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最新更新日 2016.12.19
ものがたり
夢幻・ゆめまぼろし
中川繁夫:著


 
ものがたり-1-


 1~16 2015.5.10~2015.10.31

    

-1- 夢幻舞台

毎年、夏のお盆の頃を夢幻舞台と称して写真を構成しています。
それを、通年に拡大して、ここのタイトルにしました。
夢幻舞台とか、どんな装置なのか、想像におまかせします。
夢と幻の舞台、ということです。
舞台といえば、能を舞う舞台、狂言する舞台、演劇の舞台など。
それの夢幻版といえばいいかもしれません。
ぼくのイメージは、この世のこと、浮世のことかなぁ。
色艶あり、侘寂あり、もうひとつの世界、って思うけれど。
もうひとつの世界は、ご法度、禁制、タブーです。
だから、こちらの今いる世界のことを、モラルに従って書きます。
それとぼくの気にいった写真を一枚載せますが、本文とは関係なし。

-2-
2015.5.24
夢を見て目が覚めた。
夢の内容は記憶に残っていないが、怖かった。
どうも加齢のせいか欝的状態にあるようです。
10代のころには精神科医を訪問しようかと思った。
20代のころにはいつも奈落へ落ちそうな気持だった。
30代のころには外化していたとはいえ紙一重だった。
40代、50代、これはいけなかった。
もう死ぬ方がましだと思うことがたびたびあった。
そうしてつらぬけて仙人みたいになってきたところでした。
最近、内面での葛藤、やり残した感、それらが混在している。
写真は1983年だったか、京都写真壁での写真展です。
SEさんが見に来てくれて、その後に自死した。
会えていたら、そうはならなかったかもと、悔いに残っています。

 

-3-
2015.6.14
どうもこれは老人性欝というのかも知れないな、と思う。
いろいろと情報が入ってきて、老人性というところに引っかかる。
若いと思っていても、頭脳の構造がそのように変わってきてる。
そのことをどのように自分で処理すればいいのかがわからない。
なにかしら、ドストエフスキーの告白みたいな、思いです。
彼がロシアの閉ざされた(と思える)風土の中で、自分を見つめた。
罪と罰なんて、よくもあんな文章が書けたものだ。
それは、彼が、そういう欝と闘っていた証拠ではないか。
そう思ったりすると、なにか同伴者がいるような気持ちだ。

-4-
2015.6.26~
最初に、この写真に写っている女子について書いておきます。
名前は、瀬川恵美、撮影は1981年の夏で、二十歳を過ぎていた。
白虎社の夏季合宿で鞍馬の奥の百井の民家で撮った一枚です。
ビデオ作家だった彼女とは、1979年12月釜ヶ崎関連で知りあった。
ぼくが白虎社と懇意になったのは、彼の純クンと瀬川恵美を通じて。
いっしょに、ザ・フォーラムという自主ギャラリーを運営します。
運営の主宰者として、瀬川恵美さんが立ち振る舞っていました。
この彼女が、自死してしまうのは1983年だったでしょうか。
ぼくの心に残る、忘れられない人のひとりです。

 

さて、これから記述するのは、それよりも10年程昔の話です。
ぼくは1968年に大学に入学できたんです、21才でした。
学園闘争が起こってきた年で、勉強どころではありません。
この年の秋に、ぼくはある法律専門の出版社に勤めだしました。
出版社の名前は有信堂高文社、所在地は京大北門の前でした。
東京へ行きたかったから、東京勤務を希望して東京住まいになりました。
本郷、東大の正門と赤門の間、通りをはさんだその前に出版社がありました。
1968年から1969年にかけて、東大紛争で安田講堂が封鎖されていた時。
陥落のすぐあとに、ぼくは東京へ行きました。
安田講堂の前はまだ石が散乱し、催涙弾の匂いが漂っていました。
そうして1969年10月21日を東京で過ごして、京都へ帰ってきたのです。

 

この世の出来事、体験してきたことを心の中によみがえらせます。
記憶というものが、ふっとイメージとなって心の中に浮かびます。
夢か幻か、死者の姿がよみがえってきます。
生きて別れたままになっている人の姿が想い起こされてきます。
生死が不明で、ひとづてに消息を聞いて、生死が確認できることもあります。
けっこう長い年月生きてきて、蓄積された記憶の群がよみがえるのです。
心というか、うちがわの感情が動きます。

さて1969年10月21日というのは、国際反戦デー、という日でした。
その日は、東京にいて、べ平連のデモの隊列にはいっていました。
この日、昼間の東京は騒然としていて、夕方から夜は静寂でした。
ゴーストタウン、死の街、人がいない街、そんな感じがよみがえります。
明治公園から水道橋の交差点までがデモコースでした。
警察に捕まったら、連絡先としての電話番号のメモをもらった。
完全黙秘で通すこと、つまりなにもしゃべるな、ということです。
水道橋で、機動隊にはさまれ、逮捕されていった人たちがいます。
ぼくは、運よく、そうはならなかったなかの一人です。
それまでにも、京都で、二度、そういう現場に立ち合っていました。
三度目の現場で、逮捕をまぬがれた、そのことはある種、負い目です。

なぜかしらいま第九のティンパニーの響きが聞こえてきてます。
ベートーベンの交響曲全集、昨日から聞いていて、いま最終です。
白虎社をバックにツーショット、あの取材の時、一緒にいたんだ。
彼女には岡崎純くんがいて、同棲してたんですけど、仲よくしてもらった。
ザ・フォーラムという自主ギャラリーを作ったのは1982年だったか。
ギャラリー兼住居の管理をしてくれていたんですが、自死してしまった。
最近でも、近辺で、何故死んでしまったの、との質問を受けます。
何故なのかは、死者にしかわからない、死者すらわからないかも、と。
直前三ヶ月ほど会っていなかった、個展へ来てサインしてくれた。
個展で会っていたら、それは防げたかもしれないな、と後悔してます。

さて1968年のころという時代のことを、断続的に考えています。
フランスではドゴール体制が倒れる革命が、プラハの春もこのころか。
日本では、学生運動のさなか、学園封鎖が起こっていたときです。
ここだよな、日本の文化の転換点、写真表現においても、ここだよな。
1945年ではなくて1968年というエポックだと、認識します。
写真同人誌プロヴォーグが中平卓馬氏らによって創刊されるころ。
ぼくの論では、写真が文学と遭遇する、写真の私小説がはじまる。
ぼく自身でいえば、まったく昼も夜も文学青年でした。
小説を読み、小説を書き、大学の文学サークルで冊子を発行していた。
第九番第四楽章が、ただいま始まった、コントラバスの音が響く。

夢幻舞台というタイトルを使ったのは、1982年だったかに出した本です
夢幻舞台-あるいはわが風土-と題して、写真と四編の文章の本。
なによりその年の夏前に自死してしまった人へのレクイエムでした。
あの世とこの世が交錯する日々、それがこの題の奥行です。
記憶と今、人のことはわからないけど、自分のことです。
記憶が立ち現れてきて、自分の存在を確認しているように思います。
ここでは、1968年というところに着目して、いくつかの記憶をたどっています。

1968年の4月に、ぼくは三年遅れで立命館大学の夜間部に入学します。
立命館大学の敷地は京都御所に近い広小路にありました。
ぼくが小学生だったころ、母が立命館大学の理髪部で仕事をしていた。
なので、小学生のころから、その敷地、職場へ、遊びに行っていました。
立命館大学では、象徴的に、わだつみの像がありました。
1968年、入学の年に、大学内が騒然となります。
ぼくは、中川会館封鎖賛成派になっていました。
セクトには入っていなくて、ノンセクトラジカル、と呼ばれた部類です。
そのなかの一点、群れの中の一点でしかないのに、全部のように思っていました。
この年の秋には、京大北門前の出版社に入っていました。
あこがれの出版社に入社できて、東京勤務を希望していました。

-5- 夢幻舞台
2015.7.20~
手元のアルバムのなかにある、自分が写った写真の最初です。
生をもってこの世に出てきて、数年が経った頃でしょうか。
平成元年に亡くなった母から、写真館で撮ってもらったのだと聞いています。
自分を見つめていくのに、記憶は、写真を見ることで想い起こされます。
この写真を撮ってもらったときのことは幼少すぎて記憶にありません。
でも、この写真を巡って、聞いた話は覚えていて、記憶が重なります。
やっぱり母親という人物は、特別な存在であるように思います。
自分の生命の源泉である以上に、人間の愛情を授かりつながっています。
この母が、手が後ろに回るようなことしたらあかんよ、と言っていた。
大学が紛争に巻き込まれていて、ぼくがそこに参加している姿を見ていた。
幸いというか、不幸というか、ぼくは、そうはならなかったのですが。

 

1969年の2月に東京勤務で行きました。
出版社が東京大学の正門と赤門の間の前にあって、そこが拠点でした。
遅れて行った青年とでもいえばいいのか、さあやるぞ、との思いです。
でも、いつのときも周辺にしかいないから、そこでも周辺です。
小説を書こうと思っていても、書けない、落ちつけない。
労働組合を作るんだといって、秘密結社みたいな「紅」分会。
出版労連には入れなくて印刷労連だったか、その分会です。
結局、旗揚げのときには、会社を辞めてしまったので、卑怯者です。
夏を過ごして、秋、10月21日の国際反戦デーを迎えて、デモに参加しました。
そうして生活力がないぼくは、それを期に京都に戻ったのでした。
もちろん出版社をやめて、京都に戻って、仕事を探します。
そのまま残留していたら、人生そのものが変わっていたと思っています。
なにかしら、大きな分岐点、であったように思えます。
京都に戻って家電量販店に採用され、スーパーの電器売り場で、配達の仕事に就きます。
でもここはひと月ほどで辞め、郵便局のアルバイト、臨時補充員になります。

-6-
2015.8.11
今年もお盆の日々を迎えております。
朝から仏壇の水を入れ替え、簡単な掃除をする。
線香は燃やさなかった、蝋燭も灯さなかった。
淡々と作業を続けながら、父母の面影を想う。
ふつふつと湧く情に、幻燈のように光景が流れでます。
いよいよ、今年も夢幻舞台の日々だ、と思う。
このまえ、毎年行ってる六道の道を今年も歩いた。
京都は松原通りを鴨川から東へ向かっていくと六道の道。
むかし、死者を葬る行列が通る道、その先は清水寺だ。
西行寺へ辿りつき、地獄絵をカメラに収めながら見る。
この子のことを想像しながら、夢幻の世界へと歩む。
小野篁があの世とこの世を行き来したポイントに辿りつく。
夢想のなかがあの世なら、目の前の光景がこの世なのか。
其処に立った自分の、頭の中と目の前の光景が交錯する。
真昼間の明るい光景、人々がうごめいている光景。
地獄絵に描かれた光景をダブらせているこの世。
撮った写真はただいまセレクト中だ。

ツイゴイネルワイゼン、サラサーテ、諏訪内晶子、バイオリン。
今朝の音楽は、ここから始まりました。
朝早くに目が覚め、薄明るい今、胸が詰まってきます。
生きていること、生老病死、これじたい苦悩だといいます。
ぼくは只今、生老のところにいます。
病は、精神が尋常でないから病んでいる、と言えるかも知れない。
四苦のうちの三つを、ただいま敢行しているところです。
古希だというから、希なるところにいるのに、青春気分です。
ヴァイオリンの音色は、甘い、胸を突いてきます。
スラブ舞曲、これは中学生の頃に聴いた曲。
ハンガリー舞曲、これも同様です。
諏訪内晶子さんのバイオリンで、聞こえてきます。
千本えんま堂へ行ったら、閻魔大王の叱る顔があった。
ぼくだって、わるいこと、いっぱいしてきたよなぁ、なんて。
悪徳はしていませんが、悪、これはやっている最中だと思います。
体制を批判し行動するやからは、悪の人だとぼくは考えています。

お盆のさなか、70年前に戦争が終わった日。
ぼくはその翌年に生まれていて、戦争は知りません。
そんな日なのに、ドリフトする自分の気持ち。
今年は、13年間の時間が、短絡しています。
まわりのメンバーは一変ですが元に戻った感があります。
戻ってきたなかで、どう対処するのがいいのか、迷います。
自分が若返ってくるというわけではなくて、経年変化してる。
からだが衰えてきているのに、気持ちが先走ります。
どうしようかと、迷います。

夢幻舞台の締め括りは大文字送り火ですね。
今年もまた、その日、その時間がやってきて、出かけました。
いつも、金閣寺の近く、西大路から北大路になる場所で撮ります。
少し雨模様だった今年の送り火。
そろそろ、幕引きしようかと思うところです。

 

-7-
2015.9.1~
お恥ずかしいながら、仏の世界を知りたいと思っています。
この歳になって、あっちの世界のことに興味を持ったのでしょう。
掲載した仏像は、釈迦如来、という仏像だと思っているんですが。
そもそも、如来、ということが示す意味を知らなかったのです。
日本文芸社から出版の「仏像の世界」という本を見てるんですが。
如来とは、真理の世界から来た者という意味だと書いてあります。
それから、悟りを開いた者を示す、とも書いてあります。
本来は、釈迦如来を指している、と書かれています。
こんな区別も知らないまま、いままで仏像を見て来たから。
この子の奥を知るためにも、仏像の奥を知りたいと思ったのです。
写真に撮ってあるのは、大徳寺法堂の大きな仏像さまです。

ここ数年、仏教美術に触れることが多いです。
龍谷ミュージアムの企画展とか招待券でいくことが多いです。
若いうちは聖書の世界で、キリストの周辺を探索していました。
小説とか絵画とか、読んで、見て、自分を形成してきたわけですが。
近代日本の底流を、教育の中で、そのように受けた影響でしょうか。
さて、もう二年前になりますが、奈良は明日香の飛鳥寺へいきました。
写真を撮らせていただいたので、その写真を探して、載せましたが。
本尊釈迦如来、丈六(480cm)の高さだと記してあります。
飛鳥寺(願興寺)は、日本では初めての本格的寺院だと記されています。
お釈迦さん、おお、如来さん、そのままにしておりました。
釈迦三尊、釈迦如来さんが真ん中で、左に文殊菩薩、右に普賢菩薩が従う。
釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来、三人の如来さんがおられる?
それぞれの両脇に従者として、菩薩さんがいらっしゃるみたいですね。
それでこの子はどこにいる天上の子なんでしょうか、想像してみます。

 

もう半世紀も前になるか、能登の外海をてくてくと歩きました。
高校を卒業するまえに、彼女と会うために金沢へいったあとです。
もう3月だったと思いますが、荒海、冷たい風が吹きつけました。
どんなカメラを持っていたのか、35㎜のフィルムカメラ、カラー。
このとき撮った写真のなかの、風景、海風景、能登巌門あたりでしょうか。
どうして、いま、この写真なのか、といえば、この子の出身地のようだから。
手がかりは、この子のことばによって、このあたりで生まれたようです。
海辺なのか山の中なのかそれは目下不明だけれど、祖父は漁師だったという。
何かの縁、この子のことばの痕跡を辿ってみたい気持ちになるのです。
同行二人という、もう一人の人、とでもいうようにも、思えるのです。

剣道と弓道をやっていたという話を聞いて思ったイメージがこれ。
真弓の実、2007年1月、自宅前で撮った真弓の実です。
写真アルバム<京都風土記>冒頭の一枚がこれです。
恋する、もうこんな気持ちになることなんてないと思っていました。
それは突然に、あたかも必然的にやってきました。
あのとき、なにから、そのように、させられてしまったのでしょうか。
この子に話しかけて、まるで少女のような、無垢さを感じたようです。
わたくしは、こころを軽く引っ掻かれた感じでした。
それからというもの、この子のことが気になりはじめてしまったのです。
このような気持ちになるのは、十数年ぶりのこと、苦い記憶の再来です。
どうしたことかと迷いながら、少しずつ深みにはまっていく気持ちでした。
これは恋心です。
まるで少年のような、淡い恋心、片思いの恋心、そう思います。

2015.9.20
秋のお彼岸入り、あれから一週間が経ちました。
気持ちを落ち着けて、いつ終わってもいいように心の準備。
煩悩、ぼんのう、迷いの心、欲望の心、等々、それらの総称でしょうか。
どうしようもない恋なのだから、気持ちを薄めていくしかないでしょう。
写真は18歳の自分、能登のどこかで三脚立てて撮った?
一人旅で金沢を出発して一日目は輪島に宿をとりました。
輪島の町、凍てつく道を歩いて旅館を探しました。
旅館では、仲居さんに給仕してもらいながら、京都のことを訪ねられた。
あのとき、その仲居さんは、男のぼくを求めていたのかも知れない、と後で思った。
そんな記憶がよみがえってきます。
平常心を取り戻そうと思うが、未練が残ります。
しばらく写真を撮らない、撮れないでいます。
新しい次の被写体を探すまでと思っていますが・・・・。
着信メールを見ます、来るかも知れないと思いつつ、来ないに決まってるのに。
いま、どこで、なにをしているのか、知りたい。
ぼくが撮った以外の写真を見ました。
笑顔でピースしてる姿が、写っていました。

メールを送るとき、返事が返ってこないかも知れない、と思う。
あやうい関係とはいっても、なにもやましいことはありませんが。
気になる人へのメールだから、よけいに返ってこないのでは、と思う。
返ってくると、とってもうれしい。
つながっている、と思うだけで、安心して、ホッとします。
いつかは、終わるときがくる、そう思うと、とっても辛い気持ちになります。
メールの相手は、そんなことお構いなしで、なんとも思っていないんでしょ。
だから、迷う、送るべきか止すべきか、それが問題なのです。
気持ちの起伏によって、その判断をしている、自制できたりできなかったり。
これは完全に秘密のことだと言いながら、ここに記しています。
プラトニックラブ、片思いの、恋する気持ちを、言葉にしてみました。

夢・幻 2015.9.20
会いたい、会って話がしたい、顔が見たい、彰祐が会いたい思う相手は、真由子だ。
このまえ会ったのは十日前、その後かんたんなメールのやりとりがあった。
彰祐が送るメールに、応える内容の返信がくるだけで、真由子からは来ない。
彰祐と真由子のあいだをつないでいる糸は、些細な一点だけだ。
その一点は、文学をめざしている真由子が、多少は文学通の彰祐に学ぶ、という糸だ。
どうしてだか、いきつけの図書館で、彰祐が真由子の姿を見つけたのだ。
書架に向かって立っていた真由子の姿が、彰祐には、光に包まれたひとのように見えた。
名前すら知らない若い女性、男の彰祐には、それだけで興味ある存在に見えたのです。
質素なすがた、白いシャツ、短い髪の毛、まるで田舎から出て来たばかりの女子。
興味を惹いたのは何故、なにが起こったのか、彰祐にもわからないシンクロニティー。
最初に、どのような言葉をかけたのか、彰祐が先に声をかけたのだったが、覚えていない。まるで狐につままれたかのような、最初の光景は、不思議な精彩を放って、彰祐に向かってきた。

彰祐の思いは募るばかりだ。
真由子の姿を写真に撮ったから、その写真を見つめている。
名前と年齢と出身地、真由子について彰祐が知り得た知識は、多くはない。
天から降りてきたわけではないのに、彰祐には、そのようにも思える。
どこで、なにをして、いるんだろう。
京都の芸術短大を卒業して、そのまま京都に住んで5年になるという。
勤めはデザイン系の会社で、職種はデザイナーだという。
どんな会社に勤めているのか、同僚はどんな人がいるのか。
日々、真由子はなにを食べているのか。
好きな食べ物はなになのか。
日常の生活のことが、ほとんどわからない。
会いたいと募る気持ちは、ベールに包まれた生活がわからないから。
それだけイメージの中で神格化してしまうのかも知れないのだ。

夢幻舞台 2015.9.28
現世、この世の中のうごきはめまぐるしいです。
ちっとものんびりできないじゃないですか。
世の中の動きにリンクする自分がいます。
とかくこの世は住みにくい、なんて漱石さんですね。
じゃぁ、あの世なら住みやすいのかというと・・・・。
大八木さんは86才になるといいます。
海軍の少年兵になったところで終戦だったと聞いた。
いつぞや、その姿の写真を見る機会がありました。
昨日、この大八木さんと会いました。
写真を撮っておられて、セレクトさせてもらいました。
ぼくがカメラを持った頃、いろいろ写真のことを教わりました。
それから何十年が経ったというのでしょうか。
諸先輩たちが物故者となられていくなかです。
大八木さんには感謝の気持ちでいっぱいです。

 

-8-
2015.10.1
このまえから、スマホを使いだしました。
iphone6、使いだしたのも何かの縁です。
LINEでつながろうと思うと、スマホが必要でした。
使い方の基本のところは教わりました。
でも、使いきれるのかどうかは、お相手次第です。
中一になるJC孫がスマホをしていました。
なにしてる、ゲームしてるん?と聞くとラインと応えました。
ゲームより、面白いんやと思います。
つまり、孤独ではない、ひととつながっている、その感覚か。
プライベートツールとしてのスマホ&LINEということか。
新しい世界へ、チャレンジするけど、なにかしら空しい、です。

屈折点という折れ曲がり点があるとすれば、それが今かも知れない。
成熟させようとして、準備して、これから、というところでした。
ひとりよがりなわけで、ここでそのことを、そうだと思っての区切り。
せつない、喪失感を味わっているけど、時間が解決してくれるだろう。
といいながらも、未練が残っていて、どこまで平常心でいられるか。
時の流れに身をまかす。
そのうち気持も落ち着いてくるだろう。

このような感覚を喪失感というのでしょうか。
半分を失ってしまってバランスを崩してしまった心のなか。
自分のまわりが、他者としてあるなかで、そのバリヤーを越えてきたひと。
家族は特別に身近な関係だけど、そうではないひとが身近に来る。
来てしまって、そのひとのことを想う、こころが動く、情動する。
恋する、という気持ち、こころがそのひとへ傾斜してしまっている。
自分の中での特別な存在になってしまったひと、それは女性です。
どうしようもならない、そのひとの笑顔が思い浮かぶ。
会いたいと思う、語り合いたいと思う、手ぐらい握りたい。
そんな気持ちがふつふつと湧いてきます。
耐えるしかない、失うことへの恐怖のようなもの、いずれ来る。

LINEでメッセージが届きました。
もう来ないかもしれないと思っていたのに来た!
内心、小躍りして喜んだ。
不安が払拭されて、ひとまず、こころ安らかです。
この安心感というか、支えられた器のなかにいるというか。
ひとまず、ひとまず、つながっているという安心感です。

LINEで送ったのに、返事が来ない。
待っているのに、来ないのは、虚しい。
虚しい気持ちと、嬉しい気持ちが交錯します。
今夜中に返事が来たら、嬉しいですけど。

2015.10.12
雪のときに生まれたから美雪、お姉さんは美里、と聞いた。
海辺の家で、海を見て育ったが、水泳は苦手、と聞いた。
シュルレアリズム宣言、手元に届ける。
ぼくの昔の文章などを見せる。
三冊の本、まずたしからしさの世界をすてろ、
写真よさようなら、来たるべき言葉のために、三冊の本。
ただし今の時代ではなくて、もう過去の時代だと説明する。
出産の場面がとられた写真を見せる。
映画はよく見るという。
好きだという探しのイメージ本は見つからなかった。
そのひとは、なにを想い、なにを感じているのだろう。
物思いにふける、なにか問うような、表情をみせる。
向きあう心が、向きあっているのだろうか。
そのひとのうちがわがわからない。
返信がない。

おわりだな、と思う。
いずれ終わりが来るのだから、と思おう。
気弱な、消滅しそうな、自分がいる。
隠れたいけど、隠れようがない。
そんな気持ちです。

ずしんと沈みきった気持ちを浮上させるには、どうしたらいいのか。
方法もわからないまま、ただただ耐えている。
時間が経てば解決するとは思うけれど。
もう顔をあわせてはいけない、顔をあわすと元にもどる。
喪失する経験は初めてではないけれど、辛い。

2015.10.16
うつうつ、ことばがでない。
ベートーベンの交響曲1番を鳴らしています。
もう、おわる、おえる、おしまい、それがむなしい。
ぐっと沈む気持ちを支えています。
ちらほらと面影が浮かんでは消える。
スマホの中の画像が、記憶を呼び起こす。
これ、未練、というやつだ。
どうしようか。
やっぱり、いる場所へは、いったらあかん。
こっけいな自分がみじめだ。

2015.10.17
朝、おそるおそるLINEで送信してみた。
数分後に返信があった。
おこっていない、ということで安心の気持ち。
でも、きょうは図書館へは行かない。
明日も行かない。
来週以降、どうするかはわからない。
いずれにしても、顔をあわすのが、嬉しくて辛い。
ごくふつうの気持ちで、会話できればよいわけだが。

朝、LINEに書き込みをしたら、10分後に返ってきた。
図書館へは行かない、行くと顔を合わすことになる。
顔をあわせるのが辛い、ぼくは動転してしまう。
なんか退き気味だけど、これがただいま最良だとの自意識。
植物園に来ています、とLINEに書き込みました。
写真を添付し、未練がましく、みじめな気分ですが。
このつぎ、どうするか、わからない。

-9- 夢幻舞台 2015.10.19
揺れ動いています。
早朝に目を覚まして、思い詰めてる夢の中。
目をあけ、まわりを見て、現実を知る。
ポーランドはショパンの国らしい、とは村松さんの旅行記。
ポーランドへ旅行したいと言っていた美雪。
そのときの顔が浮かんできます。
LINEが既読になっていました。
書き込みは、ありませんでした。
ぼくのひとり芝居、内面の劇、いまここに現わしている。
16才、高校一年生、なんだったんだろ、思い出します。
鳴滝、帷子ノ辻、うどん店、とおいイメージです。
変わってないや、人間の心なんて、変らない。
ベートーベン、今日は2番から聴きだしています。

-10-

それは喪失感と呼べばよい感覚、感情、です。
大切なものを失う。
そのときに宿る感情、気持ち、感覚、です。
まだ失ったわけではないし、そのまま存在しています。
なのに、どうしてなのか、絡みついてしまったからですね。
心に絡みつき、深くを傷つけられてしまった重み。
失いたくない、求めているもの、それが無くなる。
その一連の出来事が、心をそうさせるのでしょう。
一喜一憂、宙ぶらりん感覚、それが心を戦慄させるのです。

-11-

気分にむらがあります。
ぐっと落ち込むとき、何でもないとき。
恢復途中だとおもうけど、まだまだ。
弟が来る、仏壇に、それからビッグボーイで昼食。
府立文化芸術会館で光影会が展覧会をしている。
アイフォンから写真をネットへつなぐ。
ニコンのフォト蔵にアップしてアルバムをつくる。
脳裏にちらつくこの子のイメージが払拭できない。
そのために気持ちが落ち込むのです。

-12-
2015.10.23
LINEがつながりました。
また会えることになりました。
気持が、安定しています。
ドキドキ、夢のような感覚です。

-13-

終わりになったとおもうのがいいとおもう。
お道化はやめにしていこうとおもう。
気持のうえではまだせいりできていません。
でも淡々としたきぶんになっています。
時折、ぐぐっとくる凹み気分は、そのうち消える。
おわった、そうおもうのがいいとおもう。

-14-
2015.10.26
おわりましたね。
もうおわったのです。
気持の中には、まだ未練があります。
でも、時間の流れの起伏の中で、終わりを感じます。
あれも、これも、みんな水に流れていくだけです。
たんたんと、関係とは関係のない話をして、お別れ。
それで、いいのだと、思います。
また、メールしてもいいですか。
メールお返しできるかなぁ。
もう、メール、しないでおければ、しないでおこう。

-15-

終わり、終わる、そう思うと虚しいです。
際限なく、気持ちが落ち込みます。
耐えられると思うけど、虚しいです。
思い出だけが通り過ぎていきます。
まだ過去にならない思い出ですが、辛い。

-16-

2015.10.31
朝から、キャノンのアルバムを編集していました。
手先は、パソコン、アルバム、と作業を続けているけど。
頭の中は、いろいろなイメージが交錯します。
それに断定的な、迷い的な、言葉がつぶやかれます。
もう、おわる、と思うと一抹の空しさが込みあがります。
今日、明日、顔をあわせることになるけど、どうしよう。
会いたい、会いたくない、話がしたい、怖い・・・・。
まるで16才の少年のように、気持ちが揺れ動きます。
でも、もう、おわりですよ。