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中川繁夫の物語と評論ページ

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最新更新日 2021.8.15
徒然にっき
中川繁夫:著

 ウエブリブログ にっきblogに連載の文章

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 2020.9.4~2020.12.31

 

20200904
こんにちは、しばらく休憩しておりまして、今日から再開いたします。
ここも雑ネタで箸にも棒にもならない戯言を書いているところです。
一枚、写真を載せるのが習慣になていまして、本文とは関係なしで載せます。
ほんとうは、ここで自分史を書こうと思って、がんばっていたところです。
自分を振り返ってみることは、自分の存在を自分で知る、ということです。
是非は別として、ぼくは、ナルシストなところがあって、自分勝手です。
自分のことに興味があって、自分の内面外面の全てを、知ろうと思うのです。
自分の傾向、自分の性向、自分の興味を満たすべく方法とか、です。
いまは、パソコンで、その向こうにひろがる世界を、自分流に見ています。
雑文の合間に、小説書いたり、写真整理したり、撮影に出かけたり、します。
いつまで続けられるか、自分への挑戦でもあると、思っています。

20201201
今日は2020年12月1日、令和二年です。
昭和、平成、令和、ぼくが生まれたのは昭和ですから、そのあと平成がありました。
通常、西暦で数える癖がついているから、和暦はあまりピンとこないです。
歴史とかもほとんどが西暦で覚えているから、世界史も日本史も、です。
文学史にしても美術史にしても、ほぼ西暦で全体像をつかんでいます。
12月1日、師走という、これは和月というのでしょうか、カレンダーを見ています。
つちのえ、とら、一白、友引、旧暦10月17日、12月1日の処に書いてあります。
ぼくらの世代、だれからも教えてもらったことがないので、内容がわからない。
令和2年は、昭和95年、平成32年、このような表記もあります。
暦にまつわる様々なこと、あまりにも知らなさすぎる自分に、あきれてしまいます。

20201202
都市に住んでいると、全てが消費者生活になっていて、お金がいることばかりです。
そのお金は、どこから得るのかといえば、勤労した対価としてもらう、ということです。
これなんかは、現役世代というのでしょうか、社会の中で生産に参加し消費に参加する。
ところがぼくなんかは、現在、まったく生産してお金にすることには従事していません。
年金受給で、ぼく自身は、それだけが収入です。
なんだかんだといっても、この日本の経済の仕組みの中で生きているわけです。
様々な仕組みの中で、生活が破綻することなく、日々を過ごしています。
かって現役だったころ、老後の生活の場を、ということで田舎に家を作りました。
そこでは少しばかりの食糧を生産する計画でいました。
結果として、それは断念して、老年のいま、都市の中で生活しているわけです。

20201203
北野天満宮の紅葉を見にいってきました。
もう見ごろは終わりかけ、だいぶん散っておりました。
招待券をいただいておりましたので、二人で行きました。
老松のお菓子をもらいお茶をいただきました。
今日一日のおわりに、撮った写真一枚をアップしておきます。
どうもありがとうございました。

20201204
トスカニーニ指揮のベートーベン第九を聴きだしました。
まだ始まったとこで、なにやらざわめかしい感じのところです。
1952とあるのは、録音された年でしょうか、もう70年近く前の録音?
いよいよ年末、自分家へ出した日本ハムからのお歳暮が届きました。
芸子さんがふたり、ならんで歩いてはりました。
大阪がコロナ感染で赤信号、往来がはばかられるところです。
ぼくは京都住まいですが、しばらくは移動しない方がいいなぁ。
のんきな方ですが、これだけ世間が騒がしくなると、気になります。
今年は、けったくそ悪いことが多かったように思っています。
厄払いしてもらわないと、と迷信を信じようとしています。

20201206
今年は、紅葉の撮影は、ありませんでした。
通りすがりに紅葉があって、数カット撮った程度です。
あらためて京都で撮った写真を、写真集にまとめるべく、作業にはいりました。
2015年から、と思って、あらためて当時撮影の京都を見ています。
忍者のホームページで作っている京都、これも継続で、先ほどページをつくりました。
2014年の5月、そのころに撮った写真を、時系列でアルバム化しています。
ほかにアダルト系があるのですが、こちらは淡々と作業を進めています。
文章を書くのも手慣れた感じで、ひところほどの感動がわいてきませんね。
小説仕立てで、連載もので、ふたつのパターンで、物語を進行させます。
それらはペンネームで書いているので、ここに公表は憚られるところです。
性の研究、といえば大袈裟ですが、近年、けっこう表立ってきている、と実感です。
まあ、美しい風景、あの世を連想させるようなイメージ、みたいなのを、です。

20201208
12月にはいっても、まだ紅葉がありますね。
今日は12月8日、早くも師走、三分の一が過ぎます。
慌ただしい気持ちになります、日常、同じ日々なのに、です。
ベートーベン生誕250年というので、NHKで特集をしていますね。
そう思って、ぼくもベートーベンの曲を、これまで以上に聴いています。
すごい、すばらしい、どうしてこんな音の連なりが、と思うんです。
いま、手元では交響曲7番が流れています。
穏やかな音の連なりですが、心に滲みてきます。
LPレコード、CD、それから今はパソコンに取り込んだデータで再生です。
音楽を聴く環境はまだまだ変化していくことと思うけど、音楽の音符は変わらない。
演奏はオーケストラと指揮者のコラボです、すこしずつ内容が違いますね。
年末までに第九を、何回か聴くと思います。

20201209
このスポットは、おどろおどろな気持ちになる処なんです。
白装束の祈祷師さんが、エイヤって呪文を唱えているイメージです。
最近はいらっしゃらないのでしょうか、拝み屋さん、という人がいらした。
最近でも山伏衣装で、呪文を唱えていらっしゃる場に出くわします。
護摩焚きとかですが、なにかしら内面のうずうずが、沸き立ってきます。
世の中には、目に見えるモノしかなかった時代でした。
目に見えるモノを継ぎ足して、自分のテリトリーとすることでした。
でも、いま、デジタルの向こうは、見えない領域で、モニターを介して見ます。
デジタル時代って、どんなんかなぁ、と思うんですが、見えない世界ですね。
膨大な見えない世界があって、それを検索して、自分のモノにしていくんですね。

20201211
ブログとかSNSに自分をあらわすことを否定するひとがいます。
そのくせ人のブログをみてよんで、あれこれ否定的に批評する。
いま、ぼくは嫌味を言っているんですが、自分を隠して他者を批評する。
これなんて、ぼくは全く賛同しないです。
自分を自分の言葉で発信する、いいことじゃないですか。
いまさら夢も希望も持てない年齢になっていて、過去のことばかりです。
過去からの積み重ねで、この先の未来が展開できると思っています。
その過去からのアレンジで、どこまで今の時代の底部に降りていけるか。
そのプロセスを公開のなかでやっているわけで、これは現代の作家です。
そのことを分かってほしなぁ、とわからない人に、思うのですよ。

20201213
先日、哲学の道を歩いて、法然院へいって、心を洗いました。
人が入らない時を見計らって、お定まりの光景を写真にしました。
気が向いた場所へ行って、淡々と気持ちを整えて、写真にする。
リアリズムな、記録を、残していくのがいいのか、と思っています。
すでにいくつかのバージョンで、京都写真集を作っているところです。
今回のは、中川繁夫HPのなかに制作で、新たに撮ろうと思っています。
ほかにブログをいくつか使って、京都を撮った写真を、公開しています。
静止画でとどめておいて、動画は制作しない方向です。
内面に迫れるような写真集が生成できたらいいなぁ、と思っています。

20201217
今朝の京都市内、雪が少しばかり積もっておりました。
雪雲が遠のいて青空になってきたところです。
いま午前11時半ですが、青空、でも寒いですね。
二か月に一回程度の健康診断にいってきました。
血圧が高いのと頻尿の気があるので、薬を服用しています。
まあ、まあ、元気なので、何よりだと思っています。
きょうもよろしくお願いいたします。

20201219
新しくカメラを買おうかと思案しているところです。
ひと頃なら即決で買っていたくらいの金額ですが、今は考える金額です。
キャノンを使っていて、もう5年以上使っていて、今ではないと思っています。
日進月歩、デジタルカメラの記憶装置は改良されていると思っています。
デジタルカメラは消耗品だと思っていて、どんどん性能アップしています。
通信環境、パソコン、カメラ、それぞれにリンクしながら、性能アップします。
年をとっても、最新の環境で使いたいとの気持ちがあります。
作品をつくる環境であり、発信するツールであるから、その舟に乗る。
スマホは5Gのエクスペリアを予約中、これも最新を使いたい、です。
これらはメディアアートするための原点かと思うところです。

20201221
12月21日は冬至、冬に至った日ということで、昼間が短い、夜が長い。
コロナ禍の日々、外出を控えて、人混みの処を避けて、といいながらもう年末です。
今年は、そのコロナウイルスの蔓延で、なにもかも中止や、規模縮小でした。
マスコミも恐怖心を煽るような話ばっかりですが、でも収まらない。
まだまだ蔓延していくんじゃないかと思うと、気持ちが滅入ります。
写真を撮って、文章を書いて、自分を表現するわけですが、自己表現。
自分の感性や思いを、うまく出していければ、それに越したことはない。
金に換えようと思う思いも必要かもしれないけれど、それは望まない。
好きなことを、好きなようにやっていく、それでいいと思っています。
撮るも書くも技術が必要といえば必要で、そのトレーニングは必要です。
テーマをどうするか、何にするか、これは大きな問題です。
何を、なぜそれなのか、でも、それを汲みだすまでには、至らない。
それ、とは何か、つまりテーマとする「それ」とは、何ですか。
ぼくは、やっぱり「京都」というイメージに囚われています。
写真の現場は、京都と呼ばれる区域のなかですけれど、です。

20201223
コロナを避けて自宅待機とかしていると、世間からどんどん遠のいていく感じがします。
SNSで知ったひとの消息をみたりするけど、みんながんばってるなぁ、と羨ましい。
外出して街中の書店にはいって、書架のまえに立って、背表紙を眺めています。
色とりどり、たくさん、膨大な本の量に、圧倒されますが、なんとなく落ち着きます。
今年は、書籍を整理して、ほぼ手元になくなったところです。
それらの本が、どういう使われ方、読まれ方するのか、もう他者の手にゆだねよう。
きのう、書店の書架のまえに立ったとき、目にはいったのがプルースト。
文学の棚で、フランスの表示があって、プルーストの失われた時を求めて、目にとまった。
読んでいません、読めないと思っています、膨大すぎるから、でも興味があります。
もう文学を知りだしたころから知っているタイトルです。
フローベル、プルースト、カミュやサルトル、フランス文学に興味を持っていた。
もう半世紀もまえのことで、当時はまだ学生の肩書がありました。
昨年だったか今年の春先だったか、角田光代さんが編集の縮約版が並びました。
買っても読めない、手持ちの本を整理している最中、遠目に見ておりました。
昨日、何回か迷って、その本をレジに持って行って、カードで購入しました。
ここ十数年、フィクションを手がけていますが、参考はこの本のような構成。
それに団鬼六の文章、伊藤晴雨の図版、日本のエロスを求めて、というところ。
もうそれほど持ちうる時間がないなか、この先のことに思いを巡らしています。

20201224
クリスマスイヴ、2020年12月24日、教会の写真を載せます。
きょうは朝から、第九を聴き終え、ただいま荘厳ミサ曲を聴いております。
荘厳な音響とイメージで、ひとり、いろいろと考えながら、聴いております。
ベートーベン生誕250年とか、いまもって現役の音楽たち、やっぱり天才ですね。
失われた時を求めて、プルーストという作家も、その構想力は素晴らしいと思います。
ぼくの人生で、もう半世紀以上にわたって、影響をうけた音楽家と小説家です。
ストックしてる写真を見ていて、東松照明さんが写ったアルバムがあって懐かしい。
1980年代初め、三年間、彼が京都取材の最中、一緒に撮影して、食事して、会話して。
あれから40年近くになりますが、あらためて、ぼくは京都にこだわっています。
写真家で、記憶に残る恩師は、やっぱり東松照明さんだと、ここに残します。
唯一、写真のことについて、議論したというより、教えをいただいたお方でした。
いまは孤立無援の立ち位置ですが、そういう議論ができる場をつくろうと思ています。

20201227
このまえ「失われた時を求めて」の圧縮版を買い求めて机上においています。
昨日は太宰治全集の半分をAさんの手許へ届けました。
来るもの去るもの、こうして手許の所持品が変わっていきます。
半世紀、もう、そんなに時間が経ちます、信じられない、短い年月でした。
自分用の原稿用紙を印刷してもらって、大学の論文用原稿用紙を使って。
あとはコクヨの400字詰めの原稿用紙を使っておりました。
ワープロを使いだすのは1984年、それ以降は原稿用紙は使っていないなぁ。
手書きの日記風ノートも2001年には止めてしまいました。
失われた時を求めて、原稿用紙一万枚の分量とか、2004年からの小説集はそれに匹敵。
ブログで小説を書き始めて意識したのがプルースト「失われた時を求めて」でした。
ぼくの小説のすべては、インターネット、ホムペの中においています。
紙への印刷物としたいけど、そうはならない事情もあります。

20201229
バッハのバイオリンとハープシコードのソナタを聴いております。
もう今年も残すところ今日入れて三日間です。
いいもわるいも評論はしませんが、淡々と時が流れてしもたなぁ、です。
でも、嬉しいこともあったから、よい一年だったと思っています。
来年は、丑年で、モウモウゆっくり、歩んでいけばいいのかなぁ。
京都経済センターの一階にある大垣書店へ、よく行きます。
ただ本を眺めているだけ、たまに本をかいますが、眺めているだけ。
写真集があり、写真の撮り方とかのハウツー本がいっぱいありますね。
気にしないようにしていますが、それにしても多いなぁ、と思っています。
それから、文学書、小説、いやいや漫画の本というのか、ビジュアル系ですね。
来年、後期高齢者という括りに入れられてしまう輩です。
身体がやっぱり高齢者になっているんだと、掃除をしながら自覚します。
狡猾な老人になっているのかも知れない、自分ではそう思わないけど、そうかも。
だんだんと親しく知り合う友が少なくなってきます、淋しいけれど、現実です。
いくつもの企画も終息させていく時期に来ているのかなぁ、と思ったりです。

20201231
おはようございます。
2020年の大晦日、12月31日、いよいよ大詰めにきてしまいました。
今年は、ほんと、コロナウイルス蔓延で、たいへんな一年だったと思います。
幸い、自分は健康でいられたことが、なによりです。
京都市内もただいま雪が少し降っています。
今日は寒くなりそうです。
ハンガリー舞曲とスラブ舞曲がはいったデーターを聴いています。
中学生のころに聴いて、それ以来ことあるごとに聴いています。
ハンガリーで育ったというAさんのことを思い浮かべています。
ぼくが所持している文学系の書籍をもらっていただいています。
失われた時を求めて、少しづつ読んでみようと思います。