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最新更新日 2019.10.8
中川シゲオ写文集
中川繁夫:著

 中川シゲオ写文集blogに連載の文章

気儘に書きます-1-

 1~14 2015.12.11~2018.6.13

-1-
  

iPhoneを使い出して2ヶ月少し、これで写真を撮っています。
かなり小回りをきかして、その場でアップロードすることにしています。
GPSにより場所が記録される。
瞬時にネットワークにあげることができる。
リアルタイムで、いまのところ静止画を羅列している。
いまどきの作品作りの方法を、模索しているところです。
車窓からの写真が多いのは、瞬時の成り行きを、定着させる。
そんな発想もあって、粗悪品、作品つくりに励んでいます。
気持ちが、動転してしまって、どうしようかと思う。
自分の在処を探しているんです。

-2-
  

クリスマスイヴ、とはいってもぼくにはあまり関係ない。
今夜は帰りが遅くて、家族と一緒に食事するなんてしません。
この12月は、パソコンを入れ替えたので、そのメンテに時間がかかっています。
ようやく一巡、ホームページやブログへのアクセスを終えたところです。
このブログでは、これまでに書いた文章を再録していましたが、今は違います。
現在点での文章をライブで書いて、載せていくということです。
ところが最近、論を構成する文章が書けなくなってしまったのです。
フィクションならイメージを文章化すればいいだけなのに、これもできない。
どうしたことか、わけわからん、あたまが老化してしもて、あかん。
まあ、そういうこといっていても仕方がないので、支離滅裂しようと思っています。
こうなってしまった原因は、それなりに自分ではわかっているけど、なんで?
なんで、こんなことになってしまうのか、心の中なんて、不思議なものですね。
まもなくお正月、2016年になるというのに、われ、70歳です。

-3-
  

今日から2016年になりました。
なにかしら昨日と今日とは全然違う日として断絶した感じがします。
気分的なもので、単純には連続しているのに、区切ってしまうのです。
年末には、これは錦市場の風景、人混みしています。
観光客相手のお店が増えて、市民の足が遠のいている、というのです。
確かに、外国からの観光客が多かったように思えます。
ああ、今日は、正月、元旦、前向きの話をしていかなくちゃ。
前向きったって、そうですね、これから先どうするのか、前向きに、でしょう。

-4-
  

自宅玄関横、なんとなくお正月らしいイメージじゃないですか。
ぼくは、お正月を祝うという習慣をあまり持っていませんが、モラリスト妻の作です。
ことし古希を超えたいまになって、そのことを自省しています。
革命家、なんてありえないのに、そんなことをイメージしてた若い頃。
選挙?、そんなものいらないや、なんて直接民主主義だとか。
どんな時代やったってゆうんだ、戦争が終わって生まれてきたぼくら世代。
わけわからん、精神の混乱期に、たぶん少年期を過ごしたんだと思う。
いやはや、自分のことが、わけわからん、なんてゆう人間なんだ、とか。
内面なんていう言い方すれば、その内面たるや、ずたずたにちぎれた布。
わけわからん、怪人二十面相の内面、遠藤周作さんが、内面のこと書いてた。
内面を表にだせば、犯罪となってしまうことだらけ、ってゆうのが本音でしょう。
そうか、内面がそうゆうことを画策するから、規制のために犯罪とするのか。
ストイックな人間、外面模範的人間様、ほんとかな、ぼくはぼくのことしかわからない。
やばい、こんな話は、やばいですね、でも危険な言葉は使ってないですよ。
ごくごくまじめな、体制にどっぷりつかった人になっている「わたし」です。

-5-
  

気ままに書きます、というタイトルのカテゴリーがあるので開けてみたら、2年前の2016年1月からほったらかしになっていました。その原因は、アクセスが少ない、極端に少ないからです。このライブドアのブログは、アダルトにはたくさんのアクセスがあるようです。でも、アクセスをあげるにはどうしたらいいか、なんてあまり考えていなくて、ぼくの過去の記録として、保存庫としてアーカイブしている感じで使っています。だから、いま、ぼくは、この文章を、キーボードで打っているから、ほんとうは、たくさんの人に読んでほしいと思っているところです。

 2月になって、ここのブログは、カレンダーが自動的には更新されないから、たいがい月の初めに記事を載せます。かれこれ、ライブドアのブログは、12ブログ作っていて、アダルト系が7ブログあります。主にフィクションを書いて載せていて、もう10年ほどになるかと思います。ペンネームで書いているから、それをどのようにしていこうかと考えあぐねているところです。もし、売れっ子になったら、いくつものフィクションを並行して書いていかなきゃならないから、それのトレーニングだ、と考えてだいたい三作品を同時進行させて、まるで新聞連載のブログ版といった様式です。そんなことを思って書き出したフィクションですが、この先、どうなることやら、です。

 文章を書く、フィクションを作る、これは二十歳ごろから手掛けていて、途中サラリーマンをしていた四十年間にはフィクションなど考想する暇もなくて雑文程度でしたが、自由の身になって、それに時間を集中できるようになって、同人を探したけれど、だれもいなくて、むかし文学論を交わらせていた人たちも、なにを今更、って感じで軽くあしらわれてしまって、人生下降している連中には、もうそういう創作意欲なんか、躊躇してしまうんだ、と思うところです。近場の日帰り温泉へ月に1回程度行きますが、老人たちの巣、って感じです。ぼくは、気分転換に行くわけで、すっきりして、吉野家でうな重を、セブンでコーヒーを、それで半日を過ごすのです。気ままに書きます、少しシリーズで書いていこうかな、と思うところです。

-6-
  

 自分の居場所ということを考えると、わけがわからなくなってきます。あるべくしてある、そのあるべくしてあるものが、壊れていくような感覚が、夢のなかに出てきます。ふっと気がついて、暗闇の中、夢だと気づいて、言い知れぬ不安にさいなまれることがあります。自分を支えている世界との関係が、砂上の楼閣のように崩れてしまうのです。こういうときって、ひとは、どう対処するんでしょうか。ええ?、そんなことになるなんて、ありえないことだ、とおっしゃるんですか。そうかも知れないですね、自分が破たんするなんて、想像すらできない人がいるんですね。何の疑いもなく、昨日あったことが今日にもあって、明日にはそれがそのままあり続ける、とまあ、そういうことです。そうこういいながら、破たんするかといえば、破たんしないままに、ここにこうしていて、こんな話をするんだから、滑稽だといえば滑稽なはなしです。

 ふっとなんだか「とりかへばや物語」なんて句が浮かんできて、なんだったけなぁ、男と女がいれかわる話じゃなかったかなぁ、距離的にいえば、京都から、宇治までは、男は男、女は女、ところが、吉野へまで行くと、男は女に変容する、なんてことだったかなぁ、いろいろと思うわけです。記憶を辿っているところですが、男が女として育てられ、女が男として育てられ、そのことがばれてしまう、というような話だったかも知れませんね。詳しいことは、もうかなり昔に読んだ本の中だから、うすら覚えです。なのに、いま、ふっとそのイメージがよみがえってくるのです。いまさら、もう古希を越えたという身体の男が、なにを、思うや、です。年とれば年とるほどに、自分が中性化していくように思えてなりません。性欲を失っていく兆候なのでしょうか。生殖機能がダウンして、中性化してしまうのかも知れません。

 このバーチャルなインターネットという領域の、現実ではないフィクションの世界がひろがっているように思えます。ひところの昔にはなかった感覚で、いま、ネットで世界の隅々までフィクションでみれるようになった感です。物語は、あきこという女子らしき若いヒトが主人公です。ネットの中で、生かしていく、あの犬を飼っていくゲームがあったじゃないですか、それみたいな、あきこをバーチャルで育てるわけです。この子は小説を書こうとして、書いているわけです。写真を撮ろうとして写真を撮っているわけです。そうしてバーチャルソフィアにおいて、人格を持ったかのようにして小説を書き、写真を載せる、そういう全体を、一つの作品として成立させていこうとの試みです。失われたる時を求めて、壮大なバーチャル空間を、一つの球体にまとめ上げていくプロセス、みたいな作品で、その筋書きは、エロスな、時代の中で、究極のエロスを描けないかと考えるのでした。

-7-
  

京都衣笠に立命館大学の国際平和ミュージアムがあります。そのミュージアムの入った右側に、このブロンズ像があります。平和の象徴、わだつみの像、ですよね。銘記かなかったから、確定ではありませんが、そうだと思います。記憶を辿れば、1952年じゃなかったかな、この像の設置をめぐって、最初は京都大学に設置する予定が、そこには設置できなくて立命館大学に設置する手配となった、末川博総長の時代です。荒神橋事件というのがあって、京大から立命館へくる途中、鴨川にかかる橋ですが、そこにさしかかったデモ隊と警官隊が衝突した、というものです。その後、立命館大学の広小路学舎の研心館前に設置されていました。平和の象徴、戦没学生追悼の意味があったと思うのですが、1969年大学紛争の最中、この像が引きずり倒され、頭部が壊された。そういう歴史を辿った「わだつみの像」が、修復されて、国際平和ミュージアムの玄関わきに置かれているのです。何度か、写真に撮りましたが、先日、撮って、インスタグラムにアップした画像を、ここに再録しておこうと思います。立命館大学は、ぼくが卒業証書をもらった、母校ですから、追って、また、その思い出を書いていきたいと思っています。

-8-
  

カロリーが高いとわかっていながら、やめられないのが食欲、これに負ける。
梅田にあるカウンターの天丼屋さんの天丼、税込み530円です。
わざわざ、食べに行くんだから、始末に負えない、性欲減退食欲旺盛。
年齢が高くなると消化が出来ないんだと聞いたが、本当だろうか。
摂取カロリーに対して運動量が少なくて、たぶんカロリー消化しないんだろうな。
コレステロールが高くなって、ぼくには悪玉君がたくさんいるんだとか。
昨年秋から三キロ増えて、減らすつもりが増えるというのは、どういうこっちゃ。
体操しないじゃない、身体を動かさないじゃない、わかっているのに動かせない。
頭脳プレーが大きいけど、ますます迷宮入りしてしまって、痴呆じゃないかと思ったり。
急速に体力が減退しているのが、わかるけど、そんなこと、はっきりと言えない。
極彩秘宝館の展覧会に出品させてもらえることになりました。
4月17日にはじまり4月29日に終わると、ぼくはすでに72才になっている。
これまで書き溜めたフィクションからの抜粋、イメージは現在思案中だ。
4月22日には恒例の釜ヶ崎写真展を万博公園のお祭り広場で開催です。
こちらはすでに撮りためたプリントと撮り下ろしたプリント混在です。
そう思えば、これまでまともな展覧会なんてやってこなかったことに気づきます。
最初はオーソドックスな写真グループ展でしたが、1979年釜ヶ崎で青空写真展。
その12月の初個展は「聖家族」の壁面で、釜ヶ崎の写真を張り巡らせた。
巡回写真展とか、写真愛好者の場ではなくて、その外に向けての表出でした。
なにしてきたこっちゃ、手元には言葉だけが残って、財産は無くなってしまった。
細々年金生活者の嘆きを、このようにして書いていますが、気持ちは瑞々しいです。
身体が枯れていくのと裏腹に、気持ちは瑞々しく豊かになってくる感じです。
「淡雪の街」って題の小説を書きだしたけど、だめですね、前後が続かないですね。

-9-
  

先日行ったカフェ&プレスのなかで、話題にしたのは掲載写真のこの展覧会のことでした。日本の写真状況の1970年代において流行った「コンポラ写真」の原点になった展覧会カタログ。直訳で「今日の写真家たち、社会風景に向かって」展、ネイサンライオンズ編集の五人展でした。この写真展は1966年に、ニューヨーク州イーストマンハウスにて開催された写真展です。そのカタログが日本に入ってきて、写真家、写真愛好者らに興味を持って受け入れられたという。コンポラ、その内容について、少しは勉強しておかないと、いま、写真について、語れないよなぁ。このように思う次第で、ぼくが提案して呼びかける<カフェ&プレス>の最初の勉強会テーマです。

この写真展に出品する5人の写真家は、1930年代の生まれのようだから、1966年当時は30代の男子です。2018年の今から俯瞰してみると、その前、その後、その横つながり、いろいろな視点から、その時代というものが語れるのではないかと思います。半世紀が過ぎた今ですから、世界構造や社会環境が大きく変わっていて、まさに歴史として定着させる距離になっていると思うのです、なおかる今に至る、今の原点が少なからずそこにあるようにも思えるのです。そもそも、写真の制作態度とか被写体選びとか、作者のその時代の立ち位置とか、テーマそのものが、それまでとは違って、同時代の人の共感を持つ感覚的なこと含め、新しい内容を呈しているものであろうと思うのです。1966年、これを記述しているぼくは、1946年生まれだから20歳のときの展覧会です。自分史を捉え、自分の感覚と、その写真の感覚との整合性を見つめます。とはいっても、ぼくの居た環境と、五人の写真家が居た環境とは、違います。

-10-
  

2018.5.24
いい天気になりましたね、午後にはもっと暑くなるとの予報です。
昨日は、久々に日帰り温泉、仁左衛門の湯、へ行ったところです。
帰りには吉野家で鰻を食べようと、計画的に思っていたところで、これです。
ええ、けっこう高いんですよ、これで1220円だったか、50円の割引券がありました。
吉野家はTポイントのポイントがもらえるお店で、5ポイントが付きました。
ええ、これで、けっこう満足しているんです。
区切りにしようと思って、その区切るために日帰り温泉に行って穢れを洗い落とす。
でも、ね、日々は連続していて、繰り返し繰り返し、螺旋階段みたいにぐるぐる。
あがったり、さがったり、あっちへ、こっちへ、前向きなのか、後ろ向きなのか。
内面ってこんなもんだろうと思うけど、これは隠していかないと、やられる。
ぼくなんか、あけっぴろげだから、だまされっぱなしですね。
身ぐるみ剝がれされた感じもするけど、家族と家が残っているから、まだましか。
でも、生きれてるから、それでいいと思って、自由気ままに生きたいと思うのです。
肩書ってゆう名誉もいまさらどうでもいいし、肩書がないと評価されないのも事実かも。
人の見る目って、肩書を見てその人を評価する、でも、これ、もう過去の評価基準です。
肩書のある奴って、悪徳ですよ、人をだまして、自分を正当化する、そんなのいけません。
吉野家鰻重二枚重味噌汁セット、ひとりで、内緒で食べたのを、インスタで暴露して。
ここに、こうして、暴露して、五千円の鰻重とどこが違うのか、ぼくは、こだわりません。

フォトハウス表現塾主催
<カフェ&プレス>
毎月第三土曜日に開塾しています。
時間は、午後2時~午後5時
開塾場所は、アマノコーヒーロースターズ

参加費500円(コーヒー代+) 
サービス満点、ぜひ、来てくださいね。

-11-
  

昨日、5月28日、音楽家の文字さんと、畝傍山をのぼってみようと行ってみました。
どこからのぼろうかと詮索しながら、やっぱり橿原神宮からのぼろうと決めました。
懸案、昨年、香具山、耳成山、それから今回の畝傍山と大和三山を巡るつもりが。
丁度一年前くらいに、麓までいったのに、のぼれなくて、神武天皇陵でストップ。
今回は、だから、橿原神宮からの出発としたけれど、全部、まわれなかった。
いくつか神社があるのだけれど、そこへは到達できなくて、でも頂上へのぼれました。
掲載の写真は、橿原神宮の本殿前ですが、ヒトがいない、参拝者がいませんでした。

そもそもなぜ大和三山巡りなにか、ということです。
先っ飛鳥の地から、明日香、藤原京、と古の跡を巡っているところですが。
どうして、こういうことを、するようになったのか、古寺巡礼じゃないけれど、です。
寺というより神社の方へ、興味がわいきて、かれこれ10年くらいです。
あんなに宗教を否定していたのに、歳と共に肯定する気持ちになってきています。
信者じゃないですが、その精神性というか、人間の心境について、同化する感じ。
それが、最近は、かなり明確にイメージできるようになってきた、と思えるんです。

京都に至るその前の、大きな歴史の流れを、自分の中にイメージしています。
そのことが、写真や文章、はたまた映像に、まとめることができるかどうか。
作品に昇華させていくための、イメージトレーニングしているところ、です。
たぶん、永遠に終わらない、イメージの展開ですが、作品にしたいと思っています。
なのに、その片鱗すらつかめていないように感じられている、いまです。
それでも、大和三山の写真が、そろったところです。
日本の風景、その精神性なる感覚を、提示できればと思うところです。

フォトハウス表現塾主催
<カフェ&プレス>
毎月第三土曜日に開塾しています。
次は三回目で、6月16日です。
時間は、午後2時~午後5時
開塾場所は、アマノコーヒーロースターズ

参加費500円(コーヒー代+) 
サービス満点、ぜひ、来てくださいね。

-12-
  

三月の終わりだったかに散策した嵯峨、広沢池から大覚寺までの道を久々に歩きました。
市バスの山越えで下車、そこから広沢池の西縁を歩んで山手まで行きました。
この山手の奥に古墳群があるとの話なので、そこへ行きたいのです。
棒で閉鎖されている道しかなくて、道といってもなんとか歩ける道、何の表示もない。
ひとつだけ、帰りの道に迷わないように、記憶を確かにして、進んでいく。
池がある、相沢池がある、とスマホのマップに表示があるので、そこまで行く。
アンドロイドのマップは、方向が、わかりにくいですね、見方がわるいんですね。

ともあれ、ひとりで山の中、昼下がりだから怖さはないけど、迷宮ですね。
写真を撮って、なんとか帰還してきて、アスファルト道を歩いて、外れます。
古墳らしき盛山があるので、電柵をよけながら、そこへ辿りつき、のぼりました。
掲載の写真は、それで、遠方左側に広沢池の山、その右手の遠方に市街。
少し広角なので、パースペクティブを見た目のくらいに調節して撮影です。
まだ平安京以前のころの古墳だと思うんですが、このように京都市内が見える。
ふむふむ、昔のひとは、このような遠近感で風景を見たんだ、とおもうところです。

しばらく日本の風景として、奈良県の方に気持ちが行っていたので、京都に戻る。
大和三山の山中の風景を撮った写真を連載しています。
いいえ、決して芸術写真じゃありません、自然のままのスナップです。
香具山、耳成山、畝傍山、神武天皇陵、橿原神宮、ひとまずここまで。
ほかにも纏向方面、聖徳太子の墓地とか、連れて行ってもらいました。
まだまだ、イメージトレーニング中ですので、入り口に立ったところですが。
それらを、京都につなげてきたいと思っているところです。

現代表現研究所&フォトハウス表現塾の主催
<カフェ&プレス>
いまのところ毎月第三土曜日に開塾しています。
次は三回目で、6月16日です。
時間は、午後2時~午後5時
開塾場所は、アマノコーヒーロースターズ

参加費500円(コーヒー代+) 
制作の根源コンテンツを引きだすための頭の体操かな。
ぜひ、来てくださいね、お待ちしています。

-13-
  

昨日、ここに、嵯峨野古墳群のことを書いていて、気になることばかりでした。
たしか立命館の京都文化講座のシリーズに、論文があったと思って見てみました。
掲載した写真は、相沢池の水面ですが、古墳群はもっとそこよりも奥の方のようです。
長刀坂、なぎなたさか、と読むのかどうかわからないけれど、この池の奥になるらしい。
図表を見てみると、嵯峨野古墳群の長刀坂支群と表記されているところがそうらしい。
たしかに石碑だったか、グーグルのマップだったか、長刀坂、という表記がありました。
でも、一人では行けないな、道に迷いそう、迷って帰ってこれなくなるかも知れないな。

朝から、「京都・嵯峨野の古墳と他界観」和田清吾文学部教授の論文を読んでみました。
古墳時代の中から後半になるらしいのですが、嵯峨野一帯には沢山の古墳群がある。
特別に、古墳に興味があるわけでもないので、これ以上の詮索はしませんけれど、です。
奈良の桜井市にある箸墓古墳が、古墳の最初だそうですが、嵯峨野は数百年後です。
まだ平安京造営のかなり前のこと、西暦600年前後、七世紀のこと、広隆寺が建立される。
広隆寺って、日本で最初の寺院と書いてありますが、本当ですかね。
北野廃寺が白梅町あたりにあって、今の太秦に移され、名称が広隆寺になる。

その頃の京都イメージを頭の中に描いているところですが、これまでに見た図版ですね。
知識の集約といっても、言葉が、絵とか像とかに結びついて、イメージ化されている。
あらためて、ぼくという思考の構造をみているわけで、コンテンツ作りにつながるのか。
表現というその表出された内容の、基底にあるイメージを創造すること。
これが、このことができること、これが基本だと思っているところです。
その部分に触れていかないと、新しいコンテンツは生まれてこない、のではないか。
解決しないといけない問題、いっぱいあるなぁ、つくづく思うところです。

-14-
  

2018.6.13
先日、京都の北、西賀茂方面へ行ってきました。
五山送り火のひとつに、船の山があるんですが、その麓へです。
住宅があって、登り口もわからなくて、うろうろするばかりでした。
なにか、カフカの物語、題名忘れた、を読んで覚えたような感覚になります。
なにしてるのか、わからない、うろうろ探して、遠くから見えた光景を記録に。
川向こうの山並みに、とんがった山があるので、それが神山だと思うのでした。
ここから加茂川の橋を渡って、柊野別れに出て、上賀茂神社まで南下しました。

ここへ行く数日前には、玄琢から山沿いに歩いて、この近くまで来ていました。
この界隈を歩くのは、初めてのことで、どんなところなのか、興味がありました。
京都北物語というフレームを考えていて、その一環として散策しているのです。
いま、フォトハウス表現塾の拠点を、アマノコーヒーロースターズさんの置いています。
北大路堀川からバス停でふたつめ、東高縄町の前にある処です。
カフェ&プレス、月例会ですが、この4月から第三土曜日に開催しています。
この場所が京都の北にあたるので、ここを中心にして、物語を作ろうと思っています。