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最新更新日 2016.12.28
写真への手紙/風景論
風景論
中川繁夫:著

 seesaa blogに連載の文章

風景について/光の絵
 1~9 2016.8.14~2016.12.13

-1-
 

今日の京都は地蔵盆の催事を行なう町内が多い。
これはこのブログの最初の記事です。
ぼくの住む地域の地蔵盆風景の一端です、数珠まわし。
風景論と名付けられたこのブログは評論を主体にしたいと思います。
風景論と名付けましたが、このタイトルは最近のぼくの写真集の名前です。
自分という存在を介在させたなかで、風景を論じるという目論みです。
表現の方法として、いま<風景>のとらえ方が必要になっているとの認識です。
このブログには、現在的問題を浮き彫りにする目的を置きます。
なによりも現在的表現を目論むぼく自身のために、書かれねばならないのです。

-2-
 

スマホを手にして写真を撮る。このブログではスマホで撮った写真を載せて行こうと思うところです。写真や小説における風景について論じようと思って、このブログを立ち上げたところです。ここに掲載した写真はiPhoneで撮ったイメージです。カメラとしてのiPhoneですが、これは画像をつくるということにおいては革命的な出来事だと思いだしています。最近では、手の平サイズのカメラ・スマホカメラで写真を撮ることが多くなっていて、写真の概念がゆらいでいて、価値が定まらない現象が起こっていると思います。

ここでは風景というイメージを、自分という殻の外にある事象の全て、と捉えてみたいと考えます。自己と他者、あるいは自己ではないものの全て、そのときあったイメージ(風景)の記録です。その記録されるイメージは、自己によって選択されていきます。別のブログで風景冩眞と名付けたイメージを連載させていく予定をしていますが、そこでは既存のカメラを使って撮ったイメージを載せていこうと思っています。

風景論は、写真論であり文学論であり芸術論でありたいと思っています。自分と自分の外という分け方で、論を試みてみようと思っているのです。この分類は、まったく新しいことではないと認知しています。でも、具体的に先鞭をつけているのは何か、ということについては、いまのところわからないです。かって小説における風景の発見ということを学んだ記憶があります。国木田独歩の忘れ得ぬ人々だったと思います。

たしか小学校の高学年の国語の時間に、この忘れ得ぬ人々のことを学んだ記憶があります。近年になって柄谷行人氏による風景の発見という論文を読んだことを思いだして、たしか柄谷氏が国木田独歩のこの小説を解説していたように思います。近代において、風景の発見により内面の発見につながってくる、という論を知りました。いま文庫本を書架から手元に置きました。日本近代文学の起源という講談社文芸文庫の一冊です。もう10年以上も前に読んだものだから、いま引用するには理解違いをしているかも知れないけれど、ここにこうして書いておきます。

-3-
 

自分という存在がいて、その自分の外にある存在を認知します。
長年、存在ということについて、揶揄的に、懐疑的に、考えていました。
今も、はたして、なにこれ?、といったような感があります。
考えること、その源泉となるもの、イメージ、イメージは像、視覚です。
目の前にある実在する像が、自分という視覚で、確認されてきます。
カメラという道具があるので、それでその像を後に目で確認できるようにします。

風景という言葉が自明のこととしてあるわけですが、この風景という代物。
ものすごく曖昧で、広義で、考えれば考えるほど、複雑な様相を帯びてきます。
なにを思い立ったか、風景論と風景冩眞を考える枠組みを作ってみました。
そのそれぞれ、それぞれの関係、およびそれぞれ単独で、風景とは何か。
最近、散漫になっていると思う自分の意識に、明確さを与えられないか。
なんだか、もう、わけわからなくなってきて、これが老化なにか、とか。

風景といっても、自然風景とか心象風景とか、熟語にして枠組みを定める。
いや、ここでは、自分というコアがあって、その外側にあるものを見る。
この見ることで見たイメージが、つまり風景となる。
うちなる風景とそとなる風景。
うちなる風景は、自分というコアが創りあげていくイメージではないか。
ここでいえる風景論とは、自分が抱くイメージとその外側の実在するイメージの関係か。

-4-
 

自分という存在がいて、その自分の外にある存在を認知します。
長年、存在ということについて、揶揄的に、懐疑的に、考えていました。
今も、はたして、なにこれ?、といったような感があります。
考えること、その源泉となるもの、イメージ、イメージは像、視覚です。
目の前にある実在する像が、自分という視覚で、確認されてきます。
カメラという道具があるので、それでその像を後に目で確認できるようにします。

風景という言葉が自明のこととしてあるわけですが、この風景という代物。
ものすごく曖昧で、広義で、考えれば考えるほど、複雑な様相を帯びてきます。
なにを思い立ったか、風景論と風景冩眞を考える枠組みを作ってみました。
そのそれぞれ、それぞれの関係、およびそれぞれ単独で、風景とは何か。
最近、散漫になっていると思う自分の意識に、明確さを与えられないか。
なんだか、もう、わけわからなくなってきて、これが老化なにか、とか。

風景といっても、自然風景とか心象風景とか、熟語にして枠組みを定める。
いや、ここでは、自分というコアがあって、その外側にあるものを見る。
この見ることで見たイメージが、つまり風景となる。
うちなる風景とそとなる風景。
うちなる風景は、自分というコアが創りあげていくイメージではないか。
ここでいえる風景論とは、自分が抱くイメージとその外側の実在するイメージの関係か。

-5-
 

荒木さんじゃあるまいし、いまどき、結婚の記念写真をここに載せるなんて、おこがましいことだとは思いますが、この写真は、ぼくが撮ったものではなくて、叔父さんが撮ってくれて、ネガをもらっていたものです。自分のいる風景。普通、風景といういい方は、自然現象をイメージの内にとらえて、映像や画像に定着させるものと思われます。いつのころだろうか、1966年にアメリカで「コンテンポラリー・フォトグラファーズ-社会的風景に向って-展」が開催されましたが、ここに「社会的風景」ソーシャルランドスケープ、という概念が展開されています。この写真展ですね、俗にいうコンポラ展、その後、日本での写真表現に大きく影響を及ぼす風景の概念でした。掲載した写真に戻りますが、撮られたのは1970年4月28日です。荒木さんが「センチメンタルな旅」の表紙に自らの結婚記念写真を使って発行されるのは1971年です。荒木さんの結婚記念日がいつなのか確認していませんが、同じ時期に撮られていたのかも知れません。

-6-
 

たまたま捨てられていたゴミ箱から拾い出したのが1980年、それから35年を経て、スキャンして、ここに載せた写真がこれです。三人の女子がぶれて写っています。カメラの方を見ている目線があるから、撮られていることがわかっていたのでしょう。実は、この写真がこれほどにぶれているとは、今の今まで知りませんでした。というのは本当で、いまスキャンした中の一枚をアップしてわかったことなのです。というのも、これはネガカラーからスキャンして陽画にしているのですが、その時代の写真、ブレ写真、そのように見てもおかしくはないですね。拾ったネガです。釜ヶ崎の路上で、ゴミ箱のなかに写真店から上がってきた状態の袋に入れられたネガを発見して、拾っておいたのでした。

物語は、この写真に写った風景について、さまざまな語り口がありそうに思えてくることです。まず捨てられていたゴミ箱があった場所のことです。大阪の西成区、通称釜ヶ崎と呼んでいる路上のごみ箱でした。誰が捨てたのか、いやはや、釜ヶ崎にいた単身者が捨てたネガだと推測します。いつ、どこで、写されたものかはわからないところですが、あきらかに家族ではない女子が三名。同じ会社に勤めている女子なのかも知れません。というのも赤の他人をこのようにカメラを向けて撮るという行為は、普通にはカメラ好きの男子だと想定します。そうすると、そういう男子が釜ヶ崎へやってきて、生活していく中で、不要となったこれを捨てたのではないろうか、と想像力が逞しくなってきます。ぼくの知りえる知識を駆使して、いろいろと想像していて、物語を作り出しているのです。

-7- 光の絵-1-
 

新しいシリーズで<光の絵>です。自然の鉛筆とか太陽の鉛筆とか、カメラが取り込む光によって描かれた絵画のようなモノを羅列した写真集があります。ぼくの頭の中に、そういったイメージの写真集がお気に入りで、そんなのを真似してみたいとの思いが、ふつふつと気持ちの中に湧いてきています。掲載の写真は、ごく最近、窓から撮った外風景です。2016年12月2日が撮影日だったと思います。その前日にタブレットを購入しました。10インチのスマートフォン端末、といういい方で通じるのかどうかわかりませんが、それに内蔵のカメラで撮ったものです。撮った写真は、その場で露出補正したり、画像処理したりしながら、ブログやフェースブックなどにイメージをアップすることできる。そのことを実行してみたところです。ここに、最前線のツールによるイメージ制作の方法があるというわけです。問題は、何を撮るか、何を表現するか、ということであって、機材とソフトウエアの操作方法とか、制作過程のテクニカ的説明ではないと思うところです。

-8-
 

光の絵-2- 2016.11.29
かっての昔、この世界が、明と暗に別れはじめるというイメージがあります。現在なら天文学というのか物理学というのか、素人には区分が明確にわからないのですが、宇宙の生成、地球の誕生、それから何十億年かかかって、現在があると教わっていて、これが事実というのです。科学という分野で、立証されてきたことが、近代主義、モダニズムを生みます。ぼくらはその主義に基づいて、事物を認識をし、ぼくの内部に世界観を構築してきたわけです。そうしていま、光というものを捉え、その光が創りなす光景を内部の情緒に触れさせるわけです。この情緒というもの、感情ということ。一文字でいえば<情>ということのなかみのこと。光と情、この関係の生成に関与するモノとしての<光の絵>です。

光の絵とは、ここでは光を取り込んだ器械が、絵を自動生成するという装置を使って作った絵のこととします。簡便にいってしまえば、カメラという装置を使って制作されたイメージ・像といえます。光を感じて、それをイメージ・像として、絵にしてきた人間の歴史があります。ぼくは、いま、この様々な遍歴を経てきた絵、つまりイメージ画像を認識しているわけで、そのことが織りなし、情に訴えてくることの、そのモノに興味を覚えています。光ある方に意識が向くように、光が集積した絵、光り絵を作ろうと思っているのです。結局、興味の本質的な処は、自分という動物の、情、そのことの問題を解決する道筋だと、いま、言葉を連ねながら思うところです。

ひところ、光り絵は言葉とは乖離させ、それ単独で存在させて、言葉の拘束を排除したところに、絵の本質が、つまり情を喚起させ、情を欲情に変えさせるもの、として捉えようと思いました。絵への説明を排除し、絵それだけで成立して、情への働きかけ、その情によって揺さぶられる身体的感動の生成。この感動はおおむね、ときとして情欲と語られる範疇に昇華していかせるものではないか。本能に属し、本能をかきたてるものとしての光り絵。それがいかなる光り絵なのか。言葉で語られ伝承されてきたことが、文字に置き換えられ認知され、絵が描かれてきた歴史をみることができます。ここで想定するのは古事記であり、源氏物語絵巻であり、世界でみると聖書などにもいえると思っています。

-9-
 

光の絵-3- 2016.12.2
このシリーズでは、スマートフォンで撮った写真から選んで、載せていこうと考えています。いつごろからこのスマホと呼ばれる端末が、カメラ機能を持っていて、ほぼリアルタイムでソーシャルネットワークサービスと繋がって、その世界に配信できるようになっています。ぼくもそのことをあえて意識して、写真を撮って、インスタグラムやツイッターといったSNSに簡単なメッセージと共に配信しています。さて、この行為が、なにを意味し、なにをもたらすのか、といった話は、いまやこれから始まるところだと認識しています。さまざまな学問分野の側面から、ツールとしてのスマホ、ツールとしてのデジタルネットワーク、それが個々人に返って来る精神の営み、昔と今の、そうして未来にどうなるのか、といった人の内面の深部を推測するイメージ。人と人とのコミュニケーションですが、その個々人の深い内面が干渉しあえるかどうかということ。まだまだ、新しい領域についての論評が、はじまったばかりですね。さあ、始めよう、その領域の解明に向けて!