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最新更新日 2014.12.10
釜ヶ崎物語 1979~
中川繁夫:著


季刊釜ヶ崎に掲載


    

釜ヶ崎物語-05-


ドヤ-1- 1981年のレポート

(1)
 ドヤ(簡易宿泊所)は、おおむね一畳の個室である。日払い。自販設備もない。迷路のような廊下の両側に並ぶ部屋。採光の悪さ。釜ヶ崎におけるドヤ全体の収容能力は、約二万人分。単身労働者の総数が約二万人と推定されているから、ほぼ、この人数と符合する。宿泊費は、安いところで二百円台、最近新築される一見マンション風外観のところで、二千円以上というのもあるが、五百円から六百円台というのが相場だ。

 その他に、日払いアパート、旅館、一般アパートがあryが、単身労働者は、ドヤに泊まる。そしてドヤは、釜ヶ崎労働者の就労の背後を形成する生活の場、として存在する。釜ヶ崎をとりまく様々な差別的視点や偏見。その心理的な側面での視点は、その表層の現象を奇異なものとして見るところから生み出されている、と考えられるが、何故そうなのか、という問いかけからの正当な認識によって、それは克服できる。

 様々な場で差別され抑圧され続けてきた釜ヶ崎労働者が、その差別や抑圧をはね返すべく努力を試みているにもかかわらず、解決は個々の努力の限界を超えたところでしかありえない。そのためには抑圧に対する力関係と、正当な現状認識からの告発以外にありえないだろう。

 労働者の実際の生活の場であるドヤを、生活の場であるとはみなさず、その生活者を旅行者とみなす行政の姿勢と認識。ドヤで疾病に倒れても行路扱いとする行政サービスの規定そのものが、ぼくにはすでに、人権無視の根源であるように思えてならない。

 日払い、一畳の個室、満足な自炊設備もない、といった構造のなかで生活を営んでいかざるをえない労働者に食器、その他の自炊設備を所有する者が生活者であることの条件とする行政による規定は、法における生活困窮者救済の対象にもなりえない、という矛盾を生み出している。日雇労働者の就労形態が、何よりも体制の要求によって、保持されている現実と同様、生活空間であるドヤの構造もまた、体制の要求を満たすべく形態を強いているのである。

 このように、ドヤの構造がかかえる問題は、釜ヶ崎労働者の日常生活空間としての生活様式を決定してしまうところにあるのだ。労働者が、生活道具を持ちたくても、持てない条件下に置くことは、そこに居住する労働者の意志を、全く無視した、資本の論理によって形成されたものであることを、ぼくらは知るべきである。だからそれは、持たないことを要求する体制の欲求以外のなにものでもない。

 今、ぼくが告発するのは、労働者が自発的に生み出すべく空間として存在するのではなく、まぎれもなく、この空間構造のなかに、選択の余地なく放り込まれているという事実であり、創造はいっさい許されないという現実なのである。具体的には、ドヤを経営する資本と、それをのみしか享受できず収奪され尽くす労働者、との関係を見ることができる。釜ヶ崎労働者が、労働現場において収奪されるのと同様、いやそれ以上に露骨に、それは明確である。

 生活様式とは、ぼくらの意識の流れをも規定してしまうものであり、人間の心理状態とは、おおむね外因によって決定されるものであるが、このドヤの構造は、労働者の精神的側面において、十分な展望をすら抱かせない状態を創り出しているのではないか、とぼくは憂えるのである。

(2)
 釜ヶ崎総体としての構造を見つめていくとき、人夫出し、ピンハネ、といった労働における問題、結核、酒害といった健康の問題もさることながら、労働意欲再生産の場として機能すべきはずの生活の場、ドヤの存在形態明るみに出していくことも、重要な問題提起となるはずである。

 ドヤの大半が、一畳という狭い個室であること、内部の採光の悪さ、生活空間としての設備の劣悪さ、という点に目をむけるとき、この状態は、労働者に対して、世間では考えられないような劣悪な環境を強いている、ということが露呈してくるのだ。自炊設備とはいっても名目ばかりで、たとえ労働者が望んだとしても自炊生活を満たすべくもない設備。食器類いっさいを持たない、着の身着のままの生活を強いるのは、体制が要求する日雇労働者のあり様そのものであるが、ドヤの構造もまた、そのあり様を規定しているのだ。

 このことによって、労働者が被る不利益は、疾病などによって就労困難になった場合、生活保護法における居宅保護の適用も、まま受けられない、という事実に示される。人としての生活維持が困難となった場合の最小限の保護救済を定めた法であり、何びともこの適用を受ける権利を有している、にもかかわらず。生活の場であるドヤが、生活の根拠地とは認定されず、生活者として認定されないのは、決して労働者の生活能力欠如が原因なのではなく、ドヤ構造そのものに欠陥があり、日雇労働体系そのものが、根柢の原因を創り出していることに気づくのである。

 労働者は、酒をよく飲むという。酒を飲むのは釜ヶ崎の労働者に限ったことではない。路上に座りこんで飲むという。この光景を、釜ヶ崎では多く見かけるからといって、これが差別的視点を生み出している、ひとつの原因にもなっていると考えられるが、翻って考えてみれば、生活空間としてのドヤの構造が、そうせざるをえない状態を生み出させているのに気づく。一畳の個室が酒を拒み、友人との親交をすら拒む空間であるからである。そして労働者に悪寒を感じさせずにはおかない、孤独感。この、在り方そのものが問題とされなければならないのである。

 また、換気の悪さや布団の手入れが十分になされていない、といった衛生面での、管理の手落ちが、結核を蔓延させる大きな原因にもなっているとも、指摘されている。

(3)
 七十年の大阪万国博覧会を境に、釜ヶ崎の外観は変わったといわれている。木造から鉄骨高層化への移行。収容能力の大型化。冷房、エレベーター付。こうした外観の変化は、こと釜ヶ崎に限っていえば、決して労働者の生活空間が豊かになり、満足しうる方向へと変化したのではないのである。

「労働そのものが厳しい、というより、生活がやりきれないのです。」
といった労働者は、釜ヶ崎へ来る前は、
「そりゃあ、労働そのものはね、今よりも厳しかったと思っています。しかし、生活の場所としてはまだ、ここよりましでした。」
と、過去をふりかえっていう。
またドヤの一室で、
「ここに、こうして、一人でいると、気のめいることばかり考えてしまうしね・・・・」
と、いった年配の労働者は、数日後に地方の飯場へ行った。
「人間の住むところやないで。」
と怒りを込めていった労働者。

 ぼくが聞いた労働者の、生活実感としての、ふっともらされた言葉の端々に、この環境、この現状、この質的な劣悪さのなかに居住を強いられている、苦悩を垣間見て、「生活の豊かさとは一体、何だろう。」と、考えずにはいられなかった。そしてぼくは、釜ヶ崎労働者をとりまく、支配構造の非人間的な側面を見ることによって、怒りを感じる。

 この体制が豊かさをふりまくとき、ぼくは、それは見せかけにすぎない、と考えているが、総体として生活様式が変化してきていることは事実である。釜ヶ崎の労働者も、それ相応に享受してしかるべきである。にもかかわらず、それら豊かさの一部しか享受できない、というところに、ぼくは立腹するのだ。

 炊き出しを受ける労働者がいる。結核を病んだまま日雇労働に従事する。雨が降れば明日の保障はない。不景気で仕事に就けず、アブレ手当を受給できない。このように、少なくとも法の下に救済されてしかるべき人々がいるにもかかわらず、放置されている現実。まず、こうした人々をどのようにして救済していくか、ということが基本問題としてある。そして、住居の問題は、人間としての生活の基本的なあり様を規定する。

 ぼくらが自身の生活を、どのようにとらえるかという視点。生活の場である住居と、生活環境をどのようにとらえ、相関関係としての釜ヶ崎労働者の置かれている位置、形態をいかにとらえていくか、ということがぼくらに提起された問題であろうと思うのである。

 生活の豊かさとは何か。ぼくらが、豊かな生活というとき、その尺度は、自分の身辺にどれだけの物を所有しているか、ということである。そして多くの物を所有することによって、豊かになったような気分になることである。住宅、家財道具類、耐久消費財。これらは釜ヶ崎労働者にとって、最小限度にしか所有することを許されない。何故ならば、体制の要求に単身で赴いていくために、明日は何処で仕事をするのやら、わからない立場に置かれているからである。

 生存の最低限度の必要は、衣食住であるが、ぼくたの欲求は、単にその生理的欲求を満たせばよい、というものではない。雨露しのいで寝られればよい、という充足を越えたものを、生活空間に求めるのである。こうしてぼくらが求める限り、釜ヶ崎の一畳部屋のドヤ住まいであっても、当然、求める権利を有しているはずである。

 常に体制存続のための景気の調整弁として扱われる労働者たち。好景気のときは酷使され、不景気になれば、すてられる。この体制の諸悪にいきどおりを感じるが、何よりも重要なことは、人間としての基本的権利をすら奪われている、という釜ヶ崎労働者をとりまく構造を見抜いていくことであろう。

 相対的に、こうして低位に置かれている釜ヶ崎労働者をとりまく生活環境。ここから生み出される労働者個人の精神的苦痛、孤独感、あるいはそのことによって起因する疾病、等、生活空間における様々な問題が、あるのだ。

(4)
 釜ヶ崎の将来を、どう展望していくか。外見上の小手先の改善にとどまらず、物心両面の根本的な改革を望むために、その根底をとらえようとするとき、就労形態の問題とからんで、ドヤの問題が立ち現れてくるからである。

 具体的な、ドヤの構造が抱えている問題は、環境の劣悪さにあったが、これについては労働者の側には何ら責任はない。生活空間としての貧困さは、ドヤ経営資本の姿勢に起因しており、現下の日雇労働体系を創り出している体制そのものに、根本原因がある。労働者として、この収奪機構のなかに存在しなければならないのなら、これは労働者個々の生活態度を越えたところの、この構造を創りあげてきた体制に責任がある、といわざるをえないだろう。

 個別的には、労働行政のあり方、福祉行政のあり方、といった現行法体系の理念に対応する正規運用の完全実施によって、現状改善は十分可能だといえる。しかし、より根本的な改革がなお必要である。個別行政のわくを越えたところの、労働機構そのものの改革を主導とした総合的な改革が必要であろうと考えるのである。

 ぼくらの課題は、ぼくらの精神のあり様と深く結合している生活空間をみつめ、現状を分析していくことによって、相対的な底上げ改善をのみ求めているのではない。しかし現実の問題として、今あるドヤの構造が、社会構造のひとつの突出した形態としてある限り、人間としての最低限度の要求として、掲げていかなければならないのである。

 
 最低限度の生活水準を維持していくだけにとどまらず、より精神面での充足を向上させる道を模索しつつ、ぼくらはそれらの具体的実現の方法とプログラムを、提起していかなければならない。釜ヶ崎の労働者が、こうした抑圧のなかで低位に置かれ、そのことによって恩恵を受けているあらゆる人々は、このことを内省し、この道義的責任を痛感すべきである。

 かりに、法制化によってしか改革の道が見い出されないのならば、法制化による抜本的改革も必要であろう。そして何よりも重要なことは、労働者自身が、その本質から解放されるべく方法を模索し創出していくことであり、法の創出を内的必然において企画することであろう。

 身を病む労働者が、生活保護法理念のまっとうな適用すら受けられない、という構造の欠陥は、即刻改正されるべきである。また、ぼくらが人間としてある限り、尊重されるというのが、この体制の鉄則であるにもかかわらず、体制に貢献する労働力としての再生不可と見るや、切りすててしまう姿勢は、抑圧され差別されてきた労働者から、その道義責任を追求されてしかるべきである。
(1981.1)