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最新更新日 2012.10.1
写真ノート第一部
中川繁夫:著



写真ノート 第一部


第一部 1984〜1985 23〜26

19850200
一年ぶりに東京へ行く。東松照明さんに会う。京都における写真の在り方といったもの、写真舎「フォトハウス」の在り方といったものを話す。とりあえずスケールの大きなイベントを打て、という。そのことによって写真の状況が変わる。草の根的な発想による運動は成立しないだろうと言う。むしろ行政を動かし、財界を動かし、金を引き出し、スケールの大きなイベントでしか京都においては写真の存在は認知されないだろうという。

写真の今後については、絵画と並びうるか、それとも他の複製芸術と同列として存在するかだ、という。写真、映画、ビデオといった映像の系列で、写真を発展させる限りにおいて、写真は絵画に拮抗しうる。東松照明さんとの話し。

’85.2.10〜12、東京に出向く。東松照明さんに会うためだ。写真舎「フォトハウス」の報告と相談をかねての訪問だ。夕方6時、西荻窪駅から電話を入れて、そこから自宅までの道を聞き、訪問することとなった。東松照明さんの自宅を訪問するのは二回目だが、この前二年前は、代々木のマンションだったから、西荻窪のそこは初めてだった。

食事をいただき、ウイスキーを飲み、そして東松照明さんと話しこむ。11時までよもやまの話しで、訪ねてきたかいがあったなあと思うかぎりだった。写真舎「フォトハウス」についてのアドバイスを受ける。京都の状況について話す。また東松照明さんの作品について話す。カメラ毎日の廃刊について話す。カメラ毎日の廃刊は寂しいかぎりだ。それよりも東松照明さんの京都について、発表の場がなくなるではないのか。そこで最終刊には苔をやめて桜にするという。京都の桜だ。

東松照明さんはこの三月で京都取材をひとまず打ち切り、作品の選択作業に入るという。なんとも寂しい気持ちにおそわれた。しかし、当然こういった日が、いつかはくるのだった。京都で会えなくっても、東京に行けばよいのだ。思い出すのはこの三年間の京都の東松照明さんのことだ。何枚かの写真が僕の手元に残されているから、これが何よりの証拠だ。かわいがってもらった。またいろいろとアドバイスを受けた。また大きなことを考えてこれたのは、やはり東松照明さんの挑発によるところだ。

こういった思い出は、いずれ語ることがあろうかと思うが、この訪問で東松照明さんの書斎で貴重な本を見たことだった。プロヴォーク、ワークショップ、東松照明さんの写真集、KEN、その他、そばにおいておいて研究したい本が書架に並んでいるのだから、はなしに聞くそれらの本が手に取れて見られて、いってみれば最高に幸せといったところだろうか。

19850200
「カメラ毎日」がこの3月発行の4月号で休刊となった。実質的には廃刊となるのだろう。ちょっと複雑な気持ちだ。あたかも写真界の中心であるかのごとき顔をしていた雑誌ではあったが、もう無くなるということで、ここから出発しようとしている人たちには悲しい出来事であるだろう。私にとっては、特段に利害もないので、在っても無くなっても、どうでもよいところだ。むしろ廃刊となることによって、やっぱりな!って思うところだ。

このカメラ毎日、最終号に東松照明さんの京都、三回目が掲載されている。京都の桜だ。去年の春の取材になるものだろうか。東松照明さんの京都取材も終わった、ということだった。なんとなく淋しい限りだ。2,3年前の東松照明さんが取材に通ってきていた頃がなつかしい。私にとって東松照明とはいったい、何だったのだろうか。

写真について、私の今があるのは東松照明さんの助力が大きいと思っている。写真舎「フォトハウス」の構想にしても東松照明さんがいなかったら、構想すらできていなかったかも知れない。私にとっての東松照明とは、一体何だったのだろう。いまとなっては、東松照明さんをあてになんかできないし、またかっての連中と一緒にやって行けそうもない。孤立無援、いつも一人でやってきた自分、今後も自分一人でやっていかなければならないのだろう。

「カメラ毎日」の廃刊は突然のことであったが、私にとってはどうでもよいことなのだ。むしろ無くなった方が、私にとってはラッキーなのかも知れない。この1年間、私はつねに動揺した気持ちと一種の滅入った気持ちを抱いてきた。建築家の松本健さんと会うまでは、写真舎「フォトハウス」の構想は、秘に作成していたものの実現困難という観点に立っていたし、おそらく構想だけで終わってしまうだろう、と思っていた。

実際には昨年から今年にはいって、実現の可能性を探っているけれども、どうも初期の目的を達成できないような気がしています。考えてみれば、あっちこっちに無理があるのだ。賛同してくれる人も、反対する人もいる。どうでもいいやといった気持ちにもなる。なんだか疲れたなぁ、といったところだ。本当はこれではいけないのだ。もっと初志貫徹といった馬力を持たなくてはいけないのだ。ひところのように。何年か前の自分のバイタリティーが、今となってはなつかしい限りだ。本を出そうかな、と思っている。といってもかってのような行動力もないのが現状だ。

19850320
3月20日、NHK教育テレビで「東松照明・カメラは今を写す写今機」という番組が放映されたという。私は見ていないのだ。ちょうど番組が終わる時間になって娘が、新聞で発見したのだった。そういえば2月に東松さんの自宅を訪問した時に、NHKの取材があると言っていた。見られなかったのが残念だ。

「しずはらアートビレッジ」、フォトハウスワークショップ。
構想の概要。
1、京都の北部の山間部に、現代美術の拠点を構築する。
2、芸術ジャンルとしては、絵画の周辺に位置するところの諸ジャンル。
3、具体的には、
(1)写真、版画、シルクスクリーンなど複数の再生が可能な芸術諸ジャンルとする。
(2)写真、映画、ビデオといった映像のジャンルとする。
4、各々に講座を設ける。
5、年に一回程度、各ジャンル横断のシンポジュームを開催する。
6、講座講師には、なるべく多くのメンバーを迎え、各講師の継続した講座を開催する。
7、受講生には、基礎から高度な技術が身につくまで研究できるようにする。
8、発表形態については、
(1)展覧会
(2)出版
9、展覧会については、美術館、ギャラリーを使用の他、芸術村での屋外展示やテント張りによって開催することも可能である。
10、出版については、雑誌形式のもの、単行本形式のもの、また個人単独のもの、合同のもの、などが考えられる。
11、制作された作品は、独自のルートで販売される。
12、このようなサイクルを持った芸術村の創出が必要であろう。

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このノートも久しぶりである。5月以降、ワークショップをめぐる様々な繁忙で、この夏はぼ〜っとしています。何から記していけばよいのか。たくさんありすぎて困ってしまいます。いまは何もしたくないというのが、本音というところだろうか。

フォトハウスについては、昨年11月に趣意書を発送し、賛否様々あったけれども、当初の目的だったワークショップの開講にまでこぎつけ、この秋、シリーズで里さんのゾーンシステムによる基礎講座を開講しようと思って、計画中のところだ。鈴鹿芳康氏との出遭いによって、ここまでこれたのだけれども、その他たくさんの人々の世話になった結果なのです。感謝します。

19850500
フォトハウス(PHOTO・HOUSE)について
この秋に、基礎講座としてゾーンシステムを中心とした講座を開設していくことになっているが、その枠組みとして事務局をDOTに置くことになった。連絡所を一カ所にして態勢を整えたところだ。また案内ハガキを目下、作成中である。4×5大型カメラもフォトハウスとして購入した。経費としては当面赤字となるが私自身としては、仕方がないと思うところだ。

鈴鹿芳康さんの静原の自宅ということで、場所を設定しているが、これも将来には名称をアートビレッジとでもいったものにしていきたい。里さんにおいては講師として基礎講座を担当してもらうことになっているが、彼の存在に負うところ大である。いずれにしても私一人でできるものではなく、みなさんの協力のたまものである。

DOTの協力を得たことにより、フォトハウスの方向性といったものが、限定されてしまうとしても当面は仕方がないであろう。というよろDOTの協力、もしくは同一体とイメージすることでメリット大である。先だって鈴鹿芳康、畑祥雄、岡田悦子、中川繁夫、この四人が集まって話をした時に、DOTとフォトハウスのドッキングといった案が出て、その後、岡田悦子、里博文、中川繁夫と三人で話した時に、DOTとしてフォトハウスの事務局を引き受けてもよい、またフォトハウスの所在地をDOT気付としてもよい、とされた。

もちろん背景には前の四者会談があり、メーカーサイドのワークショップが企画され、フォトハウスが先鞭をつけた格好のなかで、ワークショップの開講に何がしかの期待があったのであろう。ただ、京都をベースにして何が出来るか。何でも出来るように見えるけども、その実は何もできないのもまた京都なのである。

フォトハウスの今後の方向については、現代美術を含む写真から派生したジャンルについて、講座を開設していくことによって、その中心となっていくだろう。ワークショップは、フォトハウス構想の、ほんの一部である。もちろんこれがメインであり基本となる事業だが、将来的には写真を背負って立つ、ぐらいの気構えがほしいものだ。

フォトハウスの将来については楽観はできない。むしろ綱渡り的なものだと思っている。しかし、私は思う。日本写真においてフォトハウス構想は絶対に必要なものだ。

(第一部おわり)