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最新更新日 2016.5.22

現代写真の視座・1984
-ドキュメンタリー写真のゆくえ-
中川繁夫:著



写真における「記録」論(1)

1-1

写真固有の価値と写真表現の領域は、本質的に記録(ドキュメント)である。
撮影された一枚の写真は、いうまでもなく被写体となった事物、現実に存在した「もの」の前にカメラがあったことを証明している。写真は常に存在した何ものかのコピーであり、現実存在の疑似的存在物である。印画紙を切って貼って複写するという方法をとらない限り、写真撮影は、現実に存在する事物を対象にして成立する。
写真が記録であるという認定は、このように存在した事物のコピーであると認定する認識のうえに立っているのである。写真の記録性は、このように見る限り、あたかも永久不変の真理のようにもみえる。

いま私の手元にはアッジェ(Eugene・Atget、1856-1927)の写真がある。
ノミの市(アリグル広場)、ルアンの庭(パリ)、八百屋の店先(ルアン)、サン・メダール街、「古い家、古い街、絵画的展望」シリーズ、サン・ジャック街、デ・ジュルザン街、等。
人物を点景に入れたもの、あるいは人物の入らない街のたたずまい。素朴なといえばこれほど率直に、事物を克明に写しとった写真はない。また単純なといえば、これほど単純に写しとられた写真はない。まさに写真の本質とでもいえるであろう。

アッジェは1856年、南フランスのリブールヌで生まれ、船乗り、役者、そして絵描をめざしたが成功せず、写真に転じた。アッジェは写真を「芸術のための記録」と呼び、8インチ×10インチ(エイトバイテンカメラ)の暗箱写真機にガラス乾板、三脚、暗幕、等の重装備でパリの下街を歩き回り、街のたたずまいを写しとった。二十世紀初頭のパリを記録し続けた時代の報告者である。

アッジェの撮った写真は、写真における記録(ドキュメント)として、その時代の一方の極に存在する。

2-1

写真における記録とは何か、という問題をこれから考察していくうえで、また現代写真とはいったい何なのか、を問いつめていくうえで、私には、このアッジェの撮った写真群が様々なヒントを与えてくれるのだ。

アッジェがパリの下街を、重装備の暗箱をかついで歩き回っていた当時、この時代、パリ写真界の中心は、ゴム印画法をもちいたドウマシー(Robert Domachy)やピユイヨ(Charles Puyo)たちであった。ドウマシーは二十世紀初頭のフランス随一の芸術写真家であり、ピクトリアリズムの中心的存在であった。またピユイヨも同然であり、何焦点レンズによる肖像や風景などの作品を作った。

アッジェは、無名の写真家にしかすぎなかった。四十歳を過ぎてから写真を撮り始めたアッジェは、パリの建造物とパリに生きる様々な人々を撮った。

私は、かって「記録とは何か」と題する評論の中で、記録について次のように記述したことがある。
「記録は、その時代のあり様を反映する現象が、その時代の内部において、人為によって起立させられた事実の羅列である」と。
また、このようにも言っている。
「そこには、個人の営為により表出させられたもの、として存在し、同時代におけるそれら個々の解釈の集積である」

この記述を、具体的にアッジェに即した記述に置き換えてみよう。
「アッジェの撮ったパリの記録は、二十世紀初頭のパリのあり様とその内在者であったアッジェの精神内部を反映している。アッジェの視た都市パリの姿を、その時代の、その生活者としてのアッジェ自身の内面の作業によって、起立させられた事実の羅列である。」
「アッジェの撮影行為によって、印画にとどめられたものとして存在し、その時代の他の写真行為者とともに、その時代の、その文化総体の内部の記録として存在する。」

写真は、あらゆる表現のなかで、唯一、その時代のあり様を直接に反映する現実現象、人間によって造りあげられた事物の前に立って撮影された証しである。
それゆえに実際に身体的な関係からいっても、その立場においても、現実現象の前に立っていたゆえに、観念上、もっとも客観的な記録手段として認識されるようになった。

また、写真家はカメラという機材を操作する限り、現場から離れて写真を作りだすことができない。写真家は根底からこのような宿命を背負っており、総体的な方法と展開において、被写体の複写という限定された場を持つほかないのだ。

そうして、展示される一枚の写真は、現実を「ありのまま」に見た結果であるゆえ、写真の基本は記録だ、という素材リアリズムが生まれてくるのだった。だから、写真家は常に客観的視座を持つことによって写真固有の価値と表現の領域を得ることができる、という考え方が生まれてくるのだ。

3-1

それにしても私には、アッジェが撮った一群の写真が持つ魅力は、いったい何なのだ、と問わずにはいられない。

アッジェは、写真を「芸術のための記録」と呼び、さきにも書いたように建築の細部、街角、部屋など、世紀の変わり目のパリの姿を後世に残した。そこにはただ単刀直入に、アッジェが遭遇した目の前にあった事物が写しこまれているにすぎない。

もちろんアッジェが、その事物の前に立って写真を撮ろうとして、まさにその事物の前に立ったことには間違いなく、その目的がたとえ絵描きのための資料としての制作であったとしても、そこでアッジェは何を視ようとしていたのかをこそ、問わせるのだ。

視線が事物と完全に一致し、まったくゆるぎそうにもないようにみえる写真の本質。目の前の事物を克明にガラス乾板に定着させる、という写真(カメラ)の機能をのみ忠実に行使したにすぎないようにみえる。
何のてらいもない、静かな二十世紀初頭のパリの下街、裏通りの姿。もはやアッジェ自身の思い込みとか、絵画におけるデフォルメなど、全く無関係であり、唯、「視る」というだけの行為に徹している。

アッジェの視線は、全く私的な感性を排除したかのごとく、ダイレクトに、現実に存在した事物の姿を克明に定着させているのだ。

もちろん、写真家をとりまく写真にかかわる思想が、まだまだ未熟な時代であったのだと論じるのは、簡単なことであろう。現在ほどには、写真あるいは写真を含むあらゆる表現手段の複雑化、多様化した思想の振幅を持たなかった時代であり、写真においては絵画追随の時代にあって、絵描きのためにのみ奉仕することに目的があったのだと規定するのは、たやすいことだ。

だがしかし、と私は考えている。本当にそれだけのことだったのだろうか、と。

3-2

私は写真を見る側に立ってみて、あたかもアッジェがたたずまった街角にこつぜんと立ち、パリの街角を、建築物を、あえていえばその時代を共有しているかのような気分になっている。克明に記録すること。まさに写真の機能的本質を言い当てているのだ。

単に無目的にカメラをむける、といっただけのことではないアッジェにとって、撮る、という行為の意味は、いったい何だったのだろう。不思議な魅力を持った写真群。一方で当時の写真の方向、まったく絵画の制作過程に追随する写真群があり、アッジェはそれらと一線を引いたところで作業を成立させる。それもうだつのあがらない四十男の内面にどくろを巻く執念とでもいうようにだ。

そこにあぶりだされた写真は、アッジェを見る限り、私的状況や思い入れといったものを排除することによって、写真は写真として成立するのだという、いとも単純な論理が成り立ちそうだ。しかしその背後にアッジェ固有の視線をみとめるなら、これほど緊迫したドキュメントは他に例を見ないであろう。

カメラはその的確な操作によって被写体を克明にとらえる。アッジェの写真が、時代を越えて風化もせずに今もなおかつ私の前に毅然として存在しているのは、その方法論が余りにも写真の本質を衝いているがゆえにであろう。

いやはや、すでにこのように見ようとしている私の視点自体は、二十世紀初頭のパリに在住の四十男の、その時代にとり巻かれた感性とは随分と違ったものであるはずだ。同時代人としての共有する視座というものはなく、すでに歴史的な見方で、私自身が見ているはずである。都市をどのようにとらえていくか、という論におけるコンテクストとして、私はアッジェから何を学べばいいのか。

作家は、誰でも内向する視点と外部に向ける視点を持ち、その接触点にいて肉体を持つが、アッジェには、その両極でのストレートな視点の結合が見いだせるのだ。

4-1

一枚の写真は時代を越えることが出来るか。現在において写真作家の内面を構成する視座は、複雑化した現代の世界観を反映して、よりコンセプチュアルなものとならなければならない。ただ単刀直入にシャッターを押せば作品が出来上がる、というハッピーな幻想は捨てなければならない。この世界観を反映したコンセプトに注目すれば、アッジェの撮った写真群が、私には、現代を解読していく上においてぃky他の暗示を与えてくれるようなのだ。

現代写真の解釈において、その写真が私たちに提示してくる意味の多義性について論じられることが多い。そして、こと現代においては、その写真が提示する意味の解読は、見る側の解釈にゆだねられる部分が圧倒的に多いように思われる。

写真はむしろ直接的なイメージの構築である。もとより言語でもってすべてが解明しつくせるものではない。しかし言語コードでは言いつくせない感性的なものが、写真そのものであったとしても、その意味を読みとっていくには、その背後に拡がる言語コードの体系を解釈することで限定できるだろう。はたしてアッジェの写真群においても、そういった読み方が可能であろうか。

私たちが日常「記録」という言葉を使うとき、そこには、だれもが客観的事実の存在を想定するだろう。ところで写真家は、自己の内面に脈々と流れ、蓄積させてきた感性の表出を、外部の現象に仮託させることによって表出し記録する。記録された写真は、だから写真家の内面の足跡、そのひと個人の歴史を定着する。そしてこの記録主体たる写真家は、その時代、その場所での、社会的な存在であり、ひとつの内面の意識の流れを、外部現象とフィットさせることによって、特定の現象を定着させる。

自己の内面を明晰に表出させることは、また自己を客観化するという極めて困難な作業ではあるが、この表出と外部現象の定着が同軸上でおこなわれたとき、はじめて、内面の軌跡と外部現象の、その時代の深部での記録がおこなわれるのではないか。それらはあたかも客観的事実として、人々の前に、その時代の特定の産物として呈示される。

この世界に存在する概念のすべて、たとえば、事物(現象)の見方、思考の方法などは、人類がまだ記録の方法すら持たなかったときからの、歴史の長きにわたって編み出し、定着させ、シンボル化させてきたものの総体である。

4-2

何年、何月、何日、何時。とある場所で何事かの事件が起こった。この場合、この日付と、何処でどのような事件があったか、という事件の概容は客観的事実であり、あえて言えば<私>の存在とは関係なしに刻み込まれていく事柄である。

たとえ私が今朝、新聞を見なくても、テレビのチャンネルを合わせなくても、新聞やテレビで報じられる数多くの事件は、存在していたのであり、単に私が知りえたか知りえなかったかの違いがあるだけだ。<私>と<世界>との関係とはこのようなものだ。

むしろ私にとって、私のいちばん身近な記録とは、朝、一杯のコーヒーを飲むことであり、小鳥のさえずりを感じることであり、陽のひかりを感じることであり、これらの総体を感性で定着させていくことかも知れないのだ。
しかし記録という言葉が、普通はこのような場面では使われない。より普遍的なものであり、より多数の人々を巻き込んだものであり、ある一定のカテゴリーを持った固定観念の中での、公然の事実として記されていく。

ところで「日付と事件」について私は、これらを客観的事実である、と記した。しかしここでいう<客観的事実>とは、いかなるものなのか。ひとことで言えば、「日付」といい「事件」といい、私たち人間の持つ能力のひとつである<概念化>の能力が造りなしてきた刻印とでもいえばよいだろうか。

「日付」は人間が所有する連続した記憶を、記憶として定着させておくための、もっとも一般化された概念である。「事件」とはまた、固有のその文化様式の内部に築かれた価値観によって支えられる事象であり、総体として、その文化様式の内部にある特定の価値基準のもとに規定される。

これらの価値基準は、人類が創造してきた<文明>という名のカテゴリー内部における共通認識、共有コードとして存在してきた。写真は、こういった価値観や価値基準を背景に持って提示されるとき、はじめて<記録>として存在しうる。

しかしまた写真は、厳密な意味での日付や場所という概念が欠落していても、現実に存在した事象がそこに定着される限り、<記録>としての価値を持つはずだ。ところが<記録>という概念に拘束される限り、日付と場所を無視してそれを成立させることはできない。