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最新更新日 2021.9.18
気まぐれ日記
中川繁夫:著

 seesaa きままにっきblogに連載の文章

気まぐれ日記
-全-

 2021.1.2~2021.2.7

 

-1-
おはようございます。
プライベートダイアリーなんて英語をカタカナで書きましたけど。
どこかで個人日記のページを作りたいと思って、ここが使いやすいかと。
年号について、令和という和暦名は、ほぼ使いません、西暦を使うことばかりです。
でも、昭和に生まれて、平成を生きて、令和を体験してる、この区切りを意識します。
頭の中は西暦ですね、歴史を紐解くのに、西暦でないと出来事の前後がわからない。

まあ、どうでもいいことですが、プラーベート、個人のことについての言及について。
ぼくの場合、フィクションとはいいませんが、家族情報はほぼ書きません。
自分の気持ちの深くも、ぼやかすばかり、感情は、あまり書きません。
最近は世の中のこと、政治や経済のところには、あまり触れません。
自分の本音のところも書きません、あまり知られたくないという気持ちもあります。
今年は、そういう壁を壊していくのも、いいかなぁとも思っています。

-2-
今年は、嬉しいことばかりを考えようと思っているところです。
嫌なことは、もういいから、なんでも良い方に向けて考えよう、です。
コロナがいってしまったら、研究会に参加する、というメッセージを貰いました。
新年早々、とっても嬉しい気持ちにさせてもらって、ありがとう、です。
新しい人が来ないなら、もうやめようかと思う日々、でもアンナがくるから、と。

街角というか、少し大通りから入ったところにあるカラオケとホテル。
ホテルの名はさくらホテルと書いてありまして、いわゆるラブホテルです。
けっこう昔からあって、なにかしら、懐かしい、でも、利用は一回だけ、です。
都会を語る中、ラブホテルの存在は、それなりに意味あること、そういうことです。
なんだか人間の営みを、いろいろと考察して、小説に仕立てたいと思うところです。

-3-
お正月気分なんてあまり感じないんですが、お正月だけご開帳される仏像さん。
よくお寺の秘仏だとか、人目に触れないようにされている仏像があります。
そんなにもったいぶる必要があるのかなぁ、と思うことしきりです。
隠す、秘密にする、隠された処がある、秘密にされた処がある、ブラックボックス。
見えないものを見たがる習性が人間にはあるのでしょうね、これですね。

好奇心というか、日常でないことに出くわすと、ドキドキするじゃないですか。
生死にかかわる処で、生の初め、生の終わり、その間が浮世ということになる。
浮世に生きていて、心が震える、感動する、それを求めているのでしょうか。
浮世絵の世界は、やっぱり春画が主流でしょうね、生きる栄養素ですかね。
仏像もそういう世界につながる表象物なのでしょうか、生きる栄養素です。

-4-
近くにも天皇陵があって、通りがかったときには、写真に撮っています。
いいえ、最近は、わざわざ天皇陵を撮ろうと思って、出かけることも多いです。
シンボリックなモニュメントの感じで、市中の周辺地に点在する天皇陵を撮っています。
整備されたのは明治以降だよ、と誰かが言ってくれて、そういうものか、とも思います。
宮内庁ってのがあって、そこが管理しているんですね、管理システムがあるんでしょうね。

ええ、朝から送られてきた会報を、少し閲覧いたしまして、組織の中にいたころを思い出します。
国家公務員からいまは会社員になっている全国組織ですが、それなりの大きさんには驚きます。
拠って立つところ、というのが人が生きる上では、大切なことだと考えています。
そういう拠って立つところという処を、ひとは求めている、との思いで、場所を確保します。
一か所でいい、心置きなく、信頼関係で結ばれた、拠って立つとこと、いろいろと考えます。

-5-
今年はもう2021年、令和3年、1946年生まれのぼくは75歳ということになる。
自分で、年老いているのか、子供のままなのか、いや肉体は老体なんだと認識。
でも精神というか、心は、年齢というのは関係ないなぁ、とも思ったり。
としても経験を積んできているから、その分、駆け引きをするようになった。
そこで思うことは、もっとフラットに、淡々と生きれたらいいなぁ、です。

たぶん、コロナで生活様式や、仕事の在り方とか、大きく変わるんやろなぁ。
ぼくなんかは、もう余生生活だから、おおきな変化はないと思うところです。
まだこれから人生を作っていく人は、これまでの価値ではない社会を体験していく。
それぞれ、自分の置かれた環境と価値観で、自分を構成していくから、心配ない。
ぼくなんかは、どういう時代区分のなかに置かれる人生なんやろな、と考えます。

世の中とうまく交われなかった人生だったなぁ、と振り返ります。
いまなら、いろいろ病名がつけられて、区分されて、檻に入れられます。
でもぼくは、野放し状態で、ふらふらしながら、生きてきた気がします。
人の内面といっても、自分のことしかわからない、他者のことはわからない。
わからないままでも、包まれているという感じで、心が安定すると思っています。

-6-
今日の日付は2021年1月8日金曜日です。
写真は昨日の朝ミーティングでたべたモーニングセットです。
なんどもこのモーニングセットの写真を載せているけど、税込み920円です。
話題は考古学文学そのほか、二時間ほどミーティングして、嵐山へいきました。
嵐電に乗りたいというので、嵐電で嵐山まで、乗車賃220円です。
嵐山の福田美術館の券があるので招待券で入館、閲覧のあと喫茶しました。
旧友、高校の時に知りあって、それ以後、何十年間かのブランクのあとの再開です。
かれこれ10年以上、老年になってきて、いろいろ話をしていただける旧友です。

 

-7-
寒いです。
コロナウイルスが蔓延してるかもしれないけど、マスクして外出します。
先日、嵐山のある福田美術館へ行かせてもらいました。
招待券をいただいたので、無料で入館できました。
写真を撮ってもよいというので、数枚、館内風景を撮らせてもらいました。
寒い日でしたし、コロナのこともあるので、観光客はまばらでした。
はやく以前のような日常の生活に戻りたいですね。

 

-8-
窓からの眺め、今朝の光景です。
北陸地方は大雪で、大変なことになっているけど、京都の朝はこれです。
もう、今の時間11時、すっかりとけてしまって、雪はありません。
このブログは、ツイッターとフェースブックに連動しています。
記事をアップしたら、その編集画面から、転送できるようになっています。
でも、連動していないブログもあって、アドレスをコピーして貼り付けています。

フェースブックに転送しているのは、面識ある方への告知のためです。
それから自分の発信した記事を、一か所にまとめることもあります。
不特定多数のほうへ発信するのと、面識あるひとへ発信するのと、気持ちが違います。
無責任になれるのは不特定多数、面識あるひとへは、内容を吟味します。
連動していないブログは、転送しないでおくのがいいか、と思っています。
無責任な時代の、無責任な表現、でも誹謗中傷はいっさいしません。

-9-
もう20数年も前、まだフィルムで写真を撮っていたころの写真。
スキャンしてデジタル保存してあったのを見ていて、花の写真をピックアップ。
そのうちの一枚が、バラの花、小さな花が群生するバラ、田舎のフェンスに生えていた。
懐かしい思いと、花のイメージに惹かれて、再保存して少しイメージを変えてみた。
別のブログで「エロスについて」書きだした挿画としてピックアップしたのです。

コロナ禍、2021年になって、昨年には終息していると思っていたのに、一層の蔓延です。
昨日、京都にも非常事態宣言がだされ、夜の会食は午後8時までとの制限です。
ぼく自身は、そんな時間に外食することもないから、関係ないみたいですけど。
なにかと気分が重いです。
昼間の外出にしても、散歩するにしても、気を遣うじゃないですか。

それと、もう、時代遅れな自分がいるなぁ、と思ってしまう日々です。
パソコンを使い、SNSを使い、ブログを使い、ホムペを作って自分を発信している。
マイナーなところで、いろいろ発信しているけど、これが時代に乗っていない。
自分でそのように想定しているんですが、今年に入っていっそう顕著です。
淡々と自分のやっていることを継続していくしかないのですけれど。

-10-
昨日からコロナ自粛がおこなわれている京都の街かどですが、人出は少ないです。
密を避けるために人混みへは出向いていませんが、祇園石段下には、ほぼ人は無し。
といいながら写真を撮り歩いている自分を、申し訳なく思っています。
昼にはくら寿司で特上鰻丼と茶碗蒸しを食べ、その足で市中へ出向いたわけです。
祇園新橋からバーがひしめく飲み屋街へと取材して、最後が祇園社というわけです。

まあ、まあ、写真を撮りためているところです、京都の街かど、神社仏閣。
スマホで撮ったここ数年の京都を、アルバムにアップしたところです。
嵯峨野慕情と京都物語ですが、まあ、まあ、表面を撫ぜているだけ感が強い。
昨日は五番町界隈、今日は祇園新橋界隈、写真は撮ることからしか始まりません。
明日は、どこへ行くか、決めていません、気が向いたら出かける感じです。

-11-
昨日からコロナ自粛がおこなわれている京都の街かどですが、人出は少ないです。
密を避けるために人混みへは出向いていませんが、祇園石段下には、ほぼ人は無し。
といいながら写真を撮り歩いている自分を、申し訳なく思っています。
昼にはくら寿司で特上鰻丼と茶碗蒸しを食べ、その足で市中へ出向いたわけです。
祇園新橋からバーがひしめく飲み屋街へと取材して、最後が祇園社というわけです。

まあ、まあ、写真を撮りためているところです、京都の街かど、神社仏閣。
スマホで撮ったここ数年の京都を、アルバムにアップしたところです。
嵯峨野慕情と京都物語ですが、まあ、まあ、表面を撫ぜているだけ感が強い。
昨日は五番町界隈、今日は祇園新橋界隈、写真は撮ることからしか始まりません。
明日は、どこへ行くか、決めていません、気が向いたら出かける感じです。

 

-12-
先日、今年になって初めて、祇園新橋、白川の巽橋の様子を見に行きました。
コロナウイルス蔓延で緊急事態宣言が発出されて、観光スポットはどうなのか。
ひとがいませんでした。
昨年末あたりには、観光スポット、人が結構いっぱい居たのに、このありさまです。
飲食のお店が、打撃を受けているという報道ですが、どうなるんでしょうね。
生活していくのに、お金がまわらないと、生活ができなくなるじゃないですか。
ぼくなんかは、もう年金生活者だし、物価の値上がりには困っているけど、淡々です。
でも、まだ経済活動のド真ん中にいる人たちは、悩み多いと思います。
がんばれ!、です。

-13-
足腰の病を治してくれるという護王神社へふらっといってきました。
カメラをもって、写真を撮る目的で、神社を巡ることが多いです。
なにを撮るかという問いで、神社へ行けば被写体がある、という答えです。
それから、日本、神の国、というイメージを思考しているのですが。

具体的なイメージとして、神社が、その境内が、造形物があると思えるのです。
ほんとうは、精神的な、ひとの内面のことなのですが、内面なんて写らない。
写らないから、見て、体験を追体験して、思わせを醸し出させる、ということか。
神社の境内を写真に撮ってもお咎めはないけれど、肝心な神さまは写らないです。

-14-
はじめて一眼レフカメラを手にしたのが1975年でしたから、45年前ですね。
写真を撮るというのは、小学生の頃、子供用のカメラを買ってもらって、撮りました。
中学生の頃には、八ミリフィルムをいれて撮る薄っぺらいカメラで、撮りました。
二十歳頃は、ラビッドフィルムで、自動巻き上げのカメラで、撮りました。
一眼レフカメラは、ニコマート、その後ニコンに改称していくカメラで、フィルム。

文章を書いていたのは、小学生の頃からですが、日記をつけだしたのは中学二年生。
いまも、このブログで書いているような日記、それの原点は、そのあたりです。
作品を意識しだしたのは高校二年生、個人詩集を執筆編集発行、これが最初です。
同人誌で小説を発表したり、その後には個人情報誌を発刊したりして発信しています。
現在も発信することを手がけています。

-15-
身の回りの物を捨てる、手元から手放す、このこと断捨離というそうです。
いま、流行っているのか、ぼくもその気持ちになって、身の回りの整理をしています。
自分との葛藤がかなりあって、ようやくこの年齢になって、その気になりました。
死んだらおしまいよ、そのまえに身の回りを整理して、残った家族に迷惑をかけない。
なんだか、でも、いくら見積もっても、あと何十年と生きてられないわけです。
あと10年、生きてるかもしれないし、生きていないかも知れない、そう思っています。

過去が長く長くなって、未来が短く短くなっている、と実感すると、やるせない。
やり残していることが、いっぱいあって、日々、それをやっている、という感じです。
悠々自適なんて、全くなくて、こころの中は血みどろの戦い状態、なわけです。
パスカルのパンセに、そんなことが書いてあって、それを思い出しています。
だいぶん身の回りの整理ができたところで、なにもなくなるのは淋しい気持ち。
まだ、からだは、生きていて、欲求があるから、なんでしょうね、これは衰退していく。

 

-16-
毎月の定例会として<現代写真の研究会>を昨年から開催しています。
これまで人が集まる場として例会とか研究会という名前をつけています。
特別にタイトルにこだわるわけではなく、出たとこ勝負で、話題がでます。
かってあった形式では、研究するテーマが決まっていて、それに基づいて話す。
ここでは写真ワークショップの名称で、月一回の集まりを呼びかけました。

もうかれこれ4年になろうかと思うけれど、ことごとく成熟しておりません。
なにが悪いのか、どこが悪いのか、わからないまま、現在に至っています。
でも、固定メンバーといったらいいのか、四人が、集まっています。
ほかにも数人いらして、フルメンバー、現在のところ七名です。
喋り場といえばいいのか、語り場といえばいいのか、話をしよう、です。

-17-
作品制作は、完全に感性の時代に入っていると思います。
制作技術というかスキルは、デジタル領域でパソコン操作が主です。
旧態の、絵の具を使う絵画や手作り写真、フィルムで作る映像が、もう旧態です。
これから、あたらしい年代になって、いよいよデジタルによる制作が主になります。

いえいえ、旧態も残っていきますけど、これは保護されるべくメディアです。
ぼくの年代なんかは、旧態メディアで大半を過ごし、新しいメディアで残りを過ごす。
乗り換えられない人も沢山いるわけですが、30年先には、もう新メディアです。
古典芸術というか、古い道具を使った芸術作品、ということになるんでしょうね。

-18-
冬の季節には、雪が連想されますが、京都にはあまり雪が降らないから、冬景色は枯れた草。
なるべく自然の方へと思う気持ちと、街の方へ、猥雑な方へ、という気持ちが綱引きします。
自分表現ということでいえば、それらの総合だから、自然風景に街角風景、それに猥雑風景です。
区分して、それぞれにイメージをつくって、そのイメージに合った画像を表出します。
文章は、その内容を想起させる表面だから、これもイメージに合わせていきます。

怪人二十面相なんて、江戸川乱歩の読み物にありましたけど、内面は二十面相ですね。
遠藤周作さんは、エッセイのなかでだったと思うけど、内面二十面相だ、と書いていました。
たしかに、二十面あるかどうか、十一面かも知れない、いずれにしても複数の面があります。
表に出せる顔と出せない顔があって、各人、それぞれ、その出し方にもいろいろあります。
ぼくは表現者をめざしていて、できれば隠さない方へと思考しているところですが。

-19-
朱の色が眩いですね、下鴨神社の楼門、輝いています。
なにかしら、朱色というのは心を色艶に染めていく気配がします。
巫女さんは白に朱の袴を穿いていらっしゃる。
白と朱、いいですね。

2021年の1月が今日で終わります。
正月から短いようで長かったようにも思えます。
午後に数時間の外出をしますが、人と会わない外出です。
バスを利用してそれなりに人の気配する処へいきますが、無言です。

コロナ禍、自室にいて、ただの動画を見ることが多いです。
アダルト系ですが、無料なので、今の時代を満喫しています。
昔の頃には秘密にでも、こんなのはなかったのに、今の時代は、です。
これからも、ますます、鮮明が映像が、見れるようになりそうですね。

-20-
緊急事態宣言の延長がとりだたされていて、ひと月ほど延長になる気配です。
なかなか、思うようには収束していかない気配ですが、終わることはないのかも。
ワクチンを接種すれば、ことな感染がなくなる、というわけでもないと思いますが。
詳しいことはわからなくて、ぼく自身、接種するかどうか、迷うところです。
インフルエンザはやってないから、コロナウイルスもやらないでもいいかと。

いずれにしても、気持ちが落ち着かなくて、うっとおしい気分になります。
いまは、勤めはしていないので、自由人といえば自由人なので、三蜜を避けています。
まったく外へ出ないかといえば、そうではないけれど、マスクをして、無口です。
自衛しているけれど、万一感染したらと思うと、それは困ります、死に至るから。
まだまだ、コロナ禍が続く、明日、節分で、取材に出かけようか、迷います。

-21-
達磨寺の達磨さん、節分の今日、本殿が公開されていて、その前の廊下です。
コロナの緊急事態宣言が、2月7日までのところ3月7日まで延長されました。
解除されたからといって変わるものでもなし、延長されたといっても変わらない。
いずれにしても経済へのダメージが大きいようで、生活者のレベルで困窮します。
大きな社会変動に翻弄されてしまうことになりますが、がんばろう、です。

節分は節目の日なんですね。
豆巻いて鬼をけちらす、福を呼ぶ、豆まき、いつから始まったのか。
縁起担ぎといえばいいのか、運気が向いてくるように、願っています。
こんな神頼みてきなことを言うようになったのも、年齢のせいかもしれません。
迷信をうのみにするわけではないですが、精神の営みに興味津々です。

生きる奴は生きる、死ぬ奴は死ぬ、そう思って、自分は死なない、と思ってる。

-22-
今日は2月3日、節分の日は昨日でしたが、壬生寺へ行ってみました。
例年、たくさんの人でにぎわうこの時期ですが、今年は閑散としておりました。
コロナウイルス蔓延で、様々な行事が取りやめになっているところです。
名物のほうらくのお店も、お客になる人がおられない様子でした。
商売あがったり、というところでしょうね。

少しずつ感染者の数が減ってきていて、このまま衰退していけばいいですね。
自らを律して、外出はしますが、人とは触れないように、飲食はしないように。
でも、なんだか、淋しい、虚しい、そんな気持ちに見舞われます。
自室で文章を読んでいて、プロレタリア文学に触れて、懐かしさがよみがえります。
文学の在り方で、それには賛同しない派でしたけど、私小説にも賛同していませんでした。

-23-
今日はお天気も良く、暖かかったので、嵐山へ行ってみました。
人がいない、コロナの影響、緊急事態宣言の最中だからでしょうね。
人がいないから、お店もシャッターを降ろしていたり、が多かったね。
開けている店は、店員さんがいるけど、かわいそうな気がしてきました。
まだしばらく、閑散とした殺風景な風景が続くのでしょうね。
ぼくとしては気の毒としかいいようがありません。

-24-
久しぶりに現代人をしてみました。
吉野家で牛鍋をたべて、支払いはペイのバーコードでしてみました。
牛鍋に卵とごはんのスタンダードで、712円だったかと思います。
スマホを使ったり、カードを使ったり、でも食べることは生きる必須条件です。
外食は高くつくから、自炊で、昼はうどんを中心にして、費用は100円くらい。
そうはいっても、たまには外食して、気分を転換して、ストレス解消ですね。

-25-
今日は久々に1970年頃の写真か置かれていた状況を話すことができました。
個別というより大雑把な世界の状況から、写真の状況へと話を進めました。
レクチャーですが、この枠組みで話しするのは初めてで、聴いてもらえて光栄です。
自分もまだまだ分析をしなくてはならないから、いい勉強をさせていただきました。
ありがとうございました、感謝。