぺっちゃんこになってしまうかと思うほど、モノが売れてないとか。
いやいやトイレットペーパーとかマスクとか、めちゃくちゃ売れてる、店頭にない。
いまどきは、情報源がテレビだけじゃなくて、SNSとかすごい情報が流されています。
かってトイレットペーパー騒動があった1970年代半ばとは、生活様式が変わっています。
それなのに、人の行動って、浅はかというより、デマに踊らされすぎですね。

20年前の2001年に「フリースクール京都」設立構想があって、それを振り返っています。
それから「カフェ&プレス」の話は「総合文化研究所」の設立のあとです。
「学び」「生産」「発信」「交流」この四つの領域を考える、その先頭が「学び」です。
フリースクールって、そのころ流行ってた気がします、それの京都バージョンですかね。
最近「京都自由学校」の存在を知りまして、これからいろいろ話を聞かせてもらいます。
この20年間に、資本は一層集中し、ネット社会になり、SNS時代に入って久しいです。

社会の構造が変わり、経済の構造が変わり、政治の力関係が変わってきています。
ところが社会維持のシステムは、旧態依然としたシステムです。
そこに齟齬が生じていて、雪崩現象で新しいシステムへと移行していくのではないか。
これが2001年に想定した2020年の状況だったわけです。
マルシェが勢力をもってきたし、共同の場が増えたし、貧富の差が激しくなる中です。
具体的に、どうなのか、を検証していくチームが必要だと思っています。

 
20200306
そこは儚い栄華の跡地、自然の石が残っていて、これ名古曽の瀧址、史跡です。
ここへは何度も行っています、来ています、そのたびに写真を撮っております。
嵯峨天皇が在位中でしょうね、嵯峨院ですか、嵯峨御所ですか、ここは別荘ですね。
その後、大覚寺が創建されて、御所の跡地は、宅地になっていて、これより北側です。
大沢の池がこの石組みの前にひろがるんですが、そこから市中が見えます。
当時でははるか向こうに平安京の市中が見える、ちょっと高台になっているのか。

京都市内から、木辻通りを西に来た、と聞いたことあるんですが、木辻通りから花園へ。
花園は双ヶ岡の南がわ、そこから西へ、西へ、と天皇の行列は、広沢の池のまえを通った。
どれくらいの時間をかけて、市中から嵯峨へ、いったんでしょうね、3時間ほどかかったのか。
御所から10キロくらいだと思うんです、大覚寺の場所まで、どれくらいの頻度で通ったのか。
なにか、いろいろ想像してみると、次次と疑問が出てきますね。
歴史的旧跡ですが、だから、どうする、という課題が、現在、ぼくにも世の中にもあります。

嵯峨釈迦堂、清凉寺へいくと、光源氏のモデルとなった方が住んだお堂があります。
現在の大覚寺から嵯峨釈迦堂の一帯は、特別風致地区に指定されていて、昔の儘が少しあり。
嵯峨釈迦堂の西側に精神病院、精神科の病院が、ぼくが高校の時からあります。
北嵯峨というあたりは、その当時、民家は農家が点在していた程度だったと思います。
そこから清滝、愛宕山、と道が続いていくのですが、飯盒炊爨のときに通った道です。
そこの精神科病院は、高校の頃、ずっと世話になろうかな、なんて思っていましたよ。

20200308
<現代表現ワークショップの場>
別枠でも書きだしたけど、現代表現ワークショップの場を作ろうとの話です。
作家になっていくための、作家を志向する人が集まって話し合う場、です。
作家と言っても、作品制作する人と、評論活動する人をセットにします。
そういう話し合う場、語り合う場、ワークショップの場を、京都で開催します。

全国版です、地域限定ではありません、距離的に遠くても、京都に集結、って感じです。
まあ、年老いた三人が集まって、そういう理想的な場を創出しようと話しているわけ。
スマホの時代、SNSの時代、静止画も動画も、スマホを使って、パソコンを使って。
こういう時代に、新たな価値観をつくる枠組みを、ワークショップという形式で集まろう。

 
20200311
沈痛な面持ちで今日を迎えております。
東日本大震災から九年が経ちます。
まだまだ再建途上のようですし、原発はまったく解決していません。
憂えていても仕方ないですが、みなさん、がんばってほしいと思います。
よろしくおねがいいたします。

20200315
積もり積もった記憶のなかを消去していきたいと思っているところです。
億劫だった書籍の整理も、引き受け手が現れそうなので、放出する書籍を並べてみました。
これはその一部ですが、ごみの袋にいれて捨てようと思っていたところでした。
いや、これまでにも何度か、ごみ袋で出したことがありますが、実はそれは虚しいです。
ぼちぼち欲しい人にあげたりしていましたが、こんどはかなり整理できそうです。

文庫本やら新書版やら小説の単行本、古いのやら新しいのやら、これも整理したい。
それから額装の作品を所有しているけれど、これも整理したい。
フォトフォリオとか高価で買ったのもあるけど、これも整理したい。
あとは、あたらしく、思いや考えをまとめていくのに、必要なものだけ残します。
さて、何を残すのがいいか、過去の実績は消去して、新しい領域を開拓するために。

20200320
ざっと写真評論やアート評論など300冊ほどを手放すことにしました。
貴重な書籍もあるし、まだ資料として使うかも知れないと思う本もありました。
でも、迷っていたら手放せないから、貴重本も含めてもらってもらうことになりました。
複雑な気持ちですよね、やっぱり、愛着のあるものばかりですから、気持ちは複雑です。
まだまだ、思想書、小説、そのほか、文庫、新書、これらがあるけれど、どうしようか。
あと残った命の長さがわからないから、迷うわけです。

これまでにも数回大整理して、手元から資料がなくなり、またごみとして捨てました。
終わっていく気持ちってゆうのは、いい気分じゃないですね。
でもそういうことに慣れていくことが、残された時間の過ごし方かも知れません。
あたらしいことをはじめようと思っています。
でも、どこまでできるのか、体力、気力、影響力、いまさら無理なのかも知れません。
なにより心の落ち着く場所を作っていかないと、いけないなと思っています。

すべて金だとは思いたくないのです。
価値観として、お金がなくても価値あると思える価値観がほしいわけです。
それがすべて金優先となると、とっても虚しい思いになるのです。
ぼくの持ち金ってしれてる、老後の施設に入る金が準備できないレベルです。
こんな人が、けっこうたくさんいる世の中で、金優先だけでは困ります。
あたらしいことをはじめようと思っています。

 
20200322
桜が咲きだすと、気持ちは浮き浮き、ほんのりセクシュアルな気分になります。
とはいっても、もう老体だから、思うようには瑞々しくないのが残念です。
色艶物語を構想して文章に落としていく作業を続けてきています。
壮大に、大きな物語として、全体を構想していて、その部分を埋めていきます。
まるでジグソーパズルみたいな、セックスゲームを仕掛けているところです。

ペンネームでホームページにて読めるようにしているところですが。
これの行く末を思うと、どうしたものかと、思っている次第です。
手元にある書籍類は、整理整頓、人様の手元へ届ける手配ができました。
さてさて、ネット上の執筆物については、自己責任で処理でしょうね。
現在進行形、まだまだ構想は拡大していくことになります。

もう半世紀以上も前の書籍、主には文学で小説や評論ですが、これをどうするか。
捨てる捨てると言いながら、結局捨てずに手元にある高橋和巳、堀辰雄、太宰治。
初期の頃の大江健三郎氏の小説や評論集が手元に残っています。
シュールリアリズム系の貴重本は、昨日、人の手に渡ったから、一安心です。
引き受けてくれる人が現れるまで、もう少し待ってみようと思います。

20200326
桜の季節になって、あちこちで桜が開花し始めて、写真を撮りにいきます。
掲載の桜は、京都御苑の桜ですが、立派な枝ぶり&花です。
桜を追いかけて、写真に撮る、この間は、この撮影に集中できるから楽です。
スマホで撮った写真を、ブログやSNSに載せていますが、デジカメでも撮っています。

写真と美術関係の書籍類をまとめて、荷物をクロネコに集配を頼んで、処理しました。
まだ文学系、小説や単行本、文庫本などが残っているけど、大きな処理はすみました。
これまでにも何度か、処理していて、残されものを大半処理して、清々した気持ちです。
この気持ちに至るまでには、迷いや葛藤がありましたけど、克服しました。

 
20200328
桜が綺麗に咲きだして、思わずスマホで写真を撮ります。
最近は、無題というタイトルでインスタグラムに雑木林の写真を連載しています。
このインスタグラムがぼくのパソコンから見れなくなっているんです。
スマホからだと見れて、写真もアップできるんですが、どうしてだか見れない。
正方形画面はお気に入りなので、インスタグラムで作品を作りたいと思っています。
でも、引きぎわなのかも知れないな、とも思っているところで、108枚アップで中止。
今日105枚目をアップしたところです。
あと三日、ちょうど3月末で終えられるから、そこが切りですね、そうしましょう。

今日も元気で過ごしていきたいと思っています。