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最新更新日 2016.12.21
ものがたり
夢幻・ゆめまぼろし
中川繁夫:著


 ものがたり-3-


 24~32 2016.1.1~2016.2.29

    

-24-

新しい年、2016年の元旦です。
1946年に生まれたぼくは、今年満70歳になります。
自分で、なにか信じられへん気持ちですが、そのとおりです。
この年齢に戸惑いを感じてしまう。
どうしたらいいのか、恋したって、そうは呼べない。
お気に入り、といえば良いのかもしれない。
気持ちは、いま、落ち着いています。
このまま落ち着いていけばいいんですが、わからない。
どうして恋に陥ってしまったのでしょうか、わからない。
年の初めに、むなしさのないところへ行きたい、と思う。
だれかに見ていてほしい、そのだれかは恋の相手です。
でも、見てくれる手立てがない、あるのはメールだけ。
そのメールも、いけないよな、もう終わりにしなくちゃ。
いま、どこで、何してる?、知りたい。

気分おだやか、みゆきのことにもおだやかです。
恋した、愛するところまでには至らない恋です。
気になります、いま、どこで何してる?、気になります。
ちらちら、写真にとられた顔が、頭の中でよみがえります。
また、顔をあわしたら、ぐぐっとくるかもしれないな。
いま、どこで、なに、してるの、知りたい。
知るすべはありません。
フェースブックもブログもやらないんだから、わからない。
メールが繋がるとは言っても、メールしないようにしている。
ああ、今日は、日曜日なんだ、明日から金沢行きです。

今日から仕事、図書館へ出勤、そのまえの時間です。
そろそろ、憂鬱な気持ちも出ていて、いやな感じです。
運命の第一楽章がかかっています。
こんどの日曜日は、講座がある日、顔を合わすことになる。
それが、少し、気が重い、うれしいはずなのに、そうはならない。
カメラを返してくるかもしれない、どうしようか。
そうなれば、そこで終わりと思って、区切りをつける。
そうできるか、ちょっと辛いです。
でも、そういうこと、成熟しない恋だからしかたない。
思えば思うほど切ない気持ちになってきます。

おわりましたね、もう終えましょう。
最後のメール返信が昨夜あった。
今後メールの返信はしないという内容です。
気持ちがどっと落ち込んだいまです。
稲垣さんから電話、福島みずほさんがくるのできてくれという。
午後4時頃、行くことにしようと思う。
明日は、どうするか、こんな気持ちでは行けないなあ。
明日、図書館、休もうかなあ。
負けたらあかん、負けるな、気持ちをしっかり持て。
自分に言い聞かせてあげて、頑張らなくちゃいけない。
でも、もう、さようなら、さようならします。
そうします。

釜ヶ崎の帰り、梅田の地下街、英國屋。
終わった。
終わったと思うと、やるせない気持ちになります。
どうしたら良いのか、ただただ、過ぎるのを待つ。
思い出だけが通り過ぎていく。
まるで、喜劇役者みたい。
辛い気持ちです。
弱いなぁと思う。

実質の終わりに、こころが締め付けられます。
ワルター指揮の英雄を聴いています。
写真は元旦に撮った椿寺の十一面観音像です。
むなしいです。
ひとり、こころにしまっていくのが、つらいです。
唯一、ここに、このような弱音を吐く、自分をおきます。
弱いなぁ、弱虫、こころが、キシキシとすり切れます。
時間がたてば、なんでもなくなる、笑って振り返れる。
それまでが、つらい、いま、生、でも、もう、おわり。
今日は、顔をあわさないように、別のところへ行きます。
どこへ行くのか未定です。
徘徊してもこころが静まるわけもないと思うけど、それしか。
知らないところへ行きたいけど、どこへ行ったらいいのか。

-25-
2016.1.10
梅田にいます。
神戸へ行って見ようと思っています。
なにがあるのか分からないけど、行ってみます。
心は虚しくっても、空は青空。
ひとり遠足です。

神戸に来ています。
異人館のほうへ行きました。
時折、ぐっと寂しさの気持ちがやってきます。
耐えるしかないのですね。
今、セブンの店でコーヒーを飲んでいます。

喪失感です。
言葉にしたら、喪失感です。

街の中をさまよい歩いて異邦人。
ブツブツつぶやき徘徊老人しています。
一字一字の入力で、胃が痛みます。
そうなの、もう終わったんですね。
寂しくって、切なくって、泣いています。
自分自身が分からなくなっています。
人混みの中にいると、少しは気がまぎれます。
顔が浮かんできます。
優しい顔が浮かんできます。
でも、もう、終わったんですね。

自分の失恋している気持ちを綴っているこの日記。
なんと、自分でもどうしたものかと落ち込みます。
あさは5時に起きてアイチューンのほうで聴けるようにしています。
気分を落ち着かせよう、落ち込むのを止めようとしているんです。
寝ていても顔がちらつく、気持ちがただごとでない。
起きて気をまぎらわすために、プレイリスト作りに熱中。
熱中と言っても、だめです、終わったことを受け止められていない。
終わったから、あとなにもない、そう思うのが辛い、落ち込む。
めめしいな、こんなこと書いてて、でも、これが支えになってる。
誰にもいえない、ここでだけ、本音でことばを紡ぎ出す。
ことばでは言い表せない感情のなかみ、ふかみ、です。
セックスの対象として、終わりの中でとらえてみようと思う。
堕落させて、おんなとして、扱ってやろう、想像しかできないが。

2016.1.12
釜からの帰り、どこへ行こうかと思った。
行くとこなんて見当たない。
どこでもいい、気持ちさえ落ち着けば。
気持ちが落ち着くわけがない。
やってきているのは、梅田、地下街、英國屋。
うちへ帰ればいいものを、うろうろ徘徊する。
もう終わったと思うと、うろたえます。
でも少しずつ、通り過ぎていくと思っています。

だめだ、ぐぐっと迫ってくる、あの感情だ。
落ち込んでくる、ぎゅっと締め付ける、あの感情だ。
なんでもなく、バッハとか編集してたのに、落ち込みます。
メールがもう返さないとの告知、辛い、これが辛い原因です。
たぶん、もう、終わったのだ、と思うことが時折落ち込ませる。
淡々としていられたのに、急にぐぐっと迫ってきて、落ち込ませる。
だれにも打ち明けられないよな、辛い、病気なんだな、これは。
境界例、心理学で言う症例の名称、そんなのがありました、知りました。
きっとあなたは淡々としていらっしゃるのでしょう。
そんなに深く落ち込んだりすることもないのでしょう。
ちょっと、ましになった、ここ、入力ができなかった。

2016.1.16
どうしたことか、やる気がでない、動けない。
ずしりと塊が落ちたまま、重い心の中です。
おっくうになる、もう9時17分、ようやくここにいる。
そうしてこんな文を書いている。
なさけない、どうしたの、しっかりせえ、と言い聞かせます。
どうして、こんなになっているんやろ?
みゆきのことがある、それが大きな理由だ。
終わるというのに、また、顔を合わせる、どないしょ。
今日はあわさないと思うけど、来週かな、たぶん。
どないしょ、こころが壊れてしまいそう、壊れてしまう。
こんな状態が、すべてを悪くしているのに違いない。
どうして、こんな、状態になっているのか、立て直ししたい。

-26-

夢・幻というタイトルをつけて書いていきます。
フィクションのようなノンフィクションのような内容。
夢のなか、幻のような、現実と向き合う老齢者の心。
心のなかって、不思議なモノですね。
モノと書いたけど、実態があるわけではありませんね。
見えない、見えないから文や写真を使って表す。
絵の人もいるし、音の人もいるし、それ心の表現というもの。
こんなこと言ってること自体、ぼくは、なんだか虚しいんです。
だめだ、虚しいなんて言ってしまえば、もうそれだけのものだし。
心情という言い方、心と情け、情、なんだろう、これ、情って。

奇跡なんて起こるはずがないですよね。
おわり、さようなら、その気持ちで臨みます。
いくつかの思い出がよみがえってきます。
笑顔が、驚きの顔が、得意げな顔が、浮かんで消えます。
思い出、すべて思い出、それが遠のいていきます。
うううん、辛いけど、その辛さが和らいできたように思います。
シューベルトの弦楽四重奏「死と乙女」って流れてきます。
迫ってきますね、悲しさというか、淋しさというか。
奇跡、なんて、起きるはずがないんです。
今一度よみがえる事なんてあり得ない。

朝、暗いうちから雪が降って積もっています。
京都はまだましな方で、各地では猛吹雪のところも多い。
テレビからの情報で、直接見知ったわけではないけれど、です。
iPhoneで写真を撮って、ブログなどにアップしています。
この記事も、その流れの中で書いています。
なにしてるこっちゃ、いったい何してるん?
そんな疑問が自分の中に生じていて、答えようがない。
答えるとしたら、暇つぶし、というわけでもない、自己表現。
日々、時間が過ぎていきます、一日があっけなく終わっていきます。
感情のながれがあって、それをコントロールできない自分がいます。
どうしようもないけど、どうにかしたい、と思います。

まだ暗い、朝の六時まえです。
バックハウスのベートーベン、ピアノソナタ。
少し大きめのボリュームで鳴らしています。
もう、お別れと思うと寝てられなかった。
起きて、ストーブをつけて、鳴らし出したところです。
こんなこと書くから、思い出してしまうのでしょう。
でも、書くことで、気持ちがフォローされて、落ち着く。
そんな感じがします。

2016.1.23
大阪国際メディア図書館にいます。
iPhoneから送信した記事に追加しています。
先ほど、みゆきさんに会えました。
会話を交わしました、たぶん最後になる会話。
カメラを返してもらいました、デジカメとローライ。
失敗されたフィルムを見せてもらいました。
もう、おわりなのに、あんがい淡々とした気持ちでいられました。
みゆきさんの笑顔が記憶に残ります。
写真を、撮らせて、とは言えなかった。
お幸せに、また機会があったら、でも無理。
このあと、気持ちの処理を、このまま、ながしていきます。

胸が詰まってきてしまう。
Gメール、そのままにして、つぶさないで、とお願いした。
つながれるのはそれだけ、でももうメールしない。
昨日会って、カメラを返してもらって、それで終わり。
笑顔だったけれど、それだけに迷うが、終わらないといけない。
胸が詰まってきます。
やむなくこの文を書いています。
写真は、開いたら出てきたやつ、昔の釜が崎。
今日も図書館へ行く、顔を合わせる、言葉を交わすかどうか。
どうしたらいいのか、辛い日です。

2016.1.25
寒い日、凍てついています。
でも行きたい、金沢へ、気分としてどうしても行きたい。
気持ちの逃避行なのかも知れない。
センチメンタルジャニー、感傷旅行、そうかも知れない。
さようならのあとは、辛いですから、その場からの逃避。
今朝は、終わりだと思うことで、ぐっと落ち込みます。
喪失感、かってあった笑顔の顔が、浮かんできます。
もうそれもない、それらを過去にしていくだけです。
そのためには、時間が必要、昨日はマスクをしていたね。
通り過ぎられる姿だけを見て、あとは会いに行きませんでした。
さようなら、さようならです。

-27-
2016.1.28
朝から気持ちが滅入っています。
どうしたことかと思う。
億劫になります。
アイチューンでベートーベンのピアノソナタ。
少し大きめのボリュームで流し出しています。
写真をクリックしてみたら釜ヶ崎1980年が出た。
今日は夜が遅い、土日、行きたくないなぁ。
出社拒否というほどの強度ではないけれどそれに近い。
原因は、いろいろとあると思うが、自分の弱さが原因。
昨夜、金沢から帰ってきた。
行きは雪で敦賀から高速に乗った。
帰りは地道をとろとろ、道の駅で買い物しながら。
今回はJAのほがらか村、きららの里、越前ではソースカツを。
雪の風景に、美しい雪、という表現を使いました。
終わったと思うと、やるせない、悲しさがこみあげる。
どうしようもない、忘れられない、去っていかない。

眠れない夜が明けて、五輪真弓を聴きたくて、ボリュームあげてる。
懐かしい、合鍵、気持ちがこみ上げてきます。
どうしたことか、終わりの日々、どうしていこうか。
みゆき、顔が浮かんでこないわけではない、浮かんできます。
かきむしられる気持ち、恋、狂う恋、それも終わる。
会いたい、会いたくない、会えば崩れる、だから会わない。
涙ぐむ、なんて五輪真弓が歌っています。
面影が、なんて歌詞が、過去の物語、なんて歌詞が。

iPhoneからアップしたnikkiがある。
現場から中継というライブ感がどうなるのか。
日付と時間が記録されています。
時間は、ログインした時、何分まで摘録されています。
あと場所の記録は、ここでは出ないから、書き込むことになる。
なんとか、気分を落ち着かせようと思って、錯誤してる。
このあと、外出して、徘徊の途中でアップしようか。
図書館へはいかなくて、どこへ行こうか、思い巡らすところだ。
このブログはフェースブックに連動させていません。
本音を書く、居場所を隠す、いろいろな意味ありで非連動。
恋する思いを綴る情けない文章を承知で書いているから。
掲載写真は2016.1.26金沢駅の新幹線ホームで撮ってもらった。

 

2016.1.30
阪急電車に乗って梅田まで行きます。
そこからどこへ行くのかはわからない。


阪急電車の中から撮影しました。
傷心旅行の始まりかな。
どうしようもない。

和歌山へ行って見ようと思います。
50年前、ヤマハから行った時以来だ。
そうしようと思っています。

大阪駅から和歌山行きに乗車しました。
心は虚し、重たいです。
50年前は十字屋からヤマハにいてました。
エレクトーンの修理とか、してました。
ああ、見習いです。
いろいろと思い出します。

堺市に着きました。
前が関空行き、後が和歌山行き。
一番後の車両に乗っています。
和歌山城があると思っていますが。
駅から近いのかな?
みゆきさんのことは、もう終わった。
終わりのなかでの心の整理です。
終わり、終わった、終わったんです。

和歌山に着きます。
JRで来たけど、南海電車もあることがわかりました。
到着。


和歌山駅前の通りです。
誰も知らない、僕がここにいること。
放浪、放浪ですね。

和歌山城に来ています。
みゆきさんが手にしたカメラで撮った。
この写真はアイホーンで撮りました。
気持ちも落ち着いています。

和歌山からの帰りは、南海電車です。
難波まで920円、JRは1200円ほどでした。
ひとり旅、誰も知らない旅。
悲しさを忘れることの旅。
虚しさを忘れることの旅。
確かに他のことに熱中すると忘れる。
忘れることを終えた後にはまた虚しさが。

結局、恋したら、終わりだけがある。
それは苦しくて、悲しくて、切ない。
終わり、終えた、終わった。

2016.1.31
なにをしていることかと自分で自分のことを思う。
自分ということが現代のテーマになっているようです。
その自分とは、いったい何だ?という問いがなされてきたけれど。
何にもないんだ、自分なんて、というのが結論かも知れない。
動物なんだな、食欲と性欲を求めているんだな、詰まるところ。
男だから女の求める、その逆もあり。
性欲を満たすために恋し愛し一体になろうとする。
それなんだな、自分の本質欲望の中身は、そういうことだ。
ボリュームをあげて、ベートーベンのソナタを聴いている。
バックハウスのピアノで聴いています。
このあと、図書館へ出勤、あまり気が乗らないが家を出ます。

-28-

今日は節分、取材に出かけようと思っているけど、気分がのらない。
元気がない、といえばそういうことも言えると思う。
歯切れがわるい、と自分ながらに思えてきています。
なにもかも、厭世観みたいな、どうすればいいか。
ええ、JR和歌山駅前の光景、2016.1.30.
なんだか、落ち着かない。
思うようにならないからイライラしてきます。
気分はだいぶん楽になってきましたけど。
このあと、取材に出かけようと思います。

2016.2.6
サンマルクカフェ、ビブレの中にあります。
コーヒー?270、コーヒータイムしています。
散髪に来て、QBハウス?1000、その帰りです。
まだ心の底では、終わっていない。
夏から秋の夢物語でしたね。
美雪、誕生日の頃ですね。
なるべく会わないように、休みます。
そのかわりに、徘徊します。
会いたいけれど、会うのがこわい。
心が壊れてしまいそうになってしまうから。
でも、さようなら、ですね。

さようならを言うと終わってしまうから。
さようならは、撤回します。

帰り際に美雪さんと会った。
作品を見せてもらった。
切り貼り仕上げ、コラージュか。
褒めてあげた、美雪さんらしい。
淡々と話ができた。
メールもネットも苦手だといった。
それはそれで、アナログ人間でいいと思う。
良い作品を作っていってほしい。
さようならかも知れないけど、また会えるかも。
あえばお話をする、そんな関係だろう。
夏の頃の話を、アートワークの作品のことを。
見せてもらったスクラップブック。
ああでもない、こうでもないとイメージを探ったこと。
思い出します、でも、もう、過去、過去ですよね。
でも、どうして、そんなまなざしで、潤んだまなざしで。
その表情が、こころをかきむしってくるのです。
でも、いま、5時間前のことなのに、淡々としています。

-29-
2016.2.7
奈良へ行って見ようと思います。
法隆寺へ行って見ようと思う。
放浪者します。

奈良行きに乗車しています。
昨日のことが浮かんできます。
憂えた感じの表情をしていた美雪。
どうしたらいいのか、胸が痛みました。
また、元の状態になってしまう。
感傷の旅しています。

法隆寺駅に戻ってきた。
大きな寺院でした。
もう何十年も前に来たけど。
小さな古いお寺のイメージでした。
イメージと違ったので、虚しい気持ち。
感傷旅行のはずが、そうではなかった。

大阪に戻ってコーヒータイム。
ひとり旅、センチメンタルなひとり旅。
傷ついた心を癒やすためとは言いながら。
癒やされていない、むしろ滑稽だ。
もう枯れているはずの心が疼く。
終わり、終わらない、でも終わり。
告白したいです。
顔が浮かんできます。
憂えた表情、なに言いたげな顔。
思い浮かぶのが辛いのです。

夢、幻、まるでこの世の出来事がそのようにも思えるんです。
現実なのに、それが夢うつつ、悲しみだけがこみあがります。
現実では、恋とか、愛とか、ひとを思う気持ちをそう表現します。
でも、そんな言葉でくくれるような内容のモノではなくて。
実態なんてありません、感情のゆれうごき、それに伴う身体感覚。
恋することは苦しいこと、片思いというやつです。
近松の物語は体制がその恋を成熟させないしくみです。
でも、そういう体制ではなくて、人間のあり方としての限界。
恋して愛して家族をつくって、というのが成熟の結果だとしたら。
そういうことにはならない関係というのは、思う側には悲劇です。
そんな、こんな、辛い気持ちは、言葉では言い尽くせないです。

 

2016.2.9
夢、幻、まるでこの世の出来事がそのようにも思えるんです。
現実なのに、それが夢うつつ、悲しみだけがこみあがります。
現実では、恋とか、愛とか、ひとを思う気持ちをそう表現します。
でも、そんな言葉でくくれるような内容のモノではなくて。
実態なんてありません、感情のゆれうごき、それに伴う身体感覚。
恋することは苦しいこと、片思いというやつです。
近松の物語は体制がその恋を成熟させないしくみです。
でも、そういう体制ではなくて、人間のあり方としての限界。
恋して愛して家族をつくって、というのが成熟の結果だとしたら。
そういうことにはならない関係というのは、思う側には悲劇です。
そんな、こんな、辛い気持ちは、言葉では言い尽くせないです。

撮影と編集とネットに展開。
このパターンを試みているけれど気持ちは空しいです。
ハーバーカフェのモーニング¥900を昨日食べた。
食べることに執着している自分に気がつきます。
牛丼、天丼、それにパン、なか卯の朝食、などなど。
恋する気持ちとかセックスのこととかは口には出せない。
食べることについては口に出して言える。
空しいのは、恋、愛、そういうことが言えないことだ。
今更、なんて人は思うかもしれないが、恋してる現実がある。
ほぼその人のことを思っていて、顔を浮かべて、会えないことを悲しむ。
時間がたてば、顔を思い起こさなくなって、忘れていくとはいえ。
その時間経過は一日一日と長い喪失感とたたかうしかない。
いや、ふつうの関係です、嫌われてはいないと思う。
ひところ接近したから、その分、離れられないのです。
大切な人だと思うけど、どうすることもできない。
嗚呼、其れが辛い、と漢字で書けば文学みたいになりますね。

ここにこの人の顔写真を載せるとはいささか無謀かも知れません。
今朝、近況と題したメールが届きました。
内容はともあれ、恋したひと、狂おしいほどに恋したひと。
それからのことは存じないまま、最近また話ができるようになった。
いま、恋しているひとの写真は、ネットには載せられません。
おんなのはなし、交渉をもつわけではないし、そこまで至らない。
プラトニックなラブ、気持ちの中で思うだけ、告白もしていない。
思い出は、よみがえっては消えていきます、まるで霧の中。
あれから35年、彼女には子供がいて、いまは成人してる。
年月とはそんなふうにして過ぎていきますが、記憶は風化しない。

-30-
2016.2.11
大阪国際メディア図書館にいます。
夜の講座があります、午後7時から。
世話人で参加しています。
ひとりでいるより気がまぎれるからいいです。
なにをしているのかわからないまま、時間が過ぎていきます。
している作業はわかっていますが、なぜそれをしてるのか。
そのことが腑に落ちないわけです、いけませんね。
ここにはみゆきさんとの思い出があります。
ここで出会って、ここでお話をして、お別れです。
つらいけど、しかたのないことですね。

今朝は4時半に起きてしまって、もたもたしています。
釜ヶ崎当地の裁判傍聴に行くので、7時過ぎには家を出ようと思って。
まるで遠足みたいな感覚になっているところです。
稲垣氏ががんで入院手術をしたと梅澤さんの情報です。
ああ、がんかぁ、と思って、こりゃやばいぞ、と思って。
稲垣さん、大丈夫か、今日、出てくるんかなぁ。
もうこの年だし、何が起こっても仕方がないとは思うけれど。
別件、ぼくの気持ちも、ひところからみれば落ち着いた。
美雪、いまはこの美雪という女性に、惚れている、恋してる。
1980年、晴美さん、2001年、可奈子さん、ほかにもいろいろ。
その時その時、ぼくの気持ちが傾斜して、恋して、終わっています。
思うだけで、からだに触れたことはありません。
どうしたらいいんだろ、時間の経過を待って、忘れていくしかない。
美雪さん、そういうことですね、まもなく、さようなら、ですね。

朝から釜ヶ崎関連で裁判所へ行く。
午前中に終わり新世界を取材した。
そうして昼御飯はカツ丼。
朝も昼も外食しています。
大阪の街を徘徊しているけど釜ヶ崎へは行かない。
なにしてるんやろ?
美雪のことはもう終わり。
忘れるために徘徊するのか。
そうかもしれない。
よく似た子がいる。
眺めているだけだ。
コーヒータイムしながら、これしています。

2016.2.13
今日、会ってしまったじゃないですか。
スリムなズボン姿で、胸も出ていて、初めてでした。
言葉を紡ぎだすことについて、不得意ならしなくてもいい。
そういうアドバイスをさせていただいたが、無用かもしれない。
美雪さん、今日はそんなに乱れませんでしたよ。
なんにも言ってくれなかったけど、仕方ないですね。
ぼくのひとりよがりで、自己満足でしかないですね。
もう終わらなくてはなりませんね。
予期せぬ出会いに、ぼくは翻弄されてしまいます。

朝から気が重い、まもなく出勤しなければならないのに。
今日は特別講師の飯沢さん、会うのも気おくれしています。
美雪とのこともあるし、気持ちの疲れが取れてない感じです。
雨が降っている、からだがだるい。
稲垣さんががんで入院してた、他人ごとではない気持ちです。
バッハのハープシコード曲が流れてきています。
今日一日、無事に過ぎれば、明日は陶芸へいけるかな。
いやな気分、どうしたものだろうか、気に病みますね。
元気出さないといけませんね。

茨木市駅の改札前の喫茶店、久々です。
ストレートには京都へ帰りたくない気分。
飯沢さんのレクチャーには入らなかった。
美雪さんは来ていないようでした。
昨日来ていて、今日はどうしたのか。
もういい、終わったのだから、もういい。

2016.2.16
仁左衛門の湯に来ています。
身体をリフレッシュさせています。
心がリフレッシュするかと言えばそうです。
心身共にリフレッシュ、というところです。
また、文章を書くかな。
気分一新、読み手が現れたようです。
さりげなく、耽美を感じさせていきたい。
情、交わる情、愛する情、情が動く。
そういった情の形を、書きたい。

気が沈む、だめだ、一気に気が沈む。
日曜日は、図書館へ行きたくない気分。
疎外された気分の自分、なさけない、つまらない。
悲しい気持ちをどうすればよいのか。
こころを翻弄されている感じだ。
それに美雪と顔を合わせるのが辛い。

分穏やか、午後からDOTへ赴く、久しぶり。
3月からセミナー再開、月例会にしようと思う。
みゆきさん、声かけたら、くるかなぁ。
絶望的、くるわけない、そのように思う。
もう、春の陽射し、暖かかった。
やっぱり京都で、ちまちま、やる場所を確保です。

-31-
2016.2.20
今日、いつも僕が座る窓辺に美雪が座っていた。
制作のプリントを仕上げていたようでした。
早いもので1年、いや10か月がたちましたね。
あのときはごめん、と謝り、これからもよろしくと。
卒業後は、図書館へは来る、といっていた。
京都の企画は話していないが、また、案内する、と言っておいた。
メールはしない、もうしない、でも、案内はしたい。
まだまだ、これからも尾を引いていく感じですね。
辛いといえば辛いですが、平常心で、顔を見れたらうれしい。

美雪は来ていなかったのかな。
あえて確認をしなかったけど。
顔を合わすと思っていたのに。
昨日、予期していないのにあった。
今日は会うと思っていたのに合わなかった。
心配するじゃないですか。
やっぱり違うんだな、美雪、感じが。
他の人にはない何かがあるんだな。
もう追うのはやめようと思うけど。
いけないな。
西院の喫茶店にいます。
音楽が流れていて、迫ってきます。
気持ちが沈みます。

なんか空しい気持ちばかりがわき起こります。
どうしたことか、いややなぁ。
美雪のことだけじゃなくて、図書館での居場所。
どうも疎外感があって、いてられない気持ちになる。
どうしようかなぁ。

自分のいられる場所を探しているんだな。
じっくり落ち着いて自分の場所だと思えるところを。
これはそれがないことによる寂しさなのだ。
物理的な居住空間のことではなくて、こころの置き場。
居場所といえばいいか、それは家庭かもしれない。
これは1970年以来、ずっとあり続けているし、持っている。
でも、わが心は石にあらず、それを浮気心というならそうだ。
内に秘めたまま、自分だけの劇として、告白したことはない。
不倫というのは肉体関係を伴ったことだと思うから、不倫ではない。
侘しさ、寂しさ、枯れていく肉体への感覚なのかもしれない。
策略を企てても、そのとおりに行くはずがないのに企てる。

夢か、幻か、それに現(うつつ)を加えたタイトルの作品を出す人がいる。
いま身重で5月で臨月だという、大学でいえば後輩にあたる女性です。
ぼくが1983年に発行した夢幻舞台の奥付をみて、生まれた年だという。
ここは物語の範疇で文字を連ねている場所ですが、事実が記される。
この事実をも夢幻の範疇にいれて、とらえていけばいいのでしょう。
みゆきのことも事実があって、それがフィクションとなって夢幻です。
ぼくの夢幻の相対的な対象は女性、女という性をもったひと。
みゆきへの思いを連ねるだけでなく、物語にしていかないといけない。
おのブログは未公開、知ったひとへは未公開、一般には公開しています。
一般に向けては、フィクションの範疇でとらえてもらうとの意味。
ずしりとみゆきの顔が洋服を着た容貌がイメージとなって現れます。

-32-
2016.2.24
もう終わりましたね、終わりました。
そう思うと身を切られる思いになってきます。
心情の感覚だから、言葉ではそのなかみが伝えきれない。
個人の身体的な苦悩です。
さようなら、とは言いたくないけど、その可能性です。
この先、少しだけの望みを持っているけど、苦しいですね。
終わっているのに、終わっているとは思いたくない。
無性に泣きたい気持ちになってきますが、こらえましょう。

温泉、仁左衛門の湯に来ています。
リフレッシュ、気分転換。
身体が軽くなる。
気分はもう落ち着いています。
美雪のことが気掛かりです。
考えたらあかん。
でも考えてしまう。
なるようにしかならないのに。

土曜日の朝、図書館へ出勤前の時間だ。
午前9時47分、10時半に家を出る。
嵯峨芸大へ送っていくことがあってこの時間。
今日はもう春休みで、行かなくてよいとのこと。
なんだか、ここにいるのが、落ち着かない気分。
一日一日の過ぎていくのが、とろい感じです。
でも、過ぎていってもらいたくない気持ちも。
つながっていく予測をしているが、そうではない。
希望をつなぐのはよいけれど、そんなにうまくいかないよ。
魂胆は、ばれてしまう。
夜は雨が降る、折りたたみ傘を持っていかなくちゃ。

2016.2.27
美雪に会った。
三階のほうへ行ったらそこにプリントしていた。
話をした、写真をほめた、京都のはなしをした。
美雪は、いまいる会社をやめるという。
洋服の店、アパレルの店で、バイトするという。
作品つくりには2~3年の時間が必要だと言ってあげた。
DOTを紹介すると言ってあげた。
引き続き関係を保っていきたいというぼくの身勝手だ。
どうしたらいいのか、ぼくにはわからない。
美雪は自分の作品について良否がわからないと言った。
少しアブストラクト的作品、山沢栄子を思わせる作風。
山沢さんの本、私の現在、を見せてあげる。
よかったのかどうかわからないが、引き続き活動できるように。
でも、この先、どうなるかわからない、終わりになる。

まだおとといのこと、45時間ほど経ったところだ。
感覚的には、もう遠い出来事のようにも思えてしまいます。
遠いと思うと同時に、生々しい、さっきあったことのようにも。
時間の感覚がつかめない、決して順を追っていない。
最後になる、たぶん、そうなる、そう思うと、いてられない。
気持ちが動揺して、じっとしてられない、そんな感覚。
せめてこれからのことが知れるようになっておきたい。
この先、どこで何をしてるのか、を知りたい。
この知れるという確信があれば、それで耐えられる。
辛い、つらい、人混みに紛れても、孤立するだけです。
今日は、まだ、おとといの光景が、鮮明によみがえってきます。
写真に撮れなかった、無理強いはできない、つらいけど。