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最新更新日 2019.10.8
中川シゲオ写文集
中川繁夫:著

 中川シゲオ写文集blogに連載の文章

気儘日記-2-

 13~24 2018.5.10~2018.7.13

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まだ幼かったころ、この道、千本鞍馬口から北大路にいく道ですが、きつい坂道に見えた。
幼児で背の高さが60㎝か70㎝くらいなので、すごい坂道に見えていたんだと思えます。
坂道だといいっても、祖母にはそのことが分からなかったようでした。
大人になって、そのことを思い出すたびに、ぼくの目線は幼児のままなので坂道とわかる。
実は、この道は、千本通りで、蓮台野に成っていく坂道なのです。
野辺に死者を送る葬列が、この道を昇って行ったのではないかと、空想します。
京都の地場の記憶を辿りながら、文章を書くと、どうして、暗い場面ばかり思い起こすのか。
祭の光景といっても、明るいはずなのに、暗いイメージで色彩されてしまいます。
その当時を記録した写真の、モノクロやカラーの色彩が、そのイメージにあるのかも。

蓮台野、蓮の台といえば仏像がのっている蓮の形をしてる台座です。
その台座のように見えたから、このあたり一帯を蓮台野と呼ぶようになったのでしょう。
鞍馬口の手前にはえんま堂があり、鞍馬口を越えると上品蓮台寺があり、千本北大路。
そのあたりから、北にひろがる一帯が、死者を野晒しにして風化させる地だった。
いつごろからか、平安京の時代には、そのような風習だったのかも、知れません。
なにかしら、坂口安吾じゃないけれど、桜の樹の下は血なまぐさい、そんなイメージです。
最近、そういう死者を葬った場所のイメージを追いかけている感じがしています。
死んだ人の想い出ばかりがよみがえってくることが、朝、目ざめのときに、あります。
身内というより、知人、先輩、といった関係の人々のことです。

こちらも、もういい年だから、世間では、もう隠遁生活者の部類です。
診療所へ行ってきたけれど、高齢者扱いです。
バスに乗ると、若い女の子が席を譲ってくれます。
もう外面は、老人なんだな、と自覚するようにしています。
ここまで、生きてきたことに感謝して、水に流そう、利害のことは。
淡々と生きていくことが望ましい、というところでしょうね。
では、そういうことで、今日は終わります。

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別のブログで<京都慕情>ってタイトルの文章を連載しはじめたところで、北野天満宮の「ずいき祭」を話題として出したところです。ここの別ブログで<京都写真帳1980>を連載していて、そのつなぎの写真に、この写真がありました。何してるところかというと、ずいき御輿が、上七軒をあがってきて、北野天満宮の東門の前までやってきて、そこで神主さんが禊して、御輿はここから御前通りを下っていく、という光景になる、その禊している光景がこれ。撮影は1981年か1982年あたり、10月4日夕方の光景です。説明的になるけれど、ずいき御輿は野菜で作られた御輿です。いまは一つだけですが、何時の頃からかの昔は、いくつもあった、氏子の町内が採れたて野菜を御輿に仕立てて、奉納したのだといいます。

京都に生まれ育って、たまたま京都を記録している自分ですが、写真にしても、映像にしても、文章にしても、そのテーマとなるのは、日本という国の歴史に根ざした光景ではないかと、思うところです。もちろん、これは、ドキュメント、あるいはノンフィクション、ということになろうかと思うのですが、そうではなくて、フィクション、虚構、作り物イメージで、作ってもいいです。映画やテレビドラマは、創作で、フィクションで、あたかも事実のように扱うことで、リアリティを獲得するのかとも思えます。これは制作論、創作論、そういうレベルで会話したい内容ですが、ぼくは、これからいっそう顕著になっていく流れが、日本の歴史に根ざした光景、それと個人の内面との関係、その交差点が、作品になると思っている最近です。

フォトハウス表現塾のHP
昨年から、フォトハウス表現塾を主催していて、学びの枠組みを創っていて、世の中に提供しているところです。現代表現研究所という枠組みを作っていて、これは<現代>という問題を<表現>することを研究する場です。無意識に、自明の理として、なにげなく過ごしている事象に、あらためてスポットを当て、検証していく必要を感じているところです。問題にならないと思っていることを、問題にすることで、新たな認識が生まれてくるのではないかと思うわけです。そういう場を、京都に作りたくって、もぞもぞと動いているところです。日本の文化を、捉えなおしていく作業です。だれか、いないかなぁ、これまでの経験から、ここに提案している枠組みは、これからの潮流になっていくと思うんだけど、なぁ。

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今日は、大田神社へ行ってみようと思って、午後一番、市バスに乗って上賀茂神社終点まで行って、そこから歩いて10分ほど。年に一回ぐらいか、訪れている処で、カキツバタの花が有名な場所。もう終っているだろうなと思って行ったら、案の定、花の季節は終わっていました。本殿も修理しているようで、幕がかけられていました。写真は、スマホで撮るだけです。そういえば、スマホで撮るために、あちこちと巡っているんです。作風が変わっているでしょ。ひところの画風から、一変してると思うんですが、なるべく引いて撮っている感じです。

 ここに載せたのは、上賀茂神社の遠景といえばよろしいか。向こうに見える鳥居の向こうが社殿というパースペクティブです。風景について、ちと思うこともあり、文章にしていかないといけないのかな、と思いながら気分的には、あほらしくなっていて、ぐだぐだ、こんなわけのわからない文体で、文章を作っているというのが、嫌になっているんです。でも、どうしようもない、あれこれ思っても、いまさらどうしようもなく、読者なんてどうせいないんだから、とか思いながらも、読者を想定しているんです。

 京都ということにこだわっていて、それも市内の北部をターゲットにして、作品にならないかと模索しているところです。そういう事でいえば、上賀茂神社は神さまがいらっしゃる処で、葵祭の行き先になる処で、歴史あり、由緒あり、意味をいっぱい持っている場所です。でも、それを無視するわけでは全くないけれど、その意味の今様のありかたを、再度捉えなおしてみたいと思っているのです。といいながら、元からその意味を自分の中に持っていないことに気づいて、あたふたしているところです。意味の再構築以前の、最初の意味をどう掴むのか、が問題なのです。神話といい、神の存在といい、意識化しだしたのは、告白しますと、最近の事なのですから。

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雨が降る予報だったのが、今の時間、11時11分ですが、降ってきています。こういうときは、外出するのも億劫になるので、自室にこもることになってしまいます。でも、体調管理には、適度な運動とストレス解消をしないと、身体が壊れてしまうと思っているところです。先月から、コナミトレーニングジムへ、週に1回~2回、通っています。平日昼間の時間ですが、二時間程トレーニングに励んでいます。励んでいるというより、アバウト、テキトウ、ですが、筋肉つけと、プールで50メートル泳いで、歩いて、サウナに入って、というコース。一回千円程で利用しています。かなり、危険リスクが回避できるのではないかと、内心、思っているところだけれど、体重が減らないですね。

 そういうことで変化といえば、自動車運転を、この秋で終えようと考えています。本気で、やめようと思って、もう少しで決断してしまう、という流れです。生活の形が変わっていくと思うんだけど、年寄りじみたくはないなぁ、と思っています。でも、外見、鏡で見るけど、それなりに年相応に年寄りだと自覚するしかない。講座をやろうとしても、客演ではなくて自演だから、無理なんだろうな、相手が、のれないんだろうな、と思っています。寂しいけれど、自作自演というのは、そういうところに落ち着くんでしょうね。

 seesaaブログで、文章をいっぱい書いているけれど、ブログの様式が変わったみたいで、ちょうどよかった、引き際だな、と思ったのが今朝です。整理する方向で、写真を主に掲載することにして、ここ、ライブドアのブログを活用しようと考えています。このライブドアのブログは、他と比べてアクセスが極端に少ないのが難点だと思っています。アダルトサイトが主なブログなのか、そちらの方はアクセス、それなりにあるのに、ノーマルは、少ない、ほぼゼロです。といいながら、ここで、こんなこと、言っていることが、ひんしゅくものですかね。

フォトハウス表現塾主催
<カフェ&プレス>
毎月第三土曜日に開塾しています。
時間は、午後2時~午後5時
開塾場所は、アマノコーヒーロースターズ

参加費500円(コーヒー代+) 
サービス満点、ぜひ、来てくださいね。

-17-
  

沙羅双樹の花が咲いては落ち、咲いては落ち、朝咲いた花が午後には落下します。
狭い庭にこの沙羅の木を植えたのが昭和の終わりごろだったからもう30数年です。
一階のダイニングからは幹しか見えなくて、二階のベランダ正面から写真のこれです。
釈迦が入滅のとき涅槃というのだけれど、その四隅に沙羅の木があって枯れた。
でも釈迦入滅のときの沙羅の木は、この木ではなかったともどこかに書いてあった。
そのように記憶してるけど、沙羅双樹にまつわる話は、これでいいのだろうか。
平家物語の冒頭、沙羅双樹の花、諸行無常の象徴みたいに描かれる花、ですかね。
なにかしら文学青年だったころから、沙羅双樹の木には、思い入れがある感じ。

妙心寺の何処だったか、塔頭の庭に樹齢何百年かの沙羅双樹があって、見ました。
この沙羅双樹、夏椿ともいわれていて、たしかにこの時期、ポトンと花ごと落ちます。
花の色は白、白しかないのか、赤とか、桃とか、見たことない。
見たことないといっても、見たのは妙心寺の庭にある沙羅双樹だけですが。
ポスターに使ってあったけど、苔の庭に白い花が、疎らに落ちている光景でした。
そういえば椿の花、藪椿かと思うけど、赤い花がいっぱい落ちた図ですね。
沙羅双樹、意味がいっぱいある背景の花で、歴史を感じたり、悲哀を感じたりです。

平家物語については、冒頭しか読んでないけど、栄華盛衰って平家のことですかね。
六波羅蜜寺へ行くと、平清盛の墓があったかな、政権の場所を、此処にするんですね。
ええ、六道の道、西福寺の南にあるお寺で、ここへはお盆に、何度も訪れています。
なにか空しい気持ちばかりで、いけませんね、孤立無援、ラジオを聴きながら、です。
過去の栄光の思い出、なんて話題にしているけど、新しいこと始めるには、これ要らない。
そういうことをこの女子アナは言っているようです、栄華盛衰、人生とはそうみたい。
日曜日の朝、ついつい、こんな話をしてしまって、ここに残しておきます。

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気儘日記と名付けているから気儘でいいのだけれど、このまえに書いてから十日も過ぎてしまって、これじゃ日記じゃなくて、なんてゆうんだろ、言い方がわからないから、今日も気儘日記のタイトルです。梅雨ですよね、うっとおしくて、蒸し暑くて、サッカーにはあまり興味がないので、触れませんが、世の中、とくにマスメディアが騒ぎすぎで、ぼくが重要だとおもう領域にはあまり触れていかないから、ぼくはぼくなりにやんわりとしか触れていきません。そう、政治批判とか、体制批判とか、それはしません。といって融合するつもりはないけれど、結局、融合している実態が、見て取れて、でも、それを批判しても、結局、そのメディアを使っているのだから、意味をなさないわけです。すっかり、体制融合派、体制容認派、年金生活者の表面です。

なんだったか、ロシア文学者、ドストエフスキーとかいうおじさんがいたじゃないですか。小説家ですね、罪と罰とか悪霊とか、遠い昔に読んだ記憶があるけれど、ぼくはドストエフスキーの研究者じゃないから、それだけのことです。暗い小説のように思えているのは、その当時のぼくが暗く考えていたからかも知れません。外国文学は、それほど読んでいません。深読みしていません。日本文学だって、深読みしていないから、批評はできない。まあ、感想文くらいなら、書けるかも知れないけれど、それもたぶん無理。いま、それほど持ち時間がない。からだが枯れてきているのがわかる。瑞々しい豊かさが湧き出てこない。古希を過ぎると、こうもからだが枯れてくるのかと、思うところです。

-19-
  

大雨警報や土砂災害で避難勧告やら、今日は朝から、激しい雨、慌ただしい動きです。
昨日まで金沢の方へ行っていたから、京都の状況はわかりませんでした。
スマホから10年、携帯電話からだと20年ほどになるのでしょうか、通信環境の変化です。
ぼくもスマホをiPhone6を三年前から一年少し使っていて、その後はアンドロイドです。
今年に入ってからは、スマホで静止画を撮り、デジカメは余り使っていません。
今日は、ニコンのアルバムのパスワードが違うとはねられるのでIDを解消しました。
実際に、ニコンのアルバムをたくさん使って作品発表していたけれど、最近はしていない。
ニコンとキャノンと、それぞれにアルバムを作ってあるけど、更新していない。
そんな状況だったので、閉鎖して、身軽になっていこうと思うようになったのです。

年月をふり返ってみると、iPhone、スマホ発売から10年といいます。
でも、画像の綺麗さや多様化は、ここ最近で、ますます拡大深化していく感があります。
表現の手段としての静止画・動画ですが、通信回線の拡大とか含め、最前線を使います。
何時の時代も画像や映像は、最新技術を駆使して作品を提供してきています。
最新技術なら、スマホを使ってネットワークの中で作品つくり、ということでしょう。
でもそれだけじゃなくて、従前の手段や方法を使って、作品を作るということも必要です。
外枠だけじゃなくて、大事なのはコンテンツ、中身の問題、何がテーマで撮られているのか。
外の見かけばかりを追い求め、肝心の中身、中身、コンテンツを、どうするのかの話です。
写真映像だけじゃありません、政治においても、中身を論じないように、隠蔽している。
そんなことがないように、<カフェ&プレス>は起立させていきたいと思うところです。

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現代表現研究所のHP
平安時代の京都の模型が作られ、展示されているというので、見学にいきました。
京都アスニーという会館で、図書館があり、歴史展示ルームがありました。
場所は平安京造営のときの大極殿の西、丸太町七本松の西北側一帯です。
展示ルームは、ほぼ撮影可能で、興味深く、模型を撮らせてもらいました。
掲載している写真は、大覚寺と大沢の池あたり、上部に広沢の池があり、市中へ。
ジオラマっていうんですかね、興味津々、けっこう、あちこちと見入ってしまいました。

「マンガでわかる日本史」という本を買って、ちまちま時間つぶしに読んでいます。
古代から現代まで、通史で、全体が俯瞰できるように編集されていて、漫画入りです。
もうかなり前に捨てた岩波書店の講座日本史でしたか、揃えて眺めていました。
本は、たくさん手に入れました、思想から、文学から、哲学とか、写真集とか、映画史とか。
それらのほとんどは、いま手元になくて、図書館に3000点寄託していて、ほかは捨てました。
まだまだ手元にある書籍類ですが、断捨離の時代、シンプルにならないといけないですね。

何時かは読めるなんてことはもう不可能で、評論の資料にだって、もう使えないだろうな。
末川博さんのお家を訪問したとき、玄関横の応接間は、新刊本でいっぱいでしたね。
いまでいうなら、外付けのハードデスクみたいで、大体どこに何があるか掴んでいます。
これも生きている証拠で、死んでしまえば、ゴミの山でしかないのが、哀しいですね。
今朝、写真を主に載せているブログを三つ、消しました。
このブログは、活字時代の文章をデジタル化しているので、残します。

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暑い日、外出するのぼ億劫になっていて、結局、部屋にクーラー入れて籠っています。
祇園祭では、鉾立が行われているとラジオのニュースで報じています。
テレビでは、広島方面の水害被害の中継をしていて、見ているのに、心が痛みます。
世の中、いつもその時々の出来事を、こうして知らせてくれるようになっていますね。
通信の世界では、タイの洞窟救助の現場から、ライブ中継が入ってきます。
その合間に、麻原の遺骨をめぐって、だれが引き受けるのか、とかのニュース。
まさにこては密室での公開処刑で、大逆事件の幸徳秋水を思い出すとかいう批評も。
なにかしら、頭がクラクラしてくるのが、熱中症の前触れかも知れない、なんて思う。

このライブドアのブログは、ここともう一つ、二つだけにしました。
アダルト系のブログが五つ残っているから、これももう少し縮小しないと、手が回らない。
seesaaのブログが三つあって、文章と写真を組み合わせた写文集、創作主体です。
あとは、フォトハウス、カフェ&プレス、これの広報とししてのブログがあります。
結局、いくつあるんだろうと数えてみると、15+ありますね、これ+ホームページです。
ここ十数年、ネットを使って、広報主体でやってきて、最近は効果が薄れた感じです。
フェースブックでは、有料で広報の広告を出すようにと、執拗に仕向けてきます。
ぼくは原則、広報費は使わないことにしていて、広告を出しません。

あれから三年、何かの拍子に思い出してしまうと、どうしようもなくなってしまいます。
何を求めているのか、同行者を求めている、それも生きてるお人の同行者だと思います。
あれから二年、切羽詰まってきて、居場所がなくて、自分の理想を創りに出てきました。
紆余曲折、一年前には、あらためて、起ちあげだして、いま、ここに立っています。
エンドレスですね、何処まで行っても、終わりがない、安楽、余生というものがない。
何回もやり直しをしてきて、もう最後、もうこれが最後のあがきだろうな。
ああ、自分に向けて、言葉を紡いでいます、心境を外付けで残しているところです。

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この写真はというと、氷室にある身代り不動尊の拝み場、といえばいいんでしょうか。
この氷室という場所は、金閣寺の裏、原谷へ上っていく道の途中、衣笠山の北端にあります。
小学生の頃、ここから拝み屋さんのおばさんが、家へ拝みに来て、悪魔祓いしていました。
その拝み屋さんの居住されている場所、ええ、小学生の頃、よく行っていました。
祖母に連れられて、近所のおばあさんたちが、孫を連れて、この場所へ行きました。
不思議な場所で、魔界という言葉も知らなかったのですが、魔界ですかね、此処。
現在は、寂びれていて、どうしたのか、拝み屋さんのおばさんが亡くなられたのか。
でも、人が世話している痕跡があるし、車が通る道路には、身代り不動尊の看板があります。

夏になると、怪談が良いようで、この場所、写真で見ると、怪談話ができそうでしょ。
洞穴があって水が湧き出て、霊が宿る小さな祠がいくつかあって、水が供えられています。
あれから60年、最近カメラを持って何度か訪れ、これはスマホで撮った奥の光景です。
自分を形成してきた想いとか、気持ちとか、思想の原形とか、価値観とか。
それら人格を形成する要素が、幼児期から十歳前後に形成されるとしたら、ぼくは・・・・。
真夏の真昼間、今よりも青空が青くって、澄み切っていて、セミがミンミン鳴いていて。
そのとき、凄い雨が降ってきて、雷が真横で落ちた、その記憶がよみがえってきます。
そのあとには、ふたたび、青空がひろがり、セミが鳴きだしました。

これ、身代り不動尊も、新興宗教のうちのひとつ、だったのかもしれません。
ヒトが魔界へ入っていくときって、何か心のなかの地面が開いて、見えてしまう。
狐につままれる、とか、狸にだまされる、とか、そういう言い方で、表現された向こう側。
そうの向こう側のことは、あの世ではなくて、幕の向こう側、あっち、のことです。
なんだか、こんなこと書いていると、こっちの頭が向こうへいってしまうような錯覚です。
世の中には枠組みがあって、その枠組みの中で、食べて寝てセックスして子孫を残す。
この枠組みから、あたまのなかのイメージが飛翔していく、舞い上がるとき、これですね。
やばい、やばい、もうこのへんで、書くのをやめよう、では、また、妖怪ばなしを。

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朱塗りの鳥居というのは、こっちにいる人の情に絡みついてきて、ある種の情欲を感じます。
縁結びとか商売繁盛とか、欲に向かうために拝むその道筋に、朱塗りの鳥居がある感じです。
白木の鳥居がありますが、こちらは清楚で純潔、純白、みたいなイメージを受けます。
そもそも鳥居の意味するものは何なのか。
ここから向こうは神域だよ、神さまの領域だよ、という入り口に立てられる門、でしょうか。
なにか変にこだわってしまうんですけど、やたらとこの鳥居が多いように思うのです。
つまり、神さまの領域が、あちこと、いっぱいあるというイメージですね。

いよいよ、祇園祭の鉾が組まれて、お目見えする日々になってきました。
どうしようかな、暑いから、どないしょうかな、見にいこうか、どうしよう。
心が迷っているんです。
暑い盛りに、写真を撮るといっても、新鮮味ないし、どうしようかなぁ。
家にいたら、クーラーつけるので、電気代がいるしなぁ。
でも、外出すると、なにかと金を使うから、どうしようかなぁ、です。
今日はまだ12日だから、まだお囃子はやってないんでしょうね、鉾の街。

-24-
  

掲載した写真は、昨日撮った祇園祭の函谷鉾、曳き初めの光景です。
カメラはスマホについているエクスペリアのカメラで、オートで撮って、手を加えたモノ。
だから俗にいう撮影データーがわかりません。
絞り値とか、シャッタースピードとか、感度とか、そういうデーターですが、オートです。

今朝、フォトクラブ京都の創立を、フェースブックのなかで告知しました。
グループの名前を「フォトクラブ京都」としました。
写真を取り巻く環境のなかでは、愛好者グループが沢山あります。
その沢山あるカメラクラブ、フォトサークル、それらの一つになろうとするものです。
フォトクラブ京都には、これまでの歴史はありません、現在のところ独立して、あります。
有名な人がいて、このクラブに参加することで、有名になれるということではありません。
形骸化した巷のカメラクラブのヒエラルキーに、竿を挿す程度のことはできるかと思います。
どこどこの流れを汲むカメラクラブ、なんてことは標榜しません。
あるのは、独立した個人が共同して、新しいイメージを提起していくこと、でしょうか。

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