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中川繁夫の物語と評論ページ

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最新更新日 2018.1.7
徒然にっき
中川繁夫:著

 徒然にっきblogに連載の文章

徒然にっき-2-

 13~24 2016.2.16~2016.5.27

   

-13-
この10年ほど、匿名で小説書きをしてきて、それなりに初期の目的も達成されたか、と。それらはぼく自身の、ネット時代の文学論の一環として書いてきたものでした。純文学ではない、大衆文学ではない、春画をもじって春小説、例えばプルーストのような。紀貫之がやったような、女性が春小説をかいていくことで、作家という人格を創ってみよう。そんなこんなで、春小説は、ポルノノベルといえる範疇で、リアルロマンノベルでした。にっかつロマンポルノ、その前にはパートカラー、いずれも映画館上映の映画群でした。

小説の分野だと、三島由紀夫とか吉行淳之介とか大江健三郎とか、とか、とか。ぼく自身としては、源氏物語、好色一代男、その末裔として、という意識がありました。永井荷風、谷崎潤一郎、そういった文豪たちの範疇から逸脱して、春画ではない春小説。ブログにて新聞小説よろしく連載ものでぶっつけ本番、構成なし、書き放題。なんどもブログを封鎖され、内容はともあれ、写真画像がやばかったのかも。まあ、コンビニの棚にも並んでいるじゃないですか、そのレベルのものです。

けっこうおもしろがって、勝手気ままに、文章を書いたと思っていますが、それらは18禁です。そうではなくて書いた「さくら協奏曲」とか「はなものがたり」、18禁じゃないからアクセス少なし。ネットの裏側に大量にあるアダルトサイトには全くリンクさせていないけど、アクセスはそれなりに。おもしろくて、アクセスが増えると、サイトがつぶされてしまうことが多々ありました。それは、ひとのこころのなかと、あからさまにリンクするから、アクセスが増えるのです。現代人のこころのなかを封じ込めることで、メディアは善良なるメディアとして存在するのです。

ほんとうは、もうちょっと具体的なはなしを書かないと、面白くないわけですが、そんなの書けない。そういう論は、この世には存在させてはいけない、不良メディア、不倫メディア、タブーメディア。でも、21世紀、世の中、面白くしていくのはストイックな現象に対して、エロごとし、春画、春写真。近ごろは、ネットでは、静止画ではなくて動画になってきて、ますます過激になってきています。美しいこの国のなかでは、そんなことは許されなくて、論外、論の外、話題にしてはいけない。社会という枠組みを、その外側から突いてみると、変革が起こる、なのでタブーなのです。

-14- 2016.2.24
モーツアルトってひとは、素晴らしい感性を持っていたんですね。いま、パソコンのなかで処理されたデジタルデーターが、スピーカーから流れ出てきていて、ぼくはうっとり、聴き惚れながら、思い立ってこのブログの、この画面をひろげて、ぼくの心情を書きあらわそうとしているところです。伝わらないな、ぼくの気持ち。言葉で、文字で書き起こしても、心情、気持ちってゆうのは伝わらない、異質のもののように思えています。ぼくは、この心情、気持ちを伝えるためには、どうすればいいんだろうか、と考えてしまうんです。いいえ、考えることじたいが、いけないんだよ、考えることではなくて、感じることではないか。

純粋理性批判なんて書物を書きあらわしたひとがカントという哲学者さん。理性のなかに間違いが生じる原因がある、と解釈すればいいのでしょうか。柄谷行人さんの倫理21という本を拾い読みしながら、なんとかぼく自身の理性を支えようとしている感じです。壊れていくような感覚、けっこう動物的な感覚なのかもしれない、無性に慟哭したくなる感覚。いまさらながら、倫理とか道徳とか、社会とか国家とか国民とか、そういった言葉を見て、読んで、つなぎ合わせて、頭の中でイメージの形にしていくことで、気分の安定を得ようとしている。と同時に、ひとつひとつと言語や認識の皮をめくっていって、文化とか歴史とか、そういった認識から抜け出て、感性だけになっていくことを試みたい。

身の回り、いまパソコンたる道具のまえに座っていて、目の前の棚には書物があってそれらは日本語で書かれてあって、すべてぼくの認識は、そういうことを認知することで成り立っているような気がします。目の前、壁面に取り付けてある三段の書棚の最上段、その左から世界の大思想(河出書房版)が捨てられないまま、いまだに並んでいて、そのなかのカント二冊を取り出してみました。純粋理性批判、実践理性批判、判断力批判、カントってひとは批判ばっかりしているんですね。それと、永遠の平和のために、なんてタイトルがあります。これらは背表紙に刻印されていて、ぼくはその背表紙を見て書いています。箱に入った書籍そのものは取り出していません。なんだかカントなんて名前をだすと、ぼく自身が偉い人のように見えるんじゃないか。錯覚しないでほしい。

でも、たしかに、自尊心みたいなのがあって、見せかけだけなのに勉強したようなふりをして、張りぼての自分像をつくろうとしています。ほんとうは、その外にいて、そういった理論を捨て去って、ただただ動物的に、ありたいと思っていながら、そういうことを言っている文化を身にまとった人間なのです。自分なんて、国家や宗教や芸術や、もろもろの風土を身にまとったことを自覚して、人間はどうあるべきか、なんて議論に参加しようとしている。そのことじたい、捨て去ってしまうなんてできなくて、いやはや、捨て去ろうとすると寂寞感にさいなまれ、奈落の底に突き落とされてしまう感覚になるから、そこへは行けないな、と思いながら、死ぬときはその気分なのかもしれない、と思ったりして、ああ、逃れたい、逃れたい、反倫理、恥ずかしい自分を発見してしまう。

-15-
生きるってことが四苦八苦というじゃありませんか。そのうちの四苦というのは生老病死というじゃありませんか。それに追加の四苦があって八苦となる、と辞典に書かれているんですね。ウイキペディアによると<四苦八苦(しくはっく)とは、仏教における苦の分類。 苦とは、「苦しみ」のことではなく「思うようにならない」ことを意味する。根本的な苦を生・老・病・死の四苦とし、 根本的な四つの思うがままにならないことに加え、愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること、怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと、求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと、五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと、の四つの苦(思うようにならないこと)を合わせて八苦と呼ぶ。>と解説されているんですね。

老いて病て死ぬ、なんてことは人間の肉体のことだから、しやないなぁ、なんてあきらめの境地へ至るように気持ちをそちらのほうへと導くように努めている、なんていえばかっこいいけど、これはやっぱり、思うことが苦なんですね。そのように思えます。そのあとの四つ、愛する者と別離すること、つぎは飛ばして求める物が得られないこと、肉体と精神が思うがままにならないこと、うんうん、四苦八苦とは、こういうことか、なんてことを引用してこうして羅列することで、精神の安定を図っているふしがあるのに気づきます。とくに、愛する者との別離、なんてことが起こったら、どう対処しようかと思ってしまって、気持ちが動転してきます。求不得苦、これですね、最近の苦しみは、たぶんこれです。

苦しみといえるのかどうかはここで苦しみだと認定されたわけだけれど、求める物が得られないことを苦とするには、この得たいものの質というかレベルというか、このことを自分なりに吟味しないといけないですね。ぼくの場合、得たいものとは<愛>、なんてかっこいい言葉が導きだされます。どうしてなのかと問われても、愛というイメージに包まれると精神が安定するだろうと想像できるからでしょうか。それで愛というイメージの対象物に、愛する者、という個別の物が明らかになってきます。愛する者、家族、妻と夫、その関係、ということでしょうか。今日はどうかしてるなぁ、といま、思っています。少し気負っていて、読ませる文章にしなくちゃ、と思う気持ちで、わけわからへんことを書きつつある感覚です。

言葉じゃないんだよな、感じることなんやろな、でも、それを、表現するには、言葉しかないじゃないか。いやはや写真という静止画イメージで表現、ってこともあるかなぁ。いずれにしても内面の表面をしか描写しないじゃないのかなぁ。四苦八苦の四文字からはじまって、わけのわからないところで言葉を紡ぎだしてるようです。肝心なのは情、なさけ、じゃないかなぁ。人が人に、情けを、与えて、頂く、という相互の関係が体感できるとき、それは苦を超える、ということになるんじゃないか。ここでこうして書いていると、そんなふうに思えてきます。いま、ぼくが立っているところは苦の領域なのかもしれない。別れ、別離、このことへの嘆き、苦しみ、そういうことかもしれない。ただし、これは時間の経過によって和らいでいく感情でもある、と知っています。

-16-
春の暖かさにともなって、心が浮いてくる感じがします。このまえ書いた文章がちょっと気に入ってなくて、四苦八苦なんて、あんまり考えないほうがいいな、と思っているところです。話は全くかわって、いま、パソコンにキーボードで入力しているんですけど、立ち上がりが遅い。微妙にサクサク感がない。そんなことで、気がそぐれてしまいます。ウインドウズ10、新しいバージョンです。それが、これまでよりも使いずらい感じなんです。これは、相性というものかもしれません。なんとなく、相性が悪い、のかもしれません。

この前に記事を書いてから、右眼の白いところが真っ赤になって、翌日、眼科に行ってみてもらうと、出血だと言われた。原因がわからなかったのですが、血圧を測ってみて、と言われて朝昼夜と測ってみると、とんでもなく高い数値が示されたのです。最高183だったか、170以上です。そのときは下痢もしていて、食あたりか、とも思ってたけど、三日たっても収まらない。血圧といい、下痢といい、こんなことは初めてでした。ストレス、思いつめ、それらが重なって、そういう状態になったのかも知れない。自分で思うストレスの内容は、ほかの人には伝わっていない。

昨日、かかわっている講座の修了式がありました。中途半端なかかわりだったから、中途半端なまま、いまもって中途半端なままな気持ちです。どうしようかと思い悩むところです。気持ちは引いていて、もう参加しない、と思っているところ、そうしてしまうには未練が残る、といった感じです。ストレスの原因がここにあるとすれば、それを除去するためには、やめるということにほかならない。いつの時も、なかなか決断がつかない自分があったと思います。ここへ来て、まだそんなことの繰り返しをしている。今年いやもう来月、満70歳、なんて自分でも信じられない事態がきています。血圧のことでいえば、毎日、薬を服用することにしました。

命のこと、自分の命のことですが、まだ10年はこんな作業を続けながら、やっていけるだろうと思っています。でも、これは、どうなるかわからない。それ以上続けられるかもしれないし、それより短いかもしれない。いまの歳になったから、このことを考える、思う、意識するんです。これまで何してきたんやろ、なにかしら忙しくしてきたけれど、けっこう独りよがりで、様になっていなくて、ダサいなぁ、と思っているところです。けっこうわけのわからない、つまり触れてはいけないものに触れてしまって、そのこを誰にも言えなくて、どうしようもなくなってしまう。何回繰り返せば終わるのか、いや、む、終わった、次はない。

-17- 2016.4.2
怨念というか、縁というか、人間の情にまつわる話です。
人と人との関係について、とくに恋愛というジャンルですが。
ここで気になることは、恋愛ということで括られる情の交感のことです。
写真は縁切り縁結びをうたう穴です。

あっちへくぐって行って縁を切り、こっちへくぐってきて縁結び、だとか。
なんかしら、人間の情という代物に、こってり感を抱いてしまいます。
きれいごとではなくて、けっこうどろどろした怨念が、横たわっています。
それをさらりとさりげなく、現代人はこなしていくんですね。

春になって、桜が咲くころです。
ここは安井金毘羅神社の名物、縁切り縁結びの場所です。
縁切りと縁結びは、神社にとっては商売繁盛といったところでしょう。
みんな幸せにならないといけないからね。

-18- 2016.4.19
季節は春、今朝は雲一つない青空、少し寒いです。
灯油ストーブ、めんどいからやめようと思ってたけど、使っています。
音楽はベートーベン、交響曲、フルトベングラー指揮の第三番、英雄、エロイカ。
1953年に録音されたと記されているから60数年前ですか。
iTunes、アイチュンって言えばいいのか、パソコンで聴くプレーヤーで聴いています。
音楽はやっぱりベートーベン、ぼくは中学生のときの運命からはじまり、今に至ります。
そうゆうことでいえば文学は夏目漱石、文学の中でも小説のジャンルです。

漱石のことでいえば、明治末期に朝日新聞に連載された小説です。
内容は、男と女、三角関係、男が二人に女が一人の三角です。
でも、これって、近代的自我っていわれてる具体的な内容なんですね。
近代的自我かぁ、なんて内容わからず、うんうん頷いているところです。
なんのなんの、最近、浮世絵・春画の展覧会が盛況だったとか。
浮世絵は近世に区分される主に江戸時代、江戸で制作されていた絵画系。
文学ならば芭蕉もいいけど、やっぱり西鶴でしょう。

男と女の間には、セックスという領域がはさまります。
そうか、春画はあからさまですね、セックスの場面がそのまま、誇張描写です。
文学は、あからさま、ところが近・現代文学は、それを隠してきていますね。
あからさまにセックスを描く文章は、地下というか裏というか、そういうイメージです。
そりゃ絵画だって、近・現代絵画となると地下というか裏、ですね。
絵画は、堂本印象、ぼくの近場におられたイメージ、住まいがご近所だから、です。
岸田劉生の麗子像って油絵ですね、これ、昨年にぼくがぼくのなかで発見した「美」。

ぼくのことなんぞ、だれも知っちゃいないから、自己アピールしかないわけですが。
東松照明さんは、ぼくの不思議に触れてこられたこと、ここで明かします。
京都で生まれ育ったからには京都の精神というイメージをもったぼくなのです。
そのぼくが大阪西成の釜ヶ崎に入り浸って写真を撮っている、そのアンバランス。
東松さんはこのアンバランスに言及されてきたことがありました。
ぼくは、つながっていると明確に判断していますが、このつながりは別途書きます。
音楽、文学、絵画と三つの芸術ジャンルを横断して書いていますが、つれづれに

-19-
京都の街が観光客であふれている。と思いしや、京都だけではなくて、大阪も、東京も、金沢も、各地で観光客が多いのです。悪いことではない、良いことの部類だと思います。観光ブームにわく京都。それだけじゃない、北陸新幹線が昨年開通したというので、金沢が大賑わいになっています。新幹線に乗るにはそれ相応のお金がかかるわけだけど、そんなもの、あるところにはあるんだから、それはそれでいい。

話は京都に戻そう。京都は観光地帯が複数あります。大きくは祇園界隈、嵐山界隈、金閣寺界隈、たぶんこれ、京都の三大観光地なんだろうと思っています。そのほかには隠れ家的な、深い京都感覚の臭いがするスポットもあります。ぼくは、おもに静止画の写真を撮って作品にしているんですが、観光地様々といったところです。京都生まれ京都育ちのぼくにとっての京都とは、という命題を抱えて、模索しているところですが。

観光客の動向を写真に撮って残す、というのはぼくにとっては斬新なアイデアだと思うところです。生活者のレベルを、外住者が撮ろうとしている京都が、あたかも京都だというイメージをふりまくなら、内住者が観光でやってきた人たちを撮って、京都の今様を残していくというのは一理ありそうだと思います。洛中洛外光絵図、そんな集積ができれば、流れ流れる文化の基底が垣間見れるのではないか、考えてみます。

おんなたちの京都、観光京都はおんなたちが花開く処です。源氏物語にはじまり、女を愛でる文化が、京都にはあるように思えます。それは男の目線であって、といって反発するのもよし、それを良しとすることでもよし。男と女が共存する京都。男と女のあいだには、動物としての愛情の質があり、子孫繁栄のための行為があり、それを取り扱う現代の商売に、どれだけ竿させられるか、が問われるところですね。

-20-
五月の空、今日は青空、いいお天気です。
五月の連休中ですが、今日は図書館にきています。
このブログは、けっこう文章を多くしています。
でも、時と場合によっては、短めでいきたいと思います。
文章の目的がはっきりしなくて、何してることか、わからなくなる。
わけのわかったようなわからないような、そんな感じですから。
ちょっと一服といったところでしょうか。

最近、直近、70歳の誕生日を迎えて、越えて、いま、何してるのか。
内面の動きは、あるイメージを追っていて、感情が伴い、感情がついてくる。
あるイメージは、次から次へと移りかわっていきます。
いまなら、この記事を書くために集中していて、何を書こうかと迷っている。
最近は、最初に写真ありきで、それに伴えて文章を書くようにしています。
写真と文章が補完関係になっているとは限らなくて、別々のものです。

で、今日の写真は、作品というより記念品です。
2016.4.25、天神さんの縁日で、大八木さんに会って、露店の店主と記念写真。
露店の店主は、写真に撮られるのが苦手なのか、目線をカメラにくれない。
大八木さんは、85歳だろうか、写真の先輩で、最近、懇意になって、心通う人。
もう40年も前に、写真クラブで知り合った先輩で、最近、再会したものです。
露店の店主を紹介してもらって、この露店の商品を写真に撮らせてもらった。

この露店はセクシュアルな品々を集めてきて、売っている稀有な店なのです。
この露店があることを知ったのが、何時頃のことだろうか、最近ですが。
これまでセクシュアルな品々の店先を、立ち止まって見たことがなかった。
セックスにまつわる品々、この日は模造男根、春画の盃、手拭、などなど。
店先の商品を何カットかの写真にして、コレクションにしようとしているところ。
かなりセクシュアルなほうへ、ぼくの興味が向いていて、作品化しているところ。

-21- 2016.5.19
写真という道具に関わりだしてかれこれ40年になるかと思う。
1975年かな、大学を卒業して学費の代わりにカメラを買った。
その当時は、まだ文学に未練があった。
もう二十歳になっていたかも知れぬ、小説を書きたいと思っていた。
ペンと原稿用紙、夜な夜な、それに向かって書いていた。
反鎮魂という同人雑誌は大学の友、甲斐君がリーダーをとってくれた。

ごく最近、小説に向いている自分を、発見しています。
自分の小説は、ここ10年、ネット上で発表しているところです。
えろ文学で、世間文学者には埒外の部分だが、本質と思っています。
メイプルソープがそうであるように、セックスの問題は、現代の問題だ。
年をとるにつれ、羞恥心が希薄になるのか、自分の性行を明らかにしたい。
そんな欲求も生じていて、70になったいま、記録していうか、と思っている。

記憶の記録というタイトルで、記事を書き出したが、続けられるかどうか。
高橋和巳、三島由起夫、一条さゆり、昨日、記事を写真にしました。
昔噺というタイトルで、このまえは家畜人ヤプーと奇譚クラブを載せた。
まったくの素人だから、どうしていけばいいのかわからないままの発車です。
文学といっても小説の部分で、創作していくことがメインで、論を組み立てる。
ああ、ネットの時代に、文字文章なんて、時代遅れですよね、承知の上です。

-22- 2016.5.23
書棚に収めてある本の背表紙を眺めていて、共同幻想論、を手にした。
もう色褪せ、茶色になった背表紙、書棚から取り出し、なかを開いてみる。
記憶がよみがえってきますあたかもいま、チャイコのピアノ協奏曲が流れてる。
1968年12月5日初版発行となっていて、手元にあるのは初版です。
その年の春、ぼくは三年遅れで大学生になって、生き方に戸惑っていた。
学生のまわりは全共闘運動で、それぞれがそれぞれに参加不参加をする。
ぼくは、どちらかといえば野次馬、心情三派、文学青年気取りのような。

いま、浮上しているのは、この1968年から1969年にかけるぼくの姿です。
自分への分析というか論証というか、いったい何してたのか、ということ。
学生運動といえばいいのか、若い世代の心情が揺れに揺れた年代だ。
フランスの五月革命、ぼくの通う大学の一部封鎖とか、そういう年代です。
共同幻想論、あるいは吉本隆明の思想を、ほんとに理解してたのか。
まあ、なんとなく、わかったようなわからないような、文化人類学みたいな。
鶴見俊輔さんのトーテムの講義なんかで、共同幻想のイメージがつかめた。

真意のほどはわからないが、荒削りな感覚ながら、想像力をたくましくした。
1968.10月から年明けて1969.2月まで、ぼくは京大北門前の出版社にいた。
一連の今出川通りのバリケード封鎖、機動隊の京大構内への突入、などなど。
当事者ではなかたけれど、野次馬でその現場に居合わせたのです。
まだ寒かった頃、この出版社の東京本社に勤務となって、東京へ行った。
まだがれきのなかの安田講堂を見上げながら、来た来た東京、という感じ。
なにを書こうとしてるのか、記憶の光景だけを追っても意味なさないな。

-23- 2016.5.23
最近、自分の過去を記述して残していこうと、記憶の記録を始めました。
その一環でコピーしたイメージのがこれ、わだつみ像が倒された残骸写真。
いまこのわだつみ像は平和ミュージアムに保存展示されていたと思います。
何年か前に、平和ミュージアムで再会しました。
ぼくにとってわだつみ像が、特別に思い入れある像というのではありません。
でも、このわだつみ像にまつわる話がいくつかあります。
いわくつきのわだつみ像、戦没学生を哀悼する記念像、であったと思います。

記憶の一つは、この像が立命館に来たことを、母が話していた記憶です。
母は立命館の理髪部で散髪の仕事に行っていました。
小学生の頃、ぼくはたぶん、夏休みの日々など、大学へ遊びに行ってました。
広小路研心館地下に理髪部があって、そこへいくとき、横に像が立っていた。
平和の象徴とかの話を聞いたわけではないから、そうは思わなかった。
この像は、京都大学に設置される予定だったとか、ところが設置拒否された。
荒神橋事件、デモ隊と警察隊との衝突事件が昭和27年でしょうか起こった。

そのデモ隊とはわだつみ像を京都大学から立命館へ運ぶデモ隊だった。
高橋和巳の小説で、この事件を扱ったものがあって、それで知ったものです。
小説の題名は忘れましたが、わだつみ像のことには近親感を覚えます。
けっきょく、立命館大学に入学後、出版社勤めで休学することになります。
わだつみ像が倒される時は、ぼくが東京にいた時期で、遭遇していません。
ぼくはそれらの日々のことを賛美する気持ちなど毛頭ありませんが。
ぼくの生きてきた年月で、大きな意味を持っていると自覚しているところです。