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最新更新日 2016.2.20
気ままに
中川繁夫:著


 気ままに

 1~12 2015.5.10~2015.10.3

    

-1-

もう、あんまり、深く考えないことにしようと思います。
考えても、行動しなくちゃ意味がないと思うからです。
とは言っても、行動できることとできないことがあります。
沖縄の基地の問題、在日米軍の問題、自衛隊の問題。
ニュースで見ている限り、ああ、そうなのか、と思います。
ぼくの立場は、基本的に夢想的ですが、戦争反対です。
理想的にいえば軍備はいらない、空想論です。
軍を持たなければ、世界についていけないという現実論。
でも、どうしても、納得いかない、軍備する世界に対して、です。
だから、なにも言わない、というわけではないのだけれど。
こうして語ること自体が、空しいわけです。
総合文化研究なんて掲げたけれど、行き詰っています。
でも、理想を語っていくしか、それにそった行動しか、ないと思うのです。

-2- 2015.5.18

昨日の日曜日は、伏見局旧友会がタワーホテルで開催されました。
かって郵便局にいたころの同僚たち、というか上下交えての会。
ぼくは昨年から参加ですが、今回は31回目でした。
ぼくが公務員やめて二十数年になりますが、旧友でしょう。
みなさん、定年の退職まで勤められて、立派なことです。
その時代はまだ公務員だった郵便局に勤めて24年間。
1979年の秋、東京の出版社を辞めて京都へ戻ってきてから。
新聞でアルバイト募集に応募して、はじまった勤務でした。
はじめて配属された集配で、最初にお世話になった浅倉さん。
思い出しますよ、自転車で配達についていったこと。
結婚、子供が生まれ、そのうち出世していく自分がありました。
生活のためといえばそれまで、長い年月でしたが、辞めた。
すでに管理職になって、転勤族になっていました。
しかし、下級官僚の下っ端だから、我慢ができなかった。
無責任体制だったから、やってこれたってこともあるけれど。
そんなこんな、久しぶりに会えた先輩、90才前後になられてます。
といいながら、ぼくも70才前ですから、年とったものです。

-3- 2015.5.25

ここ連日真夜中に夢を見て目が覚めて朝まで眠れない。
空が白むころに起きだして、恐怖の気持ちから解放される。
あとは欝な気分が残っており、どうしたものかと思う。
夢のなかみは記憶に残っていない。
夢から覚めて、いやな気持になって、恐怖に襲われる。
そんなに激しいものではないけれど、何事も否定的に考える。
敵対心をもって壁とぶつかっていて、負ける、というイメージ。
そうなんだ、すべて、なすがまま、なされるがままに、受け入れる。
そうするのが、いちばん無難な方法だ。
高望みはいけない、できることだけ、すればよい。
できないこと、気持ちが滅入ることは、断ればよい。
いま、朝になって、このように思うと、落ちついてきています。

-4- 2015.6.4

朝早く目覚めて、今日はこれから福知山にてグランドゴルフに参加、ということ。
JP労組退職者の会が主催するレクレーションで、参加を要請されたのです。
年寄りの集まり、ふっと自分の立場が、そういう場にいるのだと確認です。
別のブログで革命ノートのデジタル化作業をしています。
それに使うイメージ(写真)は、目下、右翼の人の外見画像です。
歳を経るにしたがって、耽美的なイメージが濃くなってきたようです。
精神という言い方もあろうかと思うが、やっぱり精神ということかなぁ。
肉体と精神、この精神という代物が曲者ですね。
わが精神が、自分が拠って立つ場所を、思い浮かべるんです。
天国イメージ、地獄イメージ、昔の人の想像力を想う。
だんだんとそういう境地に入っていくのか、と思ってしまいます。
やばい、やばい、危険、危険、自らに言い聞かせてあげなければ。
現実の、拠って立つ場所を、いつまでも探し求めるんですかね、命ある限り。

-5- 2015.6.13

今週は、雨があがったあの日、上賀茂神社へと赴きました。
時間制約があるなか、愛用のキャノンのカメラを携えていきました。
京都の取材で、心あらためた最初には、いつもこの神社です。
それから昨日は、下鴨神社へ、行きました。
いずれも世界文化遺産になっている神社です。
べつにそれがどうこういうつもりはありません。
京都を取材していて、神社が気になります。
寺よりも神社ですが、ご神体が拝めません。
寺は、案外、秘仏が公開されたりします。
ご神体って、ほんとうにあるんだろうか、と思っています。
あるんでしょうね、社があるんですから、でも見れない。
ああ、ちょっと、気分が楽になった、気持ちが拡散していきます。
どうしたことか、ストレスがたまる、現実との戯れ合いは疲れます。

-6- 2015.6.25

三島由紀夫の憂国を、韓国の女性作家が盗作したとのニュースがあった。
憂国という小説、もう半世紀ほど前に映画になっていた。
三島本人がプロジュースしたのだったか、これを観た。
高校三年のときではなかったか、と記憶をたどっている。
盗作なのかどうか、それは定かでないが、盗作なのかも知れない。
なにやら政治的な背景があるのではないかとも思わせる。
いま、三島由紀夫のことが話題になる背景は何か。
日本の軍備が進んでいくこと、これが明白になったいまです。
憲法の第九条、戦争放棄の解釈を変更しようとしている。
第九条自体を廃棄して、戦争ができるようにする。
天皇制らしきものを復活させるのか。
日本の原点が、そこにあるなんてこと、考える輩がいる。
三島由紀夫の思想を、そこに見いだそうとしているのか。
世界の潮流が戦争を容認する方向だから、それに乗る。
勝手な想像話で悪意はありませんが、そのような気がする。
世界の経済が、軍備消費を抜きにして考えられないのではないか。

-7- 2015.7.1

2001年6月に起こしたぼくのノートがあります。
革命ノートと題されていて、箇条書きメモが記されています。
およそ15年も前のことで、年齢的には55才あたりです。
生きていることに詰まっていた時期で、中年の危機といったところか。
中年クライシス、人生のなかで、そんな時期があるというのです。
そのノートを、いまブログでデジタル化作業で、読み直しています。
なんか、滑稽な、思考回路は訳が分からない、そんな感想です。
自分研究なんてやってるんですが、その一環です。
自分が自分で自分を批評する、という枠組みです。
けっきょく、訳が分からへんなぁ、というのが現在の感触です。

-8- 2015.7.6

おととい、きのうと図書館詰で、けっこう疲れた感覚の今朝。
朝から愛の巣HPのメンテナンスを行っておりました。
最近はほかのHPも含め月に二回ほどのメンテです。
ぼくのなかでは、総文研の領域と愛の巣領域が通じています。
いずれも周辺文化現象を体現させるサイトとしてとらえています。
ぼくは編集者ではなくて実作者であろうとしているんですが。
扱う領域が、社会のほうから見て、ちょっとヤバい思うところです。
釜ヶ崎の周辺に飛田という場所があります。
この構図のイメージが、ぼくの人間社会の底辺イメージです。
底辺という言い方はふさわしくなくて、中心の縁、周辺イメージです。
ぼくの京都文化の構造をとらえようとする視点もここにあるんですが。
これは試行錯誤の溜まり場です。

-9- 2015.7.13

終ったところから始まる、と自分の中ではそう思う。
輪廻というか循環というか、内側の気持ちがそのようなのです。
終って10数年、そこから始まるように思えて、おののきです。
物語でもあるまいし、そんな偶然のような、必然があるのかな。
この先、どうしようかと、躊躇し、佇んでしまいます。
気がかりになったことを、そのままにしておくべきか否か、です。
前へ進むにも、後ろへ下ルにも、判断できないのです。
「写真への手紙・覚書」って文章を書き終えたのが1994年でした。
それはもうふた昔前の出来事なのに、今、起こったかのようです。
時間と空間が、一気に圧縮、あっというまに合わさった感じです。
このあと、これも何かの縁、金沢に向けて出発します。

-10- 2015.7.20

いま、チャイコフスキーの交響曲、第四番を聴いています。
ファンファーレから始まる交響曲ですが、柔らかい感じです。
この歳になって、頭がとろけてきているのかもしれません。
柔らかい感じが好き、これは自分の昔も今も、変わらないかな。
高校の頃になると、クラシック音楽に傾倒して、毎日のように聴きました。
ベートーベンとかチャイコフスキーあたりですが、よく聴きました。
その後、十字屋楽器店に勤めるようになって、ピアノを習いだしました。
三畳のアパートでひとり暮らしをはじめ、粗食で体調をこわします。
十字屋の二階にあったレッスン室で、二時間ほど練習していました。
バイエルから始めてツエルニーとか、カノンとか、練習曲でした。
JR茨木駅前近くに十字屋の支店があって、そこへレッスンにいきました。
およそ二年近く通ったと記憶しています。
十代の終わりごろは、東京の音楽大学へ行きたかった、夢のような話。
まだ夢みる年頃、現実の生活環境など、考慮していなかったのか。
そのうち、ジャズピアノ奏者へ進みたいと希望に胸が膨らみます。
ことごとく、木端微塵に、そんな希望なんて、打ち砕かれて、二十歳。
それなら、ふつうの大学へ行こう、そう思って退職、浪人になりました。

-11- 2015.7.25

別のブログで、黒表紙のノートに、鉛筆書きしていたメモを、書き写しています。
2001年の頃に箇条書き風に綴っていた、当時の覚書のようなノートです。
もう14年も前のことで、図解したページも多々あるんですが、これには苦慮します。
というより、記憶を辿ってみて、その頃、なにを考えていたんだろうと思うと、滑稽です。
なにかしら、真剣に悩んでいる、真剣に対処しようとしてる、という感じです。
実際に、その頃は、かなり精神的にも行き詰っていたと思います。
それから14年が過ぎたいま、それを見なおそうとしているんです。
そこに構想された内容を、再び考える、ということではなくて、です。
自分史を記述している最近、それもひとつの、ぼくの時代なのか、と。
なんか、どんな人生だったのか、いま思うことは、見つめ直すこと。
過去を振り返ってみても、もう未来がある年代ではないと思っています。
ここ最近は、フィクションに面白さを感じだして、小説を書きだしています。
少しはまともな小説も書きたいものだと思って、仏像の世界という本を買いました。
面白いほどよくわかる、と書いてあります。
ぼくには仏教、仏像、それらの知識がありません。
これまで触れてこなかった分野ですが、この10年程は興味津々でした。
初歩的なことから知りたいと思って、70才の手習い、という感じです。

-12- 2015.8.2

8月に入って、お盆のお寺の法要に、出席できない旨のことをハガキで連絡。
塔婆代などのお金を郵便局から送金しました。
年に何度か法要があって、けっこうお金がいります。
でも、最近の気持ちとしては、それも生きれてるからだ、と思うのです。
生きているからこそ、いいのであって、死んでしまったら何もない。
まだまだ、生きて生き続けたいとは思うものの、これも限度があります。
年々再々、若いみずみずしい感性が宿ってくるように思える老体です。
感性はみずみずしくても、身体は枯れていきます。
いやぁ、これは反比例しているように思えます。
身体が枯れれば感性も枯れる、これは嘘ではないか。
からだが枯れてもこころは枯れぬ、だ。