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最新更新日 2022.2.5
えろすにっき
中川繁夫:著

 ウエブリブログに連載の文章

えろすにっき
-2-

 


202110.03
夢を見て、目が覚めて、虚しい気持ちになることが、多いです。
今日は2021年10月1日、月が替わって、過去が少しずつ過去になっていきます。
気持が、少しずつ遠のいていくのがわかります。
時が解決するとは、そのとおりだと思います。
もうたぶん、戻るところ、戻れる時は、過ぎてしまったと思っています。
柘榴、ざくろ、なんとも不思議な実、割れると不気味な感じになります。
紫式部の墓の前横に柘榴の木があって、実がたくさんぶら下がっていました。
少し割れたのがありました。
鬼子母神さんが、柘榴を食べた、子供を喰うかわりに柘榴を齧った、とか。
でもぼくは、柘榴の実は見るばかりで、齧ったことはありません。
巫女さま、少しの間でしたけど、夢と希望をいだかせてもらえて、感謝します。
いくつもの偶然がかさなってきて、近いところにまで寄せてきました。
ここから、と思ったところで、終わる感じになて、そこから遠のいてきました。
ええ、もう、いいんです、内面の感情の高揚から退いていくときになっています。
だから、もう、引くほうに向いていますから、あとは一抹の未練です。


難波宮の跡地を探索するため、大阪の梅田の食堂街で、お昼を食べることにしました。
天丼を食べたいなぁ、と思っていたけど、天丼やさんはJRとは反対方向になります。
なので梅田食堂街にはいって洋食の店へはいろうかと思ったけれど、混雑していました。
新喜楽という天ぷら屋さんがあったので、懐かしさいっぱいで入りました。
天ぷら定食を注文、予定より予算オーバーだけど、まあ、懐かしお店、しやないかぁ。
まだ昭和の終わりごろでした、主婦友達4人と一緒に辻久子さんのコンサートに行きました。
このとき、夕食を摂るため、ぼく含め5人が入ったお店がこの新喜楽でした。
ご婦人方、天ぷら定食にたいへん感動されたみたいで、その後にも話題になりました。
そのご婦人方のお二人が、もう他界されています。
そろそろそういう年代で、ご主人を亡くされたご婦人、夫婦そろっているのは私たち。
巫女さまが、死ぬことを考えるようになったといったけど、死にたくない、とおしゃった。
もう、ぼくは自分で死ぬなんて考えていなくて、生きたい、生きたい、と思うのです。
でも、寿命ってのがあって、ぼくなんか、もう後期高齢者だから、そんなに長くない。
そう思うと、死に至るまでの自分を、どう扱っていけばいいのか、いやはや鬱になる。
中学二年生、14才頃に死ぬことを夢のように思ったけど、いまは夢ではなくて現実なのだ。

 

むかし、といっても1977年のことですが、大阪取材最初に、環状線のホームを撮りました。
京橋駅のホームで撮った写真でモノクロ、後ろ向いた女性が写っていました。
そのころ京阪電車の特急で京橋に降り、環状線で天王寺まで行くのです。
天王寺界隈、あれからすっかり変わっていますが、そこから飛田界隈へ向かいました。
堺へ行く道をこえると、釜ヶ崎地域へとつながっています。
商店街を通り抜けていくと、三角公園に出て、それがぼくの釜ヶ崎の第一歩でした。
けっこう硬派を自認していたのは、70年安保の流れの中で釜ヶ崎を見ていたからです。
そこにはひとりひとり、生きてきた痕跡と生活がありました。
八代亜紀さん、舟歌が流行ったのは80年ころだったか、ぼくの心に沁みました。
道に倒れて誰かの名を呼んでしまったぼくは、どうしようもなくその場を離れました。
ひとりで大阪へ行った最初は、中学3年生の夏でした。
阪急電車で梅田まで行き、環状線で新今宮まで行って、通天閣を目指しました。
ジャンジャン横町を通り抜けていきましたが、異様な光景に見えた風景でした。
1962年かなぁ、そのころの釜ヶ崎は見ていませんけど、記憶にあります。
大阪取材1977年~、釜ヶ崎へ入っていったぼくには、中学の日の記憶が鮮明でした。


ひとりたび、一人旅、同行者なしの古跡巡りです。
だんだんと辺鄙なところへいくので、気持ちが萎えてきてしまいます。
都会の雑踏の中にいても孤独感ですが、鄙びたところはいっそうの孤独感。
巫女さまと古跡巡りができるかなぁ、との思いも空想に終わってしまいました。
なにかのカン違いで、いっしょに巡れるかと思ったところで、終わってしまった。
お会いした時のことを思い出し、言葉を反芻しながら、やっぱりぼくのカン違い。
親切が仇になる、近寄せないでいたのに、近寄せてしまって、足を滑らせました。
気持が深くに絡んでしまったので、危険だと思いながら、やっぱり終わったのです。
これでいいのだと思うけれど、やっぱりまだまだ未練たっぷり、虚しさです。
感傷旅行、センチメンタルジャニー、そんな甘いもんじゃないです。
でも、ありがとう、と言わないといけないと思っています。
蔵書をお渡しして、もっとプライベートなのをお渡しすることにしました。
でも、そこまでのことにはならなかったので、それはそれで、いいのだと思う。
ぼくは揺れ動いて、失うことになならない、と思っていたけど、やっぱりダメでした。
巫女さま、日向の巫女さま、そう思うようになった矢先の、崩落でした。


昨日、紫香楽宮跡へ行って、その頂上にあったお宮さんを撮りました。
あとで調べてみると、紫香楽宮があったのは、ここから三キロほど先みたい。
そこまで歩いていくには、ちょっとしんどいなぁ、これは寺院の跡みたでした。
まだくわしい内容はわからないけど、平城京からここに移ってきてまた平城京に戻った。
ここが、都として存在しかけたけれど、都にはならなかった、のか。
平城京の再建が進められているけど、二度目の大極殿の跡がありました。
都があっちいったりこっちいったり、平安京になるまで変遷があるんですね。
いまは東京が都になっていて、長岡京から平安京、そして東京、ということです。
なにか歴史をひもとくと、天皇のことが中心になっていて、日本の中心の存在ですね。
最近です、そういうことに気づいてきて、これでいいのか、と思うところです。
でも、このなかのひとりに自分がいるわけで、歴史のなかの構成員でもあるわけです。
長い歴史のそれぞれに存在した、いまや無名の人の部類に、自分もいると自認します。
生きてきた人々、とんでもなく膨大に人々が生まれて死んでいった歴史のいまです。
浮遊している虫けらのような存在でしかない自分、その自分の内面って、宇宙です。
さあ、きょうは、このあと、なにをしようか、迷うところです。


肌寒くなってきた朝です。
カーデガンでも羽織ろうかと思うもどこにあるのかわからない。
彼女が入院していて、身の回りのものが何処に仕舞ってあるのかわからない。
明日ぐらいに退院してくると思いますが、ひとり生活は、なにかと単純なものです。
世間から見たら、もう老夫婦なんやろな、高齢者世帯に入るのか、おもうと嬉しくない。
巫女さまが、降臨されてきて、神のお告げみたいな、禊をしていただけた。
そう思ったところで、遠くへいってしまわれる、雲隠れというのでしょうか。
高齢者になって、空想に時間を費やせるようになって、いろいろと空想します。
近いところへこられたので、ぼくは目を輝かせたけれど、それはカン違いでした。
少しずつ遠くの方へ、行きつ戻りつ、霧の中、闇の中へと消えていかれます。
そのひとの視野にみえている心の光景は、いったいどのような光景なのか。
ポツリポツリ、言葉を紡いできたその背景には、ぼくには空想するしかない。
歴史の出来事と、そのひとの生きたことと、まるで物語のように、絡めてしまう。
ぼくの空想、妄想、もっと生きているヒトというレベルで、捉えないと現実ではない。
でも、そういう夢想、空想、妄想を抱かせてもらえたことに、別れを告げないといけない。


昨日は大覚寺のなかを、お金を払って見せてもらいました。
ハッキリした記憶はないのですが、1970年代に入った気がします。
京都には、拝観料金を払って内部を観せる寺院がたくさんあります。
高校生のころ、1960年代ですが、有名処は見に行ったように思います。
最近、古希を迎えたのちですが、迷いながら、拝観させてもらいます。
京都に生まれたご縁で、このかた京都に住居を置いたまま、75年が過ぎました。
あくせく仕事をしているときには、いまほど落ち着いた気分はありませんでした。
いまは集まる場を世話していますが、自分の居る場をつくっている感じです。
家族以外のところで、ヒトと話しができる場が必要と思って、交流の場です。
カフェ&プレス、現代表現研究所、いろいろ名前をつけてるけれど、ヒトが集まる。
実際には、ヒトがなかなか集まらないので、悩みます。
いろいろと問題があるんだと思うけれど、そこがわからない。
最近は、企画された場所へいくことも、めっきり減りました。
だんだんと交友の範囲が狭まっていて、自分に問題があるんだと思います。
でも、どうしようもない、自分は自分でしかないし、変わりようがないんです。

 

202110.10

行ったという証に写真を載せます。
唐招提寺、一昨日垂仁天皇陵を訪ねたあと、行ってきました。
特に、いま、その時代に興味があるわけではないけど、行っておきたかった。
春に薬師寺へ行って、唐招提寺まで足を運べなかったので、行ってみた。
西ノ京、平城京の南になるんでしょうか、京都がまだ始まらない頃の話しです。
旅する、旅したい気持ちがあります。
各地の文化を訪ねていきたいと、でも、実現していない、心残りです。
そんな余裕がなかったなぁ、旅行もそんなに行ってないし、残念です。
今からでも遅くないけれど、一人で行けないしなぁ。
生きていくのにパートナーは必要だけど、必要ないこともあるなぁ。
もう終わったと思っています。
あっけなく、始まるかと思ったときに終わるなんて、心がついていけない。
でも、少しづつ、未練を遠ざけながら、泣きたいのを押さえながら、忘れます。
家族があるじゃないですか、ここ接近していて、家族は家族、です。
その方のお顔も、明確には思いだせないところまできています。


嵯峨折戸町という地名だと思います、そこに地元スーパーがあります。
ぼくの生活圏ではありませんが、生活の匂いを感じるんです。
手鍋下げてもとか、駆け落ちとか、反対押し切って男と女が結ばれる。
ぼくらは結局、あたりまえに結婚式を挙げて生活しました。
51年目です、生活の匂い、ひとつしか経験はしていません。
これまでにいくつか、恋をしています。
でもこれは片思いで、いっしょになる、ということにはなりません。
そのひとたちは、その後には、いっしょに生活するひとができた。
それでいいんだと思いますが、別の生活があったら、それに憧れます。
こうして年齢のことも忘れて、熱を上げてしまうので、後味がわるいです。
きのう夕方に巫女さまから返信がありました。
忙しいから行けないということです。
こちらから返信ほしいと書いたから、返信してくれたと思います。
返信があったことで、繋がていたことがわかって、安心しました。
でも、来ないということは、巫女さまの心が遠のいていることを示しています。

 

終わってない、継続しているんだ、でも、微妙、会えるのかどうかわからない。
日向の巫女さま、もう忘れかけていたときもあったのに、また戻されました。
気持をこちらに向けて来てくれたのに、もう引いていく潮の流れでしょうか。
わからないから、真意がわからないから、混迷してしまうのです。
でも、はっきり、終わりだと断定されたら、もっと、落ち込むだろうと思います。
いづれにしても、お顔をあわせても、それだけのことで、生活を共にすることはない。
プロジェクトを立ち上げられたら、そのプロジェクトを担ってもらえて、共にいられる。
そんな甘い考えをもっているけど、実現するわけがないでしょう。
金も無し、興味を持ったとしても金が生み出せない、そこからの出発ですから。
ライフ・ラボの焼き直しでいいから、そういう場をつくっていければ、と思っただけ。
蚕の社、三柱鳥居、何度も撮っていて、そのつどブログの挿画に使わせてもらってる。
そこで巡り合ったご婦人二人、カフェ&プレスに来られるかと思ったけど、来なかった。
メンバーの田中さんは、カフェ&プレスのこと、知らない、説明してないし。
LINEのグループには書き込みしなかったから、伝わらなかったのです。
現代写真の研究会とは、枠組みが違うから、との判断で、混同しなかったのです。


ここ数日、夜中、一時間おきぐらいに起きてトイレにいく。
だから起きていても眠い、身体が筋肉痛、そんな状態に見舞われています。
年が年だから、しやないのかもしれません。
でも、一気に、衰えた感じで、ここに書くのもどうしようかと思う。
寝る前に水分を摂らないように、でも涼しくなったから、汗で出ないのかも。
身体のことでいえば、それなりに健康な部類だと思っています。
でもそれは、いつなんどき、発作が起こってくるかもしれません。
心臓まわり、脳まわり、血管が破裂したり詰まったりです。
塩分少なめのメニューにして、食後のお菓子はやめにして、摂生に努めます。
心も病むし、身体も病みます、後期高齢者とはよく区切ったものだと思う。
来る人には、なんでもできる限りのことをしてあげる。
でも無理にしてしまうと、もとのもくあみ、迷惑がられる。
そこのところの分別が、つきにくいことがあって、読みが甘いんです。
来ない人を追いかけても、来ない人は余計に来なくなる、ということです。
自分が他所へ行く選別基準があって、他者からしたらそういうことの裏返しだね。


202110.13
YouTubeで見れる古事記日本書紀にまつわる動画を見ます。
シリーズになっていて、順を追って解説してもらって、見ています。
それから古事記日本書紀に現れていない卑弥呼や邪馬台国の動画も見ます。
いろいろ諸説、どれがほんとでどれがうそなのか、いっぱいあるんですね。
卑弥呼は日巫女という解説をしている動画がありまして、興味をいだきました。
古代史っていうのが、ブームなんでしょうか、まあ、驚異を引くロマンの世界。
日本とは、日本人とは、そのルーツを探るのが、表に出て来ているんだと思う。
というのもぼくらの世代、神話を教えられてこなかった世代、これはこれでいい。
でも、もう少し若い世代から、若い世代には、国のアイデンティティーを持たせる。
必要だとは思います。主流となる政治の流れのなかに、精神を付加していく。
かってあったといわれる軍国主義思想を容認することはできません。
でも、自分が生きている日本の、そのベースになる感情を醸成する必要があります。
競争を勝ち抜くための、なんていいません、これはだめです、競争のない社会。
むしろ競争しない、勝ち負けつけない、社会主義ではない社会主義のような資本主義。
まあ、政治家が新しくなったから、期待してみるのみいいかと思います。

 

ちょっとだるいなと思ったら、37.5度ほどの体温でした。
この前から、睡眠不足になっていたりて、変調を起こしているのかも。
珍しいことですが、今どきだから、熱があるというのは、心配もします。
ちょっと様子見をして、外出は控えたいと思っています。
家族のこと、いろいろこれから先のこと、子供と孫に分配します。
このブログ記事はフェースブックに連動させていません。
でも書いておかないといけないこと、書いておいて、自分のなかで処理します。
家族以外で気になるひとは、巫女さんのこと、気持ちはあります。
どうしたわけか、近場に寄せてしまって、離れてしまった現在です。
終わったわけではないと思うけど、ほんとうはもう終わっているのかも知れない。
バッハが作曲したマタイ受難曲を最初から聴くともなく聴いています。
熱っぽい日の午後、なんか遠いところの出来事のように、思えてきます。
若いころからキリスト教に興味があり、聖書を、旧約、新約ともに買ってみたりしました。
それに引き換え、古事記なんか、日本の神話には、まったく触れる機会がありませんでした。
最近です、日本の神話、神道、その精神性に興味を持ち出してきたところです。


朝から医者に行くべくあれこれと考えておりました。
午前九時になったので診療所へ電話をいれました。
この時期、電話対応で、でんわ診断で、薬局へも手配、というのです。
その後、かかりつけの医師から電話問診を受け、お薬を取りにいきました。
コロナのことで、事前予約でないと、対面してもらえない、確かに体温高いから。
年金支給日、診療所の向かいに郵便局があって、そこのATMへ通帳記入。
バスでわら天神まできて角の中心でも年金振り込みを確認。
ここではお金をおろし、郵貯に入金するのです、なるべく使わないようにします。
といっても、そんなに残るわけではなく、大物出費に備えるだけ、残りません。
ICOCAに入金して、昼ごはんに、なか卯の牛丼を食べました。
体調が悪くて、何もする気がしなくて、ぼんやりと時間を過ごしました。
そんなに焦ってばかりいると、先がなんぼでも短くなるんだよ、と自分に言います。
ちまちま、いこうと思う、日向の巫女さん、見ない、読まない、そうですからね。
一気に、寿命がちじまった感じで、ちょっとスピードを落としていこうと思います。
手元にある本類、もうお持ち帰りしてもらえないかも知れないね。


朝から、熱っぽい、筋肉痛、咳が出る、などなどでじっとしています。
こんなことになるとは思わなかったけれど、体力が弱っているんだと思えます。
日本民族、古事記、日本書紀、YouTubeでけっこう真剣に見ています。
わかいころには、右翼、左翼、いろんなカテゴリーで眺めていたけど。
年を取ってくると右翼の美学で、それでいいんじゃないか、と思うようになった。
卑弥呼は日巫女、日本の土着で、憑かれた女子、神のお告げを受ける。
この神は、天照大御神を想定して、神託を受けるんですね。
この夏以降、ぼくの内側にひろがっている巫女さまのイメージと重なります。
このあとのことは、なりゆきに任せるしかないんですが、会える会えないか。
ぼくの気持ちはだいぶん穏やかで、ひところほどには、思いつめていません。
文筆と写真制作を、スローペースにして、ブログへの表出も控えようかと思う。
いまは、体調が悪いこともあって、文章が書きにくい状態なので、そうなのかも。
中味がないエッセイでは、面白くないし、ちょっと引き気味です。
ここのブログは、ツイッターへは転送するけど、フェースブックには転送させません。
あんまり欲張らない方がいいと思っています、キーボードの打ち間違いも多いから。


朝方がすっかり寒くなってきたので、ストーブを出してきました。
ぼくが使ってる部屋は、ガス栓がないので、電気ストーブです。
エアコンは一昨年、新しいのに入れ替えたから、これは夏と冬、使います。
数年前までは灯油を主流にしていましたが、年取って、灯油の扱いがこわい。
だんだんと高齢者世帯になっていくので、そのことに対応していきます。
もとから本業で写真を撮ったり文章をかいていたわけではありません。
だから写真家でもなければ文筆家でもありません。
やってきたことといえば、仕掛け人ということになりますが、金儲けではありません。
いつも時代の先端のメディアを、使いこなしていく、といってもそれは表面だけです。
メディアを使っているだけで、感覚は全く新しくないです。
お恥ずかしい話しばかりでして、べたにお話しするのもどうかとおもうのです。
成功しそうなところまで来ると、興味が無くなり、次に移行する、というのです。
出版社に就職決まったときには憧れの出版社社員、でも営業だからいてもしやない。
京都に戻って郵便局の貯金担当になり管理職になり、46歳で退職、それから組織運営。
いま、経験だけがあって、なんにも役に立たない、後期高齢者、75才です。


昨夜からショパンを演奏するピアニストを、映像で見せていただけました。
今朝になって、手元のパソコンからショパンの曲を聴いていりました。
ポーランドが位置するあたりの地図をマップでみながら、ぐるっと一巡りしました。
チャイコフスキー、交響曲、先ほど四番を聴いております。
久しぶりに、おだやかな気持ちで、音楽を聴いております。
今回、個別の参加案内はしないでおこうかと思っているんです。
LINEへのアクセスがあったみたいで、正規の窓口はそちらだからです。
もう二か月も前になるけれど、個別レッスンは、しません、といったからです。
それから偶然に会ったけど、違和感、距離感、を感じないわけにはいません。
それから新しいカフェ&プレスには、忙しいのでこの日はダメです、との返信でした。
縁あれば、また縁でつながれる、と思います。
もらってほしい書籍とかあるけど、無理にとは言いません。
ぼくの子供のころからの日記、ノートなどプライベート資料ももらってほしいと思う。
和綴じ釜ヶ崎写真集も、手元においてもらえれば、とっても嬉しい気持ちです。
でも、そう思った時点で、そうはならない状況になってしまって、現状を認識しました。


なにしてるんやろなぁ、時空を超えて、夢の中を駆け巡ります。
自分のなかの、名付けられていない部分が、闇の中にあって、そこが疼くのです。
散歩にいこうかと思ったけれど、見合わせた、もう外出控えて四日目になる。
今日はチャイコフスキーの音楽を聴いています。
いま胡桃割り人形が流れて来ています。
なにしてるんや、と神の声としておきましょう、聞こえてきます。
お叱りの声でもなく、なにか示唆する声でもなく、ただじっとしている。
目に見えた目の前の風景を写真に撮って、目の前に現わしてみます。
撮った時と場所を明確にし、その場所の歴史の意味を、探る、ということをします。
でも、ぼくは、もう、そういう写真の提示をしません。
言葉を文字にして表記して、意味を繋げる作業をします。
でも、説明する文章にはしたくないと思っていて、浮遊するイメージを醸しだしたい。
いまさら、表現する、ということをこんな風にとらえてみても、どうしようもない。
でも、なんだかんだと言いながら、言葉をイージーにとらえすぎていたのではないか。
読んだ相手が、ふわ~っとイメージしてもらえる、そういう文章表現ができないか。


久しぶりに歩こうと思って、体温を測ったら、まだ微熱、37度を越えていた。
急遽家にいることにして運動は無しです。
もう5日にもなるのに、いっこうに体温下がらない、まさかとは思うけど。
明日は、司法書士さんとアポが撮れて、午後から会いにいきます。
熱が下がっていてくれたら、うれしいですが。
そんなだから、ぼ~としていて、とりとめもなく、時を過ごしています。
古事記の物語をYouTubeで見ていて、けっこう時間が必要ですね。
巫女さまのイメージもかわりません。
カフェ&プレスの話しをしたいところまで来たのに、それはもう終わりですね。
虚しい気持ちばかり、もう命が終わっていく感じなのに、です。
もたもた、少し余裕をもって、文章を、写真を、ブログにあげていけばいいかな。
制作活動をやめる気持ちはないけれど、切羽詰まってきたから、スピードダウン。
SMSでメールを送ろうかと迷う、送る、送らない、LINEが既読にならないから。
こうして思うのが、切なくて、どうしたらいいのかわからない、もう終わったのに。
終わりでいい、終わっていく、いつか終わるんだから、虚しいけれど。


朝いちばん、診療所へ予約をいれてもらえたので、出向きました。
一週間前は、熱があり、咳があり、という状態で、診療所のなかへ入れてもらえませんでした。
それからは自宅に籠って、運動もしないで、食べ物もあまり摂らず、でも体重は減らない。
たいへんな気持ちで過ごしていて、ひょっとしたらコロナかと思うほどでした。
まあ、夜間の糞尿がおこって、睡眠できない状態で、けっこう疲れました。
ようやく昨日から、外へ出て、世間と交わろうとしました、司法書士事務所へ。
きょうは、診察のあと区役所へいって、印鑑証明をもらってきました。
贈与税の話しがでてきたけど、贈与物件の資産額が分からな段階です。
そんなに高額ではないだろうとは思っているけど、わからない。
生きてこられた感謝に、支払えるなら支払います。
個人の気持ちとしては、とっても空しいものです。
終わっていくことへの、なんというか、寂しさですかね。
この一週間、体調崩してからというもの、強気はなくなり弱気になる。
身の回りの整理を進めとかなくちゃ、との思いが、不動産の処理でした。
生前に贈与しておくのがよい、との思いなのです。


朝、返信がはいっていて、きょうは学校があってこれないとの内容でした。
つながっていて、SMSは読んでいて、ていねいに返信してくれているのです。
来るとは期待していませんでしたし、返信もないものと思っていました。
午前3時過ぎの発信で、ぼくがゼイゼイしながら、寝たり起きたりしていたとき。
律儀な人だなぁ、とその人柄に感じること、多々、別の場所で、がんばってください。
名義書き換えは贈与になるので、贈与税がかかる、との話です。
具体的に、いくらくらいなのか、それによるとはいっても、贈与することになる。
贈与する物件の評価額がわからないので、それを確定してからの算出かと思う。
支払える範囲の金額なら、払ってもいいと思っています。
ここまで生かせてもらえた感謝の気持ちを込めているんです、ほんと。
精神状態が、不安定です。
老人性うつとか、そんなのかも知れない。
でも専門家に診てもらっているわけではありません。
昔も今も、自分では鬱かと思っても、専門家に相談したことはありません。
ラジオで、いま、この話をしていますよ、サプリメントの宣伝ですけど。


体調がよくない、と自分で思っているんですけど、これまでとちょっと違う感覚です。
足元が流動して、立ってられない、そんな感覚です。
起き上がろうとするとめまいがする、ふらつく、これはからだの調子です。
自分の名前になっている不動産を、贈与しようと思って、いま司法書士に相談してる。
家族からは、お金ぼったくられたらあかんで、と司法書士は悪者なのか。
ぼく自身は、人間性善説にたっています。
疑いたいと思いたくない、資格のなかでの立ち振る舞いだから、代行手数料はかかる。
そう思っていて、対面してくれた男子を信頼しようと思っているのに、それを疑うのか。
たしかに、いくらかかるのかとは、まだ聞いていなくて、計算しますとのことでした。
気持ちよく手続きしようとおもっているのに、まわりからごちゃごちゃいうな、ってこと
あんなに必死になって、時間を作って、ブログにフィクションしていたのが嘘みたい。
10年ほどまえから書き出した膨大なフィクションの群、なかみは吟味しないまま。
書きっぱなし、かなり力をいれて、日本語によるエロ小説を極めようと思っていました。
ホームページにまとめたのを、ブログにまとめて、残しておこうと思っています。
だれが管理してくれるか、と相手を探しながら、見つかったところで終わりました。

202110.25
夢か現か、外は雨、屋根に流れる雨の水音が聞こえます。
空調の暖房を入れました。
体調がすぐれないから、意欲もわかない、枯れた気持ちです。
ここはビッグローブのブログで、ツイッターにだけ記事を共有します。
ツイッターのフォローは四人だけ、その方に向けて発信します。
けっこう本音のところ、書いていこうと思っています。
自分にとってのプライベートなドキュメントだからです。
実感として、リアルな面会は、もうないだろうと思っています。
虚しくて、淋しくて、でも、だいぶん耐えてきて、ちょっとマシです。
阪急の土日券の有効期間が月末で、もう切れますが、使うか使わないか。
植物園の雑草類のところに、われもこう、吾亦紅の花?、実?を見つけた。
ここ数年、お目にかかれていない、茶色いけったいな花実ですが、懐かしい。
何枚も、シャッターを切って、写真にするけど、まともに写らない、いつもだけど。
谷村新司氏の歌の中に吾亦紅ってあったと思うんですが、へんな花実です。
花の写真を何枚か撮ったから、しばらく、ブログの写真に使おうと思います。

20211026
もう終わっていくのだ、と思うと心淋しいばかりです。
身体の命が終わっていくのと同時に、精神の命も終わっていくわけです。
将来の希望というか、やり直しというか、10年単位で、頑張ろうと思ってきました。
でも、この将来に向かって、というのがもう自分には描けないところにまで来ている。
だから、なんとも、言葉でいえば心淋しいとしか、言いようがないのです。
日向の巫女さま、遠いところへお行きになるよう、見守っているだけ。
だんだんと遠くへいかれる、距離感が、自分のなかに感じられます。
はやく、もっと、遠くへ、行くように、自分をコントロールしなければ。
始まるのかなと思うところで、終わったから、なんとも生煮えの中途半端です。
だから、中途半端さがなくなる、関係が生じる前にもどさないといけないのです。
一応、人生の終わりに近づいたことを、自覚しています。
淋しいもんですね、年老いてきてだれもが感じる淋しさでしょうね。
自分を存続させる基盤は、ぼくはもういらない、それを保持しない。
かってなにかをやった、ということは実績だけど、それ自体もぅ歴史の中です。
現役ではない、もう過去です、過去を生きる、これだけはしたくないけれど、です。


ええ、もう大丈夫です、ご心配かけました。
体調はもうひとつパッとしませんが、齢のせいでしょうね。
あんまり根をつめての作業ができないというのも、齢のせいでしょうね。
これでいい、と思っています。
いくつもの思い出は、目の前の舞台に乗っていて、眺めています。
このまえ植物園へいって、花の写真を何カットか撮りました。
ということは、この時に撮影したのを、ここ数日、ブログに使えます。
最近、写真を撮ることが少なくなって、ちょっと日々の掲載に困っていました。
なるべく花か植物の写真を使おうと思っています。
理屈なしに、花の写真は、だれにでも受け入れてもらえると思うのです。
こころが動かされないように、知らん顔しておくのがよろしいでしょう。
たぶん、もう、お会いすることもないかも知れませんね。
ぼくは、これからも、これまでのように、淡々と時を過ごしていきます。
心の交流が起こったと思うんですが、そこで終わってしまいました。
でも、結果、お互いを苦しめるのではなくて、これでよかったのだと思います。


からだに力がはいらない、からだの動きにメリハリがつけられない。
ひところなら、ブログを更新し、ホームページを更新し、小説を書いた。
そんなときの仕事量からいえば、いま、十分の一くらいに減退してる感じです。
なりゆきに任せようと思っているけど、このスピードが高齢者のスピードでしょう。
無理することない、競争なんてしなくていい、マイペースでいいではないか。
体力がないというのは、性欲がおこらないということ。
アダルトビデオを、いま、見る気がしなくて、その気持ちが起こってこない。
これが一時的な減退なのか、もう恒久的な減退なのか、それはわからない。
でもひと月前とは明らかに違う、体力、性欲の減退、もうそういう肉体なのかも。
老年になって、そのへんがどうなるのか、自分への課題で、文章にしています。
ライブドアのブログに、これまで書いたフィクションを、日課としてまとめています。
フィクションを書くためにブログをふたつ継続させていますが、ここは写真の貼りつけ。
ひところほどに、継続させていく意欲もなくなってきているので、終わらなくちゃ。
まああ、なにもかも、中途半端なままで、終わりがない環になりますが、まだ現役。
ぜんぶ潰してしまうには、作者としての自分には、未練があります。


寒くなってきて、ストーブをいれて、からだを温めて、時を過ごします。
朝から、花のにっき、を書き、このブログに来ています。
ゆめにっき、もう秘密をばらすほどの秘密もないんですが、秘密を書きます。
ここはfacebookには連動させなくて、ツイッターに連動させているところです。
facebookにもTwitterにも、直接には記事アップしていません。
体調のことをいうと、あまりよろしくない、とうのは夜に目覚めるからでしょう。
朝の目覚めがわるい、そのまま動けない、もたもた、午前中を過ごしてしまいます。
作業量が細ってきて、ブログを少し更新して、もたもた、時間を過ごします。
ほんと、このひと月、心のありかた、外の光景を、遠くにやる作業でした。
もう、過去になっていきます、かなり過去になった感じです。
愛の巣ブログを抹消しました。
人気あるブログですが、フィクションしてないから、抹消したところです。
まだ愛のお部屋というブログが残っているけど、ここはもう少し残しておきます。
たぶん、もう、フェクションを書かないと思うけど、愛のお部屋はノーマルな愛です。
なにかしら、虚しい気持ちばかり、このあと、なにをどのようにして、過ごそうか。

20211031
どうしたことか、どうしたらいいのか、わからなくなっています。
まるで未知の世界を徘徊する感覚で、自分の居場所がわからない。
阪急の土日回数券の期限がこの月末なので、昨日、梅田へいきました。
地上へ出て、空を見上げて、久々の見慣れた光景にスマホをかざしました。
どこかへ行くわけでもなく、地下に潜って、少し歩いて、阪急に乗りました。
もう何もかもが過去になっていて、いまに、連続してる感覚がない。
この5年間は、自分のプロジェクトを展開しようと試みてきました。
でも、結果、なにも成せなかったことに、失望の気持ちです。
これから始まるかも知れないと思っていたのに、失ってしまったのもダメージです。
もう、終わろうと思って、あとは淡々と、ミーティングを開催していきます。