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いま、写真行為とは何か
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最新更新日 2012.10.23
いま、写真行為とは何か 1978~
中川繁夫:著


    

いま、写真行為とは何か。

<いま、写真行為とは何か>

写真家が自づから撮りうる被写体を選択することは、写真家自身の資質に関わっている。少なくとも写真家とて、自づからの思想を持たないままで、居られる訳がない。写真を撮る行為、被写体と関わっていく行為は、写真家自身の内部人格を形成しているその価値体系に、直接、関わっているはずである。

カメラマンが仮に、何の目的もなしに、何の分別、思想もなしに、被写体と関われるとすれば、それは直接に自己の生活の、少なくとも精神生活の部分において、深刻な思い入れがない為であろう。

写真を自己表現の手段としたとき、その表現領域は多岐にわたる。非常に自己閉鎖的な観点から、自己の直感というものに絶対的信頼を寄せ、そのことから自己の内面を照射するとでもいったような表現方法、ちなみに「私写真」というたぐいの写真が、これであろうか。

写真が、思想を語るところの言語形態といちじるしく相違する点は、シンボライズされた記号でもって内容を構成する以前に、内容となる「事物」が、印画紙のうえに形象として存在することである。一面、非常に具象的である、ということである。


言語を連続させることによって、目の前には存在しない「事物」を表現しようとするとき、他者に対して、きめ細かな説明を試みたとしても、なお行き違いを生じさせるであろう。このことは、そのひとの体験、疑似体験をも含めて、の範囲にもとづいて言語を解釈するからでる。文学(詩や小説)は、そのあいまいさを残すことによって、直接、想像力に訴えかけるのだけれど、写真は、まず、このあいまいさを除去するところから始まらなければならない。

化学的処理をし、人の前に提示される印画の中の、白と黒のトーンあるいは色彩粒子の集合体としての写真は、現実にその場に居合わせれば、だれの目にも見える。見ることが可能な形が、表出されていなければならない。「これは何々です。」と、明確な判断が下せる事物がそこに在る、ということがあるべき前提として、あることが必要であろう。

写真と、写真家との関わりは、このことの了解から始まる。写真家は、被写体にレンズを向けるとき、その被写体に対して自己の価値体系の集約を、直感として投げつけているはずである。この「自己の価値体系」とは何か。この場合、写真家をして被写体に触発されてシャッターを切る要因となるべき内的営為とは、どのようなものなのか、と言い換えられるだろう。

あるいはその表出態としての「共感」。この発作的に起こる共感の要因を形成するのは、写真家として以前の、ひととしての体験に根拠を持ったところの情緒、つまり感性と言えようか。この、ひととしての感性が培われてきた構造は、自己の身に引き受けてきた人間集団の情況、少なくとも非常にポリシイなものによる介在が認められるであろう。


ぼくが写真を撮りはじめる以前、ぼくはこの時代の政治的抑圧状況を身にしみて感じていた、といえる。暗雲たちこめた情況の中に、ぼくの精神生活があった。文学に多少の関わりがあったぼくは、ぼくの感性がその政治性のなかに崩壊していく様を、執拗に見続けてきたと思う。このような中で、ぼくはカメラを持った。写真を写すことによって街角に出、軽快な小市民的な趣味を所有したのであった。

一方で闘争を放棄してしまった自分をなじりながら、一方で生活の基盤を築きつつ、、生きる、という精神の軽やかなふるまいを感じながら。生きることの喜びは、ひとつひとつと素敵な生活道具を手に入れることによって形成されていくのだ、と思い込もうとしていた。
「君は生涯、この問いかけから逃れることは、できないはずだ。」
と言い残したまま、ぼくの前からこつ然と消息を断った同士としてあった友人の言葉が、常にぼくの営為の深みにちらつきながら、しkしぼくは、もう放棄してしまったのだから、と思い続けた、

日常性への埋没。ぼくと家族の周辺で、日常起因する様々な現象に、一喜一憂することもまた許されてよい生きかただ、と思う。だがしかし、とぼくは今、このことに異議をを申し立てる。

ぼくが今、ぼくの日常から逃れられない、捨て去ることができないものであればある程、ぼくはこの日常の中でこそ、この日常を見つめ問い続けなければならないはずだ。写真を撮る、という行為は決して、非日常の行為ではない。ただ、もし日常性というものが、日毎に起こる身辺の事象に対して無関心に流れさしてしまうことの内にあるのならば、それらの事象をぼくお生活の前に、起立させ組織しなおすことであろう。このことによって、ぼく自身が新しい価値体系を発見し創出していくことであろう。ぼくは新しい体験を敢えて欲していかなければならないのだ。

写真とは何か、という大命題的な問いかけは今始まったことではない。写真が絵画に追随しその模倣であった時代においても議論されていたであろうし、また写真が芸術であろうとしてついに自己崩壊してしまった今にいたっても、なおかつ問い続けられている問題である。写真は記録である、という定理が確立しはじめたのがいつの頃からであるかは知らないが、写真が、ある日ある時ある場所で、写真家の営為でもって目前の現実世界の表層を切断したものの再現である、ということは事実である。


撮影者の意図がどうであったか、あるいは現場における思い入れやイメージがどうであったか、ということが問題となる以前に、呈示された写真は、実在の事物が実在していたという事実の記録であることは疑う余地はない。だから写真は、まずそれ自体として撮影者が指示する思想の形態としての世界である以前に、事物としてそこに在った物の記録であり事物の複雑にからみあった事象の記録である。

そこに思想が塗り込められている、とか、撮影者の内面からのイメージが凝縮されている、とかの問題は、写真そのものが、他のジャンルであるところの芸術および芸術作品群と比較対抗する為の、仕組まれたレトリックにほかならない。

かって在り、今もなおかつ在り続ける「芸術」と呼ぶところのもの、絵画、音楽、文学。これら伝統としての「芸術」と呼ばれるものに内在する条件は、その創作物がいかなるイメージを内含しているか、ということであろうか。創作者の想像力がいかに豊富に、その「作品」の中に塗り込められているか、享受者はいかにそのイメージを受け入れるか、この両者の密接な関係のなかで、「芸術」の存立基盤が成立しえた。

この基盤のうえに立って、写真が「芸術」たろうとすることは、必然的に絵画との競合を生むだろうし、また歴史としてその長さにははるかに及ばない写真が、追随してしまったのは、独自の理論を創出しえなかった時代の産物であったと言える。写真が「写真」として、存在することの理論構築を、真剣に考えなければならない時が、すでに急務としてある。

写真は芸術である以前に「写真」である。その写真家としての営為は、内面において現実を見据えていくこと。このことはあらゆる創作物の創出者としての営為と共通する事項であるが、なおかつ写真独自の方法を、今こそ模索していかなければならない。

目の前にある現実を模写すること。写真家は自づからの思想を構築し、自づからの価値体系に直接関わってくる現場で、写真行為を実践していかねばならない。そうして写真家としての内面はともあれ、カメラの介在は、記録として、記録者として、あらねばならない。基本的に写真家は、現実に立ち向かったとき、その記録者として現実の事象に向かって、その事象を記録する「記録者」であることである。写真家は、それ以外の何者でもない。
(nakagawa shigeo 1978)


<いま、写真行為とは何か。>

写真がメディアの一形態として存在することは、事実である。またメッセージとして自己の表現の一形態としてあることも事実である。この二つの、写真が呈示された事による「場」の構成と、そこから派生する問題は、これを世界的視野に拡大して考察するとき、ぼくの直面する当面の問いかけは、写真の責任と、その役割である。

ぼくは、ぼく自身であると同時に、この体制内での思考を余儀なくさせられている一個の人間である。多少にかかわらず、この体制存続の為の奉仕をすることによって、生存することを許されている。写真を撮る、という行為もまた、体制への奉仕のもとに許されている。

写真行為の目的が、いわゆる芸術写真への追随である限りにおいて、あるいは体制内思考である限りにおいて、その存在が許されている。本来、表現者の姿勢は、その世界観を根底から揺るがしていくものであらねばならないはずであった。
(1978年ー秋ー)