
最新更新日 2012.11.14
いま、写真行為とは何か 1978~
中川繁夫:著

いま、写真行為とは何か
<何故、釜ヶ崎なのか。>
(自己史の形成及び記録として)
ひとは皆、それぞれの内面史を持っている。ぼくはぼく自身の、三十三年間の自己形成の歴史を持っている。だが、その形成史は、他者には解明されえないことは明白であるが、もしなされえるとすれば、まぎれもなくぼく自身の手によるしかないのだ。
ぼく自身の手による、ぼくの個人史の検証は、当面のぼくの課題であるような気がする。ぼくの、釜ヶ崎との関わりのなかで、次第にぼくの意識にのぼってきたのは、こういうことであった。
釜ヶ崎という地域に現在、生活の場を持っている人々は、もとからこの地域に生まれ育った人々ではない、ということである。そしてぼくは、今は釜ヶ崎を生活の場とはしていないが、しかし度々訪れ、今や釜ヶ崎を構成する人々の群の一員として、ありつつあることである。
恐らく人々は、こういう形で釜ヶ崎に定着していくのだろう。何故、釜ヶ崎なのだろうか。イメージとして、この地はぼくたちの最後の楽園なのである。いわば人間としての赤裸々な感情のままにふるまえる楽園なのである。ぼくたちが生命を保持する限り、この地上の何処かで、食して住まわねばならないのだが、意識のうえでそこは、アウトサイドとインサイドの境界としてある。
実は、道路ひとつへだてた場所にありながら、ぼくには地の最果てのように遠いところとも、感じられる場所であり空間なのである。
この大阪市のほぼ中央に位置するたかだか0.62平方キロの狭い地域が、意識のうえで全くの空白地帯として他者を拒み、そして他者が無視する地域、釜ヶ崎なのである。
政治的には、この資本主義経済体制のもとにおける労働力の補給基地としての役割を持ち、都市の構成に欠くことのできない存在である、と言われている。この体制における、この地の必要性についての検証は、ぼくの当面の課題ではないし、また論じたところで、ぼくのイメージが拡がっていくものでもない。そして政治的側面から論じていく無機質な検証は、ぼくを空しくさせるだけなのだ。
ぼくは、ぼく自身のために、釜ヶ崎とは何なのかを明確にしていかなければならないのだ。
釜ヶ崎に今、定住している人々は、様々なその人自身の自己史を持っているはずである。釜ヶ崎に定住している人々の大多数が日雇労働者である。そして人々は、最初からそうであったのではない。ひとり一人のありしむかしの職業をたどっていくなら、そこにはあらゆる職業が存在するはずである。
そして人々が釜ヶ崎と関わり始める初端は偶然的に、生活上の転機によって、今日からここでの生活が始まる、といったような、センセイショナルなものではないであろう。個人の内面史から見れば、それは選択してきた必然として、あるべくしてあるのであろう。
(1979・6)