ご案内です
HOME
むくむくアーカイブス

中川繁夫の物語と評論ページ

物語&評論ページ



食べ物雑感

食べ物のはなし

食べることの話です

食料・食べること

野菜工場



むくむくアーカイブス

最新更新日 2017.1.3
アグリネット
中川繁夫:著

 アグリネットblogに連載の文章

食べ物のはなし
 9~1 2016.8.15~2016.1.3

  

食べ物のはなし-9-

食料品としての加工品は、加工したものであることがわかります。
ところが自然のままを装う食料品で、人間の手が加えられたものが多くあります。
いまの世界、いまの時代、食料品を加工するのが当たり前になっているんですね。
魚介類は養殖します。
牛、豚、鶏、改良に改良がかさねられています。
野菜類は遺伝子組み換え、品種改良、などなど。
完全人工光と化学肥料による野菜の栽培は、今や最前線です。
これでいいと思うか、これはだめだと思うか、意見は分かれるところです。
としても、このこと自体に無頓着なまま、日々、生活物資として消費する。
完全消費者の群れを作りだしているのが、近代以降、現在の状況です。
ほぼ、自然のままで、なんていう食品がなくなった時代が今ではないか。
これから先、ますます人工化するのか、自然の方へ行くのか、ですね。
筆者は、自然の方へ、論者です。

-8-

 

ウナギのかわりにナマズをそれらしく仕立てて食物とする。
今年の話題、近畿大学のほうで、その研究がすすめられているという。
食べ物のことは、生きる上での興味のところだから、注目です。
でも、こういう話題が、話題になる、ということが、何かした違和感です。
写真に使ったのは、牛丼チェーンのうなぎ牛丼です。
どこで養殖されたものかわからないけど、うなぎはうなぎ。
牛にしろウナギにしろ、たいへんな時代になっている感です。

-7-

 

なんていえばいいのでしょうか、牛丼店の牛丼です。
廉価だからよく食べます。
外食産業の一角を占めている牛丼ですが、肉は外国産です。
外国産が悪いというのではありませんが、我々は安物という感覚です。
なにか食物をめぐる話で、良質なモノと粗悪なモノ、という区分をしてる。
ここのブログでは、良質なモノについて記述し写真を載せているように思う。
でもそればかりじゃなくて、現実には食は寡占化時代に入っています。
すべて消費者のそとで管理され供給されている状況かと思います。
これでよいのか、否か、ということを考えますが、どうなんでしょうね。
ここでは、問題解決先送りです、現実の食糧問題にどう向き合うかが先です。

-6-

 

自分の土地で野菜を育てて収穫する自家菜園がけっこう行われています。
都会地においては共同菜園があり借りた土地にて野菜をつくる。
自分が育てた野菜を収穫して食べることは喜びのひとつです。
自分で作ることで満足が得られるのは心の糧になる。
土をなぶって食べ物を栽培し、収穫して食する、これは心の糧です。
野菜作りは単に食べる物を作るだけではなくて、気持ちの充実を得ます。
経済側面から生産性をいえば、自家菜園は効率よいものではありません。
自家菜園は、大規模農業、大規模生産との対置ではなくて別の回路です。
経済のなかでの食料確保と農業の問題は、自家菜園とは別の問題です。

-5-

 

食べること、とは身体を生存させるための基本中の基本です。
食料は、原生のものから手を加えたものまで、生存の歴史そのものです。
生存の必須条件であるが故、古くから食べ方の研究がおこなわれてきました。
採取生活から農耕生活に変わってくるのが四千年ほど前、と聞いたように思う。
日本では主食が米ですが、小麦や芋が主食の国や地域があります。
なにより、興味のほども、食べること、これが最優先、とはいえません。
いえませんというのは、逆に、食べることが手に入るからでしょう。
食べるものはこれ生命を維持するために必要です。
地球上では、この先人口増加があって、食料危機に陥ってしまうとか。

-4-

 

素材に手をかけて料理して見栄えよくして食べる。
味は調味料を使って美味しいとおもう味がつけられます。
これった、人間の知恵、自然のママから人工の味へ、です。
文化というか人間が生きていく営みのなかで作られてきたものです。
料理された食べ物は、地域、地域によって異なります。
食文化といわれるように作られるものは人間の知恵の結晶です。
食は生きる上で欠かせないもの、最重要なものです。
それだけに食については人間共通の関心ごとなのでしょうね。
写真は、中華料理店の酢豚でしょうか、美味しかったです。

-3-

 

米作りを体験してきたんですけど。
ぼくは農業者ではないから自前の田んぼは持っていません。
もう10年にもなりますか京都農塾があって3年間学びました。
そのなかでの米作り体験、写真のは無農薬米を作っているところ。
減農薬、無農薬、不耕起、それから一般の農薬を入れるやつ。
ほんとうは、環境にも健康にも優しい無農薬がいいと思っています。
でも、手間がかかる、途中の雑草抜きとか、虫除けとか、リスクのある。
いっぱんには減農薬、最初に除草剤を入れておくと雑草が生えない。
一人年間60キロを食べる勘定になると言います。
米の値段って、10キロで12000円くらいが相場でしょうか。
米はわれらの主食です。

-2-

 

生産と消費の経済活動が別のものとなっているのが現代です。
生産者と消費者の関係は貨幣を介在させることで成立します。
この関係を現代において否定する気は毛頭ありませんが、です。
部分的ではあるが、都市生活者のなかで、生産に参加する傾向があります。
もちろん本業として農業生産者になるのではなくて、菜園を持つ。
菜園の持ち方は、土地を貸してもらう貸し農園を契約する。
自分の土地の一部を菜園にする。
食料の生産を自らおこなう活動です。
この傾向をどのようにとらえていけばいいのか。
グローバル化していく経済活動に、別の活動をもって抵抗する。
生産することをもって、自分を快復させていく手段なのかもしれない。
それとは別に、食料をめぐる経済は、おおきく変化してきていると思っています。

-1-

 

人間は、生きていくための食物を必要とします。
現代社会では、その食物を大量に生産して、配分します。
配分といっても、生産者から消費者へ、お金を介在させます。
この食物を、自分で生産するという風潮があります。
食べ物にお金をかけないといった理由だけではありません。
自分で生産することの喜びとでもいえばよいでしょうか。
それは、単独で、あるいはグループで、食べ物を生産する。
失いかけた共同体を求めて、共同で生産する、交換する、行為です。
単に身体を養うだけではなくて、精神の安定にもつなげます。

自給自足 2016.3.8

 

いまの時代に個人で自給自足ができるかどうかと考えたことがあります。
自給自足というのは、衣食住、それらを自分でまかなうというもの。
そのなかで、食べるものを生産したり、採取したり、どこまで可能か。
かって石器の時代、縄文の時代、弥生時代となって、共同体生活です。
一定の家族が集まって集落が形成され、集落の中で生産が共有される。
それらのことを想起しながら、自給自足を考えていたように思います。
結論として、個人だけでの自給自足は、現代生活のなかでは不可能。
だとしても、生産することを自分の手にいれることは、いいことです。
少しだけ貨幣経済からはなれて、贈与経済の領域で、物々交換です。

胡桃を食べる

 

木から落ちてきた実を洗い落として種だけにして。
その種をトースターで焼いて、割れ目を作って、二つに割ります。
実は細いフォークの先で突いて取り出し食べる。
主食にはなりませんけど、淡白な味で、野生の味です。
こうして、このようにして、食料を調達して、暮らしてた。
たぶん縄文のころには、採取生活だったというから、これ、食べてた。
そんなイメージをふくらませながら、山の生活を組み立てています。
現実逃避といえばそうかもしれませんが、これってブームですか?

2016.1.3

 

明けましておめでとうございます。
昨年は、ご無沙汰ばかりで申し訳ありませんでした。
今年は、抱負をいろいろ考えています。
でも、食については、どうするか、思案中というところです。
安心安全な食品、地域でつくって地域で消費する地産地消活動。
食をめぐる問題、関心事ですが、どうすればいいのか。
今年は、そういうことを具体的にしていかなければいけないな。