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最新更新日 2014.8.9
釜ヶ崎物語 1979~
中川繁夫:著


季刊釜ヶ崎第二号に掲載


    

釜ヶ崎物語-02-

釜ヶ崎’80・冬

いま、写真行為とは何か-1-

炊き出しの現場で

 大晦日、夜七時、小雨。
 この年最終の”炊き出し”は、大阪社会医療センターの軒下を借りておこなわれていた。
 街路を照らす水銀灯のあかりが、このコンクリートの軒下へかろうじて届いてくる。そして第10回釜ヶ崎越冬闘争実行委員会のメンバーや支援の人々、労働者らによって雑炊が配られていくのだった。
 今夜、この年の最後の夜。ここに集まり並ぶ労働者の個々の理由はともあれ、みずからのちからで食べることすらできなかった人々の群れがある。

 大きな円筒のナベが二つと食器類。リヤカーで運び込まれ、到着を待ち構えていた労働者たちは立ちあがり行列をつくる。次々と手渡されていく雑炊のお椀。無言で頭を下げる労働者。ありがとう、と呟きながら受けとる労働者。「一人の死者も出すな」を合言葉に、今年もまた釜ヶ崎は冬を迎えている。釜ヶ崎の冬は厳しい。

 世間ではこの夜、華々しい歌謡番組が茶の間に流され、人々はその絵空事のエベントに一喜一憂している。こお同じ地平で、釜ヶ崎で、死に直面した、もっとも深渕な現実のなかでたたかっている労働者たちの、人間としての生きざまがある。
 カサカサと服のすれ合う音。金属の重なり合う音。薄明りの中で、これほど渇いた音はないだろう、とぼくは想う。生存とのたたかいの現場が殺風景な筈がなく、本当は、助け助けられるという最も暖かく最も大切なものが見えているにもかかわらず、ぼくは腹立たしくて空しい。そして一層、渇いた音は、ぼくの指の動作によって起こるシャッターとフィルムを巻きあげるモーターの音なのだ。ぼくの空しさは、カメラを持つことのものだろう。

 この炊きだしの現場から道路を隔てて、私服警官が並んでいる。彼らが、ここに居あわせることの何の必要があるというのだろう。大晦日、こうして警察官を配備させることの必要より、この”炊き出し”がなければ生存できない人々の群れがあるという現実に目を向けることの方が先決であり、急務であるように思えてならない。人間としての良心があれば、それだけでいいのではないかとさえ思うのだ。

 こうして一方で、今日、今夜、食べる手段すら持たない労働者への一杯の雑炊が、労働者の善意のカンパによって支えられている、という現状を見るとき、ぼくはこの体制に悲しみ腹立つほかない。
 かろうじて届いてくる水銀灯の明かりを頼りに、ぼくはシャッターを切っていく。なぜ、この光景を写さなければならないのか、という疑問は、ぼくの所有のものだ。そして、なぜ写すのだ、という、写される側にとってみれば当然のことである疑問に、ぼくはどのように答えていけばよいのであろうか。

 ぼくは一瞬たじろぎ、そして呟く。
 「この現実を記録しておくために・・・・・・」と。
 しかし、唯一、ぼくの待ちうるこの答え方は、本当に有効なのだろうか。
 炊き出しを受け、そうしてこの軒下に布団を敷いて一夜を明かす労働者。この光景を逐次フィルムに収めていく作業。写真という記録を、ぼくは今、ファイルしていかなければならないのだろうか。
 大晦日、小雨の夜、ぼくは渇いたシャッターの音をたて、そして聞く。その行為を支える現実の記録とは一体何なのだろうか。

いま、写真行為とは何か-2-

状況流出の試み

 釜ヶ崎とは何か。あるいは釜ヶ崎は今、どうなのか。というぼくらの日常のなかでの問題提起、そして日常生活レベルで、どのようにとらえればよいのかという質問の実践として、映像に何ができるか。
 本格的な冬の到来に先がけて、ぼくは京都でひとつの写真展を試みたのだった。

 釜ヶ崎とは何か。釜ヶ崎問題とは何か。あるいは釜ヶ崎は世間でどのように解釈され、どのようにイメージ化されているのだろうか。また、すでにある偏見の具体的内容はどういうものであるのか、など写真を展示し、写真の前を通過していく観客一人ひとりに問いかけ、闇に埋もれた実情を明白にしていこうという試みであった。問題を提起すること、そして恐らく、すでに人々の情緒の中で不定形ながらイメージとして沈殿させている釜ヶ崎観に対して、ぼく自身の見方である釜ヶ崎の映像を示していくことによって、具体的なイメージの定着と、すでにあるイメージからの変換をもくろんだのであった。

 現在進行している釜ヶ崎内部の情況を、それとは関わり持たない部分へ流出させていくこと。写真はちまたのものとなりうるか、という写真の機能に対する問いかけをも含めて、今ある釜ヶ崎の情況と、それを含むぼくら個人の情況とにオーバラップさせていこうとするものであった。

 なぜぼくが釜ヶ崎を写すのか、という現場での模索はさておき、そこから切りとってきた現場の報告を展示する場として、従来からあるギャラリーではなく、若い人たちが多く集まる飲み屋としたこと。これは人々が集い語る場。おおむねぼくらが本音を吐く場、であろうと思うからであった。

 世間話。噂話。ぼくらの本音として会話される場。つまり今あるぼくらの偏見が創り出され養われて風説となって流出していく場。様々な情報がちまたに流出していく根っ子の部分から、もし写真そのものが今ある釜ヶ崎に対して有効な何らかの対処ができるのならば、この部分からイメージの転換と定着の試みが必要なのではないか、と思われるのだった。今ある釜ヶ崎に対する差別と偏見に対して、写真を提示することによって従来からあるそれらのイメージからの解放、もしくは転換、ちまたの風説への反論、の試みであったといえるだろう。

「聞くところによれば、恐いところなんでしょ」
 という質問に典型的に表われているように、実情を全く知らないところで、不定形なイメージとして抱いている若者たち。あるいは、
「可哀そうなひとたちが住んでいるんでしょ」
 という質問は、恐らくこの地を「あいりん」と呼ぶところからくるイメージ操作だと思うが、見当違いもはなはだしいといえるだろう。また、
 「まさか飢え死にするひとがいる訳ではなし・・・・」
 と本気で問いかけてきた青年に対して、労働者の具体的な死にざまをあげて説明すると、誰もがこの、あたかも豊かにみえる現状の範疇では「信じられない」という顔つきになるのだった。

 このように展示された写真を前にして様々な反応を見る限りにおいて、釜ヶ崎の問題が決してぼくら個々の問題と同質の問題である、などと考えられておらず、ぼくらの共有できる問題にすらなっていないのが現状ではないか。
 釜ヶ崎の労働者に現象として表出している諸問題。結核。アルコール依存症。行路病死、等。この原因を見つめていくということは、この社会経済体制の中で現在進行している今日的矛盾を露呈し明確化していく作業となる筈である。これらの実情が闇に包まれたまま、世間に知らされていくこともない。知る術も持たない。こうして、ぼくらの共有できる問題となりえていない現状において、ぼくら自身の足元を見定める視点そのものを放棄させられたまま、偏見にみちた様々なイメージがちまたに溢れているのである。

 この闇に埋もれた事情と、偏見にみちたイメージに対して、シリアスに白日のもとに曝け出していく作業として、写真に何ができるか、と問う場でもあった。

いま、写真行為とは何か-3-

意識の底辺

 正月を迎えるというのに、その夜、食べることすらみずからの意志ではままならぬ人々の群が釜ヶ崎の現実としてある。その人々には必然的に泊まるところもない。センターの軒下に布団を敷いて野宿を余儀なくされている。高齢。病気。人間ひとりのいのちの重みは計り知れない重みである筈だ。

 こうして冬、釜ヶ崎では人々のいのちが不本意に奪われていくという。こういう情況のなかでシャッターを切り、写真に何ができるか、と問うと同時に、ぼくは写真はぼくらの共有のものであらねばならない、と思う。

 この深層に形成されるイメージは、ぼくらの会話の中から、そしてマスメディアからの一方的な情報の受け手として蓄積されていくものとの複合としてあるだろう。そうであるならば、地下水脈としてひとの内部に流れる意識の底辺に、釜ヶ崎の現在の情況をシリアスに合流させていかなければならないのではないか。

 釜ヶ崎と聞いて、ぼくらは何を想像し、何を考えるのだとうか。ぼくらは釜ヶ崎の現実について、関心を持つだけの情報そのものが欠落しているのではなかったか。恐らく具体的には想像すらできないのではなかったか。
 釜ヶ崎のなかで団結があり、炊き出しが恒常的に行なわれ、労働者のいのちを守っていこうと闘っている現実を知らなかった人々。
「まさか飢え死にする人がいる訳でもなし・・・・」
 といった青年の言葉に見られるように、ぼくらの思考の限界は、今ある体制の圧倒的な豊かなるイメージの範疇でしか想定できなかったのであろう。

 飢え死に。凍死。こんなことがある筈がないのである。にもかかわらず、釜ヶ崎には現実の問題としてある。だれもが信じられないことが、日常のこととして存在する。このことがぼくらの日常と無縁である筈がないのだ。ぼくらの日々生活していると同質の社会構造の中で、釜ヶ崎があり、ぼくらの日常があるのだから。

 テレビでは日夜、豊かなる生活を描き出し、氾濫する情報は、ぼくらの所有欲をかき立てている。だが、ぼくらの足元の基盤を見据えてみればよい。ぼくらの生活意識の大部分は、単に体制のコントロールに操られているだけではないのか。ぼくらは、ぼくらの日常に起因する現象に疑問すら抱かない。ぼくらが今、求めなければならないのは、まさに、この日常現象に真摯に目を向け、疑問を投げかけ、新たなる問題を提起することにあるのではないか。

 闇に包まれた釜ヶ崎の実情。今日の体制が持つ矛盾をおおい隠していく体制のコントロール。ぼくらが釜ヶ崎の実情を見つめていくことは、この体制の持つ矛盾が集約的に露呈している場からの告発として、明確化していく作業に外ならないのだ。イメージの転換を試み、そこにおける問題を共有していく作業こそ、今、ぼくは求めている。この手段として、今、写真に何ができるか。写真行為とは何なのか、をみずから問うていかねばならないのであろう。
1979.1(未完)