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最新更新日 2019.10.8
中川シゲオ写文集
中川繁夫:著

 中川シゲオ写文集blogに連載の文章

気儘に書きます-2-

 15~28 2018.8.1~2019.7.8

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2018.8.1
むくむく通信社グループのHP
2004年に「むくむく通信社」をたちあげてから14年が過ぎています。
この間、京都写真学校を立ち上げ、10年間、写真カリキュラムを実行しました。
この枠組みは、今年から「フォトハウス表現塾」の名称で、新しく立ち上げました。
外見や内容が、かなり急速に変わる時代になっていると思っています。
十年ひと昔とはよく言ったもので、社会環境がかなり変わってきています。
いつも<今>ということを念頭において、形を組み替えないと形骸化します。
現代表現研究所を立ち上げ、フォトハウス表現塾を立ち上げた今年です。

現代表現研究所のHP
ぼくは文学から写真へ移ってきたキャリアで、いまは写真のことが中心になります。
というのも写真の学校をたちあげ、アート全体を見渡せることも学んだつもりです。
そこで写真を軸にした世界を、全体として捉える研究をしようと考えています。
「フォトクラブ京都」という名称で、写真クラブ組織で、写真研究を行う仕組みです。
巷にあるフォトクラブと同じような仕組みですが、新しい捉え方を求めます。
とくに作家や批評家をめざす人には、必須の研究をしていく枠組みを提供します。
フォトクラブ京都は、9月1日(土)に設立例会を開催します。
ぜひ、設立会員になって、新機軸を作り出していこうではありませんか。

フォトハウス表現塾のHP
現代表現研究所&フォトハウス表現塾の主催
<カフェ&プレス>
いまのところ毎月第三土曜日に開塾しています。
時間は、午後2時~午後5時
開塾場所は、アマノコーヒーロースターズ

参加費500円(コーヒー代+) 
制作の根源になるコンテンツを引きだすための頭の体操かな。
ぜひ、来てくださいね、お待ちしています。

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毎年のことですが、お盆という風習について、いろいろと思ことがあります。
文献を紐解いてイメージを創るという作業というよりも、目で光景を見ての感覚として。
京都に生まれて、京都に育って、いつの間にか京都の風土のなかで精神を育ませた。
それにしても信仰心が余りない自分だと思っているのですが、どうしてだろうか。
自分がいる場所のから受ける精神風土への想いというか、降りていく道ですね。
幼少のころからの記憶が、いろいろとよみがえってきて、心のなかの映像です。
写真作品とか、小説作品とか、エッセイとか、自分の想いを語る語り草のこと。

17歳で詩集を出そうと思ったけれど、どうしてそう思ったのか、詮索します。
文学作品に触れていて、詩集を読むことが多かった。
外国作家、日本作家、リルケとかアポリネールとか、高村光太郎とか島崎藤村とか。
中学に入ったときからはブラスバンドに熱中して、パレードの指揮官をやったり。
これは高校にまで引き継ぎ、ブラスバンド部を創部することになります。

そういえば小学校の学芸会では、音楽に出て、いつも真ん中にいた感じです。
多分にもれず、多感な少年だった、好奇心旺盛、不良にはなりきらなかった。
こんな言葉、単語、そのことだけで、今なら小説仕立てで物語ることもできそう。
夢幻舞台というイメージは、ある女子の死によってもたらされた熟語で、1983年です。
京都のお盆行事に取材した、写真とエッセイ、これは200部の自費出版をしました。

現代表現研究所&フォトハウス表現塾の主催
<カフェ&プレス>
今月は、8月18日(土)午後2時~午後5時。
開塾場所は、アマノコーヒーロースターズ

参加費500円(コーヒー代+) 
ぜひ、来てくださいね、お待ちしています。

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昨日今日と二日間、町内の地蔵盆行事が行われて、先ほど終了しました。
生まれ育った地区で、今もって住んでいるという、純粋なる京都人です。
1980年代以降、自分の風土を捉えるところから、内省し、京都を外在化させる。
この地域、大正四年の幕に、愛宕郡という書かれていて、京都市ではなかった。
この地域の地蔵盆は、盂蘭盆会の時、8月13日から15日に行われています。
京都の他の地域では地蔵盆の8月24日に行われています。

聞くところによると、織屋の盆休みは13日~15日、これにあわせて地蔵盆を行う。
同じ京都市内といっても、微妙に差異があります。
この差異は、その地区の仕事に密着しているように思えます。
この地域は、西陣の織屋が集まるところで、生産地で、盆正月しか休まない。
西陣の産業構造のなかで、収奪される側の人々が住まっていた場所です。
きらびやかな飾りの祭壇は、生産者の誇り、そのものが具現化しているのです。
女が労働力として働いていた地域である西陣の端っこです。

釜ヶ崎に関わっていたとき、どうして京都の人が釜ヶ崎なの、と訊ねられたものだった。
たぶん、人の意識を構成する底流が、共通しているのではないか、と思ったものです。
虐げられる側にいる人々、その群れのひとりに自分がいる、そのような感覚でした。
これらの感覚は、微妙な差異だから、たぶんかなり自己省察しないと、分からない。
この自己省察からくるテーマ設定と、出来上がる作品が、いま求められていると思う。
外面から内面へ、省察の底流がひろがり、深まり、それがテーマの進化というものだ。
最新のテーマは、自分の考察、自分分析、そういうところに置かれるのではないか、と思う。

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2019.4.29
京都写真学校開校中の記録写真
2004年10月から2015年3月まで、京都写真学校が開校しておりました。
受講者減少などがあって十期をもって休校としました。
それから約4年が経過し、新たな枠組みで学校機能がオープンしています。
現在は「フォトハウス表現塾」の名称で、塾生を募集しているところです。
カリキュラムは京都写真学校のものを若干手直をして現在化しています。
十年といえば社会インフラが変わり、ネット社会が進化し、スマホが全盛です。
ツールを使った表現の方法も、それに伴いテーマとなる内容も変わります。
内容については、現在のツールに合った撮影と、アートの潮流に乗せます。

現代表現研究所を母体として、フォトハウス表現塾を運営していきます。
それと同時に、ワークショップを開催していきます。
2019年4月現在は写真ワークショップですが、文学系ワークショップも企画中です。
絵画、写真、映像、音楽、文学、と五つのジャンルのワークショップを開催したい。
それぞれのジャンルが融合して、総合的な知識とテクノを駆使できるメンバー養成です。
新しい時代だから、新しい方法で創造していくべく、興味ある人を集めています。
これまでの価値観にとらわれない、新しい制作物を産み出してメンバー創出です。
フォトハウス35年の経験と京都写真学校10年の経験から、新しい時代を築きましょう。
現代表現研究所のHP​

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2019.5.3
音楽家の文字さんと松尾大社へ行きました。
ご神体が大きな岩だというのでそれを見るためです。
神社のご神体が岩であるという神社が多いそうで松尾大社はそれです。
山の上の岩に神さまが降りてこられるというイメージがあるんですね。
ご神体の山が台風被害で登れないというので、残念ながらあきらめました。
松尾大社に隣接するようにして月読神社があって、そこを訪問しました。

目的は何かというと、平安時代よりも前から秦氏一族がこのあたりに住んでいた。
この秦氏一族がいたという地域を、古代をイメージしながら、歩くことでした。
北は嵯峨から東は北野白梅町にあった北野廃寺まで、そうして南は向日市。
京都では、この一帯が平安京以前に、渡来人系の秦氏一族が住んでいたようです。
ぼくは、古希を迎えたあたりから、これらの地域の古墳を訪ねたりしています。
誰の為でもない、自分の知識を増やして、見てみてイメージしているところです。

もちろん写真を撮って、それにともなってこのような文章を書いています。
写真を撮るカメラは、スマホとコンパクトデジカメの二刀流です。
文章は昨年「峨野慕情」「京都北物語」のタイトルで短文を書き出したところです。
紙の媒体での出版は、費用がかかるのと手間がかかるので、できそうもありません。
ネットでホームページやブログで、写真と文章を載せているところです。
こういう作家活動と並行して場つくりをもしていかないと、と思っているところです。
<はな>と<小説>のホームページ

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2019.5.12
まだ案ですが、お知らせが来ました。
写真芸術学会(?)の第6回研究会は2019年9月7日(土)午後5時~
於 ビジュアルアーツ専門学校VD1校舎7B教室
「1970年代以降の関西における写真動向を検証する
 ;京都を中心とした写真活動について」
ゲスト 写真編集家 中川繁夫氏

どんな話を展開すればいいのか、頭の中で構想を練っているところです。
1970年代以降の関西における写真動向を検証する、というのがシリーズのようです。
そのなかの京都の活動について話をしてほしいという要請だと思います。
ここでも、メモをつける意味合いで、話題を出していきたいとおもうところです。

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太秦に通称蚕ノ社と言っている神社があります。
木嶋神社とも言っているようですが、ぼくは蚕ノ社と言っています。
正式には、もっと長い名前で、どうも覚えられなくて、言えないんですね。
古い神社、四世紀のころには存在していたようです。
この蚕ノ社に三本柱の鳥居があるのです。
三柱鳥居と書いてあって、日本ではここだけにある、そうです。
柱に囲まれた空間が神聖な処、ご神体なんかな、よくわからないけど。
ぼくは結構アバウトな人で、詳細分からないまま、確認もせず、書いています。
今更、詳しく、学術的に、学ぶ、というには遅すぎる年齢です。
いや、もう、覚えられない、記憶力がなくなっていて、それでアバウトなんです。

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<はな>と<小説>のホームページ
先日、衣笠山へ登ろうとして堂本印象美術館の横から侵入してみました。
立命館の駐車場と幼稚園との間の道から、侵入することができました。
頂上の方へは行かずに水平に北の方へと歩みましたが途中で道がありません。
一人で歩いているので帰り道に迷わないようにと思いながら、迷ってしまいました。
衣笠山は思い出として、懐かしい山です。
中学がこの山の裾にあって、学校の裏から、直接、この山へ一直線で登ったのです。
そんな思い出がある衣笠山で、60年ぶりにのぼってみようと思ったわけです。

いまある「きぬかけの道」観光道路を造る工事をしている真っ最中のころでした。
堂本印象さんの自宅アトリエがありましたけど、堂本印象さんのことは知りませんでした。
山裾の中学校で、吹奏楽部の演奏に魅せられ、入部して、そこからが青春時代です。
この歳になってきて、毎年のように同窓会があって、旧知の友と顔をあわせます。
この前には小学校の同窓会で、会長のKIKUTSNIさんとは、吹奏楽部で一緒でした。
そう思い起こせば中学の三年間は吹奏楽部が中心にあったように思えます。
女子を意識しだす年頃でもあったから、ほのぼの、思い出すと、ほのぼの、ですね。

その衣笠山の界隈、今は立命館大学の正門があり、堂本印象美術館があります。
その頃には立命館はまだ衣笠に移転していなくて、野球場と理工学部がありました。
小松原があり、等持院があり、友達もそこらへんにいて、立派な家に住んでいた。
そんな友達の家へ、遊びに行って、部屋に通してもらって、感心したことばかりです。
恋した話は、しない方が良いかと思っていて、ここには書きませんけど、淡い恋したよ。
まあ、同窓会で恋した女子に会っても、恋してたとは言いませんけど、面はゆいですね。
そうなんだ、十代の前半になるんですね、その頃の思い出というのは、今や遠いですね。
中川繁夫のホームページ

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嵯峨天皇陵、宇多天皇陵、天智天皇陵と、最近、京都近郊の天皇陵を取材しました。
昨年の今頃って、取材に天皇陵は避けていて、太秦から嵯峨野の古墳を追っていました。
ぼくの世代は、反天皇制というイデオロギーが表立っていたし、ぼくもそれに感化された。
だからそれにまつわるあらゆることに反発か沈黙を決め込んでいました。
心情的に、天皇という立場を容認できなかったわけです。
でも、年とってきて、自分がいる世の文化として、天皇制に興味がわいてきました。
いま否定論者ではなくて、賛同者でもない立場にいますが、日本文化に興味があります。
特に古代、国家が形成されてくるプロセス、歴史の分野ですかね、これに興味があります。

そこそこに高齢になってきて、いやこれはあきらかに東松照明さんの影響です。
文庫本で現代語訳の古事記の第一巻を、それなりに読みながら、神話の時代に興味をもった。
史実と神話、意識しだして、日本という国が成り立ってきた背景に興味がわいてきたのです。
まったくアバウトに、イメージだけをつないでいるにすぎないところです。
明日香へ、先っ飛鳥へ、山の辺へ、MONJIさんに連れて行ってもらって、現場を探索。
これが三年前から始まって、纏向とか、天理とか、他にも連れていってもらいました。
おぼろげに古代から平安京あたりまでの全体像が、イメージできるようになってきました。

カメラを持って、行く先々を点描するだけで、文章化するところまでには至りません。
京都のイメージを文章にと試みますが、思うようにはいっていないところです。
先月から今月、西暦2019年4月から5月ですが、元号が替わったのです。
あきらかにこれを意識して、天皇陵、目に見えるモノとして、写真に撮ってきたところです。
膨大に文献資料がある領域ですが、ぼくはイメージだけで全体を掴もうとしているわけです。
そういう歴史の分量を下敷きにして、自分とは何か、という問いかけをしているところです。
73歳になりますが、ようやく自分とは何かという問いの入り口、門を開こうかと思うのです。

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2019.6.2
なんだか気分が区切れた感じがして、非連続な感じがして、いまここにいます。
昨日までのせっぱ詰まり感が抜けていって、青天井になった気分です。
思い起こせば、といったって何を思い起こすのか、思い起こしてそれを文にする。
そんなことできなくて、思いにとどめておかなくちゃ、と思ってしまいます。
でも、ここまで来て、といっても此処という位置は、自分の中でしか定めていません。
過去は過去、過去のしがらみにしがみついていても、始まらないですね。

たくさんの広報ツールを操って、なんとか人を集めようとしているけど、徒労ですね。
掲載している写真は、説明しないと単なる雑木林でしかなくて、でも説明が必要なのか。
陵墓参考地となっている場所だから、ひょっとしたら皇族の墓、というのらしい。
でも、そんなことは、どうでもよい気がするけど、必要な情報なのですね。
曖昧な場所です、まあ、自分が立っている場所も曖昧といえば曖昧そのものです。
とりとめなく、際限なく、自分なんて小さな存在にしか過ぎないのに72年も生きた。

目の前の本棚に、少しずつ最近買った本が並んできて、背表紙を眺めています。
古くから所持している本もありますね。
最近の興味の中心が、書籍という格好で、目の前に並んでいるということ。
要らないものは捨てろといわれても、要るかもしれない、と思うから捨てられない。
もう色あせた紙のかたまりなんて、焼却処分にしたらいいのかも知れない。
まあ、未練、という後ろ髪引かれる感情ですね、これが邪魔してるわけ。

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衣笠の立命館大学正門前にある堂本印象美術館は京都府立になっています。
ぼくは京都市民で老人だから、無料で入館できます。
今日、思い立って堂本印象さんの作品展を拝観してきました。
仏画を描いていた日本画家の堂本印象さんです。
その彼の画室というのかアトリエというのか、衣笠にあったのです。
その跡地に建てられているのが堂本印象美術館、現在京都府立です。
この地、通っていた中学の前で、1960年代はじめの、この界隈のことが記憶です。

日本画に京都画壇という括りがあって、北野から衣笠あたりに、画家さんが住んでいた。
そういうことでいえば、文化度が高い地域だったと思います。
なにかしら、ぼくが生まれ育ったのは、西陣の末端地域の生産現場です。
でも、ぼくの両親は西陣織に関係していなくて、祖母と叔母が西陣織の織子でした。
屈折した気持ちというか感情が、地域のなかの異端児だったように思うのです。
年を取ったいまは、偏屈なおじいさん、変なおじいさん、というところでしょうか。
学問というか、学術に憧れていて、文学とか芸術のことを語ったりします。

それほど教養レベルで、知識があるわけではありません。
書籍はたくさん買ったけど、読むほどには時間が持てませんでした。
貧乏だから、いつも食うために働かなくてはならなくて、高等遊民ではありません。
なにをもって偏屈だというのかは、自分からは言えないけれど、分からないから。
どうしたわけか、反権力をめざす権力志向の精神構造に育ってしまったみたい。
絵を描くのは下手、筆も下手、写真も下手、下手だけど、想像力は変態レベル。
まだ、あと、10年くらいは、生きてられるかと思っているけど、???ですね。

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2019.6.27
昨日、お見舞いかたがた写真の先輩OOYAGIさんの家を訪ねていきました。
京都シュピーゲルという写真クラブに入会されていて、90歳になられる長老です。
関西の写真史をまとめようとして、資料を借りていたのを返しに行ったのです。
ぼく自身が、もう資料を漁って文章を書く、という作業ができにくくなっています。
気力の問題かもしれないけれど、その気力が衰えている気がしています。
それだけではなくて、構成された文章が書けなくなってきて、散文ばかりです。
散文は、書き出しと終わりのつじつまがあわなくて、思いつくままだからです。

<カフェ&プレス>総合文化研究所の記録
ここのブロブのカテゴリーに<カフェ&プレス>があります。
そこに2001年頃に思考した構想を文章として載せています。
今月になってから、帝塚山ハウスを訪れ、別の研究会に遭遇したところです。
キーワードは、地域通貨、ジャンル難民、ぼくが共鳴するのかこのあたり。
新しい社会運動を提唱したNAM(ナム)は2000年に生成、三年で消滅しました。
この運動を受けて、ぼくはぼくなりにフリースクールからカフェ&プレスを提案。
その後、京都写真学校になったり、現在のワークショップの枠組みになったり。

あんまりでしゃばるといけないんだけど、というのも言うばかりで実践伴わない。
かってあったような体力がないから、実践の場を創りだし運営することはできない。
求められれば、その構想をお知らせすることにして、ぼくとしては現状を知りたい。
いま、まだ、その当時の出来事が、生成してきていると感じているところです。
帝塚山ハウスに集まる人たちが、新時代を、どのように生成していくのか、です。
よその真似事から、自分たちの独自性へ、これを創っていけるかどうか、です。
反資本、反グローバル、親人間の共同体が、イメージできるかどうか、ですかね。

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数日前ですが、伏見のお稲荷さん、その稲荷山の頂上まで登ってきました。
音楽家のMONJIさんと一緒に、前回は松尾大社、今回は稲荷山、でした。
次は、石清水八幡宮がある八幡の山へ登ろうか、と話しています。
ともあれ、稲荷山、頂上まで登ったのは初めてて、たぶん最後になるか、と。
個人的には、船岡山、吉田山、双ヶ岡、と平安京の三方にある山を登りました。
でも、松尾大社と伏見稲荷と石清水八幡は、京都の別格だというのです。
頂上には、なにがあるのか、松尾大社は登山禁止でしたけど、稲荷山はOKでした。

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暑くなる前にと思って、山に登ろうと思って、稲荷山にのぼりました。
写真のこれは、山というほどではないけれど、泉涌寺の山の奥の天皇陵です。
昨日は豊国神社の豊国廟の階段をのぼって、きました。
いずれも京都の東、伏見から七条あたり、そのへんを取材したところです。
人がいるところでは、祇園の八坂神社から高台寺、安井金毘羅へも行きました。
でも、観光客などが群れている場所で撮った写真は、ちょっと意味合いが違います。
なので、撮影のメインにはしていなくて、嵯峨野にしても嵐山は番外です。

ホームページを各方面ように作っていて、農作業から写真や文学まで。
それに総合文化研究所から現代表現研究所、フォトハウス等々のグループ。
むくむく通信社関連のアグリネットやむくむくアーカイブス等々のグループ。
いくつかの系統があるのですが、それをもう少し簡略して明確化したいなぁと思う。
花と小説のホームページには、たくさん書いてきた「小説」を集めようかとも思う。
いずれにしても、もう年齢が高齢者なので、今後のことも考えないといけない。
そうこうしているうちに、そのこと自体が不必要なことだと、断定するかも、な。