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あとがきとして




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最新更新日 2013.1.29
いま、写真行為とは何か 1978~
中川繁夫:著


    

いま、写真行為とは何か

<あとがきとして>
1981.6.7

今年の春、部屋を整理していたら、二つ折りの分厚い原稿用紙の束が出てきた。最初は何気なく、こんなのを書いた日々もあったのだな、と思う位いの気持ちでパラパラとめくっては拾い読みしていたのだった。「大阪日記」と題されたのは、赤いビニール表紙のノート一冊に書かれてあり、これは全くの私の日記であった。その前後に並行して覚え書きしておいた原稿用紙の束は、論理的に文章として、他人の前に呈示できる程のものではない、と率直なところ私は思っている。

ここに収めたのは、今から三年前に書き始めた評論を、改稿せず第一稿のまま並べた。本来ならば、これらの「覚え書」を土台にして、まとまった文章に書き改めるべき筋のものであり、ここに収めた各々は、永久に陽の目を見ないものであっても良いものだ、とも考えている。しkし私は、あえて未完のままの文章を、私が生きた断辺の記録として、まとめることにしたのだ。

私が釜ヶ崎という地域に関わり出し始めた後に書いたこれらの文章と一緒に、文芸評論と創作の断辺が出てきたのだった。これはちょうど七年前に、現在の家屋に普請した時、それ以前の生原稿、メモ等のいっさいを亡失してしまっているので、それ以後のものであるが、文芸評論のあと丸三年間、全くペンを持たなかったことになる。この三年間は、写真の技術的習得において一生懸命になっていた時期であり、ようやく写壇というところのかたすみに名を連ねようとしていたころ、再びペンを持つことによって、そこからの決別が始まりだしたと言うべきであろうか。

私は、自らの記した文章は、たとえどのような形であれ、それを書いた時の自己の記録であるはずである、と考える。自己史の形成とは、その足跡を残しておくところから始まる。文章しかり写真しかりである。その行為の結果として表出されてきたものが、自己の手元に永久に眠ってしまうか、何らかの形で他者の前に呈示されるか、の相違はあっても、私は、それはささいなことだと思う。自己を見つめる手段として、そんなことはお構いなしに、まず第一にそれは存在しなくてはならぬのだから。

今年、私は三十五歳を迎えた。そろそろ中年と呼ばれてしかるべき年齢になっている訳だ。しかし実感として私は、その内面において不満足である。私は何を成してきたのか、と詰問して得られる答えは、何なのだろう。他者から見れば、私自身は社会的責任において、ちっぽけな社会生活を営んでいる事実を認めてくれるだろう。破綻もなく、けっこううまくやっているように見えるだろう。まさにその通りであり、あえて生活の構造を崩そうとは望まぬ限り、こうした日々を今後も続けていくであろう。

この評論集「いま、写真行為とは何か」は、私の、自己史の形成のために編まれたものである。少なくとも私が、三十代の前半をこのように生きた、という証として、私自身のための記録として、これはまず第一に存在する。そして私の内面と多少の関わりを持ってくださる人々と、共有していける「何か」を見つけ出すための手懸り、とでもなれば、この存在価値は全うされたと言うべきである。

この評論集の編集発行にあたっては、様々な人たちから協力を頂いている。その方々にはこの場を借りてお礼を言います。どうも、ありがとう。
1981年6月7日