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中川繁夫の物語と評論ページ

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最新更新日 2018.1.5
徒然にっき
中川繁夫:著

 徒然にっきblogに連載の文章

徒然にっき-5-

 1~12 2017.1.1~2017.3.2

   

-1-
西暦2017年、平成29年、歳の初め、今日は元旦です。
あれこれ、昨年は50数年ぶり、心の災難だったと思っています。
今年は、これまであった関係を終えて、新しい関係を創りたい。
もう、あと10年くらいしか時間がない、との思いがあります。
年齢70を越えてしまった自分がいます。
周辺大方の男子、その寿命が80歳前半のようです。

新しいことを始めようとの気持ちはあるけど、体力が、精神力が。
新しいことを、といってもこれまでのアレンジでしかないのだけど。
何かしてないといられない性格のようなので、仕方がないと思う。
16歳のころの感覚が、今の歳になっても、同じような感覚だと思える。
でも、これは、たぶん、うそで、体験が同じようだということで、そう思うのかも。
一昨年、昨年と、気持ちが落ち着かなくて、迷い系だったと思っています。

今年は、新しい決意で、新しい気持ちで、新しいことを始めたい、と思う。
ボードレールに詩集をだしてきて、ぱらぱら、めくっていました。
新しいところでは、古事記の世界に興味が傾いているなぁ。
それらの統合イメージで、作品が創れないか、とも思うところです。
作家まがいのことやっていかないと、評論だけでは、いけないな。
東松さんが、作品を作りながらの行為だ、と暗示していらしたから、ね。

フォトハウスの生成について、書き始めたところですが、東松照明さん。
今日は達栄作さんの写真を、記憶の写真、として別ブログにあげました。
先輩として影響を受けているのは、達さんと東松さんの二人です。
達さんのところで学んだことで東松さんとつながった、と考えるのが妥当です。
達さんと撮影に行った余呉とか、伸子さんとか、懐かしい写真を先に見ました。
今年は、そのへんから掘り起こしていかないと、いけないのかなぁ、と思う。

-2-
正月も終わり1月8日、日曜日、雨が降っています。
朝からもたもた、もう昼の時間になってしまいました。
文学・小説のはなしで、漱石や堀辰雄などのことを書きました。
文学の論ではなくて、雑文、自分のj記憶をたどっている感じ。
これらの行為は、自分のためにやっているんだな、と思う。
世間の流れに合わせる必要もなく、自分流でいいんでしょうね。
それしか言いようがないきがします。

批評となると、それなりの枠組みを作って、方法があって、それに準じる。
ぼくの場合は、それを無視しているわけだから、どうしようもない。
いかにも雑文で、書きなぐって、推敲なんてほとんどしません。
でも、なんだか、空しいんですよね、虚しい、むなしい。
写真も文章も、いっぱい撮って、いっぱい書いて、公表してる。
ネットがなかった頃って、手元に置いておいて、見せること少なかった。
いまや、SNS、ツイッター、フェースブック、インスタグラム、フリッカー。
時代の流れですよね、ひと頃にはなかった情報流通の時代です。

新しい方法を駆使して、使いこなそうとしています。
ツールは、パソコン、スマホ、タブレット、この三種を手元にそろえた。
ネットワーキングで自己表現、それから交流、情報交換、ですね。
実際には、生身で会える人でなくても友達になったりできます。
交友関係、人間関係、というのも電話だけ時代から様変わりしています。
展覧会の在り方なんかも時代に合わせて、構築されるべきでしょうね。
今年は、世の中、大きく変化する年だと世間での話題です。
そのように思います、何が変わるのか知らないけれど、世界が変わる。

-3-
土曜日の朝、もたもたと、午前中の時間、なにをしておこうかと、迷う。
結局、ここへ来て、徒然にっき、を書こうと思って、書き出したところ。
これまでの、気になることが、ちらちらと脳裏にきらめいてきます。
でも、それらの光景を紐解いて、記述していくことは、ここではできない。
この文章は公開しています。
なにもかも公開できるほど、単純な生き方をしていないから、秘密。
秘密は持たない方がいいと思うけれど、誰にも言えないことも多々。

最近は、神社と仏閣、人を撮らないで、構築物や仏像などを撮っている。
その場にいたという存在証明みたいな、其処を訪れたというような。
その行動の行為が、意味をもってくるような、作品とならないか。
漱石の門という小説があるけど、仏閣の山門の前に立つとき思い出す。
迷い人、門を見上げて何を思うや、この門を開けたら、何があるのか。
迷うを晴らす世界があるなら、開いてみるのも意味があるかも。
古希を過ぎ、ますます迷いが生じてきているを自覚します。

今日掲載の写真は、これまでにも方々で載せた写真です。
釘抜地蔵尊の太子堂の仏像、真ん中の仏像、誰だかわからない。
阿弥陀如来、そう思っていたけど、違うみたい、札に書いてあったけど。
太子堂というから弘法大師、空海、そのひとが此処を訪れて、開いた。
そういうことで、太子堂があり、仏像の前に座ってるのが、弘法太子か。
石像寺という浄土宗のお寺、庶民信仰、京都は千本上立売にある。
自分が生まれ育った地域だから、もう少し掘り下げて、見てもいいのかも。

-4-
もう長年の知りあい、稲垣さんの応援というか、支援というか。
彼が孤軍奮闘、組合と炊き出しの会を運営している姿に感動します。
おととい、裁判傍聴に動員がかけられ、センターからバスに乗る。
裁判のなかみには触れないが、勢力的に裁判闘争を続けています。
原告として裁判に持ち込むわけですが、弁護士、弁護団がいるわけです。
ぼくはそのまわりで、傍聴に行くひとりにすぎません。
その彼が、昨年から病気と闘っている姿をみて、感動的に応援します。

年齢的には、彼はぼくよりも数年年上で、老齢の部類です。
釜ヶ崎で、裁判傍聴の動員に応じてくる数十名のひとたちは、まだ若い。
若いといっても五十、六十、もう少し若いひとも見うけます。
みんな一生懸命生きている。
炊き出しに頼っているひともいるようで、バスの中で会話がある。
ぼくは、年金生活だけど収入があって、それで生活しています。
これ以上の金儲けはしないつもりで、底辺生活を続けようと思う。

生きることの価値観は、金がすべてではなくて、価値を別の処に求める。
それでいいと思っているけれど、金儲けすることに価値を見る人もいる。
金を持った多さで人間の価値が計られるわけではなく、生きる中身だ。
そう思って、その中身を見ようとしているけれど、それがわからない。
自分を見るということが、いま求められ、これからの在り方の価値だと思う。
そういう時代に来ていて、それをいかに作品化していくのか。
これが、表現のテーマとして必要なことだと思っているところだ。

-5-
何処へ行って、何を書こうかと、うろうろ徘徊しています。
日曜日の朝、寒い朝、ラジオは美空ひばりのマドロスさん。
懐かしい、昔々、といっても60年ほど前になるのか。
老年になったものだ、つくづく自分の歳を思ってしまう。
写真を一枚載せていますが、このブログでどう見えるのか。
昨日、星が丘洋裁学校って所へ行かせてもらって撮った一枚。
うんうん、女子たちが写真の被写体にするイメージ満点の場所。

日本画を学ばれた方が、この場所で展示をされているので見に行った。
不思議な場所、そこで展示をするひとが不思議に思えているんです。
ああ、いまの時代の生き方が、この環境にあるんだろうな、自然派。
農塾に通ってたころのイメージが甦ってきて、ほんのりの気持ちでした。
おみかんをいっこいただいて、帰りの喫茶店で食べたら、おいしかった。
そのイメージは、思い出すと、おとぎの国の出来事だったような。
新しい学校構想を少しご披露して、縁があったら繋がると思う。

七行三枠というフレームで文章を書いていますが、これは公開です。
フィクションも書きたいし、芸術論的なのも書きたいし、と思っています。
正月以来、その枠をブログにて作っているのに、文が書けない。
なにかしら、重圧を感じてしまって、気持ちが思うように動かない。
もたもたしながら、雑文と雑写真を組み合わせて、お茶を濁してる。
思うひとがいるのに、遠回りして、結局、実名では触れられない。
アメリカの大統領、不評のようですが、ぼくはそうは思わない。

-7-
2017年の1月が終わります。
もたもたしながらの日々ですが、1月が終わります。
朝からデーターを整理を、ハードディスクの中を整理してました。
データーの大多数が写真データーです。
ハードディスクに置いているけど、使うことが無いですね。
といって消してしまうことも気持ちの上でできないでいます。
といいながら何年も前の古いデーターはすでになくなっていますが。

フィルムをデジタルにスキャンしているところです。
1970年代の終わりから80年代初めのところをスキャン中です。
精力的にやってないからあんまりすすんでいません。
まだ数百本分はあると思うけど、ちまちまとやっていきます。
スキャンしてると、記憶が甦ってきたり、覚えていなかったり。
まさに自分の歴史、痕跡、歩んできた道、といったものですね。
今年になって新しいブログを作ったりして、リニューアルしています。

撮る写真も、神社仏閣を中心に摂りだしていますが、自分の記録です。
文章書くより、動画で撮るより、写真に撮るのが手軽ですね。
ちょっと世間から遠のいていく感じですけど、仕方ないんかなあと思う。
いつまでも現役なんて、自分では思っているけど、決してそうではない。
使った写真は、大覚寺、名古曽の瀧跡、嵯峨天皇の住まいがあった処とか。
F・Jさんの住所が、嵯峨名古曽町という記憶があって懐かしいんです。
どないしてるのか、まだ生きてるんやろな、ここかで生きてるんだよね。

-8- 2017.2.4
節分が終わり今日は立春。
光が春めいてきています。
一昨日は節分取材に出かけてきました。
写真を撮ったけれど、まだアップしただけでセレクトしていません。
ここに載せたのはスマホで撮った椥神社の御神楽です。
もう毎年の事、節分のときにはここへ来て御神楽を撮らせてもらう。
舞われる人も鉦太鼓の人ももう顔を覚えていておなじみです。

今年は最初に達磨寺へ行ってみました。
下立売通りでしょうか西大路から東に入ったところです。
以前に拝観しているので本堂のなかとか、見覚えがあります。
節分の前日だというのに、たくさんの人が参拝に来られています。
ぼくは写真を撮るのが目的だから、手を合わす前にカメラで合掌です。
70歳になって市内のバスと地下鉄がフリーパスでいけるので便利です。
昨年までは500円の乗り放題券を買ってまわったものでした。

椥神社は素戔嗚尊がご神体だと書いてありました。
古事記にでてくる神の名ですが、少しはわかるようになったかな。
神楽を撮ってそこから壬生寺へ馳せ参じます、毎年同じ写真を撮る。
それからバスに乗って八坂神社で途中下車、本殿で豆まきがはじまった。
ここでは写真を撮らず、豆拾いもせず、目的の吉田神社へ向かいました。
もう毎年のコースで、いつものところでシャッターを切る、いつもと同じですね。
帰りに、雨宝院経由で釘抜地蔵、千本えんま堂とまわってきました。

-9-
まるで崩壊感覚です。
寒い日、ガラス戸がガタガタと音をたてています。
どうしたことか、虚しいような寂しいような老人性鬱なのか。
小説をいくつか書いているけれど、慰めみたいなものです。
あなたは、いま、なにを思い、なにをしようとしているのですか。
もう糸が切れてしまったから、お会いすることもないんでしょうね。
冬、寒い日、日曜美術館で長谷川等伯の足跡をやっていました。

堕落論、文庫本、手元に置いていますが、読めません。
パソコンの中身、整理しようと思うけど、なかなか進めません。
身の周りの書類とか、書籍とか、持ち物の整理、これも進まない。
袋に詰めてゴミに出す、少しは減っても、捨てきれないものばかり。
この先、どうしようかと思うところ、部屋の中、記憶ばかりです。
記憶がなくなったら、もうおしまいだとは思うけど、なにを頼りに生きるのか。
路上生活者のことテレビに映っていたけど、虚しいね、その光景。

流動的に、なるようにしかならないのだから、成り行き任せです。
そうすると何もことが運ばないのだけれど、自然の理で、運ぶ時は運ぶ。
そう思って、無理には走らせることもないのかも知れない。
このことが虚しい気持ちにさせてくるのかも知れません。
中学の同窓会、その打ち合わせに行った。
それぞれに人生を背負ってきて、いま、ここに、いる、感じですね。
遠い昔、とはいっても生きた時間の中の昔、思い出しながらの小説です。

-10-
人生やり直ししたい、ほぼ本気でこのフレーズが言葉になって出てきてる。
やり直しができたら、もっともっとやりたいこと楽しいことを、思う存分やりたい。
おとといだったか、嵯峨へ行こうと思って、行ってみて、嵯峨天皇陵に登った。
そんなに山の上にあるとは思っていなかったから、登り始めたのだったが。
このまえに大覚寺の周辺まで行って、名古曽の瀧跡って石組みを見てきた。
その延長上で、今回の天皇陵行きになったのだと思う。
嵯峨を訪れるのは昨秋から数えて三度目だ。

そこには人生やり直ししたい原点のところがあるように思えるのだ。
最近どこかで書いたけど、嵯峨名古曽町という地名についての記憶からだ。
ことの発端は、この地名にあって、そこはある人が住んでいた場所だと聞いた。
長澤氏との話で、FJの話題から、名古曽はFJではなくて嵯峨天皇の住居だと聞いた。
そうかそうかと納得したところで、最近になって、現地を見に行った。
嵯峨名古曽町は半世紀前、夜に、一度行ったところで、地名だけ記憶にあった。
17歳のときですね、高校二年生の冬になっていたかと思う。

FJというのは文芸部にいた女子のうちのひとり、なにかしら訳ありなような子でした。
嵯峨野高校だったから、広沢の池から大沢の池、嵯峨の方へはよく行ったものだ。
広沢の池でボートに乗ったり、山へのぼったり、ああ、青春そのものだ。
そのへんから人生やり直せれば、現実に過ごしてきた人生なんて歩まない。
前向いて、時間が過ぎる向こうを見て、走ってきたけど、いま立ち止まる。
立ち止まったところは、もう、行き詰まりのどんつき、行き止まり、そこにある。
これかもしれない、鬱的症状の原因、どんつまりであることを悟るからだろうか。

-11-
人生やり直ししたい、ほぼ本気でこのフレーズが言葉になって出てきてる。
やり直しができたら、もっともっとやりたいこと楽しいことを、思う存分やりたい。
おとといだったか、嵯峨へ行こうと思って、行ってみて、嵯峨天皇陵に登った。
そんなに山の上にあるとは思っていなかったから、登り始めたのだったが。
このまえに大覚寺の周辺まで行って、名古曽の瀧跡って石組みを見てきた。
その延長上で、今回の天皇陵行きになったのだと思う。
嵯峨を訪れるのは昨秋から数えて三度目だ。

そこには人生やり直ししたい原点のところがあるように思えるのだ。
最近どこかで書いたけど、嵯峨名古曽町という地名についての記憶からだ。
ことの発端は、この地名にあって、そこはある人が住んでいた場所だと聞いた。
長澤氏との話で、FJの話題から、名古曽はFJではなくて嵯峨天皇の住居だと聞いた。
そうかそうかと納得したところで、最近になって、現地を見に行った。
嵯峨名古曽町は半世紀前、夜に、一度行ったところで、地名だけ記憶にあった。
17歳のときですね、高校二年生の冬になっていたかと思う。

FJというのは文芸部にいた女子のうちのひとり、なにかしら訳ありなような子でした。
嵯峨野高校だったから、広沢の池から大沢の池、嵯峨の方へはよく行ったものだ。
広沢の池でボートに乗ったり、山へのぼったり、ああ、青春そのものだ。
そのへんから人生やり直せれば、現実に過ごしてきた人生なんて歩まない。
前向いて、時間が過ぎる向こうを見て、走ってきたけど、いま立ち止まる。
立ち止まったところは、もう、行き詰まりのどんつき、行き止まり、そこにある。
これかもしれない、鬱的症状の原因、どんつまりであることを悟るからだろうか。

-12-
その先が、まだ無限にあるようにも感じていた日々があった。
それが今、過ぎてきた年月がすでに九割くらいで残り一割。
具体的に書くと、産まれて70年が過ぎて、残りはあと10年だと。
うろたえます、切羽詰まり感、どうしたらいいのか、うろたえる。
肝っ玉小さいな、つくづく実感、迫力ないよな、自分の生き方。
昨夜、稲垣氏に接していて、彼は強がりだから、折れるなよ、と。
ぽきっと折れそうな気がするから、お互いに、気をつけよう、と。

気をつけるといっても、どうしたらいいのか、わからない。
あのお別れから一年、その方が共にいた処から離れて半年。
つぎの場つくりに、気持ちが乗ってきたところだと思える。
ひとは、このことを、立ち直り、甦りだ、というと思うんだ。
かまやつがなくなった、とラジオでいま言っている、78才だとか。
最近、死亡ニュースが奇妙に気に引っかかる。
でも、まだ、自分の時に置き換えることが、実感できない。

この歳になると、たいがい病を抱えている奴が多い。
ぼくの近辺で、親しくしている文字さん、稲垣さん。
自分は精神の病かも知れない、とおもうところです。
物心ついたころからの寂しさ気持ちが再燃している。
でも、たかが、知れてる、まだまだ、これから、ひと踏ん張り。
自分を信じて、信じた道を、進めていく、これでいくしかない。