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最新更新日 2018.5.27
淡水日記
中川繁夫:著

 山紫水明blogに連載の文章

淡水日記-1-

 1~9 2017.2.26~2018.2.6

   

-1-
どないしようかと迷うところで、ふっと過去のことを思いだしてしまいました。過去といってもこの三年。三年前の今頃から一昨年、昨年、今年、紆余曲折しながら、ぼく自身の身の置き場について、自分なりに移動させてきて、今に至っているということ。何が起こったの、その内容についてはどこまで具体的に記載すればいいのか、プライバシーをどこまで公開していいのか、ということを思ってしまうのです。ここは、日記、という枠だから、誰にも見せない秘密のことが書ける、ということだけど、それはここ、ブログに書くわけだから誰かの眼に触れる、読まれる、ということを前提にしなければいけません。といいながらも、書いておかないといけない。


三年前といえば京都写真学校の開講について、受講する人が少なければ開講しないという方針を打ち出しはじめたことでした。ひとりでも受講希望者がいたら開講しようということが、それまでは前庭だったけれど、採算のこと考えると開講しない、というほうに来たと思うんです。ぼくの立場でいえば、当時は宝塚にあった図書館のほうで講師をやりたいという意欲もあり、京都は休校してもいいと考えてしまったのです。根本のところにお金の分配の事があったのです。お金のことでは、人と人との信頼関係を崩してしまう、そういうことだと今は思っています。といいながら三年前には、受講希望の人が数人あらわれて、開講しました。具体的には二年前、ひとりだけの受講となったので開講しないことを決定させました。


図書館は茨木に移転し、講座運営に、積極的にかかわろうとしたところ、主宰者のほうがぼくを受け入れない風が見られてきたのです。ぼくは自分なりに深く、経営も成り立つようにと、講座と図書館運営の案をもっていたけれど、まったくそれは無視されて、金的運営が難しくなってきたのです。ここでは、講師に名を連ねて、そこにぼくの存在を外へ示そうとの思いがありました。野望なんてことではなくて、拠って立つ自分の位置、ということだと思います。世間ではこういうことを確執というのでしょうか、入ろうとすると排除される、そういう流れになったと感じていました。気に入った人と親しくなる、唯一自分の逃げ場がそこにあるようになってきて、個別に気に入りだした人になってきました。恋心を抱いた、それがぼくを苦悩させてきました。

-2-
昨日、ビブレの書店に入って何か読み物をと探していたところ、花房観音さんの愛欲と情念の京都案内という本を見つけたのでためらいながら買った。文芸春秋を買おうかと思って、ためらい、花房観音さん、どんな文体なんだろうかと興味津々で買ったというわけです。ツイッターで彼女の記事を読みます。略歴等はここでは書かないですが、なんとなく意の通じるところがあるように思えて、注目しているところです。文章にふれるのは初めてで、まだ数ページ読んだだけです。というのもぼくも小説を、物語りを書こうとして、実際に書いていて、それをどうしようかと思っているところです。


幻冬舎のアウトロー文庫、河出書房新社の河出文庫、フランス文庫の文庫本、それなりにたくさん読んできたなかで、そういうジャンルの文章を書きたいと思って、手掛けだして10年になるところです。匿名で書いているのでここでは明かしませんが、いま日課のひとつになっているところ。小説三つを並行で書いているところです。ネットに奇譚クラブ、風俗草紙などの文献というよりページのコピーが載せられています。それを発見して数年になりますが、参考に、小説を読までてもらって、参考にしています。まともな文章が書けないようになって、ほおけているところです。


載せた写真は、フィルムで撮ったコマをスキャンしてあるものです。1980年代の初めごろに撮ったのではないかと思っています。フィルムで撮ったモノクロ、カラー、数年前からスキャンして、デジタル化しているところです。まだまだ残っているけれど、大まかには釜ヶ崎、白虎社、京都、このシリーズは前のスキャナーでまとめたところです。それ以外のフィルムのコマを、順次スキャンして、使えるモノは使おうと思っています。ただ、えろすがらみの写真や映像は、極秘です。ネットで拾う画像は、匿名のえろす小説とかに使っています。なにしてるこっちゃ、と自分ながら、仮面をかぶっていることに、あまりいい気はしてないなぁ。

-3-
<縁日の光景>
毎月25日は北野天満宮の縁日です。
ぼくは北野天満宮の近くに、子供のころからかれこれ60年以上も住んでいます。
子どものころ、小学生のころのことを思いだします。
母が露店の店を出すようになっていて、天満宮ではなにを売っていたのか。
駄菓子屋してたから、当てもん、手作りのふんまわしは父が作っていたのだろう。
参道の真ん中あたりの鳥居の横あたり、店を出していた、覚えています。
今となっては笑い話にしかならないけれど、貧しかったのか、親はいつも働いていた。
カメラを手にして、今日も小一時間、境内から参道の露店を見てまわって、写真を撮った。
どうしようかと思いながら、いつも撮るモノは決まっている感じで、撮る。
今更ながら、自分の居場所を探していて、記憶の中に天神さんの縁日があって、そこへ。
もう戻ってくるはずもない過去、記憶、そのなかへ感情移入してしまう自分がいる。
これ、この光景、現実ってゆうやつで、この世の光景なんだ、と感慨深く思ってしまう。
笛と太鼓の音が聞こえて、御神楽がはじまる。
途中から舞台の傍へ行って写真を撮る。
何枚撮ったのだろう、巫女さん、赤と白、それに太刀が光る、ぼくは何かを感じる。
エロスということであれば、そういう感覚かも知れない。
猿回しが来ていたけれど、囲む客が多くて入れなかったから写真は撮っていない。
露店で古着物を売る店先を写真に撮る。
小物を売る店先の写真を、これは隠れて、拒否されないように、撮る。
そんなこんなで一日の明るさが暗くなっていくんだ。

-4-
<田舎の光景>
金沢に家を建ててから20数年が過ぎる。
何時だったか1995年だったか、郵便局を辞め、専門学校に勤めた年だった。
まだ50半ばのころで、体力も元気で、精力も旺盛だった。
いまや70になってまもなく71歳の誕生日を迎える。
体力は衰え、性欲もかなり衰えたけれど、頭脳はまだまだ働いている。
年齢と共にあの世の方へ向かっていると思えるけれど、まだまだこの世で現役だ。
枝垂れ桜が大きくなった。
最近は月に一回、二泊三日で金沢へ赴く。
今週は枝垂れ桜が咲いていて、しゃくなげ、みつばつつじも咲いていた。
美しいと思う、女の美のイメージです。
男だから女が好きだ。
これは決していやらしいことではなくて、性をもつ人のあたりまえだ。
愛がなければ、それはセクハラになったりするんだ。
性癖というのが、たぶん、誰にもあるんだと思う。
文学にしろ、アートにおいての表現、その奥には性がある。
年を取るにつれて、そのことがわかってきた気がしている。
花の季節に、花を撮り、花を愛でる、これは女を愛でることの代償ではないか。

-5- 2018.1.19
淡水日記とタイトルを変えてみました。
タイトルを変えたからと言って内容が良くなるとは限りません。
どうしても載せておきたいお方の寫眞が手元にあって、それを載せます。
小本章さんのポートレートです。
聞くところ、昨年夏に、お亡くなりになっておられたとのこと。
なにかと以前にはお世話になった方、版画家といえばよろしいか。
今年は、ぼく自身のことで、健康とかにも注意を払わないといけないな。
足腰が弱くなったなんていわないけれど、少しずつ弱っているようです。
内蔵はそれほどのことはないけれど、生殖器なんて弱っているなと思う。
枯れていく身だけれど、感覚と想像力は、ますます冴えてきていると思う。
表現ということを、いまに捉える作業をしていかないと、いけないな。
ますます、空想力、想像力を駆使して、エロスに、カロスに、想像をはせたい。

-6-
西部暹と書いて<にしべすすむ>と読むとひらがなが書かれていました。
暹という字は、これでいいのか、少し違うような漢字、すすむでは出てこない。
この名前の人が、自殺した、多摩川に入水、自殺した、78才とありましたね。
ええ、名前は、これまでにお見かけしていて、思想家かなぁ、と思っていた。
経済学者で東大教養学部の教授さんだったとか、何度かテレビでお見受けした。
自殺、自分を殺すということを選ばれたその心は、気持ちは、どうだったのか。
わからないよな、いろいろと推測されても、その心はわからないな。
老病死、これかも知れない、老いて病みて死す、我が事のように冥福を祈ります。

-7-
もう72年も生きてきて、その中にはいろいろなステージがって、劇で例えるなら、今は、第何幕の何シーンなんだろうか、と思って、指折り記憶を辿ってみたりします。たぶん第五幕の第三シーンに入ったところだと思うところ、前に戻って、そこから今を見つめてみる。それが同窓会の役割だろうか。写真のグループに所属したのが1970年代の半ばでした。年齢的には27才くらいだったかと思います。その時に所属して写真クラブが昨年解散したというので静観してしていたところ、同窓会をするから出席を、との要請があって、出席した処です。六名が集まって、その昔に一緒だったメンバーは一人だけ、あとの方はそれ以降に入会されたメンバーです。すでに物故者となられた人たちの、ああやったこうやったとの話が出てきます。懐かしい顔を思い浮かべます。年とった連中ばかり、まだまだ現役でいる方たちですが、年寄り、昔の話、いまはもう化石の存在、とは思いたくなくて、只今を生きている、最新情報を手に入れて、そこから次へとステップアップです。

-8- 2018.2.4
節分が終わると立春、つまり今日から春という区切りです。
現実にはまだまだ寒くて冬真っ最中の感ですが、すでに春です。
これなんか、気持ちの問題で、そう思えば、春の兆しを感じます。
太子堂というのは弘法太子を祀るお堂のことでしょう。
千本今出川を北へ300mほどでしょうか石像寺、釘抜地蔵があります。
門をくぐった左手にあるお堂が太子堂、写真はその内部です。
お百度踏んでいる方がいらっしゃいます。
ここは千本、蓮台野の入り口にあたる位置ですね。
ここから北へ、昔の墓場だった地域になっていく、その入り口ですね。
この地域の末端に生まれ育った自分の感覚を、どう表現したらいいのか。
ラジオで、いま、壬生寺のはなしをしています、壬生狂言があるとの話。
狂言といえば、閻魔堂狂言というのがあります。
千本えんま堂は、この釘抜地蔵より北へ200mほど北へあがった所です。

-9-
ちょうどここへやってきて、日記を書こうと思っていると「運命」が始まった。
運命というのはベートーベン作曲の交響曲第五番のこと、親しまれている曲です。
多分にもれずぼくがこの曲を聴いたのは中学一年のとき、最初に買ったレコードだ。
当時はまだSPレコードがあって、お店の人にそれをすすめられたけけど、買わなかった。
そのうち25㎝版は中盤とでも言ってたのかLP33回転のでそれを買った。
千円したと思う、昭和35年ころのことだから、今に換算したら1万円というところ。
何度も何度も擦り切れるくらい聴いたのを思い出します。
その当時、母が露店で品物を売るようになっていて、おたふく飴を売っていた。
金太郎飴とおたふく飴があって、おたふく飴だったように記憶している。
どこで売ってたのか、神社の境内、節分だったのか、花見のころだったか。
毎年、節分で壬生寺へいくと店が出ていて、遠くからだけど写真に撮っています。
声をかけて撮らせてもらうのでもなく、黙って、少し離れたところから撮ってる。
そういうことで、記憶がいっぱい詰まった光景なのだ。