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最新更新日 2017.1.3
アグリネット
中川繁夫:著

 アグリネットblogに連載の文章

食料・食べること

 1~16 2013.1.9~2014.5.3

  

-1-

今年はなにかしら食べることに気持ちが向いています。
食料は人が生存のための基本条件です。
このことへのこだわりを意識していこう。
そのような思いで、いま、ここにいます。
老体、食べること、見ること、興味はこの二つ。

むつかしい話はおいといて、かんたん、イージーに。
最近の傾向でしょうね、ちゃらんぽらん。
でも、食べ物は、しっかり見つめていかないと。
ぼくは、自然派です、自然の恵みが、いいです。
太陽と水、土、そこに生きる植物、動物、自然派。

写真を載せていきたいと思うんですが。
写真は食べ物を中心に、花とか、風景とか。
地産地消にこだわりますが、フアストフードも載せます。
食をめぐる思いを、載せていきたいと思います。

-2-

人が生命を維持する基本条件としての食料。
食べること。
生存の基本条件として、食べること、寝ること。
それから子孫を残す行為。
ぼくはこれが生きることの条件だと思っています。

このなかでもとりわけ必要なことが食べること。
現代の社会の仕組みでは生産者と消費者、生産国と消費国。
たとえば小麦粉。
これはアメリカが生産国で日本が消費国。
日本は小麦を生産する気候風土ではないのでしょうか。

日本では主食は米、品種はいろいろあるけど米です。
ぼくは、食料の調達は、なるべく地場で、と思っています。
米を主食とするわれらですから、米を食べよう。
といいながら米をあまり食べていない自分に気づきます。
なんと、これは、どうしたことかいな、と思ってしまう。

最近のぼくは、高齢になってきて、肥満になっています。
なので米とかの炭水化物をあまり摂らないようにしています。
そういって、野菜、魚介、肉ばかりともいえないです。
まあ、食べることには、興味がつきないわけです。
ぼくの食生活を、エッセイ風に、書いていこうかなぁ。

-3-

主食のお米について。
現在、ぼくが食べるお米の生産地は石川県。
生産者は、義理の妹夫婦が生産してるお米です。
それと京都府、これは娘の旦那の実家の生産。
玄米で購入させていただいて、精米して食べる。

この精米して食べるのをやめて玄米で食べる。
これまでの習慣で白米食をしていたんですが。
玄米で食べたら栄養価が高いことに気がついた。
なにを今頃って感じですが認識したってこと。
それから炊飯器で玄米を炊いて食べるようにしています。

お米つくりを三年間にわたって体験しました。
京都農塾っていうのが園部にあってそこで学んだんです。
無農薬、手植え、手がり、ほさかけ、とか。
減農薬、機械植え、機械で刈取り、機械、機械。
米つくりノウハウ、共同作業です。

お米のはなしができるようになりました。
生産の現場を生産者の側から見れるようになりました。
われらの主食、お米、大切にしないといけませんね。
といいながら、粉もん、おうどんとかも食べますけど。
食料は文化のかたまりでもあると思うんです。

-4-

食べることについてのエッセイです。
食生活、欠かせない必然、生存の必須条件。
食べることについての興味は尽きません。
本能の欲求なんでしょうね、食べること。
毎日、朝昼晩の三回、原則、何か、食べます。

最近はダイエットしているんですが。
食欲は衰えていないから、自分との闘いですね。
食べる、食べない、飽食の時代のダイエット。
みんなカロリーが高いですね。
成人男子で一日1600キロカロリーとか。

多分にそれ以上を摂取している。
余り運動しないから余計に摂りすぎになる。
ファーストフード、コンビニフード、外食。
もうカロリー摂取を制限できないほどです。
食べ物の誘惑に、負けてしまうんですね。

-5- ある道の駅で

道の駅が国道にあります。
そこにはたいていその地域の農作物が売られています。
ぼくなんかは消費者だから、買う方にまわります。
そこで売られている商品は、良品であるという神話。
安全、安心、地産地消、良品神話です。
流通コストがかかってないから安く販売されている。
この時流だから、農薬とか化学肥料とか使ってない。
つまり、理想的な商品がそこには並んでいる。
ほんとかうそかわからないけど、そんなイメージです。
アグリビジネスって、あるじゃないですか。
TPPとか、いま、話題ですけど、流通。
なにを消費者が求めているのか。
なんだか複雑な様相を帯びてきた食物の現場ですね。

-6- ふきのとう

 

冬から春になるころ、地からふきのとうが立ってきます。
野蕗の花芽です。
まだ開花しないまえに摘んで食べます。
食べるといってもこのままではありません。
ゆがいてあく抜きをして味噌と一緒に炊きます。
そうするとふきのとう味噌になります。
そのままだと天ぷらにすると食べられます。
ほろ苦いですが、それがまた春、初春の味なのかも。
山菜は、採取生活、縄文時代につながる感覚です。

-7- 食事の価格 2013.4.11

外食をするときの支払価格についての思いです。
牛丼チェーンの吉野家が牛丼280円にするというニュース。
かってその価格で提供されていたんです。
最近は牛肉が少ない牛鍋丼が280円でした。
この280円というのが最低ラインかと思いしや、です。
すき屋と松屋が、期間限定で250円に値下げしています。

牛丼チェーンにはいるのかどうかわからなけど、なか卯。
なか卯の朝ごはん、目玉焼き朝食は200円です。
午前10時までと時間限定ですが、これで食べられる。
ここの牛丼も280円でしたかね。
200円の朝食、280円の昼食、500円程度の夜食。
外食で米のごはんを食べて、一日千円でおさまる。

安価なのが良いとか悪いとかの議論は置いときます。
お弁当では、消費税別で250円という価格があります。
298弁当、つまり298円でお米ごはんのお弁当があります。
お米じゃなくて小麦を使ったマクドとかもありますね。
ここはお米に絞った食事の値段のはなしです。

安いから質が悪いなんてこと言いだしたらきりがない。
安いということは最低ライン、いいことだと思う。
このレベルでも利用するにはお金が必要なんです。
食べ物についての議論は大いにしていきましょう。
理想を語るのはいいことですが、しかし。
それでは解決できない問題も多々あるように思います。

-8-

 

山菜の王者とも呼ばれたり<たらの芽>です。
たらの木の新芽をつまんで、てんぷらにして食べる。
なんともぜいたくな山菜です。
写真は田舎に自生しているたらの木の新芽です。

山菜といえば山に自生するものと思っていますが。
最近は、山菜、野菜と同様に栽培されるんですね。
そうかも知れません、自然のまま、自生のものは少ない。
消費にまわすには、自然の生産量が、少ない。

でも山菜は、食の安全安心神話に、支えられているのでは。
自然のまま意識をもった山菜ですが、栽培です。
そうゆうことは多々あることですが。
シジミの産地琵琶湖の近くの道の駅で、中国産シジミだったり。

なんか、地産地消ってことばも、疑いたくなる気持ち。
有機栽培無農薬とか、どこまで信頼するのか、とか。
まがいものが出回ったりするから、信頼を損ねる。
食の問題は、まだまだ、イメージが悪いです。

食べることの話

-1-

おいしいもんを食べたい。
この欲求なんて「食べられる」という前提があっての話。
ふつう消費者っていうのは、お金を出して買って食べる。
出すお金の多寡によって値打ちが決まるということ。
高い方が値打ちがある、ほんとかな?
まあ、ともあれ、価値の尺度としてお金を引き合いにします。

気持ちのところで、価値のつけ方も変わってくるんじゃないか。
ひとえに自分のなかでの価値の格付けでしかないんですが。
載せてる写真に写っているのは、胡桃と銀杏。
これ、田舎の自宅周辺で採った実です。
自然のままに自生している胡桃の木と銀杏の木の下で採取。
朝の食べ物として食べるわけです。

このことを、誰もが出来ることだとは思いません。
それぞれに生活の舞台があるから、そのなかで。
そのなかで出来ることをして、自分流満足感を得る。
高いお金を支払うことが高い価値を持っている、なんて。
そこからの脱却が、自分流、価値観となるんじゃないですか。
というふうにこの章では、価値を逆転させちゃうことを考えます、

-2-

食べることの話題はつきないですね。
食べることへの執着は生きることへの執着です。
年を経るにしたがってぼくの場合、食べることへ執着です。
若いうちは、食べることよりも優先順位が高いモノが多かった。
もちろん基本的に仕事をして稼いで食べることができたから。
食べることへの関心はさほど高くなかった。

食べることは身体を維持するために必要なことです。
何を食べるか以前に、食べなくちゃ生きていけない。
生きていくための宿命として、食べることがあります。
そうしてグルメなんていって、美味しいものを食べる。
これなんかは、贅沢きわまりないことなんですね。
食べることにかけては、いまや最大の興味ごとです。

自分の収支バランスのなかで、食べ物を買っています。
最近は、年金収入生活で、年金減って物価が上がる状況です。
最低ラインの生活維持なんてこと思いながら消費します。
安いものを買う、値引きしてあるものを買う。
定価で買うより、なかには半額という食品もある。
それを買う。

むかしエンゲル係数なんて数値を習いました。
現在のぼくのエンゲル係数はどれほどか?。
かなり高い割合になると思う。
思うところ、多くの全体が、高くなっているのでは。
身の回りには食べ物が豊富にあるように見えます。
でも、それは見かけの姿にすぎないようにも思えます。

-3-

夏には精力をつけるために食べるウナギ。
土用の丑とか、なにかにつけ重宝がられるウナギ。
夏バテ防止とか、その効用はいかに。
わたくしも、ウナギは好物です。
このウナギが危うい。

日本で育てられたウナギの値段は一匹2500円以上。
台湾産とか中国産とか表示のウナギはかなり安い。
まあ日本産の養殖ウナギですが、6月には二回食べた。
たぶん日本産の養殖ウナギだと思います。
表示は確認していません、書いてなかった。

一回目は江戸川っていう名前のウナギ専門店で食べた。
ひつまぶし、初めて食べたけど、一人前2500円です。
二回目は近江町市場で買った一匹2600円のウナギ。
縁起物だから、買ったけど、高いです。
ひところの倍以上の値段です。

稚魚が育っていないから、数が少ないから、高い。
経済の原則、需給バランス、供給が少ない。
でも40年前でも一匹1000円してたなぁ。
ということは、収入からして安くなっている?
最近は牛丼店がウナギ丼を食べさせてくれます。
今年もつぎは牛丼のかわりにウナギ丼にしよう。

-4-

ウナギの話を続けます。
昨日7月22日は土用の丑とか。
ウナギを食べる日となっているんですね。
ということで生協へ行ったらウナギを売っていた。
販売員さんがいて試食して買ったのが鹿児島産。
かなり子ぶりだけど値段は1680円でした。
衝動買いみたいなもんで買ってしまいました。

平均的に国産で一匹2500円以上しています。
中国産だと1500円とかでもあります。
稚魚はいっしょだと思うが、どうして中国産は安いのか。
国産といっても、静岡産は高い、鹿児島産は安い。
価格のつけられ方がよくわからない。
絶滅危惧種になったそうで今後簡単には食べられない。

今年は吉野家の鰻丼を食べました。
一昨年、昨年、今年と三年連続です。
今年はダブルにして980円です。
店内のポスターに中国産と書いてあった。
正味一匹分くらいのボリュームだったから安い。
すき屋へは、一昨年、昨年と売り切れたと言われたから。
今年は、すき屋へは行かずに、吉野家にした。

ウナギごときで世の中騒然となっている感じ。
クジラにしてもへんなことになっている感じ。
イカなんかも越前とか金沢とかが少なくなっている。
マグロは高値のまま、なかなか欲しいのが手に入らない。
高値の御三家、ウナギ、マグロ、上等の牛肉。
だいたいグラム当たり同じくらいしていますね。
ぼくなんかは、それでも年に一回程度は食べてる、リッチだね。

 

-5-

年金生活者というのは、とにかくお金が回らない。
もちろん年金をもらうための蓄積をしてきた結果だけど。
ぼくの場合だと月額でフリーターの月収くらいか。
手取りで16万円強です。
一人前に家があり維持費がかかります。
だから極力支出を抑えなければならないわけです。

ケチしているわけじゃないけどケチです。
買い物は百円単位で物の値段を気にしたり。
安くなった物を買う。
割引になった商品があるじゃないですか。
賞味期限前とか、閉店まぎわとか、値引きしてある。
20%.30%.50%、50%だと儲けた気がする。

とにかくエンゲル係数が高い。
消費税なんかのったらもろに影響です。
3%以上割引の商品を探さなくっちゃ。
それでとんとんだけど、年金額が下がってる。
物価に連動とかいうけど、出費も多い。
でも、まあ、やっていくしかないのだ。

もとから高いのは買わない。
原材料等が高くついて、高いという品物
たしかに良いけど、手に合わない。
そこで、安上がり生活のコツ、なんかを披露したい。
しょせん経済社会だし、資本主義社会です。
そうゆうなかで生きる戦略をたてなければ。

といいながらも、高いのを買ってしまうことも多い。
ひょんなところで、損をしたりします。
安物買いの銭失いってことわざがあるけど、これ。
年金生活者が豊かであるようにいうけど。
それは一部の年金生活者、年金以外に収入がある人。
たいがいはシックハックしていると思う。

-6- 暑い日々 2013.8.4

毎日、暑いと、食欲が減退しますね。
なにかと口あたりのさっぱりしたもの。
冷麺とかそうめんとか冷やしうどんとか。
考えてみると、材料の原産地は外国。
すべてとはいいませんが、外国産。
材料は小麦です。

こんなこと思いながら食べるからよけいに暑い。
食べ物のことは、生きる上に置いて重要問題です。
農業、漁業、畜産業、どれを見ても外国と国産。
二項対立で、せめぎあっていますね。
なにが良くてなにが悪いのか。
そんな内容を吟味していく必要があるんでしょうね。

食生活というのは生きるための基本要素です。
生活をすることとは衣食住が揃うこと。
それに欲求が満たされることが必要です。
それなのに欲求が満たされないことが多い。

ぼくは消費者、完全消費者、年金生活者です。
食料を自分の手では作っていない。
野菜など生産した人からままもらうことがあります。
でもそれは、こちらから何かを買ってお返しする。

その食料品がこの10月から値上がりするとか。
今日からぼちぼち値段が上がっていくのか。
この前からも暫時、値段が上がっています。
そのなかでもなるべく値引き品を買うようにしてる(笑)

自己防衛の方法を考えるわけです。
なにも買わないわけにはいかないからどうするか。
知恵を出してとか言ってもなかなかね。
なるべく10%オフとか30%オフとかの値引き品を買う。

なんかむなしい気分になるけどしやない。
なんせ所得が少ない、年金受給者の平均以下ですから。
でも、やっぱり、まだまだ贅沢してるよなぁ。
切りつめないとやっていけないのに、ね。

-7-

<食料を確保する>1

いまぼくは食料にありつけています。
大半の人が食料にありつけています。
それがなんかのはずみでありつけなくなる。
ぼくはそのことを考えてしまうんです。

食べるためには食料を買う。
消費者として食料を買います。
この買うお金が手に入らない時のこと。
基本的には、これは生活保護とかで守られています。

とはいいながら、炊き出しには人が並びます。
食べことがままならない時の頼みの綱です。
餓死するという状況は、日本には原則ありません。
ないから安心、というわけにもいかない。

そこで、食料の生産者になる道を模索する。
野菜とか、山菜とか、木の実とか。
でも、都市生活者は生産する場所がない。
お金がなければ何事もできない実情があります。

お金がある人はいいです、苦労はいりません。
お金を得るために苦労してる、大半はそうですけど。
お金を得ることが少なくても、生産者になればいいかも。
だから、生産者に参入できる道をつくらないといけません。

-8-

<食料を確保する>2

日常さりげなく買い物に出かけて食料を買います。
ぼくは消費者だからお金を払って食料を手に入れます。
なるべく安上がりになるように工夫をします。
基本的には、店頭に並んでいる物はなんでも買えます。
安いか高いかは別として、買えます。

現在、日本にいて、収入がある人は食料が手に入ります。
ぼくは都会生活者だから、スーパー形式のマーケットで買います。
食料は山ほどあるといっても過言ではない。
でも世界レベルでいえば、食料にありつけない人々がいる。
それらは遠い処での出来事で、わが身のことではありません。

流通システム、生産者から消費者へ渡るルートです。
産地直送、地産地消、産地へ買いに出かける。
消費者は、買う方法を選択できる仕組みです。
産地へ出かけて農協のお店で、道の駅のお店で買います。
流通コストがかかってない分だけ、安いように思うが。

まるで遊び、レジャー気分で、買い物しています。
都市型の大量販売の店舗では、大量に買うことで満足します。
食べること、食料を確保することは、レジャーです。
商品が同じなら、なるべく安く買うことに気持ちが向きます。
今日も食料を買い出しにでかけて、満足を味わいます。

-9-

<食料を確保する>3

食料を消費者として確保するためには、お金が必要です。
お金は、わいてくるわけはなくて、稼がないといけません。
ぼくは年金生活者、年金を受給する資格があるんです。
ほぼ40年間、年金として積み立ててきて、いま切り崩しです。
消費者は、仕事をする対価として、賃金を得るわけです。
この仕事がない人のことを失業者と呼んでいます。

つまり失業者は、食料を確保できない立場に置かれます。
制度としての失業保険を得られる人は、確保できます。
預貯金があれば、切り崩して、消費にあてることができます。
消費者は消費者であるかぎり、食料を確保しています。
しかし、それができないことがままあります。
できないときは、生活保護を受けることができます。

生産者であれば食料は確保できる立場ですが、消費者は。
お金でもって食料を確保するしかありません。
そこでお金を、どうして手に入れるか、ということ。
どこからどう考えてみても、お金がなければやっていけない。
食べることに困っている人が、やっぱりいるんですよね。
事情はともあれ、食べられない人の群れが、日本にもある。

贈与経済なんてことばがありますが、あげる、もらう。
釜ヶ崎炊き出しの会では、カンパで送られてくる米とか。
雑炊をつくって、食べられない人に、食べてもらう。
相互扶助、助け合い、こうして食が確保される人もいる。
生きていくことの基本に、食べることがあります。
衣食住のなかでも、とりわけ食は命にかかわります。

いやはや、TPPだの、消費税アップだの、いろいろ。
生きていくことは、基本に食料を確保すること。
できれば消費者から、生産者になればいいわけです。
はたして、この転換、どうすればできるのか。
自給自足、ほんとうに可能なのか。
自給自足と物々交換、ほんとにできるのかなぁ。

-10-

食文化という概念があると思うんです。
文化としての食、食べ物、食べること。
ラーメンとか人気がありますね。
ぼくも最近ラーメンを食べることが多い。
行列のできるラーメン屋さんとか。

牛丼、吉野家、すき屋、なか卯、とかです。
ハンバーガー、マクドナルドとかです。
回転寿司、くら寿司、かっぱ寿司とかです。
洋食、ガストとか、ビッグボーイとかです。
全国にチェーン店をもって展開しています。

産地偽装とか商品内容偽装とかあるんですね。
有名ホテルの食が、使った材料と表示が違ったとか。
食品に対する信頼、どうすれば信頼できるのか。
アグリ産業、アグリ業界、ちょっと信頼できないですね。
というところで家庭でつくる料理の話。

家庭でつくる料理なんて余り話題にならない。
話題にならないけど話題にしていかないといけない。
食べることは生きる上で絶対に必要な事柄です。
いかにして、良心をもって、対応していくのか。
いまや食のことって、めちゃくちゃ乱れてる感じがしています。

-11-

家庭にある冷蔵庫、その冷凍庫に保存。
昭和時代のぼくは、食生活の形が変わったと思う。
その変わった大きな内容は、冷凍保存のことでしょうか。
昔とは言っても30年~50年ほど前のことですが。
まだ冷蔵庫があっても、冷凍庫が十分でなかった。
魚介類、肉類、家庭内での長期保存はできなかった。
それが、いま、冷凍庫スペースに、魚とか肉とか、保存。

安い時に買い入れておいて、順次、使っていく。
大量に買うことでコストを下げる。
大量買入れといえば、そういうスーパーが盛況ですね。
業務スーパーとか、コストコとか、知る人ぞ知る店ですね。
いまや、生活様式、生活態度が、変わっています。
若い世帯の人たちは、これが当たり前ですね。

良い品物が、安く手に入る、これがベストなわけです。
良い品物って、なにをもってそういうのかを、自分なりに。
良い品物と思う良い品物のとらえ方は、各人で変わってきます。
ぼくなら、50年ぐらい前の品質を備えた食料品、と思ったり。
なるべく自然のままの食料品がいい、と思ったり。
でも、なかなか忙しくて、そこまで手が回らないから。

理想的なことを言えばきりがない。
どこで妥協して、納得して、おいしくいただくか。
安い品物には、それなりの訳があり、高いのにも訳がある。
だから、それを見抜いて、安くて良い品物を探します。
賞味期限前の20%オフとかになった品物を探したり。
消費者の知恵をだして、食べることの工夫がいりますね。

-12-

食べ物のことを考えて、思いを巡らせています。
ふううっと、自然のまま、って言葉が思い起こされてきます。
自然のままって、人間の手が施されていない状態ですかね。
そう思って、買い物に行った先の商品のことを思う。
食肉、にわとり、ぶた、うし、なんかしら肥料に混ぜてる。
魚介、さかなですけど、養殖してる、ホルモン剤とか投与してる。
野菜、なっぱとかですけど、人工肥料に農薬に、浸かっています。
加工品のなかには添加物がいっぱい。
添加物のなかには、健康を害する恐れがある物質もあるとか。
なにかしら、人間が人間を壊して、潰していくように思えてならない。
もっと、もっと、もっと、自然を取り戻さないと、いけません。
そのように思っている昨今です。

-13- 2013.11.6

昨日は百貨店のレストランで偽装が発表された。
一斉に発表されたから、なにか横の連絡でもあったのか。
なんか、以前に産地偽装が社会問題になった。
産地だけじゃなくて品質偽装が問題になっている。
世の中、こんなもんか、なんて思うのは空しいです。
うそをつくのはよくない、子供でもわかることです。
消費者においては、食品に対する関心が高くなっています。
ほんと、なにを信頼したらいいのか、不信感だらけ。
世の中、腐ってきてる、そう思えて、空しい気持ちです。
田舎から、採れたての野菜が、先ほど宅急便で届きました。
これぞ信頼できる、有機栽培無農薬、生産する人が言っている。
たぶん、間違いないと思う。

-14-

 

いろいろ頭の中を巡らせて、生命維持の根本は何かと問うています。
どうみても食べることがその根本であるとの結論です。
人間社会には、文化とか歴史とか経済とか政治とか、あります。
でも、それらは、食べることが担保されたうえでの展開です。
なにより食べること、食料の確保、このことが必須不可欠です。
このようにいうと、わざわざ分かりきったことを、なにをいまさら。
そのいまさらが、忘れられているような気がしてならないわけです。
餓死するということは、今の日本では、ありえないことかも知れません。
とはいいながら、今日食べることに困って、ということがままあります。
複雑な社会の構図のなかで、食べる手段を失った日、その日はどうする。
一例ですが、炊き出しがおこなわれていて、炊き出しの恩恵をうける。
大阪市西成区にある通称釜ヶ崎地域では、その炊き出しがおこなわれています。
炊き出しの食材は、カンパによって賄われている釜ヶ崎炊き出しの会。
写真を掲載しますが、今も行われている炊き出しの光景です。
2013.4月撮影です。

-15-

生命あるものは食べないと生存できない宿命です。
人間、どんなことがあっても、食べないと生存できません。
生きているということは、食べているからです。
あたりまえのことですけど、食べるとは、生存の基本です。
太古の昔から、人間は集落を組み、食べ物を探して生存してきました。
日本においては、農耕稲作のはじまりが、弥生文化の始まりなのでしょうか。
それからおよそ四千年と聞きましたが、そうなのでしょうか。
そう思うと、いまある文化の起源から、四千年の歴史を経て、ですかね。
食料の種類には、農産物、海産物、つまり食料があるのは土と海です。
いまや、加工品が圧倒して多いんですが、自然のまま、ありのまま。
この「自然のまま」がどれだけあるのか、このことを考えたいです。
現在の文化・文明のなかで、貨幣に頼らない生存の方法をと思うんです。
自給自足ということですが、どこまで可能なのかと考える、原点だからです。

-16- 2014.4.25

 

良質な豚肉のための餌

豚の餌に、食べ残し、残飯が集められて、食べさせているのが、ふえろう村塾で飼育されている豚。配合飼料を食べさせないで、自然飼料で飼われているんです。そのことによって、豚肉のどこがどのように違うのだろう。配合飼料のなかには、豚肉の見栄えとか加工のしやすさとかの為に、有毒な物質が含まれている配合飼料が与えられるというのです。一日一回の食事ですが、たまたま、この日は、写真のような残差が与えられていました。撮影は2014年4月16日のことです。

 

*17-

 

ホットドッグという食べ物は、パンにソーセージが挟んであって、それを端からかじって食べるということです。お箸で食べる日本の食文化にはなかった食べ方だと思ったりしますが、ここにあげた写真は、ふえろう村のホットドッグで、ソーセージはもちろんふえろう村で飼っている豚の肉から作られたものです。

ホットドッグ、もう半世紀もまえのことになりますが、小型のボックスカーの屋台で、ホットドッグが売られていて、寒い日の夜、買って食べた記憶がよみがえってきます。寒い日、高校生のときで、腹が減って仕方がなくて、そういえば岡崎の京都会館の近くの橋のたもとに出ていいたホットドッグ屋。

ここ最近では、コストコでホットドッグと飲み物がついてかなり安くで提供されていて、セットで160円だったか、会員価格ではあるけれど、何度か食べました。ハンバーガーではなくてホットドッグ。これを食べるときは、けっこうやんちゃな食べ方をしてやろうと思って、下品な食べ方を研究しています。お下劣って言ってもいいかも知れません。

ホットドッグは、反文化、高尚ではなくて下劣、いいじゃないですか。もう高尚な文化なんて、和食、世界遺産になるくらいだから、遺産です。この和食だって、高尚とは言えなくて、庶民の食べ物そのものでしたね。日本文化が崩壊している。そういう時代なんですね。日本文化賛否両論、今日は憲法記念日ですね。